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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第四章  風の盟約(5)






 こちらに横顔を向けている男の、首の後ろできちんと結ばれた髪の漆黒にまず目を奪われた。そして次に、長身ではあったがどちらかと言えば細身の姿の、それでいて隙の感じられぬさりげない身ごなしに。そして、彼の連れていた少女.....。勇ましくも腰に剣を下げた少年剣士の様ななりの金褐色の髪の少女。

 手を繋ぎ合う黒髪の長身の男と金褐色の少女の姿に、旅人は瞬きも無しに目を奪われた。

 彼らは赤毛の派手な女と何やら言葉を交わしていた。少女は男を見上げて何かしきりに話しかけ、それに対し男は静かに微笑み、時たま二言三言と口を開いている様子であった。赤毛の女が身を屈めて少女の顔を覗き込み言葉を紡いだようであった。遠目にも愛らしい少女の横顔が笑った。そしてやがて、黒髪の男と少女の姿は赤毛の女の元を離れ去って行った。

 夢と現実の狭間を漂っていた旅人は我に返り駆け出す。人の多い通りを、人を押しのけながら黒髪の男と金褐色の髪の少女を求め追う。しかし込み合った市場に馬を連れていた事が仇となった。彼等はすぐに人々の陰に隠れたかと思うと、その姿は見失われてしまった。旅人は焦燥に駆られながら、込み合った市場の中、愛馬の手綱を引きながら走り回った。

 「くそっ」

 旅人の口から罵声が洩れる。そんな時、旅人の視界の端に鮮やかな赤い髪の女の姿が入った。先程、黒髪の男達と言葉を交わしていた女だ。旅人は慌て駆け寄ると、思わずその腕を掴んでいた。


 「っ!?」

 いきなり腕を掴まれた女は、息を呑み振り返ったが悲鳴を上げたりはしなかった。

 「すまぬ。無礼はお許し頂きたい、御婦人殿」

 旅人は腕を放すと、流暢な北方語で咄嗟に詫びた。

 「見かけない顔だね。何か用かい?」

 鮮やかな巻き毛を背に垂らした大柄な女は、腕を組みながら旅人に不審気な目を向けた。

 「暫し物を尋ねたいのだが。今しがた貴女が言葉を交わしていた黒髪のご仁は、お知り合いか?」

 その問いに女の眉間が剣呑により合わさった。

 「だったら何だい?」 

 「何処へ行けば彼に会えるだろうか?」

 「あんた、誰なんだい?」

 「私は、彼の知己の者だ」

 「本当かねえ....? 人違いじゃないのかい?」

 女は胡散臭気に旅人を見上げている。

 「いいや、私があの方を見紛う筈が無い」

 「......」

 自身に満ちた旅人の声音に、女は益々眉間を寄せながら考える体となった。

 「頼む、教えてくれ。何処へ行けば彼に会えるのだ?」

 「あんた、この国の者じゃないだろう? 生まれてこの方、ここを出た事も無いあの人と、あんた、一体何処で会ったって言うんだい?」

 「何?」

 旅人の榛色の瞳にわずかな動揺が過る。

 「あのご仁は、この国の生まれだと言うのか?」

 「そうさ、このエデワの生まれだよ」

 「そんな馬鹿な」

 「馬鹿も何も本当の事さ。あんたの尋ね人とは別人だろう。他人のそら似って良くあるからね。分かったらさっさと出て行きな」

 「信じられるものか、そんな戯れ言。私がこの十年以上もの間、どんな思いであの方を探したか分かるか? 会って確かめねば気がすまん」 

 旅人の剣幕に、女は一瞬気圧された様に口を噤む。だが次の瞬間には翠緑の瞳に冷たい光を滲ませていた。

 「探しあてて、どうしようってんだい?」

 女の、低く押し殺した様な声が旅人に詰め寄った。

 「祖国くにへ、お戻り頂かねばならん」

 その答えを聞いた途端、女は激しい怒りの形相で旅人に掴み掛かった。

 「冗談じゃないよっ!」

 「何をする!?」

 「出て行けっ!」

 女の罵声は、あっという間に町人達をその周囲に集めていた。逆上した女は側の屋台へと駆け寄ると、山積みにされていた売り物のタマネギを掴んで旅人に投げつけ始めた。旅人の馬が驚き、嘶きを上げながら竿立ちとなる。町人達が慌てて女を止めようとその腕を掴んだ隙に、閉口した旅人はその場を逃げ出した。



 「やれやれ、何て気の荒い女だ....イテテ」

 人の多かった市場から抜け出すと、旅人は一息つきつつ女からタマネギを投げつけられた額を擦った。

 「北国の女は情に厚いと聞いていたが、あれではまるで山猫じゃないか。なあ、ユクラテ」

 一頻りの間、先程の赤毛の女への苦情を愛馬に訴えると、彼は沈黙する。そして、無くしていた希望を突如取り戻したかの様な表情で目元を拭った。




 

 「私を探っている者?」

 「ああ。浮浪者みたいなよそ者だよ」

 「でも、馬を連れてるぜ」

 「それに、剣を下げてたよ。俺見た、若先生」

 「喋り方も、何か騎士みたいだったな」

 「でも、見てくれは無法者みたいだった」

 道場に何人もの町人が集まりラドキースを取り囲んでいた。 

 「その者は一人だったのか?」

 「うん、一人だった。若先生くらいの背丈で、髪は茶色だった。歳の頃は、う〜ん、歳なんだか若いんだか、髭面でよく分からなかったよ。十年以上、若先生の事を探してたって言ってた」

 ロジェリンの説明にラドキースは暫し沈黙する。敵の追っ手にしては浮浪者の様な風体というのが引っかかった。しかも一人で行動しているとは...。

 「若先生を、故郷へ連れ戻しに来たらしいよ」

 ロジェリンが憮然とした表情で言う。

 「ねえ若先生、ここを出て行ったりしないだろう?」

 その問いは、そのまま町人達の気持ちでもあった。ラドキースは皆の顔を見渡し、微笑み首肯した。




 旅人は心底辟易していた。長年探し求め続けた人物をやっとの思いで見出したというのに、この辺鄙な田舎町の人間ときたら....。 “彼” の居場所を尋ねても皆が皆、知らぬ存ぜぬの一点張りなのだ。それどころか敵意すら含む目を向けられる。

 「随分と気に入られてるのだなあ、この町の人々から...」

 木に寄りかかり、空の星を眺めながら旅人は呟く。どうやら町ぐるみで庇われるほど、彼はここでは重要な人物らしい。ユクラテは、主人の呟きもそんな主人の心の内もおかまい無しに静かに草を食んでいる。

 「重要な人物か...。一体、何をなさってるのだろう? 町長とか? うむ、ありうるな...」

 そんな能天気な事を一頻り考え、そして小さな吐息を漏らす。町人達に敵意を持たれている以上、自力で探し出すしかない。小さな町故、然程難しい事には思われなかったが、ただ気がかりであったのは、彼が姿をくらませてしまうのではという点であった。そう思うといても立ってもいられなくなる。取りあえず、今は夜更けであるので町の門も堅く閉じられている。壁を乗り越え堀を泳いで脱出する手もあろうが、恐らく彼はそこまでしないであろう。旅人の脳裏に、長年探し求めていた人物に手を引かれた、金褐色の髪の年端もいかぬ少女の姿が過った。





 翌朝、未だ開けきらぬ内から旅人は動き出した。町の中心の広場には、まだ市さえも立ってはいない時刻である。昨日、ここで彼の姿を見かけたのだ。今日もここに姿を現すかもしれない。そんな一縷の望みを抱いて来てみたのだが、理由わけはもう一つある。広場から伸びるこの通りから、町の門が見て取れるのである。もしも彼等がこの町を後にするとなれば、防御壁を乗り越えない限りは、あの唯一の門から出て行くしかないのだ。日の出と共に門は開く。もう間も無くの事であった。

 やがて空が明るみ門は開き、そして広場に市が立ち始める。朝の喧噪の増す中で、旅人はなるべく目立たぬ様に門を出入りする人間に目を向け、市の並び始めた広場へと目を向けていた。

 「ちょっと」

 突然、非友好的な声音が背後で起こった。その聞き覚えのある不機嫌な声に、旅人は内心舌打ちした。

 「何か? 御婦人殿」

 旅人がゆっくりと振り返れば、果たして少し離れた処に、女にしては長身の赤毛の女が腕を組んで立っていた。 

 「まだ、いたのかい? さっさと出て行ってれば良かったものを」

 「そうはいかない。十二年目にして、やっとあの方を見出したんだ」

 「あんた、一体何者なのさ?」

 「私は彼の乳兄弟だ。又従兄弟でもある」

 「乳兄弟? 又従兄弟? じゃあ、あんた、若先生の親類なのかい?」

 「若先生?」

 「あ....」

 女が気まず気に口を噤むと、旅人はにやりと笑みを浮かべる。

 「やはり、彼がここの生まれだというのは嘘だな?」

 「.....」

 「で、若先生というのは? 勉学でも教えておられるのか? それとも剣か?」

 旅人の問いに、女は鼻を鳴らしてつんと顎をそむけた。その表情は何かを葛藤している様にも見えた。

 「いつから、この町に住んでおられたんだ? 彼が連れていた少女は娘御であろう? 恙無く暮らしておられたのか?」

 しんみりとした声に、女は思わず旅人へと視線を戻した。

 「頼む、会わせてくれ」

 真摯な瞳に見詰められ、女は朱唇を噛む。するとその時、数人の子供達が元気な声を上げながら駆けて来た。皆それぞれ、手に木剣を握っている。

 「お早うっ! ロジェリン!」

 「今日は、道場に行かないの?」

 「お早う、後で行くよ」

 「分かった、待ってるよ!」

 「ああ、早くお行き」

 忙しなく言葉を交わすと、子供達はくたびれた風体の旅人には目もくれずに、再び飛ぶ様に駆け出して行った。

 「道場か...。成る程、若先生はそこで剣を教えておられるわけか」

 「あ...」

 「ではな、ロジェリン殿」

 旅人は急ぎ子供達の後を追おうとその場を去ろうとしたが、数歩進んだ処で一度振り返った。

 「ちなみに私はファランギスと申す。よしなにな」

 鹿毛馬を引きながら駆けて行く旅人の背を見送りながら、ロジェリンは小さく毒突いたのであった。





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