第三章 泡沫(8)
ラドキースは、エルを抱き抱えながら大分歩いた処で野宿の仕度を始めた。もう日もすっかり落ちてしまっていた。だが幸いな事に今宵の月は完全に丸く、その柔らかな光の恵みを父娘に降り注いでくれている。それを頼りに父娘は木切れを拾い集め、野宿にはちょうど良い木立の間に火を起こした。
「疲れたであろう、エル? 今日は夕飯もすっかり遅くなってしまったな」
傍らにちょこんと座る娘に話しかけながら、ラドキースは乏しい荷からパンと干し肉を取り出すと娘に切って渡してやった。こんな貧しい食事でも、小さなエルは文句一つ言わずに食べる。そんな娘がラドキースは時たま不憫になった。
「とうさま、たべないの? たべなくちゃダメですよ」
ラドキースが堅い干し肉を挟んだパンを一所懸命に咀嚼する幼い娘の様子を見詰めていると、その娘は咀嚼した物をようやく呑み込み、父を見上げてそんなこまっしゃくれた事を言う。ラドキースは低い笑い声をたて、己も干し肉を挟んだパンを口にする。だが、すぐに食べる手を止めた。
「とうさま? どうしたの?」
「やれやれ....、また現れた様だ」
「まねかれざるきゃく?」
「ああ」
ラドキースは呆れ顔で笑っている。エルはきょとんと首を傾げた。
「何用だ?」
ラドキースは振り向きもせずに声を大きくして、こちらを伺っているらしき何者かに問いかけた。
「あ....、何だ、バレてたか?」
招かれざる客は、悪びれもせずにのこのこと木陰から姿を現した。見ればやはり先程の追いはぎの一人である。ラドキースはあからさまに溜息を吐く。
「しつこいな。金は無いし、娘はやれぬと言った筈だが?」
「違う違うっ! さっきの事を謝りに来たんだよ。詫びのしるしに食いもん持って来たんだ。ほらっ!」
そう言って男は、枝で串刺しにした川魚を数匹差し出して見せると、そそくさと火の側へ座って、それらの魚を火にかざして焼き始めた。
「盗んだのか?」
「違うよっ! さっき川で摂って来たんだ。毒なんて仕込んでねえから、安心して食っていいぜ」
そう言って男は存外人なつこい笑みを見せた。見ればまだ若い男である。恐らくは二十を幾許か越した程度であろうか。
だがラドキースは男を無視したまま娘を促し食事を再開させると、己も食事を続けた。
「何だよ何だよ。本当に悪かったと思ってんだよ。反省してんだよ。信じてくれって、悪かったよ」
ラドキースは詫びる男に目も向けず、取りつく島も無い体である。エルは食事を続けながら、じっとこの闖入者を上目遣いに見ている。
「嬢ちゃんも悪かったな。怖い思いさせちまってさ」
若者はへらっとエルに笑いかけた。
「あたしのこと、うりとばそうとおもったんでしょ? おじちゃん」
エルが舌ったらずに言うと、若者は鮮やかな金髪頭と片手を交互に横に振った。
「まさか、あれはウソウソ! ああ言うと子連れの奴は大抵金を置いてくんだよ。本当に売り飛ばす気なんか無かったよ、嬢ちゃん。もうしないから許してくれっ! この通りっ!」
「おじちゃんはわるいひとだからゆるしてあげないっ」
地面に頭を擦り付けて謝る若者に、エルは無情な言葉を投げると、つんとそっぽを向いた。
「嬢ちゃぁーん」
若者は情けない声を上げる。
「あんな事はもう二度としないよ。きっぱり足を洗うよ。俺、この剣に誓うって」
「エル、食べたらもう寝ろ。父が不寝の番をするから安心して良いぞ」
ラドキースが若者を無視してエルに話しかけると、エルは父の膝にちょこんと頭を乗せてもぞもぞと横になった。ラドキースは己のマントで娘を包んでやると、娘の頭を撫でてやった。
「子連れの旅なんて、大変そうだな」
父娘の様子を暫し大人しく眺めていた若者は、ぽつりと呟いた。だがラドキースはそれに対して答えを返す事も無く、娘の母親譲りの金褐色の頭を撫でながら静かに口を開いた。
「先程の言葉は誠か?」
今の言葉が自分に向けられた物だと気付くまでに暫くかかったが、ラドキースから静かな漆黒の瞳を向けられると、若者は慌てて頷いた。
「本当だ、誓う。あんたに言われて目が覚めた。真面目な仕事を探す」
「そうか」
ラドキースは微笑んだ。若者はほっとしたのか、へへっと笑うと金髪頭を少し照れくさそうに掻いた。
「俺、ユールスってんだ。あんたは?」
「ラディだ。娘はエル」
「ふーん。何処へ行く途中なんだ?」
「定かに決まってはいない」
「子連れの根無し草か?」
「そういう事だ」
ラドキースは、規則正しい寝息を零し始めた娘の肩に手を置いたまま、そう答えた。
「お前は? 何故追いはぎなどしていた? きちっとした剣遣いをするところを見れば、元は真っ当な者であったのではないのか?」
「真っ当だったかどうだか分かんねえけど、元々追いはぎじゃあなかったよ.......。魚、焼けてるぜ」
「私はいらぬ」
「何だよ。毒なんか仕込んでねぇのに.....」
ぶつくさ言いながら、ユールスは焼き魚に手を伸ばした。
「俺はさ、西のスラグで生まれたんだ。騎士階級の家に生まれたからさ、だからガキの頃から剣を学んだんだ。親父は近衛騎士団の騎士だったんだけどな、ある日、国王の逆鱗に触れた同僚を庇ったら捕われて殺されちまった。王に楯突いたってかどでな。家も取り潰しにあって、お陰でおふくろは首括っちまうし.....。俺はそん時十四でさ、王城で小姓なんかやりながら親父みたいな王国騎士団の騎士になる事を夢見てた頃だよ。それが全くっ、一晩で罪人の子だぜ。王都にもいられなくなって、十歳だった弟を連れて片田舎の親戚を頼ろうと思ったんだ。でもよ、その旅の道すがら悪い奴らに出会っちまってよ、弟は殺されちまった......。俺も追いはぎなんかやってたけど一度も面白がって殺しなんかしてねえ。でもあいつ等は、まだ十歳だった弟を女みたいに可愛い顔してるからって、面白がって追い回して俺の目の前で嬲って、少しずつ斬り刻みながら殺しやがったんだ。くそっ...」
ユールスは悔しそうに唇を噛みながら目元を拭った。ラドキースは無言のまま聞いていた。
「俺も危うく殺されるとこだったんだけど、通りがかりの傭兵に助けられたんだ。で、その傭兵につられて俺も傭兵になった。ちょうどその頃ハーグシュとユトレアの五年戦争の真っ最中でさ、俺も十五んなってそうそう、その戦に行ったよ」
「どちらに付いたのだ?」
ラドキースは焚き火に木切れを焼べながら尋ねた。
「そらあ黒将軍の側に決まってるさ。わざわざ負ける方に付くもんか」
「だが、お前はスラグの人間だろう? スラグとユトレアは昔から仲が思わしく無かったではないか?」
「関係ねえっての。スラグが何だっての。俺はあの国で家族全員殺されたんだ。おふくろは自分でおっ死んだけど、親父が殺されなきゃ、おふくろだって首括る事もなかったわけだし、弟だってあんな風に殺される事も無かったんだ」
「そうか...」
「でもな、その後のユトレア、ハーグシュ戦はな、ハーグシュに付いたんだ。ほら二度目の戦は、ハーグシュには “獅子” がいたけど、ユトレアには “黒将軍” がいなかっただろ。黒将軍がいたら俺は絶対にユトレアに付いてた。他の傭兵仲間も一緒だよ。皆ハーグシュに付いた。ユトレア王は馬鹿だ。あの黒将軍を牢屋なんかに放り込んじまったってさ。謀反を企てた廉だって話だったけど、実際には五年戦争の際の戦利の証だったハーグシュ王女を逃がしてやっただけの事だったって噂だぜ。そんだけの事で黒将軍は廃嫡されて牢屋送り。挙げ句の果てにユトレアは滅びやがった。全く馬鹿な王だぜ、そう思わねえ? あんただってさ」
「さあ...」
「ちぇーっ、気の無い返事」
「戦利の証の姫を逃がすなど大罪であろう。本来なら死罪とされて然るべき罪だと思うがな。実際ハーグシュの残党は、その姫を得、一致団結して恐るべき速さでユトレアを落としたではないか?」
「まあ、そうだけどさ...。でも黒将軍が軍を率いてたらユトレアも滅びる事は無かった筈だ、絶対」
「どうかな....?」
「まあいいけどさあ。でよっ、俺はその戦の後、金もたんまり手に入ったし、暫くぶらぶら旅してたんだ。で、十八の時に南で起きた戦に加わって二十の頃まで戦ったんだけど、何かさ、戦だからって人斬るの嫌んなってさ。で、足洗って中原に行ったんだ。真っ当で平和な職に就こうと思ってさ。でもなぁ、傭兵上がりのよそ者になんて、そうそう割の良い仕事なんてねえんだよな。それでも暫くは腹黒い奴の用心棒なんかやったりしてた。でもそのじじい、人買いだったんだ。影で女子供を攫っては売り飛ばしてやがったんだ。だから俺はそいつの事を役所に垂れ込んで逃げてやった。目出たくトッ捕まったぜ、あのすけべじじい。で、また処変えて一から職探ししたけど、やっぱなかなかなあ.....。で、気付いたら追いはぎになってた...」
「成る程な....」
「なあ、あんたは? どうなんだよ?」
「私か? 追いはぎはした事無いぞ」
ラドキースは低く笑う。
「そんな事分かってるよ」
「私もあちこちを転々として来た。職を求めながらな」
「へえ、あんたなんか、俺みたく野蛮臭くねえし、傭兵臭くねえし、それに強いしさ、いくらでも職に就けそうだけど」
ラドキースは微かな苦笑を口元に浮かべたのみで、答える事はしなかった。