第四章 風の盟約(4)
ロジェリンは、酷く真剣な時、酷く取り乱した時、そして激怒した時など、言葉遣いが騎士のそれになる。尤も騎士言葉になるというよりは、戻ると言った方が正しかったであろう。昂奮するとどうしても子供の頃よりの言葉遣いに戻ってしまうのだ。
「誠に嫌がらせであったのか? 花にしろ衣装にしろ、それらは?」
ラドキースが少し不思議そうに尋ねた。
「嫌がらせ以外の何物でもないだろう? じゃなきゃ何故騎士に女モンの衣装なんぞ贈る? しかもひらひらのけったくそ悪いのを、いかにも舞踏会にでも行ってろと言わんばかりにっ。頭にきたので其奴を殴り倒してやったらば、 “寸法が合わなかったなら作り直させるから私の寸法を知らせろ” なんぞとぬかしよった。性的嫌がらせだぞっ! 許せんっ!」
ロジェリンはまくしたてるとエールの杯を一気に呷った。
「それは嫌がらせとは違う様な気もしないでも無いが....」
「わしも....」
「エルも....」
ラドキースが率直な意見を述べれば、老師も同意しエルまでもが同意した。
「え!? じゃ、何だってんだい?」
ロジェリンは目を剥いた。
「女物の衣装は高価じゃろうが。高々お前に嫌がらせする為にそんな大枚はたく者が、どーこにおるんじゃ? どう考えても、そりゃお前の気を引く為の贈りもんじゃろうが。何故素直に好意を受け取ってやらなんだったのじゃ? 馬鹿者が」
「何であたしの気を引かなきゃいけなかったのよ?」
ロジェリンが女言葉に戻った。
「そいつは、お前に惚れとったのだろうが」
「ええっ!?」
「私もそう思う」
「エルも...」
今しがた出された魚介類のたっぷり入った煮込みを頬張りながら、三人はロジェリンの本気で驚愕している様をそれぞれの思いで眺めた。一人は呆れながら、一人はやや哀れみの瞳で、そして一人は不思議そうに。
「手紙ってのはどんなだったのじゃ?」
「中傷だ」
老師の問いに、驚愕していた美女の顔が再び顰められる。
「 “ちゅーしょー” って何? 父様」
「偽りを言って人の名誉を傷付ける事だ」
「ふうん。ロジェリン、何て言われたの?」
「う〜〜。君は僕の...太陽だ...とか。君の瞳は高価な緑石よりもうんたらかんたら、とか。貴女を想うと夜も眠れぬなんちゃらかんちゃら、とか」
言いずらそうに口を開いたロジェリンにの言葉に、三人は再び言葉を失った。ウィスカードなどは嘆かわし気な表情を老いた掌で被った。そして短い沈黙の後に、あきれ果てた顔で口を開いた。
「それは世間では “付け文” と言うんじゃ、馬鹿者」
「騎士に本気で付け文などする奴がいるか!?」
「いるのではないか?」
ラドキースの即答に、ロジェリンは衝撃を隠せずに声を上げた。
「騎士であろうが何であろうが、惚れれば付け文くらいする者はいくらでもいるであろうよ」
「若先生がそんな事言うなんて、思わなかったよ〜」
ロジェリンが途端に気弱な声で呟く。
「父様、 “つけぶみ” ってなあに?」
「恋文を贈る事だ、エル」
「ふうん。ロジェリンは恋文を沢山もらったんだね? 父様も書いた事ある?」
「そうだな、似た様な物ならあるな」
娘の興味津々な瞳に、父は微笑みながら答えてやる。
「誰に書いたの?」
「無論、お前の母にだ」
「へえ〜」
エルは素直に驚いている。そして老師はまた別の意味で驚いていた。
「お前でも付け文などするのか? ラディよ?」
「子供の頃の話ですよ、老師」
ラドキースは少し遠い瞳をして答えた。
「へえ〜、若先生と恋文って、すごく違和感があるけど。若先生が貰う方なら分かるけどさ。でも、若先生の奥さんて騎士では無かったろう?」
「ああ、違ったが?」
「ふん、あたしに来たのは、やっぱり嫌がらせやからかいだね。だって可愛い女達なら、宮殿やその回りにいくらでもいたんだから」
「ロジェリンだって可愛いよ。すごく美人だし。ねえ、父様」
「ああ、そうだな」
「ええっ!? やだよ、何言ってんだい、若先生まで」
「誠の事だが」
ラドキースに切り返されて、ロジェリンはてれてれと照れ始める。美女でありながら、そういった言葉をあまり言われ慣れてはいないらしい。頬が染まっているのは、エールのせいかどうかは分からない。
「師匠は、そんな事一回も言ってくれた事無いねえ?」
「わしだって、たまに褒めとろうが。お前は手と口を出さなきゃ良いと。言外に顔は悪く無いと言ってやっとるだろうが」
「分かるかいそんなの。何でもっと素直な言い方しないんだい? 全く」
呆れるウィスカードにロジェリンは逆切れである。
「それにしても哀れよの。それらの男どもは....。大方、皆お前に殴られでもしたんじゃろうなぁ....」
反論しない様子をみると、ウィスカードの言葉は図星なのであろう。
「お前の鈍いのは分かっとったが、そこまで鈍ちんだったとはなあ。救い様が無いのう。数々の求愛に気付かず、逆切れし続け早その歳か....。哀れよの。お前、今年二十六になるんじゃろが?」
老師の口からは、深々と溜息が漏れる。
「それが愛弟子に言う言葉かい?」
「誰が愛弟子じゃい。一番の問題児がっ!」
それから長々と師匠の説教が始まったのであった。
「今日のロジェリンは面白かったね、父様」
「そうだな」
父娘は、仲良く手を繋ぎながら二人くすくすと楽しそうな笑いをこぼしながら家路についた。
「父様と母様は、どうやって知り合ったの?」
「ん? 私とお前の母か?」
「はい」
「元々は家同士が決めた許嫁であったのだ、お前の母と私はな。初めて会った時、彼女は十二であった。今のお前によく似ていたよ」
「ふうん」
夜道の暗がりの中、松明の灯りに照らされる父の横顔を、エルは興味津々の体で見上げている。
「お前の母は、良く笑って、良く話した。それこそ太陽の様に明るくて愛らしかったのでな、私は一遍に好きになった。初めて会ったその日に、私はお前の母に求婚したよ」
「母様、なんて言ったの?」
「嫁に行くと言ってくれた。その後間も無く婚約も結ばれ、彼女が十六で成人したら、私の元に嫁いで来る事になっていたのだが、それより前に家同士が不仲になったのでな、婚約は反故になった」
「それで、二人で逃げたの?」
「そういう事だ」
「ふうん」
エルは思わず両親の家が不仲になった理由を尋ねかけ、辛うじて口を噤んだ。いつだったかの様に、父が哀し気な顔をする様な気がしたのだ。
エデワの町を、鹿毛の馬を連れた旅人らしき男が歩いていた。無精髭にぞんざいに括った伸び放題の髪。この小さな町では、一目でよそ者と知れるその薄汚れた風体に、すれ違う町人達は振り返った。しかし男の方は、そんな町の者達からの奇異の視線もてんで気にはならないらしく、気紛れに寄った北国の町を物珍し気に眺めていた。
「随分と小さな町だな...」
男は呟いた。こんなに小さな町に宿屋などあるのだろうかと、男は少し心配になりながら、辺りを見回しつつ歩む。まあ、無ければ野宿をすれば良い事なのだが、この処、野宿続きであった為まともに湯も浴びていなければ、ろくな食事も摂っていなかった。たまには宿を取って湯を浴び寝台でゆっくりと休みたかった。
間も無くして市の立つ広場が見えて来た。人通りも多くなっていた。そこがこの小さな町の中心街なのだろうと旅人は見当を付けた。市場で買い物をする人々に目を向けながら、自分も食料を調達しておかなければなどと考えた時、彼の目はある一点を捉え、釘付けとなった。思わず凍り付くが如く足を止めたその先には、黒髪の長身の男の姿があった。