第五章 再会と兆し(11)
「何を言い出すかと思えば」
ラドキースは溜息混じりに苦笑する。
「ごまかしたって無駄だね。もう、分かっちまったよ、俺.....。黒将軍に十歳頃の娘がいる事も、その娘の名前も、かみさん...ハーグシュの王女がレワルデンで死んだ事も聞いた。俺が初めてあんたとエルに会ったのって、レワルデンから続いていた街道でだったよな。それに、あんた黒眼黒髪だし、黒将軍が名乗ってるらしい名前と同じだ。これが皆、偶然の一致にしちゃあ、あんた腕が立ち過ぎるよ」
ラドキースは、途中遮る事もせず無言で聞いていた。その傍らにファランギスが並んだ。彼の心の内を悟ったのであろうユールスは、神妙な表情で口を開く。
「ラディとエルがここにいる事、俺は誰にも言ってないぜ。だから安心しろって。俺は二人が困る様な事はしねえ。何たって恩人だからな」
ユールスは、ファランギスに向かって肩を竦めて見せると、再び表情の読み難いラドキースへと眼を向ける。エルは不安そうな表情で父親のマントを掴んでいた。霧雨は、緩やかな雨脚となっていた。
「俺は、面と向かってあんたの事をべた褒めしてたわけだよな。ったく、こっぱずかしいったら無いぜ。人が悪いったら無いよ、あんたは」
拗ねた表情のユールスは、どうやら照れているらしかった。照れ隠しなのであろう、雨に濡れるに任せていた頭を再び無造作に掻く。一言も発さぬままユールスを見詰めていたラドキースが、やがて瞳を伏せた。
「すまぬ...」
静かな詫びの言葉が、その口から零れた。主君の詫びの言葉にファランギスは内心驚き、その横顔へと視線を走らせた。
「わざわざ人に告げる事でも無かった故な」
そう言ってラドキースは、不安そうに縋り付いていた娘を見下ろし小さな肩を抱く。
「だが、こっぱずかしいのは、何もお前だけでは無い。あの様に手放しで褒められた方だって同じだ。しかも私は、お前に称讃されるに値する人間では無いというのに、ユールス」
「あんたは、称讃に値するよ、ラディ!!」
ユールスは、酷く真剣な表情で叫んだ。
「あ、いや...、ラドキース殿下」
しかし、次の瞬間には気弱な表情でラドキースの名を言い直すユールスに、ラドキースは小さな笑いを零す。
「ラディで良いぞ」
「ラディ...」
呟くユールスにラドキースは小さく頷く。そして何かを思い起こすかの様に、ふと遠い瞳をした。
「あの時...」
黒曜石の瞳は、眼の前のユールスに向けられてはいたが、その実ラドキースは彼を見てはいない。
「大柄な兵達に囲まれ立っていた、手負いの細く頼り無げな兵士に気付いて思わず馬を止めた」
「あ...」
「あの時のお前は、すまぬが十五には見えなかった。酷く幼く見えたのでな、何故この様な子供がと、思わず馬を止めたのだ」
「覚えて...」
驚きに眼を見開くユールスに、ラドキースは言葉を続ける。
「あの時のお前の顔立ちは記憶に残ってはいないが、あの時お前が頭に巻いていた包帯に滲む血の色は、今でも覚えている。生き延びていたのだな」
感慨深げに瞳を細めたラドキースに、ユールスは数度首を縦に振り、拳で己の胸を叩いて見せた。
「おう、この通りよ。十四で故郷を捨ててから、幾度か殺されかけたりしたけどよ、この通りまだ生きてる。俺は、運も強けりゃ、生命力も強いぜ。だから頼む! 一緒に連れてってくれ。元々、あんたの元で戦いたくて旅に出た。ここであんたに逢えたのも、神の導きってやつに違いない。俺を家来にしてくれ、頼むっ!」
言うやユールスは、雨に泥濘む地に勢い良く跪き頭を下げた。ユクラテの手綱を握りながら様子を伺っていたロジェリンは、その姿に嘗ての己の姿を重ねた。
「すまぬが、私は、お前に何の約束もしてはやれないのだ、ユールス」
「かまうもんか。俺があんたに付いて行きたいんだ、ラディ! それじゃ、だめか?」
ユールスは、揺るがぬ意志の宿った瞳でラドキースを見上げた。
「四年前、あの街道で別れてから今まで、俺はあんたとエルを忘れた事が無かった。俺、あんたが黒将軍その人で嬉しいよ。あの時は、別れちまったけど、今度は付いて行きたい。あんたが何て言おうと、俺はとことんあんたに付いて行きたいんだ」
「そうか....」
ラドキースは視線を落としながら呟く様に言った。期待の隠った瞳で見上げていた娘は、父親の満たされた表情に、にこりと笑顔を見せる。その娘の柔らかな髪を撫でてやると、ラドキースは再びユールスへと眼を向けた。
「ならば根無し草同士、共に来るが良い」
その言葉にユールスは、ぱっと破顔し、ラドキースからエルへ、そして又ラドキースへとその笑顔を向けた。
「お待ち下さい」
その成り行きに堪り兼ねたファランギスは、鋭い声と共に突如その間に割って入った。
「この者をお連れになると仰るなら、条件があります」
「何だ?」
ラドキースの問いに、厳しい表情のファランギスは軽く頭を下げると、跪いたままのユールスを振り返る。
「剣に忠誠を誓え、ユールス殿とやら。さもなくば、私は納得致しかねる」
「誓うとも! 当たり前だ!」
不満も露なファランギスに即座に言い返したユールスは、そのまま腰の剣を引き抜くと、剣先を泣き続ける灰色の天空へと向けたまま、左胸の前に構えた。
「俺は、我が剣と我が名にかけて、貴方とエルに生涯の忠誠を誓う!」
その強く一途な瞳に、ファランギスも最早何も言わなかった。否、釘を刺そうと口を開きかけたのだが、微かな溜息と共に取りあえずは思い止まったのだ。
ラドキースは娘の身を離すと、彼もまた腰の剣を引き抜き左胸の前に構えた。剣先は天空、誓いの構えである。ユールスは碧眼を見開き唖然とした。
「私も誓おう。ロジェリン、お前にもだ」
軽く振り返ったラドキースの思わぬ言葉に、ロジェリンも驚く。
「私は、お前達に何の約束もしてはやれぬが、だが、お前達の身の上には責任を持つと誓おう。友として、お前達を裏切らぬと、この剣と名にかけて誓おう」
優しく降り注ぐ雨の中で、自然とロジェリンも跪いた。頬を濡らす水滴が雨によるものか、それとも心打たれた為に流れ出した涙であったのかは、分からなかった。
「エルは、ホントにお姫様だったんだよなぁ。俺様は、エルの騎士になったんだから、エルは正真正銘、俺のお姫様ってわけだよな」
ユールスが上機嫌で言えば、エルは首を傾げ唇を少し突き出した。
「私、おじちゃんのお姫様なの?」
「何だよ、不満そうだな」
「そんな事ないけど...」
「ならいいけどな。ところで、いい加減 “おじちゃん” は止めような、エル。俺様には “ユールス” ってえ、れっきとした名前があるんだからな。いい加減覚えような。もう十歳なんだからな」
「うん、分かった! お魚のユールス!」
「お魚は付けんでいいっての、ったく」
自称騎士と小さな姫君は、四年前と同じ様なやり取りを繰り返している。
「不満か?」
ラドキースは、傍らを歩く乳兄弟に尋ねた。
「いいえ。取りあえず、剣に誓ったのですから良しとしましょう。 “剣の誓いを破る者は、剣の制裁を受けても文句は言えぬ” わけですから」
「思いっきり不満そうなんだけど」
ファランギスが横目に睨むと、ロジェリンは素知らぬ顔でそっぽを向いた。
「僅かでも怪しい素振りを見せれば、私はあのスラグ人を斬ります、殿下」
そんな剣呑な言葉を口にしながら、しかしファランギスは思い惑うかの様な溜息を洩らす。
「ですが正直な処、あの者を信じてやりたい気持ちも無きにしも非ずです」
「そうか」
前を行くエルとユールスは、実に楽し気である。ユールスのちゃらけに、エルは引っ切り無しに笑い声を上げている。自然、後ろを歩く者達の表情も苦笑から笑顔へと変わって行く。
雨脚は既に遠のき、空は明るんでいた。旅の道連れが、又一人増えた。
第五章 終