第三章 泡沫(7)
それから数ヶ月が過ぎた頃、沢山の兵隊達が丘の上にやって来た。シュナは恐る恐る丘へと登り、そこで行われていた事に愕然とした。沢山の兵隊達がセリーのお墓を掘っていたのだ。シュナは恐ろしさも忘れて飛び出して叫んでいた。
「何すんだよっ!! ここはセリーおばちゃんのおはかなんだぞっ! やめろーっ!!」
年端もいかない子供の剣幕に、墓を掘り返していた兵達の手が止まった。その場にいた誰もが小さな肩を精一杯に怒らせた子供に注目した。間も無くして、墓を掘り起こす兵達とは異なった、幾分立派な服を来た大きな騎士がシュナの前に歩み寄り片膝を付いた。シュナは怯まなかった。ラディ先生の代わりに、そしてエルの為に、セリーおばちゃんを守らなければならないと思ったのだ。
「お前は、ここに眠るお方を知っているのか?」
騎士は思いの外、優しい口調でシュナに問いかけた。
「セリーおばちゃんだ!」
「セリーおばちゃん...?」
「そうだっ。何でおばちゃんのおはかをこわすんだよっ!?」
騎士はやや困惑気味に小さな咳払いを零した。
「お前の言う処のセリーおばちゃんの誠の名は、セレーディラ様と仰るのだがな.....。我々はセレーディラ様の家臣だ、家来だ、分かるか? 西のハーグシュという国からセレーディラ様をお迎えに上がったのだ。故国にお戻り頂く為にな。セレーディラ様の霊廟...御墓は、きちんとハーグシュにお建て申し上げる故、案ずるな」
「でも....」
でも先生とエルが戻って来た時に、おばちゃんがいなくなっていたら、きっと悲しむじゃないか.....。シュナはそう思ったが言い出せなかった。
「セレーディラ様を知っているお前は、当然エル様とラドキース様の事も知っておるな?」
「らどきーすさま?」
「ラディと名乗っておられた」
シュナは急に泣きたくなった。悔しさに遣る瀬なくなった。この大人達のせいで仲良しのエルと大好きなラディ先生は、いなくなってしまったのだと悟った所為であった。
「おまえたちはラディせんせいとエルを見つけたら、ころすつもりだろうっ!?」
「そんな事はせぬ」
「うそだっ! かあちゃんが言ってたぞっ! わるい人たちが、せんせいとエルを見つけてころすつもりなんだって!」
シュナは泣きながら叫んだ。騎士は溜息を吐いた。
「ラディ様はな、我らハーグシュのみならず、スラグとエドミナという国からも追われておる。お二人がスラグかエドミナに捕われば、エル様はハーグシュの正統な王位を継ぐべきお方故、お命を奪われる事は無かろうが、ラディ様は間違いなく首を刎ねられよう。だが我らハーグシュは少なからずラディ様に恩があるのでな、お命を奪う事はせぬつもりだ」
噛んで含める様な騎士の言葉にも、激したシュナの感情が収まる事は無かった。
「うそだっ! しんじるもんかっ! おまえたちがおいかけるから、セリーおばちゃんはきっとびょうきになってしんじゃったんだっ! おまえたちがおいかけるから、エルもラディ先生もどっかへいなくなっちゃったんだっ! ぜんぶおまえたちのせいだっ!」
シュナは一気に叫ぶと声を上げて泣き出した。
シュナに別れを告げる間も無く慌ただしくレワルデンのあの家を出て来てから、ラドキースとエルはずっと旅を続けていた。もうとっくにレワルデンを離れていた。
「ねえ、とうさま。どこへいくの?」
父に手を引かれながらエルは今日も尋ねた。
「何処へ行こうか、エル? 取りあえず北へ向かっているのだが」
「きた?」
「うむ。お前の名...エルディアラというのは、お前の母が北国の神話から付けたのだ。だから....、北の国の何処かへ行こう、エル」
「はい、とうさま」
父娘は来る日も来る日も旅を続けた。ラドキースはしばしば歩けなくなった娘を背負い歩き続けた。そして宿を取る余裕もそうそう無かったので毎晩野宿をした。
レワルデンを去ってから幾日目の事であったか、ある日の夕暮れ時の事であった。ラドキースはエルを背負いながら人気の無い寂しい街道を歩いていた。日の神がその姿の大半を隠した頃、ラドキースはふと何かを感じ取って立ち止まった。
「どうしたの? とうさま?」
「ちょっと降りておいで、エル。どうも招かれざる客人がいる様だ」
そう言ってラドキースは娘を背から降ろした。と、その時突然、街道脇の薮の中から複数の人影が躍り出た。全部で六人。皆、抜き身の剣を手にしていた。前方に二人、左右に二人、後方に二人。ぐるりと取り囲まれた。
「命が惜しかったら有り金全部置いてきな」
一人がニヤニヤ笑いながら威嚇する。
「有り金と言われても、殆ど文無しなのだがな、我々は」
ラドキースは肩を竦めた。
「んなら、その嬢ちゃん置いてきな。売りゃあ金んなるさ」
ラドキースはフッと鼻で笑う。微かに笑いながら六人との間合いを計っていた。
「それは出来ぬ相談だ」
「んなら、しょーがねえ。痛い目にあってもらうしかねえな」
追いはぎは言い様、剣を振りかぶりラドキースに襲いかかった。それと同時に他の仲間も一斉に襲いかかって来る。
ラドキースは左手に娘を抱えると、剣を抜き様一人の剣を躱し、その肩を切り下げ素早く場を動く。斬られた男は地面に転がり惨めな呻き声を上げた。
「けっ! いきなり斬られんなよ、こん、ボケっ!」
金髪の追いはぎが仲間を罵った。ラドキースはエルを薮の中に押し込むと、それを背に前方左右の五人の出方を待った。じりじりと間合いを詰めると神速の速さで一人の剣を跳ね上げ、また一人の剣を躱し様にもう一人の二の腕を斬る。そして振り返り様に襲いかかって来た剣を受け止めてほんの数合打ち合った末、容赦無く横様に足を斬り払った。
そして....、勝負はあっという間についていた。五人は情けない程に呆気無く何処かしらに手を負い、そして追いはぎ達の中で一番腕の確かであった六人目のその手にも最早剣は無く、無様に尻餅をついたまま硬直していた。喉元にはラドキースの剣が一分の隙も無くぴったりと突きつけられていた。他の手を負った追いはぎ達は適わぬ相手と見たのであろう、なり振りかまわずに逃げ出した。中には己の剣を拾いもせずに逃げて行く者もおり、ラドキースの剣に囚われた六人目の仲間を助けようなどという殊勝な者は一人として無かった。
「大した仲間だな。お前を見捨てて逃げ出したぞ」
ラドキースが呆れ、溜息混じりの言葉を零せば、六人目の男はその碧眼に少しいじけた様な色を漂わせながら鼻を鳴らした。
「けっ! あんな奴ら、別に仲間なんかじゃねえやぃ!」
男は額から汗を垂らしながらも強がりを言う。
「斬るなら早く斬りやがれっ!」
「まさか....。お前を斬った処で何の得にもならぬ」
ラドキースはすんなりと剣先から男を解放してやる。男は呆気にとられながら、ラドキースが剣を振って血糊を払い佳麗な身ごなしで剣を納める様を眺めた。
「お前...」
再びラドキースに黒い瞳を向けられて、男は息を啜り込み身を堅くする。
「基本を学んだ剣遣いをするな。折角の腕を何故こんな生業に使うのだ? 勿体も無い事とは思わぬのか?」
ラドキースは穏やかに言うと後には最早興味を失い、座り込んで動かぬ男に背を向け、薮の中で小さく縮こまっていた幼い娘を抱き上げると歩き始めた。
男は呆然としたまま父娘を見送っていたが、やがて目元にかかる金髪を鬱陶し気に掻き揚げながら立ち上がると、己の剣を拾い上げて毒突いた。
「何が折角の腕だよ.....。簡単にやられちまったじゃねぇかよ、俺はよっ...」
その言葉を聴くのは緩やかにそよぐ風のみであった。