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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
38/55

第五章  再会と兆し(1)






 * 「今も尚、多くの者達が貴方の生存を信じて希望を持ち続けているんですよ」


                                   ファランギス









 南のイスヴァイク、ワーゲニン自由市は、完全なる自治権を持つ活気ある商人の町として大陸でも知られている。そのワーゲニン自由市のスレイガ家といえば、その辺りでは知らぬ者とて無いと言われる程の豪商であった。様々な品を商ってはいるのだが、殊に有名であるのは武器商としてであった。

 その日、高齢である一家の長に代わって商いを一手に取り仕切るイザ・スレイガの元を、一人の青年が訪れた。商人と思しい姿のその青年を、イザは私室へと通させた。


 「無事で何よりだ」 

 イザ・スレイガの声は低かった。それに対し青年は、ただ恭しく頭を下げる事のみで答えた。社交辞令も挨拶の口上さえも無しに、彼はただ告げるべき事を告げる為だけに口を開いた。 

 「スラグがエドミナへ密使を送りました、イザ様」

 「ほう...、成る程」

 「はい。スラグがハーグシュと事を構えるのも、もう僅かの内と思われます」

 室内には二人の他には誰もいなかったにも拘らず、彼等は声を落として会話を交わす。

 「今回の密使は、エドミナに対する同盟の働きかけと見て間違いないでしょう」

 「さもあろうな...」

 普段は商人らしく穏和な眼差しが、鋭さと共に細められる。

 「商いの相手はスラグとなるか、それともハーグシュとなるか、はたまたエドミナとなるか.....」

 イザは口元に笑みを浮かべるも、その目は笑ってはいなかった。

 「エドミナの動向は?」

 「以前からエドミナ領の総督府に、こちらの手の者が潜伏しております」

 イザは満足げに頷く。

 「あの方に関しての連絡は、何かありましたか? イザ様」

 青年の問いに、イザは皺の刻まれた表情を翳らせ首を横に振る。

 「ウォーデンからの便りを最後に、未だ芳しい便りは何も...」

 「そうですか...」

 青年は小さな溜息を零した。

 「だが案ずるな。あの方はきっと戻られる。信じて待とう、ハイデル」

 「はい、イザ様」

 大商人の言葉に、青年...ハイデルは力強く頷いた。





 レワルデン.........。

 王都からへだたる然る町の、その又はずれの小高い丘に一行は立っていた。風が冷たい。 

 「ちょうど、この辺りであった。セレーディラを葬ったのは...」

 ラドキースは跪くと手を伸ばし、枯れかかった雑草に被われた地に触れた。エルもその傍らに座りこみ、ラドキース同様、手を伸ばして地を撫でる。ファランギスとロジェリンが、後ろからその様子を見守っていた。

 「母様は、もうここにはいないのですか? 父様?」

 「ああ...。お前の母はハーグシュで眠っているそうだ。ここよりも恐らく、寂しくは無いであろうから案ずるな、エル」

 エルは寂し気に頷くと立ち上がった。ロジェリンが労る様に小さな肩を抱いてやる。

 「父様、シュナの家に行って来てもいい?」

 「ああ。ロジェリンについて行ってもらうがいい」

 「はい!」

 とたんに嬉しそうな表情を見せると、エルはロジェリンの手を引っ張りながら丘を駆け下りて行った。その二人の姿が見えなくなるとラドキースは、嘗て最愛の妻が眠っていた土地の辺りへと再び目を落とした。無言のままその土を見詰めるラドキースの姿に、ファランギスは辛抱強く付き合った。

 「セレーディラが逝った時...、私は泣いた....」

 こちらに背を向けたまま、突如ラドキースは話し出した。

 「人並みに涙など持ち合わせていた事に驚いたものだ」

 「殿下.....」

 「今でも、思い起こすと涙が流れそうになる」

 「...貴方が?」

 「ああ...」

 以前の皇太子なら、“涙が流れそうになる” などと、そんな事は間違っても口にはしなかったであろうとファランギスは思う。ラドキースは変わった。主君を変えたのはやはり、亡きセレーディラ姫であり、エルディアラ姫なのであろうとファランギスは思う。

 「女々しい事と、笑ってくれても良いぞ」

 「まさか...。それでしたら私なんか、女々しいどころの騒ぎではないじゃないですか」

 ファランギスが慌て反論すると、ラドキースは振り返り苦笑する。そしてそのまま丘を下り始めた。後についてファランギスも丘を下る。

 ふもとにぽつりと建つ小さな家の前でラドキースは足を止め、朽ちかけた扉を開く。嘗てラドキース一家が暮らした家は、随分と荒れてはいたが原型はきちんと留めていた。

 「今宵は、ここで休もう、ファランギス。屋根がある分、風をしのげよう」

 「ええ、そうですね、殿下」

 懐かし気な瞳で小さな家の内部を見回すラドキースの様子に、ファランギスは複雑な気持ちを抱きながらも同意した。


 



 シュナの家が見えると、エルは逸る心を抑えきれずに駆け出していた。

 「こら、エルっ! 気をお付けよっ!」

 「ロジェリンも早くっ!」

 「シュナん家は逃げやしないって!」

 苦笑しながらも仕方無しにロジェリンも歩を早める。

 ここ数日、ロジェリンはエルから件の “シュナ” の話を嫌と言う程聞かされていた。余程に仲が良かったのであろう。無邪気にはしゃぐ少女の様子がロジェリンには微笑ましく映る。だがしかし.....、家の前に辿り着いたエルは、そこに立ち尽くしていた。後から辿り着いたロジェリンは、静かに息を呑んだ。

 「ロジェリン...」

 エルが不安気な眼差しでロジェリンのマントを掴みながら彼女を見上げた。その顔からは、ゆっくりと笑顔が失われていった。

 破れかけた扉が半開きになっていた。窓の木戸は失われていた。ロジェリンは少女の手を取り、家の中を覗いてみた。どう見ても、それは人が住んでいる様には見えなかった。

 「シュナっ!」

 ロジェリンの後から家に足を踏み入れると、エルは幼馴染みの名を呼んだ。

 「シュナっ! おばちゃんっ! シュナっ!?」

 小さな荒れ果てた小さな家の中で、エルは幼馴染みの少年とその母親の姿を探しながら、その名を幾度も幾度も呼んだ。だが、二人の姿は何処にも無く、答える声も無く......。

 「シュナ......」

 エルは大きな黒い瞳に涙を溜めて俯いた。 

 「エル...、おいで」

 ロジェリンが背をかがめて抱き寄せると、エルは縋り付いてしゃくり上げ始めた。ロジェリンには、エルを抱き締めながら空虚な慰めの言葉をかけてやる意外に成す術も無く、ただただ途方に暮れた。





 翌朝、出発前にファランギスが旅の糧を仕入れる為に町へ出向くと言うので、ロジェリンも付いて来た。 

 「シュナとやらいう少年の行方でも尋ねて回るつもりか?」

 問われたロジェリンは、眉を上げて傍らを歩く連れへと目を向ける。

 「良く分かったね」

 「そうでもなければ、お前が私に付いて来るとは思えん」

 「そりゃ、そうだ」

 美女はからからと笑う。そんな悪びれた様子の無い美女に、ファランギスは小さな溜息を吐いた。


 市場で乾酪かんらくと干し肉、そして堅焼きパンなどを手早く買い求めると、二人は店の主人に件の少年の消息を尋ねてみた。

 「シュナ?」

 「母親と共に町外れに住んでいた筈なのだが.....。生きておれば十一歳になる」

 ファランギスが説明すると、パン屋の主人は声を上げた。

 「ああ、町外れの農婦の子か。あのシュナなら三年くらい前に母親を亡くしてな、孤児院に捕まった筈だ」

 「孤児院に、捕まった?」

 パン屋の含みある物言いにロジェリンは柳眉を顰めた。

 「今頃こき使われてんじゃねえかなぁ...、可哀想に」

 嘆かわし気に呟かれた言葉の前に、ファランギスとロジェリンは言葉も無く目を見交わした。取りあえず、その孤児院の場所を聞き出すと、二人は言葉少なにそちらへと足を向けた。


 「...これが、孤児院だってのかい?」

 「その様だな....」

 窓という窓に鉄格子の嵌った建物は、孤児院と呼ぶにはあまりに剣呑に見える。一頻りその建物を眺めた後ファランギスが歩み寄って扉を叩けば、随分の間を置いて目つきの悪い中年の男が不機嫌そうに現れた。

 「何か用かい?」

 男は、出っ張った腹をさらに突き出しながらぶっきらぼうに尋ねた。

 「ここにシュナという名の子供が預けられていると聞いて来たのだが」

 「シュナ? あのくそチビか?」

 シュナの名を聞くと男は露骨に顔を顰めて見せた。

 「会いたいのだが」

 「もういねえよ」

 「いない? 何処にいるのさ?」

 「俺が知るもんか。逃げやがったんだよ。恩知らずなガキさ、ったく。今頃どっかで野垂れ死んでんだろうよ」

 ロジェリンが当惑の瞳をファランギスへ向ければ、ファランギスも又難しい表情をしていた。

 「逃げ出したのはいつ頃だ?」

 「一年くらい前だよ。あんたらあのガキの何だい? 親類か何かか? そんなら謝礼位は置いてって貰いたいもんだがね」

 「いいや、赤の他人だ。邪魔をしたな。行くぞ、ロジェリン」

 ファランギスは背を向けさっさと歩き出した。ロジェリンも気落ちしながら後に続いた。暫くの間言葉を交わす事も無く、二人は無言のまま歩を進めていたが、やがてファランギスはロジェリンに一瞥を投げた。





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