第三章 泡沫(6)
妻亡き後、ラドキースは何処へ行くにも幼い娘を連れ歩く様になった。
父に連らって学校へ行く様になったエルは、相変わらず昼下がりになるとやって来るシュナとも共に読み書きを学んでいたので、教室の中では一番年下であったにも拘らず一番出来が良かった。また、父が大きな屋敷の子息達につけてやる剣の稽古を見てエルは、木剣で素振りばかりさせられるのは何もシュナと自分ばかりでは無い事も知った。どんな事をしている父もエルは大好きであったが、取り分け剣の稽古中の父の姿がエルは一番好きであった。
そして年が変わり春が廻り来て、シュナが先に七つになった。その二ヶ月後にエルは六つになった。父は二人の背丈に合わせて、古い物よりもほんの少しだけ長い木剣を新しく作ってくれた。二人とも大喜びであったが、剣の稽古は相変わらず素振りばかりであった。
「嫌なら止めるか?」
そう問われると、エルもシュナも強くなりたかったので慌てて首を横に振り、二人競うかの様に素振りの練習をした。
「ラディせんせいの家は、 “きしさま” の家だったの?」
ある日、シュナがラディに尋ねた。
「何故だ? シュナ」
「せんせいはどうしてけんが使えるのかと思って」
エルも俄に興味を示した。父や母の家の話など殆ど聞いた事が無かったのだ。祖父や祖母は皆、とうに身罷っているという事くらいしか知らなかった。
「そうだな、騎士の家といえば、まあそんな物だったかな。私は保身の為、お前達よりも小さな頃から稽古をさせられたよ」
丘の上の柔らかな草の上に寝そべりながらラドキースが懐かしそうにそう答えると、子供達は驚きの声を上げた。
「とうさまのいえって、どこにあるの?」
「ずっと遠くにあったが、もう随分と前に無くなってしまったのだ」
「もうないの!? とうさま?」
エルの気遣う様な表情にラドキースは目を細め笑いながら起き上がると、その頭を撫でてやる。
「私のいる処がお前の家であり、お前のいる処が私の家だ。エル」
「でも、どうしてとおくの家から、ここまで来たの? せんせい」
シュナが不思議そうに尋ねた。
「それはな、セリーの家と私の家の仲が悪かったので、二人で逃げて来たのだ。私はセリーが好きで仕方が無かったし、セリーも私と共にいたいと言ってくれたのでな。それ故だ」
母の墓へと目を向けながら笑顔でそう語る父の姿が、エルには気のせいか酷く哀しそうに見えた。その為、エルはその後長らく家の事を尋ねる事が出来なかった。尋ねてはいけない様な気がしたのだ。
ある日、いつもよりも少し遅い時刻にシュナがエルとラドキースの家を尋ねると、灰色兎が家の前で草を食んでいた。いつだったかラドキースが助けた仔兎は、そのままこの家に居着き、すっかり大きくなっていた。エルとシュナは、この兎に “灰色” という名を付けて可愛がっていた。
シュナは、 “灰色” をひと撫ですると家の扉を叩いた。だが答えが返って来ない。
「あれ? おかしいな。まだ帰って来てないのかな....」
シュナは首を傾げる。
「今日って、せんせい、だれかにけんをおしえに行く日だったっけ?」
いや違う。今日は、先生は町の学校の後すぐに帰って来る日だ。シュナはそう思い直しもう一度扉を叩く。やはり誰も出て来ない。もうとっくに帰って来ている筈の時刻だというのに.....。シュナは扉を開けて中を覗いてみた。
「エルっ!? ラディせんせいっ!?」
戸に鍵が掛かっていなかったので、二人ともいるのだと思いシュナは二人の名を呼んだ。だがやはり答えは返らず屋内はしんと静まり返る。
「おかしいなあ....。あ、そうだ、きっとおかの上にいるんだ!」
シュナは、家から飛び出して一目散に丘の上へと駆けて行った。しかし予想に反しそこにも二人の姿は無かった。沢山の素朴な野の花が供えられたセリーの墓の前で、期待を裏切られたシュナはがっかりと肩を落とした。
とぼとぼと丘から降りると、再びエルと先生の家の扉を押し開けてみる。名を呼んでみても、返って来るのは沈黙ばかり。シュナはとぼとぼとテーブルの前まで来ると溜息を吐いた。
「つまんないの....」
何気なくテーブルを撫でたところで、シュナは 「あっ!」 と大きな声を上げた。テーブルの上に文字が記されていたのだ。拙いエルの字....。紙が無かった為に、このテーブルに書き記したのだろう。
「シュ・ナ・へ・あ・り・が・と・う・さ・よ・う・な・ら」
シュナはその文字を指で辿りながら、たどたどしく声に出して読み、そして呆然と立ち尽くした。何故さようならと書いてあるのだろう....? シュナは混乱した。エルとラディ先生の姿を求め家中を探してみた。家の中はいつもと変わらない。ただ、エルとラディ先生だけがいなかった。
それからというもの、今日こそはエルと先生は帰って来ている筈だと期待しながら、シュナは彼等の家を訪れ、丘の上のセリーの墓を訪れ、そしてがっくりと肩を落とし涙を拭いながら母の元へと帰る。そんな日が続いた。
やがて母が哀しそうに言った。
「ラディ先生とエルは、もう戻っちゃ来ないんだよ、シュナ」
「うそだよ。もどって来るよっ! 母ちゃん」」
「先生とエルはね、本当はこんな処にいる人達じゃ無かったんだよ」
「どうしてだよっ!?」
シュナは歯を食いしばった。そうしないと泣き出しそうだったのだ。
「悪い人達が、先生とエルを追いかけて来たんだそうだよ。だからきっと、先生とエルはどこか安全なところへ逃げたんだよ」
「わるい人たち?」
母は頷くと、言葉を続けた。
「先生とエルは、逃げないといけなかったんだよ。じゃないと悪い人達に殺されちまう。だからいなくなったんだよ。仕方が無いんだよ、シュナ、諦めて元気をお出し。先生とエルが、殺されちまうよりはいいじゃないか? そうだろう?」
優しい母の声に、シュナの鳩羽色の瞳から涙が吹き出した。
「でも、でも、きっとかえって来るよ! だってセリーおばちゃんのおはかは、おかの上にあるんだよ! だから、かえってくるよ!」
ぐすぐすと鼻をすすりながらもシュナは叫んだ。
母の言葉に胸を痛めながら、それでも尚、シュナは毎日の様にラドキースとエルの家へと駆け、丘の上のセレーディラの墓に摘んだ花を手向けに通った。そんな幼い息子にシュナの母も心を痛め、時折シュナと共にラドキースの家を掃除したり、セレーディラの墓の回りの草をむしり花輪を編んで手向けたりした。
ある日シュナがエルの家の前まで来ると、町の子供達がそこにたむろしていた。
「なにしてんの?」
身体の大きな町のガキ大将がシュナの前に進み出た。
「おれたちはラディ先生んちを、たんけんに来たんだ」
「せんせいの家に、かってに入んのか?」
「だったら何だよ?」
シュナは、むっとして相手を睨みつけた。
「やめろよ。せんせいとエルがかえって来たら、言いつけてやるかんな?」
「おめえ、ラディ先生とエルのいばしょ、知ってんのか?」
シュナは口を噤んだまま首を横に振った。
「ほんとうか?」
「ほんとうだよ」
シュナは力無く答えた。ガキ大将は、ちぇっと舌を鳴らし、その後ろの子供達の表情には落胆の色が浮かぶ。
「ところでおめえ、さいっしょっから知ってたのか?」
「なにが?」
「ラディ先生のしょうたいにきまってんだろ」
「しょうたいって? わっけ分かんねえの!」
シュナは目をぱちくりさせた。
「何だ、やっぱ知らねえの」
「なんだよ、しょうたいって?」
いじめっ子はにやりと笑って見せる。
「知りてえの?」
シュナは即座に頷いた。ラディとエルの事なら、どんな小さな事だって知りたかった。
「ラディ先生は、 “くろしょーぐん” だったんだぞ」
「 “くろしょーぐん” ?」
得意げな相手に、シュナは思わず聞き返した。
「おめえ、知らねえのか? ゆうめいな “くろしょーぐん” を」
そう言うガキ大将も大人達の話を聞くまでは知らなかったのだが、そんな事は無論おくびにも出さずに反っくり返って話を続ける。
「 “くろしょーぐん” ってのは、 “ゆとれあ” って西のくにの “こーたいし” の事だ」
「 “こーたいし” って、なあに?」
「おめえ、ばかだなぁ。そんな事もしらねえのか? “こーたいし” ってのは、王さまのあとつぎの事だ」
「えっ!?」
ガキ大将の言葉に、シュナは必死で頭を整理する。
「おうさまのあとつぎって、おうさまの子どもってこと? おうじさまのこと?」
「そーゆー事。やっと分かったのか、あったまわりいな。でもって、エルの母ちゃんは、“はーぐしゅ” って国のおひめさまだったんだぜ」
シュナには、ユトレアという国もハーグシュという国も、初めて耳にする名であった。ただ、ラディ先生がその国の王子様で黒将軍で、セリーおばちゃんは本物のお姫様だったんだという事だけは、幼いながらに理解した。
いつも読んで下さってありがとうございます。
子供達の会話、読みづらくてスミマセン。たどたどしさを表したくてひらがなにしております。シュナは七歳になって、少し言葉も達者になりました。という事で、漢字を少し入れてみました〜。
秋山らあれ