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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第四章  風の盟約(6)

* 文中の『 』は、ユトレア語での会話とお考え下さい。






 指南所を探し当てたファランギスは、手近な木にユクラテを繋ぐと、一つ大きな息をついてから建物へと歩を進めた。朝も早いのに、既に剣を打ち合う音が洩れ聞こえて来ていた。

 道場の戸口に立ち中を覗けば、子供達に立ち交じる懐かしい姿がすぐに目につく。そして小さな姫君の姿も難無く見出す事が出来た。

 『殿下....』

 ファランギスが呟けば、まるでその呟きが届いたかの様にラドキースの視線がファランギスに触れる。その表情がほんの微かに動いた様に見えた。ただそれだけの事でファランギスは確信する。ラドキースが自分の姿を、見紛う事無く見分けてくれたのだという事を....。


 「一手、お相手願いたいのですが、若先生?」

 十二年の長い離別など、まるで無かったかの様にファランギスは笑みを浮かべラドキースに声をかけていた。するとラドキースは苦笑と共に低い笑い声を零した。驚いた子供達が、わらわらとラドキースの回りに駆け寄って来たが、彼の穏やかな一声で壁際に散って行った。その様子を見届けると、ラドキースは懐かし気な瞳を乳兄弟へと据えたまま、すらりと剣を抜き放ち進み出た。

 ファランギスは然程大きくも無い荷を下ろしマントを脱ぎ捨てると、道場へと足を踏み入れた。そしてラドキースに倣い自身も剣を引き抜いた。


 子供達は皆、固唾を呑みながら成り行きを見詰めた。エルもまた他の子供達に交じって、父と見知らぬ男の姿に目を向けていた。

 エルは考える。父はウィスカード老やロジェリン以外の大人と剣を合わせる時は、刃の無い練習用の剣を使うのだが、今の父は己の真剣を抜き放っている。ひょっとして、父はあの旅人を知っているのではないだろうか.....と。エルは、何故かそんな気がしたのだ。

 次の瞬間、剣の打ち合う鋭い音が道場内に響き渡った。



 今朝も清々しい気分で東国渡りの植木の世話を始めたウィスカード老は、道場から聞こえて来た打ち合いの音に鋏を持つ手を止めた。初めは師範代と一番弟子の剣稽古であろうと思ったのだが、すぐに考えを改める事となった。

 「はて、誰と打ち合っておるんじゃ...?」

 老人は呟いた。打ち合いの音が早く激しく、そして重く響く。女のロジェリン相手では、ああも打ち合いの音は重く激しくは響かない。恐らくは彼女以上に力のある者が相手なのであろう。そして驚く事に、打ち合いの音はいっかな止む気配が無い。鋏を手にしたまま、打ち合いの音に耳を澄ましていた老人の眉間には、いつしか普段よりも深い皺が刻まれていた。

 「はて...?」

 ラディとこれ程に打ち合える者など、このエデワにいたであろうか....? ウィスカードは強く興味を惹かれ、植木鋏を手にしたまま道場へと近付いて行った。

 開け放たれた戸口から中を覗けば、案に違わず、師範代は見知らぬ男と激しく打ち合っている最中さなかであった。

 「ほう、道場破りか...」

 ウィスカードは、何やら感心した様に呟いた。

 「違うよ、師匠」

 後ろから一番弟子の不機嫌な声が答えた。

 「何じゃ? お前は今日はその格好で稽古か?」

 ロジェリンの胸元の開いた胴衣と長いスカート姿に、ウィスカードは眉を顰めた。

 「んなわけ無いだろう。今日は休みさ」

 「じゃあ、何しに来たんじゃ?」

 「ちょっと心配でさ」

 「道場破りがか? わしゃあ、お前の行く末の方が心配じゃわい」

 「だから、あいつは違うって」

 「ふむ、良い腕をしておるな、あのよそ者」

 老人の耳には最早弟子の言葉など届いてはいない。そんな師匠の様子に苦虫を噛み潰しながら、ロジェリンも一拍置いて同意する。

 「本当だ...。若先生と互角にやり合うなんて...。信じられないね」

 「大したものだな、あの道場破り」

 「だから違うってば、師匠」

 どこまでも勝手な思い込みを貫き通そうとする老師に、ロジェリンは苛立ちよりもむしろ呆れながら両肩をがっくりと落とす。

 「何が違うんじゃい?」

 この指南所の師範代の事を探るよそ者の話は、昨日の時点で既に町の殆どの人々の耳に行き渡っていたのだが、この老師の耳には未だ入っていなかったであろう事を思い、ロジェリンは気を取り直す。

 「まあ、しょうが無いか...」

 「なぁにが、しょうが無いんじゃ? さては何かわしに隠しとるな? 何を隠しとる? さっさと説明せい!」

 「はいはい。別に隠したつもりは無いんだけどね。あのよそ者は若先生の親類らしいよ。乳兄弟にして又従兄弟なんだってさ。でもって...、でもって、十二年目にしてやっと若先生を見付けたって...。ずっと若先生の事探してたんだってさ....」

 そのよそ者を見据えるロジェリンは忌々し気に下唇を突き出していたが、その声には何故か力が無かった。

 「ほう、そんなに長い事か....。ラディが、かみさんと駆け落ちしてからずっとかのう?」

 ウィスカードは驚きに目を見張る。

 ラドキースとファランギスの剣は、相変わらめまぐるしい勢いで打ち合っている。まるで剣舞を見ているかの錯覚を覚える程であった。

 

 エルにとって、父と剣を合わせてこれ程長く勝負を続ける者を見るのは初めてであった。この見知らぬ旅人が、父と同じ程に強い事は疑い様も無い。一体誰なのだろう....。エルは胸を高鳴らせながら、その勝負に目を奪われていた。

 父が負けたらどうしよう....。少女は少し心配になる。いや、父が負けるわけが無い。でも...と少女が思った時、父の剣が相手の剣を強く跳ね上げた。そして次の刹那、それらの神速の剣は、それぞれがそれぞれの反動を利用して互いを貫くかに見えた。エルは息を呑み肩を竦ませた。誰もが息を呑み身体を震わせ、声を上げる者さえもあった。

 旅人の剣が父の心の臓の前でぴたりと静止していた。そして...、父の剣先がその旅人の喉元で一分の揺れも無くぴたりと静止していた。

 誰もが安堵に大きく息を吐いた。漸く、片は付いていた。


 「ほう、五分か」

 「五分だね」

 老師と弟子が、溜息混じりの言葉を紡いだ。

 「大したもんじゃ、いや、あっぱれ」 

 「ああ。だけど心の臓に悪かったよ、今のは...」

 額に浮かんだ冷や汗を拭いながら、ロジェリンは再度大きく息を吐いた。

 


 ファランギスは、喉元に剣を突き付けられながらも、にやりと嬉しそうな笑みを浮かべた。

 『五分ですね、殿下』                            

 『そうだな』

 回りに届かない程の細やかな声で、懐かしい祖国の言葉を紡いだ乳兄弟に、ラドキースも又、長らく使う事の無かった祖国の言葉を返した。

 『やれやれ、負けるかと思いましたよ』

 『お前、腕が落ちたのではないか? ファランギス』  

 ゆるりとお互い剣を引きながら互いに短い笑い声を立てる。十二年の空白など、まるで嘘の様に。

 『致し方ありませんよ。ずっと貴方の様な相手に恵まれなかったんですから』

 これ見よがしに肩を竦めて見せる乳兄弟にラドキースは微笑み、そして安堵の息を吐いた。

 『お前が無事で良かった。誠、良かった』 

 昔と変わらぬ静かな口調で言葉を紡ぐ主君の、その微妙に何かを耐えるかの様な微笑に、ファランギスは咄嗟に込み上げるものを押さえて目をそらした。それでも耐えきれずに息を呑み口を押さえた。噛み締めた唇が裂けたのか鉄の味が舌を刺す。

 『...それは、私の台詞ですよ』

 やっとの事で言葉を返せば、からかいのを帯びた様な笑いが起こる。

 『泣くな、ファランギス』

 『なっ、泣いてなどいませんよっ』

 向きになって顔を上げれば、やはり昔と変わらぬ静かな微笑がそこにあった。



 剣を納めた父に名を呼ばれ、エルは駆け寄った。すると、今しがた父と剣を合わせた見知らぬ男が跪いた。

 「我が名はファランギスと申します。どうか、以後お見知りおきを、エル様」

 「エルと申します。どうぞよしなに、ファランギス様」 

 恭しく頭を下げる目の前の男に、エルはどぎまぎと戸惑いながら自身も名乗って頭を下げてみた。すると、目の前の髭面の男が嬉しそうに顔を綻ばせるのが分かった。

 「お母君に、よく似ておられる」

 ファランギスと名乗った男の、優し気な口調と表情にエルの緊張は即座に解けた。



 ラドキースは扉口に立つ老師の姿に気付くと、エルの手を取り乳兄弟を軽く目で促し、そちらへと歩み寄った。

 「分かっとるよ、今日はわしが稽古をつけるとしよう」

 ウィスカード老は、ラドキースが口を開く前に一つ頷くと、言った。

 「で、そちらは、お前の知り合いか?」

 ウィスカードは、ラドキースの後ろのよそ者に目を向ける。

 「はい、私の親類の者で、ファランギスと申します」

 「ほう、そうか。わしはウィスカードじゃ。一応ここの道場主じゃ。よしなにな、ファランギス殿」

 「こちらこそ、老師殿」

 ファランギスは礼儀正しく頭を下げた。そして老師の傍らで腕を組み立っていたロジェリンの姿に目を留めると、わざとらしく片眉を上げた。

 「これは、御婦人殿。いらしたんですか?」

 「ふんっ! 悪いかい?」

 ロジェリンは鼻息も荒くつかつかとファランギスの前まで詰め寄ると、腰に手をあて挑発的に顎を上げた。

 「ちょっと、あんた。若先生の乳兄弟殿とやら。変な気を起こしたら唯じゃおかないからねっ!」

 「 “変な気” とは、どんな気だ? ロジェリン殿」

 「どんな気もこんな気も、色んな意味で変な気を起こしたら許さないって言ってんだ! このうすらとんかちっ!」

 未だに敵意を剥き出しにしてくるロジェリンに、ファランギスはやや面食らっている。

 「私は別に、彼等に危害を加えたりする者では無いのだが?」

 「でも、若先生を連れ戻しに来たんだろうが!?」

 「....町ぐるみで私の邪魔をしたのは、それが理由か?」

 「ああ、そうさ」

 微笑みを浮かべるファランギスの、榛色はしばみいろの瞳が細まった。

 「可愛く無いな....」

 「そんなの百も承知だ」

 ずいっと一歩踏み出すファランギスを、ロジェリンがさらに顎を上げて睨みつける。

 「止めんか、ロジェリン。客人に向かって無礼を働くでない」

 老師が呆れながらロジェリンの後頭部をべしっと叩けば、 「いてっ!」 という声が上がる。

 「痛いじゃないか、師匠っ!」

 後頭部を押さえて噛み付く弟子にはおかまい無しに、ウィスカードはラドキース達をうながした。すると、子供達がわらわらと駆け寄って来る。

 「ラディ先生、帰っちゃうの?」

 一人が口を開くと、回りからも次々と落胆の問いかけが起こった。

 「すまぬな、皆。今日は老師に稽古を付けてもらってくれぬか」

 ラドキースが子供達に微笑みながら言うと、一斉に 「え〜っ!?」 っという不満げな声が上がった。

 「何じゃ、お前達は、わしじゃ不満か? ほれ、鍛錬せぬか、皆。ではな、ラディ、エル、ファランギス殿も、又な」

 「はい、老師様」

 エルがにこりと屈託の無い笑顔を向けると、老人はエルの頭を一撫でして道場へと入って行った。

 「ついて来いファランギス。ではな、ロジェリン」

 「ああ、若先生。エルも、又ね」

 「うん」

 ロジェリンはラドキースとエルに愛想良く笑いかけ手を振る。かと思えば、ファランギスに目を向けた時には、その笑みは綺麗さっぱりと拭われていた。しかも去り掛けのファランギスに向かって、鼻に皺を寄せ舌まで突き出して見せる始末。ファランギスは呆気にとられ、吐息を漏らした。

 「私は、あの御婦人に随分と嫌われてしまった様です」

 困惑気味なファランギスに、ラドキースはふっと笑う。

 「嫌われたのか?」

 「どう見ても嫌われているでしょう?」

 「一体、何をしたんだ?」

 「いや、これといって悪い事をした覚えは無いのですが....」

 しかし、正直なところ彼には分かっていた。何故、彼女があれ程自分に敵意を剥き出しにしていたのか。

 「随分と、慕われておられるようですね」

 「ん?」

 「町じゅうの人々を味方につけておられるとは、感銘しましたよ、 “若先生” 」

 乳兄弟の言葉の意図をはかりかね、ラドキースは娘と目を見合わせた。





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