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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第五章  再会と兆し(7)






 多くの観客が見守る中、打ち合いは続いていた。賭け事に手を染める男達などは、目の色を変えて声を張り上げる。それらの声援を聞けば、どうやらファランギスに賭ける者は少なく無いどころか、かなりに及ぶ模様であった。



 ファランギスの剣が、激しく打って来る相手の剣を鋭く押し返した。数歩飛ぶ様に後退した金髪頭のユールスは、へへっと不敵に笑った。しかしその顔立ちには、何やら愛嬌がある。

 「あんた、強えな」

 「そこもとも、なかなかやるな」

 「何の防具も付けて無いとこ見ると、よっぽど自信もあるんだろうな?」

 「さあ、どうかな」

 剣を構えたまま、ファランギスはにやりと口角を上げる。確かにある程度の自信はあった。しかし旅の途上、己の防具などに路銀を費やすくらいなら主従父娘に少しでも楽な旅をさせてやりたいというのがファランギスの本音であった。

 「前に、すんげえ腕の立つ奴に会った事があるんだけどさ、あんた、そいつの次くらいに強えかもな」

 「ほう? それは褒め言葉と受け取っても良いのか?」

 「おうよ。最高の褒め言葉!」

 「それは、痛み入る」

 「でも、だからって俺様が負けるとは決まってねえけどなっ!」

 言い捨てるや、ユールスの足が地を蹴った。激しい打ち合いが再び始まる。



 ラドキース達は、熱狂的に騒ぐ群集のそのやや後方から試合を見物していた。エルなどは、ラドキースに肩車されながら喰い入る様な目をして見入っている。

 「やっとファランギスとまともに打ち合えるのが出て来たよ」

 「ああ。実際、あのユールスの腕は悪く無い」

 ロジェリンの感嘆の声に、ラドキースは二人の剣さばきを目で追いながら答える。

 「ファランギスの奴、大丈夫かな」

 ロジェリンが心配そうに傍らのラドキースを見上げ尋ねれば、ラドキースは静かに

頷いて見せた。

 「それでも、ファランギスの剣の方が巧みだ。案ずる必要など無い」

 「そう? 若先生が言うんなら、そうなんだろうけど」

 試合へと戻されたラドキースの黒曜石の瞳には、何の憂えの色も無い。普段と変わらぬ静かで落ち着いた佇まいに、ロジェリンも肩の力を抜いた。エルはといえば、依然声も出さずに打ち合う剣の早い動きを夢中で追っている。


 それから刃を交える事何合目かに、ユールスの剣が大きく跳ね上げられた。その瞬間、ファランギスの剣は信じ難い動きを見せた。まさしくそれは神速と呼べる程の早さであったやもしれない。辛うじて片手は剣を離さなかったものの体勢を正す事もままならずに後ろへと倒れ込むユールスの胸を、その剣先は、方向を変えたかと思う間も与えずに襲いかかったのだ。


 一斉に息を呑む観衆のどよめきに続く沈黙。ファランギスの剣がユールスの胸を貫いたのだと、大概の者達がそう信じた。

 「やだ....」

 ロジェリンが弱々しく呟いた。エルも息を呑み込んだまま身体を堅くしていた。そして数瞬間の後に、二人揃って深々と息を吐き出し脱力していた。ファランギスの剣は、多くの人々の案に反しユールスの心の臓に埋まる事無く、その前でぴたりと揺るぎ無く留まっていた。

 


 尻餅をついたまま蒼い目を見開き硬直していたユールスは、全身から嫌な汗が噴き出していた事にも、己が呼吸を止めていた事にも気付かぬ程であった。審判によって勝者の名が叫ばれ、一斉に沸き起こった喚声で、初めて我に返った。勝負はついていた。


 「しっ、死ぬかと思った.....」

 何とも情け無い声が荒い呼吸と共に絞り出された。そんなユールスに、剣を引いたファランギスは手を差し伸べた。

 「すまなかったな」

 「いや、いいんだって。へへへっ」

 ユールスは、頭を掻きながら体裁悪そうに笑ってみせる。

 「やっぱ、強えや。俺、こんな目にあったのこれで二度目だぜ。本気で斬られるかと思った。心の臓に悪いぜ」 

 言いながら差し出された手を取り、ユールスは身軽に立ち上がった。

 「あんたの試合幾つか観たけどさ、強えなあと思ってたんだ。あの剣の返し、普通じゃねえだろ!? あんたの剣て、そんなに軽いのか? それともよっぽど肩や手首が強えのか?」 

 「さあな」

 「なあ、さっき俺、すんげん腕の立つ奴に会った事があるって言ったろ?」

 やたらに人懐こく話しかけて来る相手に、ファランギスは相槌を打ってやる。普段の彼ならば適当にあしらい、さっさと逃げ出す処であるのだが、あのラドキースが一時でも旅の道連れにしたという人物に、少なからずの興味があったのだ。

 「あんたの剣使いは、ちょっとその人に似てた」

 「そうか。どんなご仁だったのだ? その腕の立つご仁というのは?」

 「うん、それがなぁ、子持ちの根無し草だったんだよなあ。ちっちゃなガキ連れた旅人だったんだ。でも、雰囲気は騎士然としてた。無法者とかそんなんじゃ無く...」

 「ほう」

 「そのガキがな、又こまっしゃくれてて、かわゆくてなあ〜。まだたったの六歳だったってのに、既に母ちゃん亡くしててなぁ。今頃、どうしてんのかなあ...。あの二人は、俺のいわば恩人ってやつなんだ」

 「恩人?」

 「ああ。あの時、あの二人に会わなかったら、俺はとんでもねえ無法者のまま、今頃はトッ捕まって首吊りの刑にでもあってたかもしれねえんだ」

 ユールスは、しみじみとそう語った。






 大会は、結局ファランギスの宣言通りの結果に終わった。結構な賞金を手に入れたその翌日、一行はまだ日の出前の薄暗い中王都を発った。


 「あのユールスという者は、なかなか愛嬌のある人物でしたよ、殿下」

 「ん?」

 「人懐こいというのか、馴れ馴れしいというのか」

 ラドキースと並んで歩きながら、ファランギスは昨日の対戦を思い起こしつつ口を開いた。

 今朝はすっかりいつもの男装姿に戻った眠気まなこのロジェリンは、やはり少年姿に戻った眠気まなこのエルを抱えながら共にユクラテの背に乗りその手綱を握っていた。 

 「貴方と姫の事を話していましたよ」

 ファランギスは言葉を続ける。

 「ほう?」

 「貴方と姫は、あの者にとって恩人なのだそうですよ」

 「大げさな事を」

 ラドキースは、懐かしそうに微笑んだ。

 「私の剣使いが貴方のものに似ているとも。まあ、師が同じなんですから、そりゃあ似てはいるでしょうけれどね。それできっと貴方の事を私に話したのでしょう」

 「ねえ二人の師匠って、どんな人だったのさ?」

 ロジェリンが興味津々な態で尋ねて来た。厳めしい表情の中の思慮深い眼差しが、ラドキースの脳裏を過った。

 「そうだな...、厳しい人物だった。他人ひとにも己自身にもな。稽古となると相手が誰であろうと容赦は無かった」

 ラドキースの言葉に、ファランギスも昔を想う。

 「ふうん。よっぽどの使い手だったんだろうね? 名のあるご仁かい?」

 「ウルゲイル・ワイズ=トーラン、我らが祖国の名将と呼ばれた人物であった」

 「あ、五年戦争の折に若先生の補佐に立った将軍だね?」

 「良く知っているな」

 「うん、ファランギスに聞いたんだ」

 「そうか」

 エデワの町を出てから間も無くの間、ファランギスはエルとロジェリンにせがまれる度に、ユトレアの歴史や文化などを語ってやっていた。そして中でも彼女達がそろって興味を示したのが五年戦争の話であった為、ファランギスも、そのくだりを寝物語代わりに語ってやったのだ。今ではエルもロジェリンも、その辺りの歴史は事細かに知っている。


 「子供の時分には、よく叱られたものでしたね、貴方も私も。将軍は、相手が一国の皇太子だろうが何だろうが、全く容赦無かったからなあ」

 懐かしそうに昔話へと誘う乳兄弟の言葉は、ラドキースに幼かった日々を思い起こさせた。

 「そんなに怖かったの? そのお師匠様」

 父とその乳兄弟の興味深い思い出話に、眠気も吹き飛んだらしいエルは、瞳を丸くしている。

 「ええ、怖かったですとも。将軍の小言の後には、決まってきつい仕置が待っていましたから、ねえ殿下」

 「全く、幾度お前のとばっちりを受けて共に叱られた事か」

 「また、そんな事を。同罪だったでしょう? 私が実行した事柄は、大抵において貴方の作戦だったわけですから」

 恨めし気な瞳のラドキースに、ファランギスが目を見開いて抗議する。 

 「私のその作戦とやらを、実行しろと言わぬ間にお前はいつも実行に移していなかったか?」

 「いや、それは...」

 「ちょっと待った。作戦て何だい? 稽古で叱られたんじゃないのかい?」

 ロジェリンが不思議そうに尋ねれば、ラドキースは思わず声をたてて笑った。

 「稽古でも叱られたがな、大半は悪戯が露顕しての事だ。しかも尻尾を出すのは、決まってこのファランギスだったのだ」

 「まあまあ殿下、細かい事は気になさらずに、もう三十年も昔の事なんですから」

 体裁悪気なファランギスの様子に、他の三人が揃って楽し気な笑い声をたてた。

 




 朝日が射して来たかという頃合いに、トラジェクからウォーデン王国へと続く街道を、ぶらぶらと南下して行く一人の旅人の姿があった。何やら不貞腐れたかの様子で、時折ぶつくさと毒突き、道端の小石を蹴り転がしながら歩いていた。

 「ちぇっ! ったく、ついてねえなあ。武闘会に勝ってりゃあなあ。今頃は、あの賞金で馬の一頭でも手に入れて、夜は宿場町で可愛い姉ちゃんの胸でも枕にして寝れたのによう」

 旅人は、そこでがっくりと肩を落として大仰な溜息を洩らした。

 「文無しは辛いぜ...。今日のメシにも事欠く様だぜ、と....。おっ?」

 突然、目を見開いた旅人は、道端の木々へ向かって駆け出した。

 「おおっ!」

 木々を見上げた旅人は、蒼い瞳を輝かせながら歓喜の声を上げた。葉の落ちかけた木々には、赤い果実が申し訳程度になっていたのだ。

 「やったぜ! 食いもんだぜ!」

 低い枝の実は、恐らく狩られてしまったのであろう。また鳥達に啄まれたのであろう、その名残が枝の処どころで干涸びている。陽の光を避ける様に額に手をあて高い位置に僅かに残った果実を見上げていた旅人は、背の僅かな荷を降ろすや、掌につばを吐きかけこすりつけると、いとも身軽に木に這い上がって赤く熟れた実に手を伸ばした。

 「お、うめえ!」

 かぶり付いた果実の瑞々しい甘さに旅人は大喜びで、あっという間に三つ程を平らげた。四つ目に手を伸ばそうとした時、街道を南下してくる一行のある事に気付いた。大柄な男二人に騎乗の人物の組み合わせであった。目を凝らせば、どうやら馬は二人の人物を乗せており、一人は子供の様である。

 「子連れか...」

 旅人は、四つ目の果実を頬張りながら、こちらへと向かって来る一行に興味も無げな目を向けていた。しかし、その一行が近付いて来るにつれ、旅人の瞳が除々に見開かれて行った。いつの間にか食べる手が止まり、齧りかけの果実が手から落ちた。その一行の中の一人の姿をはっきりと認めた時、旅人は素っ頓狂な叫びを上げていた。





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