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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第四章  風の盟約(3)






 ラドキースがエデワへ来て初めてロジェリンと顔を合わせたのは、彼女の店での事であった。

 高い熱を出して意識も無くぐったりとした娘を抱き抱え、医者を探し求めていた時であった。辺りは既に暗く静まっていたその小さな町に、一カ所だけ賑やかな場があった。見ればどうやら酒場の様である。ラドキースはその店に足を踏み入れ、医者の家を尋ねたのであった。

 その時対応に出たのは胸元の開いた服を着て唇を赤く染めた、派手な顔立ちの背の高い女であったが、それがエデワ唯一の居酒屋の女主人、ロジェリンであった。


 女主人はラドキースに抱えられたエルの様子を見ると、即座に店内に向かって声を張り上げた。

 『ちょいと! 先生っ!』

 『何じゃ?』

 どこかで声が答えた。

 『師匠じゃないよっ! 医者の方だよっ!』

 『ああ? 俺か?』

 『そうっ! あんただよ、先生っ! 病人だよっ!』

 大きな杯を片手に立ち上がった初老の男は、のそのそとラドキース達の元にやって来た。そして徐にエルの額に手をあて様子を観察しながら手首の脈を取ると、いつの間にか背後に立っていた若者に診察道具とその他必要な薬などを取りに行かせた。

 『誰か、冷たい水を汲んで持って来い』

 医者は、誰にともなく指示するとラドキースを手招きし、ロジェリンの後について二階へと上がって行った。

 『こりゃあ、麻疹だな』

 寝台に寝かされたエルの目を調べ、息づかいを調べてから医者は軽く言った。

 『お前さん、麻疹はやったかい?』

 『ああ』

 『ふむ、なら良い。あいつぁ、大人がかかると厄介だからなぁ。まあ、暫くは安静にしとかにゃいかんな。今、熱冷ましを煎じてやろう』 

 医者の言葉にラドキースは頷き礼を言う。

 『だが、こんなとこじゃあ、うるさくって休まるもんも休まらんなあ....』

 『悪かったね、こんなとこで』

 端からロジェリンが口を挟んだ。

 『宿屋を教えてくれ』

 ラドキースが尋ねると、女主人は手を振った。

 『そんなの隣町まで行かなきゃ無いよ。ここはちんけな町だからね。でもまあ、泊まる処はあるから心配しなさんなって』

 そう言ってロジェリンは部屋を出て行ったかと思うと、間も無く一人の老人を伴って戻って来た。

 『師匠の処に泊まったらいいよ』

 『わしゃ、かまわんぞ』

 『師匠は独りもんだから、好きなだけ泊まったらいい』

 『何でお前が決めるんじゃ? 馬鹿者』

 『こら、病人の前で騒ぐな』

 二人のやり取りが激化する前に医者が割って入った。

 その晩から暫くの間、父娘はその “師匠” たる人物の元に厄介となるに至ったのである。

 

 艶やかな女が “師匠” と呼ぶ老人を、ラドキースは一体何の師匠なのであろうかと訝しんだのだが、指南所を営む剣の師匠であった。居酒屋の女主人は、毎日食事を作っては寝込んでいた幼いエルの様子を見に来てくれていたが、そのエルの病も癒えた頃、ひょんな事でラドキースがウィスカード師匠の代稽古を務めた日、剣を下げた勇ましい男装姿で道場を訪れた。

 軽く目を見張るラドキースに、彼女はいつもと違った騎士の様な口振りで 『一手お願いしたい』 と願って来たのである。

 ラドキースが練習用の刃先を潰した剣を差し出そうとすると、ロジェリンはにやりと笑って腰の剣をすらりと抜いた。

 『あたしはいつも真剣勝負だよ』

 いつもの口振りでそう言い放った。その彼女の言葉に、ラドキースは乳兄弟の顔を思い出した。





 ロジェリンの店は、まだ開けたばかりの時刻だというのに既に随分と客が入っていた。町人達のたまり場なのである。まだ時間が早いせいか食事を摂りに来た客の方が多い。

 「ああっ! 来たね、待ってたよ!」

 招待を受けた三人が店内に踏み込むと、昼間とは打って変わった扇情的な赤毛の大柄美女が飛ぶ様に駆けて来た。

 「ロジェリンっ!」

 エルがはしゃいで両手を振れば、女主人も戯れに少女を抱き締める。

 「エル、その服似合うじゃないか。中々良い趣味じゃないか? ねえ、若先生?」

 「ああ、そうだな」 

 服装を褒められて照れる娘の後ろでラドキースが苦笑しながら肯定すれば、隣の老師が鼻を鳴らした。

 「お前が作ってやったんじゃろが? 自分で作っといて何言っとる」

 「あれ、師匠も来たの?」

 「当然じゃ、お前に腹がたったから “良い魚” とやらを、タダで食いに来たんじゃ」 

 「やれやれだね、師匠は」

 「それはこっちの台詞じゃ。さあ、エルや、座ろう」

 己の一番弟子に対するのとは全く違った優しい声で老人が促すと、少女は無邪気に老人の手を取って気に入りのテーブルへと引っ張って行く。柔らかな菜の花色の少女らしいスカート姿が何とも愛らしい。ロジェリンが誕生日の贈り物として縫ってやった物であった。頭にはきちんと老師からの贈り物も付けている。他の客達が皆、エルに声をかけてはその服装を褒めていた。普段は父に連らっての道場通いなので、男の子の様な服装の方が多かったのだが、エルもやはり女の子である。ロジェリンから新しいスカートと同色の袖無し胴衣、そして袖の膨らんだブラウスを贈られると、瞳を黒曜石の様に輝かせて喜んだ。


 「エル、何を飲む? いつもの果実水かい? 酒はダメだよ〜ん」

 「当たり前じゃい」

 ふざけるロジェリンにウィースカードが絶妙のタイミングで横やりを入れれば、エルは楽しそうにくすくすと笑う。そんな娘の様子を、傍らの父親が目を細めて眺めやりながら微笑んでいる。

 「果実水がいい」

 「はいよっ! おひい様には果実水!」

 かがんでエルに目線を合わせていたロジェリンは、少女の頬をつんと軽く突つくと老師とラドキースの好みも聞いて傍らの給仕の娘に声をかけた。勿論己の飲み物も持って来させる事も忘れない。


 「ねえ、ロジェリン」

 「何だい? エル」

 「夜は別の人みたいだね」

 エルの隣の椅子に横座りに座ったロジェリンは豪快に笑った。

 「でも中身はおんなじだね」

 少女の素直な感想に、今度は老師が口を開けて豪快に笑った。ラドキースも微笑んでいる。

 「ありがとよ、エル」

 「何じゃい、今のは揉め言葉とは違うだろが」

 「褒め言葉だよねえ? エル」

 「うん」

 ほーれ見ろ、などと言いつつべーっと舌を出して見せるロジェリンに、ウィスカードはこれ見よがしの溜息を吐き出した。

 「お前はそのなりで、せめて口を閉じておれば嫁に行けるだろうにのう....」

 「そんな事出来るもんかっ。冗談は顔だけにしとくれよ、師匠。大体このあたしに嫁の仕事なんか務まると思うのかい?」

 「料理は上手いではないか?」

 ラドキースが微笑みつつ口を挟めば、傍らのエルも大きく頷く。

 「この服も上手だよ。ねっ、父様」

 身に着けた菜の花色の胴衣を両手でつまみながら、エルは父に同意を求める。

 ふむっと、美女は首を傾げた。

 「そうかい? じゃあ、出来るかな....。でも、掃除洗濯は嫌いだよ。はっきり言って、あたしの方が嫁を貰いたいくらいだ」

 「この変人が! そういう事を言っとるから男が寄って来んのじゃ」

 「師匠に言われたかないね〜。ねえ、エル」

 同意を求められたエルは、きょとんと首を傾げた。

 「老先生は知らないのねぇ。ロジェリン姐さんはこんなだけどモテるんですよ」

 給仕の若い娘が口を挟んだ。

 「本当かいな?」

 「本当ですって。ただ皆怖くて言い出せないだけで」

 疑心暗鬼な表情の老人の背後、店の奥の方で男性客達が皆こちらに顔を向けて一斉にうんうんと頷いた。それに気付いたラドキースとエルは目を見合わせて笑い出した。

 「何だい? 若先生もエルも」

 「いや...、何でも無い、すまぬ」

 謝りながらもラドキースはまだその肩を微かに震わせている。彼にしては珍しい。ロジェリンがそんなラドキースを、身を乗り出して眺めた。

 「若先生、笑うとやっぱり男前が上がるねえ。ねえ、エル?」

 「 “おとこまえ” ってなあに?」

 「美男子ってこ・と・よっ」

 ロジェリンが人差し指を立てて教えると、父が美男子だと褒められて嬉しかったのか、エルは大きく頷いた。


 「騎士団にはいなかったのか? お前を怖がらぬ者は」

 ロジェリンの褒め言葉など軽く聞き流してラドキースが尋ねた。

 「騎士団かい?」

 ロジェリンはたちまち美しい顔を嫌そうに歪めた。

 「そうじゃ、そうじゃ、騎士団にならお前よりも強い奴はごまんとおったろうに。何でそういう奴をつかまえて、ちゃっかり嫁に行かなかったんじゃぁ〜? 普段はあんなにちゃっかりしとるお前が? わしがどれ程がっかりしたか分かるか?」

 「何でがっかりするのさ、師匠がぁ? 冗談じゃあ無いよ、騎士団の奴らなんて。あたしが女だからって、からかうか馬鹿にするか、そんな奴ばっかりだったんだよっ!」

 「苛められたの? ロジェリン」

 過去を思い起こし憤慨するロジェリンに、エルが心配そうな顔で尋ねた。

 「いいや、別に苛められはしなかったが。あたしを苛めたら、苛め返されるのがオチだったからね」

 「じゃあ、何をされたんじゃ?」

 「どいつもこいつも、あたしを女扱いしたのさっ!」

 「だって、ロジェリンは女の人でしょ?」

 エルの邪気の無い突っ込みに、ロジェリンはご丁寧にも人差し指を立てて横に動かしながら、チッチッチッと舌を鳴らした。。

 「違うんだ、エル。騎士の世界じゃあ、男も女も関係無いんだ。同じ仕事をするんだからね。それをあの馬鹿どもはっ!」 

 「だからその馬鹿どもに何をされたんじゃ?」

 「食事となると、これ見よがしにあたしに椅子を引いて見せるわ、剣を合わせりゃ手加減するわ、挙げ句の果てには手紙でこのあたしを愚弄する奴もいた!」

 「「「........」」」

 三人は返す言葉が見付からずに、沈黙する。

 「あたしの手を取って口付ける嫌みな奴もいたし、花なんぞ送りつけて来る奴もおった。女物の衣装なんぞを送りつけて来る戯け者もおった。あの時は本当に切れたぞ。嫌がらせにも程があるだろうが!? 思い出すとはらわたが煮えくり返るわっ!」

 ロジェリンのドスのきいた低い声は、いつの間にか騎士言葉に変わっていた。ちょうどそんな時、どやどやと客が入って来た。 「あれえ、エルちゃん! 若先生!」 、 「何だ、何だ、じいちゃんも来てるって?」 などなどと、町の男達が彼等に陽気な声をかけながら、はたっとロジェリンの拳を握りしめている様子に気付く。一瞬にしてやかましかった声が止む。

 「あっ、あれ? ロジェリン姐さん、もしかして、ご機嫌ななめ? 怒ってる? とか?」

 勇気ある誰かが、そうっとロジェリンの顔色を伺いながら尋ねた。

 「怒っておるわ」

 その低い声に客達は慌てふためいた。

 「お、怒ってるって....」

 「騎士みたいな話し方になっちゃってるよ。本気で怒ってるな」

 「ど、どうするよ?」

 客達がこそこそと小声で言い合っていると、ロジェリンがむくりと不機嫌な顔を上げた。 「ひいっ!」 という悲鳴が上がった。ロジェリンがにっこりと、極上の笑みを浮かべたのだ。

 「食べに来たのかい? それとも飲みに来たのかい? それとも.....、私の神経を逆撫でする為に来たのか?」

 普段の口調で切り出したかと思えば、最後の一節だけは何故かやはりドスのきいた低い騎士言葉に変わった。男達はそれぞれ首を横に振りながら、仲間をどつく様にして店の奥へと逃げ去った。誰もが触らぬ神に祟り無しといった心境だったのであろう。

 




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