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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第五章  再会と兆し(3)





 トラジェクへの国境を跨いだ時、ラドキースは娘に言った。

 「お前が生まれた国だ、エル」

 「樵のおじいちゃんとおばあちゃんがいる国ね?」

 「ああ」

 父の懐かし気な眼差しに、自分の生まれた経緯を思い出してエルはくすっと笑う。母は旅の途中で産気づき、自分は危うく森の木の根元で生まれる処だったのだとエルは聞かされていた。『それはそれは、焦ったものだったのだぞ』と、父は苦笑したものだった。 

 「会いに行く? 父様?」

 「いや、彼等がいるのはもっと西だ。立ち寄るとすれば遠回りになってしまう」

 「ふうん、残念ね、父様」

 「そうだな。だが、いつか会いに行ける日もあろう」

 「はい、父様」

 静かに微笑む父に、エルは素直に頷いた。


 トラジェクも、もうすっかり秋の彩りであった。アルメーレ公国から南下して来たとはいえ、トラジェク王国も大陸の北部に位置する。もう間も無く野宿には向かない季節に入るのであろう、陽射しも日に日に弱くなる。

 王都に大分近付いたある日の事。黄葉した木々の葉を見上げながら小川のほとりで一休みした時、ファランギスがラドキースに言った。

 「殿下、ちょっと王都に寄って路銀稼ぎをして行きたいのですが。三日の猶予を頂けますまいか?」  

 その問いにエルとロジェリンは、きょとんと首を傾げる。  

 「何をする気だ、一体?」

 ラドキースが尋ねれば、ファランギスはふふんっと意味ありげな笑いを見せる。

 「折よく明日から王都では、年に一度の武闘大会が開かれるのですよ。こんな好機を逃す手はありません。勝ち抜けば賞金がたんまりです」

 「へえ〜っ! あたしも出たいよっ!」

 ロジェリンが翠緑の瞳を輝かせた。

 「別に止めはしないが、ロジェリン。お前の腕が私よりも立つというのならな」

 「むっ!」

 ファランギスの冷笑に、ロジェリンは途端に機嫌をそこねながらも、何も言い返せない。

 「貴方もダメですよ、殿下」

 「まだ何も言っていないが」

 すかさず釘を打って来る乳兄弟を、ラドキースは片眉を上げて斜に見た。

 「目立つ事はなさらないで下さい」

 「変装してもだめか?」

 「どう変装するって仰るんです?」

 「顔に色でも塗るとか?」

 「ああ、成る程....」

 「冗談だ」

 ラドキースの軽口にファランギスは瞳を瞬かせると、苦い顔でわざとらしい咳払いを零す。

 「兎に角、何をしたって、どうせ貴方はその顔と腕前で目立ってしまうんですからダメですよ、殿下。貴方なんか出てった日には、女どもが騒がない筈は無いんだ。顔が良いのも考えものですよ、全く。くれぐれも目立つ事はなさらないで下さいよ」

 嘆かわし気な溜息を洩らしながら念を押してくる乳兄弟に、心做しか恨めしそうな色を黒曜石の瞳に上せたラドキースは、馬上の娘と目を見合わせ苦笑しながら軽く肩を竦めた。

 

 「勝算はあるのか?」

 「無論です」

 ラドキースの問いにファランギスはさも当然とばかりに頷いた。

 「へえぇ〜。すごい自身」

 ロジェリンが横目に皮肉を投げかければ、ファランギスは真面目な表情をそちらへ向ける。

 「当たり前だ。さもなければこんな処で三日も費やそうなどとは考えない」

 「じゃあ、絶対に勝つ自信があるんだ?」

 「ああ、勝つとも」

 あまりに潔く言われ、ロジェリンは半ば呆れながらも感心する。

 「では、良い機会だ。王都で宿を求めてゆっくり休むとしよう」

 ラドキースが言えば、「「わーいっ!」」という歓声が重なり上がった。エルとロジェリンが二人揃って嬉しそうに両手を上げていた。エデワを出てより宿を取った事など、数える程でしかなかったのだ。

 「よしっ、エル、着替えようっ!」

 「うんっ!」

 「着替え?」

 嬉々として立ち上がる女達に、ファランギスが尋ねた。

 「王都に寄って行くんだ、ちょっとは綺麗にしてかなくっちゃだろうが。ねえ、エル?」

 「うんっ!」

 エルは荷物からスカートを引っ張り出しながら頷いた。

 「何故だ?」

 ファランギスが不思議そうに尋ねると、ロジェリンが呆れた様に大きな息をつく。

 「ああ〜、もうっ! 女心の分かんない奴だねぇ。あんた、絶対女にモテないだろ?」

 「お前に言われたく無いぞ、ロジェリン」

 溜息混じりに言い返すファランギスに、ラドキースがさらりと口を挟む。

 「ロジェリンはアルメーレ公都の騎士達に随分とモテたのだぞ。ファランギス」

 「嫌だ、若先生ってば、努めて思い出さない様にしてる事をっ」

 ロジェリンが顔色を変えて声を上げた。

 「そうだったのか?」

 「そうさ、だって...」

 急に口ごもるロジェリンの不貞腐れた様子に、ラドキースは笑いを零す。

 「何ですか? 面白い話ですか?」

 ファランギスが目を丸くする。

 「あのねファランギス、ロジェリンは公国騎士団にいた時、 “付け文” を沢山もらったの」  

 ロジェリンの “努めて思い出さない様にしている事” を、エルがぺろりと暴露した。

 「こらっ、エルっ!」

 ロジェリンが叫ぶや慌ててエルの口を塞ごうと飛びかかれば、エルははしゃぎ声と共に逃げ出した。

 「付け文...?」

 「気になるか?」

 呟くファランギスに、ラドキースが意味ありげな目を向ける。

 「何故私がそんな事を気にせねばならんのです? 殿下?」

 ファランギスは憮然とした顔を見せる。

 「気にならないのか?」

 「なりません」

 「そうか、なら良い」

 「.....」

 エルはロジェリンに捉えられ、くすぐりの刑罰を与えられ、高い笑い声を上げながら身体を捩っている。男達は、暫しその様子に目を向けた。そして、少しの後にファランギスがこほんと咳払いを零す。

 「で? 何なのです? その “付け文って?”」

 「ん? 付け文は付け文だ。恋文の事だが」

 「そんな事は分かっています」

 「やはり気になるのか?」 

 「別にそういうわけでは。ただ、私だけ知らぬでは、何となく疎外感を感じるだけです」

 ラドキースは、ふと笑みを零す。

 「エルの言ったままなのだが。公国騎士団の多くの男達が、彼女の気を引こうと贈り物やら付け文をしたのだ」

 「何故、ロジェリンはそれを思い出したくないんですか?」

 「不幸な勘違い故であろうな...」

 故意になのかどうなのか、ラドキースは遠い目をして空を見上げた。

 「勘違い?」 

 「お前も勘違いされぬ様、少しは素直になった方が良いぞ」

 「は? 仰る意味がわかりませんが、殿下?」

 榛色の目を丸くして身を乗り出す乳兄弟に、ラドキースは悪戯っけな笑みを向けた。そこへ、はしゃぎ疲れたのかエルとロジェリンが息を切らしながら戻って来た為に、ファランギスはラドキースからの答えを聞き出す事は出来なかった。 


 「若先生、あたし達は着替えて来るからね」

 「ああ、分かった」

 着替えを出しながら断りを入れるロジェリンに、ラドキースは頷く。

 「二人とも、のぞきに来ちゃいけませんよ」

 エルが菜の花色のスカートを抱えながら、こまっしゃくれた口調で父親とその乳兄弟に釘を刺した。

 「それは残念」

 ラドキースが涼し気な笑顔で娘をからかえば、娘は、「父様のえっちーっ!」などと叫んで木陰へと駆けて行った。その後をロジェリンが笑いながら追って行った。

 「貴方も、そんな冗談を仰る様になったんですね、殿下」

 「ん?」

 「昔の貴方なら、仰らなかったでしょう?」

 ラドキースは一瞬眉を上げ、その場にごろりと寝転んだ。

 「昔は、そんな冗談を言う相手に事欠いた」

 「.....そうですね」

 ファランギスは昔に思いを馳せ、ラドキースに同意した。そして、ラドキースに倣って隣に寝転ぶ。

  

 「このトラジェクで樵の夫婦に厄介になっていた間、セレーディラも私も良く笑った」

 ラドキースは瞳を閉じて語る。

 「私は、あそこで笑う事を覚えたと言うべきなのかもしれない...。暖かい人々であった。あの暖かみは、お前の母の様であったな...」

 「会ってみたいものです。貴方にとっての恩人なら、私にとっても同じ事だ。是非とも会って、一言礼を言いたい」

 「事が成ったら会いに行こう」

 「ええ、きっと、殿下」


 事が成ったら....。いつになるかなど分からない事であった。そう簡単に成せる事などでは無い事であった。そして、成せるかどうかさえも、分からない事であった。そして仮令成せたとしても、その時生き延びているかさえも分からない事であった。それでも今は、悲観的になるわけにはいかなかった。一度決心した事である。ユトレア王家の人間として、成さぬわけにはいかない。ラドキースの胸の内には、そんな思いが渦巻いていた。




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