第五章 再会と兆し(10)
その夜、ユールスはこっそりと城壁を超えて町へと潜り込む事に成功すると、賭博場へと足を運んだ。この男にも、こんな真剣な表情が作れるのかと思わせる程、真剣な面持ちで得意のカードゲームに挑んでいた。一文無しでここへやって来たユールスは、勝負に負ければ剣を失う。真剣にもなろうというものであった。碌な路銀稼ぎの方法では無いが、追い剥ぎなどを働くよりも何万百倍も正しい方法だと、本人は至って真面目に考えている。そして大抵の場合、ユールスは賭け事に強かった。その晩も、命の次に大切な剣を失う事も無くほどほどに儲けると、後は大人しくその場を後にして飲み屋へと足を向けた。幸運の女神が傍らで微笑んでいる晩であろうとも、賭博場でのユールスは度を過ごす事は無い。調子に乗って儲け過ぎれば、当然厄介事が伴って来るものなのだ。
古びたカウンターに座り強いエールを注文すると、傍らから先客が声をかけて来た。そのなりからして同業者であろうと内心思いながら、ユールスは愛想良く言葉を交わす。
「凡そ騎士には見えないが」
男は、ユールスのマントの下から覗く革製の胴衣と腰の剣をちらりと見て尋ねた。
「あんたも騎士様には見えねえな」
「同業か?」
「の様だな」
二人は意気投合し、杯を軽く上げて乾杯する。
職を求めて旅をする傭兵稼業の者は多い。一言に傭兵とは言えど、ユールスの様な一匹狼な傭兵もいれば、騎士団を引き連れ傭兵稼業に出掛ける貧乏領主などもいる。そして職を求めて旅をする傭兵というのは、個人で動いている者達である。そういった者達は、同業者に出会うと、互いに情報交換をするのが常であった。
「求職中かい?」
「まあな。あんたもか?」
「ああ」
相手はにやりと笑う。
「最近、西がきな臭いからな。隊商か何かの用心棒でもしながら、あの辺りへ行ってみようと思ってるんだが、」
「へえ。俺も西に行こうと思ってんだ。旧ユトレアの残党が動き出してるって噂を聞いたんでな」
「ユトレアか。どうだろうな? それよりも先にスラグとハーグシュがドンパチ起こしそうだけどな」
そう言うと男は、エールをぐびりと喉に流し込んだ。
「ユトレアって言いやあ、あの黒将軍は、レワルデンに潜んでた事があったらしいな」
「えっ、そうなのか?」
「ああ。ハーグシュ王女は、レワルデンで死んだはずだ。何年か前にハーグシュが、王女の遺骸を掘り返して国に連れ帰ったって噂を聞いた事がある」
「レワルデンの、何処にいたんだ!?」
ユールスは、好奇心に蒼い目を輝かせた。
「王都から大分離れた何処ぞの僻地だとは聞いたが、具体的には分からんな。聞いた処によると、その村だか町だかで学問やら剣やらを教えていたらしい。それに娘がいるって噂は、ありゃあどうやら間違い無いらしいぜ。ハーグシュ王女との間の子だって話だ。ハーグシュは血眼だろうよ。何せユトレアとハーグシュの直系の姫君だ」
その言葉にユールスは突如、無性にむずがゆい様なもどかしい思いに襲われた。まるでバラバラに引き裂かれ散らばった絵画の破片を一つ一つ拾い集めてゆく様に、ユールスは記憶の破片を組み合わせてゆく。すると、脳裏に今朝方再会を大喜びした、あのこまっしゃくれた愛らしい少女の笑顔が浮かんだ。
「その姫君って、幾つくらいなんだ?」
「十歳かそこらだ。ええと、何て名前だったかな? エリだったかエレンだったか、えらく簡単な名前だったんだよな。まあ本名じゃないんだろうが、きっと。おい、怖い顔してどうしたんだ?」
顔を覗き込まれ、ユールスははっとする。
「あ、いや別に。んで、黒将軍の方は何て名乗ってたんだ? まさか本名じゃないだろ?」
ユールスの様子に何の不審も抱かなかった男は、すんなりとその問いに答えた。
翌朝の空は暗く、霧の様な雨が舞っていた。宿を一番に飛び出したエルは、どんよりと沈んでいる空を仰ぎ見た。
「お天気悪いね、ロジェリン」
「本降りにならなきゃ良いけどね...」
エルに続いて宿を出ロジェリンは、心配そうに空の厚い雲を見上げると、何が楽しいのか霧雨を顔に浴びてはしゃぐエルの頭にマントのフードを被せてやった。その後から出て来たラドキースは、不運な空模様を一瞥すると、何も言わずにただ片眉を上げた。そこへファランギスがユクラテの手綱を引きながら現れ、一行は出立した。
エルはロジェリンと手を繋ぎながら、しきりと辺りを見回していた。
「どうしたんだい? エル、さっきからきょろきょろして」
「えっ? ええと...」
ロジェリンに尋ねられ、エルは口ごもった。落ち着かない娘の様子にとっくに気付いていたラドキースは、微笑みを浮かべた。
「ユールスを探しているのか?」
父親に尋ねられ、エルはおずおずと頷いた。
「お前は、ユールスを気に入ったのだな」
「ええっ!? あのスケベ野郎をかい? エル!?」
過剰に反応したロジェリンが眼を見開い憤慨し出す。昨日の事を思い出したのであろう。
「あんなろくで無しは、忘れな、エル。あれは女の敵だよ」
「でも、お魚のおじちゃんは、そんなに悪い人じゃないよ、ロジェリン。初めは、ちょっと悪い人だったけど、でも、もう悪い人じゃないよ」
「初めは、悪かったって、何だいそれ?」
「ええとね、追い剥ぎだったんだけど、もうしないって誓ったの」
「何だってぇ〜!? 追い剥ぎ〜!?」
ロジェリンの剣幕に、後ずさり口ごもりながらも、ユールスを庇おうとするエルは健気であった。
「追い剥ぎ...ですか?」
エルの言葉にファランギスがラドキースへと眼を向ければ、ラドキースは苦笑を浮かべながら肯定した。
「何と.....」
ファランギスは言葉に詰まる。主君父子が、一時でも追い剥ぎ風情と共に旅をしていた事を知り唖然とする。
「怒るなよ、ファランギス」
「呆れて、怒る気も起きません、殿下」
笑いを零す主君を尻目に、ファランギスは眉間に皺を寄せながら溜息を吐いた。
「貴方を置い剥ごうとしたんですか? あの者は」
「ああ」
「無謀な事を....。それが何故にまた、共に旅などを?」
「成り行き上だな」
「お心が広いのにも限度ってものがあるでしょう?」
「私の心が広いなどと、本気で思っているわけでもあるまい? ユールスは、あの様な事は二度とせぬと剣に誓ったのだ」
「剣の誓いなど、簡単に破るならず者も中にはおりましょう」
「剣の誓いを破る者は、剣の制裁を受けても文句は言えぬ。違うか?」
さらりと、そんな剣呑な事を口にする主君の腕を知るファランギスは、それ以上の諫言を躊躇する。
「まあ、仰る通りですが...」
「心根は、そう悪い者では無い。エルもあの通り懐いた」
「やれやれ、貴方の人を見る眼の確かな事は、私も信用していますよ、殿下。おまけに貴方の心は広いと、私は本気で思っていますよ」
「気のせいか、褒め言葉に聞こえないのだが」
「ええ、褒め言葉ではありませんから...。って、笑い事じゃありませんよ、殿下」
ファランギスの皮肉をラドキースは軽く笑って受け流した。
城門を後にしてからどれ程の距離を経た頃であったか、依然厚い雲に覆われた空からは、さらさらと細かな雨が降り注いでいた。その行く手の木の根元に、所在無げに座り込む人影があった。
「あっ、お魚のおじちゃん!」
逸早く歓喜の声を上げて駆け寄ったのはエルであった。
「よっ、俺のお姫ちゃん。元気にしてたか?」
「うん。って、昨日会ったばかりだよ、変なおじちゃん」
そう言いながら、エルは嬉しそうにくすくすと笑う。ラドキース達が近付くと、ユールスは腰を上げ立ち上がった。
「昨晩は路銀を稼げたか、ユールス?」
「まあな」
ラドキースの微笑に、ユールスは戸惑いがちな笑みを返す。明らかに今朝のユールスは様子が異なった。ラドキースは訝しむ。
「どうしたのだ? 元気が無い様だが....? お前らしく無いな」
「うん、おじちゃんらしく無い。どこか痛いの?」
父娘は、揃って案ずる様な瞳を向けた。そんな瞳を向けられて、ユールスはへへへっと力無く笑う。
「いや、そんな事無いさ。元気だよ、俺は。ただ、ちょっと吃驚しちまってさ...」
ラドキースの黒い瞳が心做しか細められた。
「何に吃驚したの?」
無邪気に尋ねるエルにユールスは、うん..その..などと口ごもる。だがやがておずおずと言葉を紡ぐ。
「あんたさ、ラディ。その、何て言うか、....人が悪いぜ」
ユールスは、俯きながら金髪頭をもどかし気に掻いた。そんな様子を、エルは不思議そうに見上げ、ラドキースは静かに見詰める。彼等から数歩下がった処で、ファランギスとロジェリンが眼を見交わした。
「俺も、間が抜けてらあ」
「ユールス...」
「あんたが...、あんたが黒将軍なんだろ? なあ、そうなんだろ? ラディ?」
ユールスは、何かを吹っ切るかの様に顔を上げ、その問いをぶつけた。