第三章 泡沫(9)
翌日、ユールスが目を覚ました時に真っ先に視界に入ったのは、こちらをじっと見下ろす漆黒のつぶらな瞳であった。
「お〜、嬢ちゃん、おはよ」
ユールスを覗き込む様にしてじっと睨みつけていたエルは、眠た気な声をかけられるとぷいっとそっぽを向いて父の元に駆け寄った。まだ怒っているらしい。消えた焚き火の燃えかすの向こう側でラドキースが立ち上がった。既に旅支度を終えている。
「ではな、ユールス。達者で」
ラドキースは短く別れを告げるとエルの手を取って歩き出した。
「うわぁ! ちょっと待ってくれ!」
ユールスは飛び起きた。
「一緒に行っていいだろ? 俺も職探しの旅に出る事にしたんだっ」
「断る」
取りつく島も無い返事が返って来た。
「何で? 冷たい事言うなよ」
だが、ラドキースは振り返りもせずに無言のまま歩いて行く。
「ちぇっ。冷てえの.....。でも俺もこっちへ行くつもりなんだよなあ.....。行く方角がおんなじじゃあ、どうしても一緒んなっちゃうかなあ.....」
ユールスが聞こえよがしの独り言を言ってみても、前を行くラドキースは無言のままであった。ユールスは、それでもめげずに父娘の後ろを歩いて行く。
ラドキースは完全に無視を決め込んでいる様子であったが、エルの方はどうもこの金髪頭の若者が気になるらしく、時たま後ろをちらりと振り返る。その度にユールスは、にへらっと笑い軽薄に手を振った。
途中、父娘が休息を取れば、ユールスも少し離れた処に座って休息を取った。そして父娘が立ち上がれば、ユールスもまた立ち上がる。
歩き出してから暫くして、またもやエルが後ろをちらと見たので、ユールスはにかっと笑いかけた。
「なんで、おじちゃんはついてくるの? とうさまは、ダメっていったでしょ?」
エルが口を開けば、ユールスは何やら嬉しそうに破顔する。
「いいじゃんか、行く方向が一緒なんだからさあ。旅は道連れって言葉があんだよ、知らねえか? 嬢ちゃん?」
「しらないっ!」
父に倣っているつもりなのか、エルの口調も冷たい。
「それに、あたしは “じょーちゃん” てなまえじゃないのっ! エルっていうのっ! きのう、とうさまにきいたでしょ? おじちゃん、ものおぼえわるいねっ」
「けっ、可愛くねえなあ。可愛いのは見てくれだけかよ。それ言うならなあ、俺は “おじちゃん” じゃなくってユールスってんだっつうの。嬢ちゃんにおっさん呼ばわりされる程、年喰ってねえってぇの、俺は」
「いいのっ! おじちゃんはおじちゃんなのっ!」
エルは言い捨てると、ぷいとそっぽを向く。
「何だよ、それぇ。俺、何か分が悪くねえか?」
ユールスが弱りきった声を出すと、ラドキースはふっと笑いを零した。
「エル、そろそろ許してやれ。もうあんな事は二度とせぬと、ユールスは昨夜剣に誓ったのだ」
父の言葉にエルは口を尖らせ、 「ん〜」 と愛らしい唸り声を上げた。
「とうさまがそういうなら、ゆるしてあげてもいいけど.....」
「何か嫌そうだな、嬢ちゃん」
ユールスが言うと、エルはくりっと顔だけを後ろに向ける。
「エ・ル!」
「はいはい、エルね、エル」
「こんど、 “じょーちゃん” ってよんでも、おへんじしてあげないからねっ。おじちゃん」
「何だよ、エルって呼んだらちゃんと返事してくれんのかよ?」
おじちゃんと呼ばれる事に一抹の不満を覚えながらも、エルが自分に話しかけてくれた事がユールスには嬉しく、にかっと笑って見せた。
「なあ、エルは幾つなんだ?」
「むっつ」
「ふうん、六つか...。の割に、こまっしゃくれてんなあ」
「 “こまっしゃくれてんなあ” って、なあに? とうさま?」
エルが父を見上げて尋ねた。
「大人びているという事だ」
父が答えてやると、ふう〜んという声と共に娘は瞳を丸くした。
「まあ、小生意気って意味もあるわなあ〜」
ユールスが言わなくても良い事を口にすると、耳聡いエルは途端に口を尖らせて、後ろを振り向く。
「おじちゃんは、こどもみたいっ!」
「そりゃ、どーも。そう思うなら、俺の事おじちゃんて呼ばないでね〜。俺様にはユールスって、れっきとした名前があんのよ。ねえ、エルちゃん」
「やだよっ!」
エルは喧嘩を売っているとしか思えない。
「嫌われたな、ユールス」
ついに笑い出したラドキースが後ろに目を向けた。
「ちぇっ、どうしたら機嫌とれるかなあ...」
ユールスはこれ見よがしな深い溜息を吐いた。
やがてエルの口数が少なくなり無言になると、ラドキースは娘の前に屈んだ。するとエルはその背にくにゃりと身体を預けた。
「何だ? おんぶか? 俺がおんぶしてやるぞ、エル」
「やだっ!」
エルは一瞬だけ元気な声で金髪頭の異邦人を容赦無く切り捨てるも、すぐにくてっと小さな頭を父の背に預けた。
「なあ、いっつもエルをおぶりながら旅を続けてんのか?」
「ああ」
「大変だな...」
「別に.....」
素っ気無い返事が返って来た。
「なあ、あんた、かみさんは?」
「先立たれた」
「...そっか。可哀想になぁ、エル。まだ、こんなにちっちぇえのに...」
眉間を曇らせながら、ユールスはラドキースの背で眠りに落ちた少女に目を向けた。
「川が近い様だな...」
「あ? ああ、もう少し行ったら川沿いに出るよ」
「そうか、ならば今宵はそこで休もう」
「おうっ!」
ユールスがぱっと顔を輝かせて返事をした。
父の背から降ろされると、エルはぱっちりと目を開けた。どうやら眠気は覚めたらしい。そしてユールスの姿に気付くと口を尖らせた。
「おじちゃんも、ここでねるの?」
「そっ、俺様も一緒に寝るの」
エルが父を見上げると、苦笑を浮かべた父は眉を上げて肩を竦めた。
「じゃあおじちゃん。いっしょにねてもいいけど、おさかなとってきてっ」
ユールスは、年端もいかぬ少女に頭ごなしな命令を受けるも、嬉しそうに拳で己の胸を叩いて見せた。
「おうよっ、いいともよっ! 俺、魚摂んの上手いんだぜぇ! 見に来るか? エル」
「うんと〜」
エルが再び父を見上げれば、父は頷いて見せた。
「川に落ちぬ様、気を付けるのだぞ、エル」
「はい、とうさまっ!」
「おしっ、来いっ、エル!」
ユールスが大喜びで川へと駆け出すと、エルも嬉しそうにとてとてと追いかけて行った。ラドキースが木々の下で薪を拾い集めながら遠目に様子を見守っていると、川沿いでユールスが足から皮長靴を引っぱり脱いでは地面に放り、腕まくり足捲りしながら背を屈めて、エルにしきりと何か話している様子が見て取れた。するとやがて小さなエルはその場にしゃがみ込んだ。
「いいか、あんまり動いちゃダメだぞ。静か〜に見てるんだぞ。騒ぐとお魚さんはびっくらこいて逃げちまうからな」
ユールスが声を落として、口元に人差し指を立てて見せると、エルはしゃがんで素直に頷いた。そしてユールスは腰の剣を静かに引き抜くと、水音も殆ど立てずに川へと入って行った。中程まで来ると剣を逆さまにかまえたままぴたりと静止した。エルは真剣な顔をしてユールスを見詰めている。ユールスはエルににこりと笑顔を向けた後、じっと水底に目を向けていた。と、その刹那、ユールスがさっと水底に剣を突き刺した。エルは吃驚する。そしてユールスが引き上げた剣先で、魚がぴちぴちと勢い良く尾を動かしているのを見て黒い瞳を見開き、あわや声を上げそうになった口を小さな両手で押さえ込んだ。ユールスは摂った魚を剣先から引き抜いて川岸へと放り投げた。エルは立ち上がると魚へと走り寄る。魚はエルの前でぴちぴちと刎ねている。エルが物珍し気にその魚に気を取られていると、また魚が飛んで来て地面で跳ね出した。エルが新しい魚に気を取られていると、また新たに魚が飛んで来る。
あっという間にエルは回りを、ぴちぴちと刎ねる魚達に取り囲まれた。
「こん位ありゃあ充分だろ? どうだ、エル?」
ユールスが川から上がって来た。
「うん、じゅーぶん! おじちゃんすごいね。おさかなとるの、じょーずだね」
エルが素直に驚きながら感想を述べる様子に、ユールスは気を良くする。
「ありがとうよ。何か初めて褒められた気がするな」
「うん、はじめてほめてあげたんだよ、おじちゃん」
「そっか、へへへっ」
「でも、なんだかおさかなかわいそうだね」
「それを言っちゃあなぁ、エル、生きてけねえぞぉ。人間は生きる為に色んな動物を殺して食ってるわけだからなあ。まあ、お魚さんもな、摂っちまったのはエルがちゃんと残さず食ってやりゃあいいんだ。お魚さんもそれで幸せなのよ」
「ほんとう? おじちゃん」
「ホント、ホント」
辺りが暗くなる頃には、焚き火に焙られた魚が良い香りを漂わせていた。空には秋の星が瞬いている。
「いいにおいだね、おじちゃん」
「だろ〜、腹減ったか? エル」
「うん、すっごくへったっ」
「そっか、そっか。良い子だから、もうちょっと待ってろな〜」
ユールスはエルを相手に上機嫌で魚を焼いている。
「あのね、とうさま、おじちゃんはおさかなをとるのが、とってもじょうずだったよ」
「そうか」
ラドキースは近くの木に寄りかかりながら、娘の話に相槌を打ってやる。
「でね、おさかなはのこさないでちゃんとたべたら、かわいそうじゃないんだって。おじちゃんがいったの」
「そうか」
「ほんとう? とうさま」
「そうだな.....、答えは一つでは無かろうよ、エル。それが正しいかどうかは、お前がこれから考えてゆくのだな」
エルは少し首を傾げるも、素直に返事を返した。
「ほれ、食おうぜ」
ユールスは 「ほいっ」 と、真っ先にエルに香ばしく焼き上がった魚を渡してやった。
「熱いから気を付けろよ、エル」
「はーい」
「お〜、初めて “は〜い” なんて、俺に可愛い返事をくれたなあ、嬢ちゃんよぅ」
ユールスは目尻を下げて感動している。
「お前の株は上がった様だな、ユールス」
「御陰さまでよぅ。女王様は俺の魚摂りの腕を気に入ってくんなすったみてえだしぃ」
「あたしは “じょおーさま” じゃなくって、エ・ル・っ!」
「分かってらあ。エルは女王様みたいに可愛いって褒めたんだろうが。褒め言葉だよ」
「あたし “じょおーさま” より “おひめさま” のほうがいいもん」
「分かった、分かった。お姫様。ったく、あー言えばこー言うなぁ、もう」
ラドキースは、静かな笑いを零しながら、二人の何やら微笑ましいやり取りを聞いていた。
「ねえ、おじちゃん」
「何だ? お姫ちゃん」
ユールスが焼き魚を齧りながら、蒼い瞳をエルへと落とす。
「おしごと、さがすんでしょう?」
「おうよ」
「おさかなとるひとになれば?」
「漁師か?」
ユールスは思わず食べる手を止める。
「うん、それっ。りょーし! ねっ、とうさま」
エルは隣の父を見上げた。
「ふむ、良いかもしれぬな」
ラドキースも食べる手を休めると娘に微笑みかけ、ユールスへと目を向ける。
「そうだな、俺、魚摂るの下手じゃねえもんな」
「うん、おじちゃん、すごくじょーず」
ユールスは目を輝かせた。
「そうか、漁師か.....。どっかの小さな村で魚摂って、その内、嫁さんなんか貰って、エルみたいな女の子なんか作って、戦とか血なまぐさいのとかとは無縁な生活送ってさ....、何かそれって、いいかもなあ。って事は、やっぱ海のある国へいかなくっちゃな....。うんっ、よしっ、決めたっ! エルの言う通り、俺は漁師になるぞっ!」
その夜、追いはぎから足を洗ったユールスは、漁師になる一大決心をしたのである。
その数日後、一行は分岐点に立っていた。
「俺は、この先のズウォルデへ行ってみる。あんた等は?」
「私達は、もう暫く旅を続けるさ」
「そっか....」
ユールスは少し残念そうな表情をした。
「がんばってね、おじちゃん」
「おおっ、頑張って立派な漁師になってみせるよ。ありがとな、エル。お陰で目的が出来たよ。あんたにもすげえ感謝してるよ、ラディ。あんたに会わなかったら、俺、一生追いはぎだったかもしんねえ」
「最終的には、お前が自ら決めた事だ」
「へへっ、そうかもしんねえけどさ。あんた等に会えて、俺、良かったなあ....。何か別れんのが、寂しいや....」
ユールスはそんな柄にも無くしんみりした事を言って照れたのか、金髪頭をかりかりと掻いた。
「達者でな、ユールス。良い漁師になれ」
ラドキースは笑顔であった。
「ああ、あんた等も気を付けてな。無事を祈ってるよ」
「じゃあね、おじちゃん」
「ああ、俺のお姫ちゃん。元気でな」
ユールスは、その場に足を止めたまま二人を見送る。エルは父に手を引かれながら、幾度もユールスを振り返っては小さな手を振っていた。ユールスは、それが嬉しくもあり寂しくもあり、二人の姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くし、手を振り続けた。そしてやがて若者は、父娘の進んだ道とは別の道を歩み始めた。海洋国ズウォルデへ、漁師になるという夢を胸に抱いて。
第三章 終