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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第三章  泡沫(2)






 シュナは野菜の詰まった籠を両手に抱え、小さな足を懸命に動かしていた。


 『大丈夫かい? 重たくないかい? シュナ』

 農婦である母親が気遣うのにも、『だいじょうぶっ!』 と元気に答えて家を飛び出して来た。

 『先生達によろしくね。あんまり遅くなるんじゃないよっ!』

 シュナの母親は苦笑しながら小さな息子の痩せた背を見送ると、畑仕事へと戻った。


 「もうちょっと....、もうちょっと.....」

 六歳のシュナには身に余る重さである籠を時々地面に下ろしては、ぶつぶつと自分を励ましながら仲の良い少女の家に向かっていた。ほんの十分程の道のりである。

 こじんまりとした目的の家が見えてくると、金褐色の柔らかそうなくせっ毛を二つのお下げにした小さな少女が、丸太に腰掛け木切れで地面に何やら一所懸命に書いている姿が目にとまった。

 「エルーっ!」

 シュナが叫ぶと、小さなエルはぱっと顔を上げにっこり笑い、転びそうになりながらもシュナのもとへと一目散に駆けて来た。

 「これみて、エル!」

 シュナが籠を下ろすと、エルは座り込んで中を覗く。

 「はっぱがいっぱいだぁ」

 「ほうれんそうだよ。さっきかあちゃんが、はたけでとったばっかりのやつなんだよ」

 「すごぉ〜い!」

 幼い少女は無邪気に喜ぶ。

 「おもいからはこぶのてつだって、エル」

 「うん、いいよ、シュナ」

 幼い二人は籠の両側をそれぞれ持つと、エルの家へと向かう。扉の前で籠を一旦下ろすと、エルは背伸びをして扉の把手に小さな手をかけた。

 「かあさまはねてるかもしれないから、だから、しーぃだよ、シュナ」

 口元に人差し指を立てるエルに、シュナは従順に頷く。

 家に入りシュナが扉をそっと閉めると、家の奥からエルの名を呼ぶ細い声が聞こえて来た。

 「かあさま、おきてたの?」 

 エルがとてとてと奥の部屋へと入って行くので、シュナも籠を抱えたままつられて入って行く。

 「あらシュナ、こんにちは」

 寝台の中に、もの柔らかに微笑むエルの母親がいた。

 「こんにちは、セリーおばちゃん。ぐあいどう?」

 「とっても良いわ。ありがとう、シュナ」

 にっこりと青空色の瞳を細めるエルの母親に、シュナは少しほっとして籠の中身を少し得意げに見せた。

 「ほうれんそうだよ。はたけでとれたばっかりなんだよ。ぼくもとったんだよ。かあちゃんがもってけって。えーよーがいっぱいあるんだって。びょーきのときは、えーよーをいっぱいたべなくっちゃいけないんだよ、セリーおばちゃん。かあちゃんがいってた」

 「まあ、ありがとう。とても美味しそうなほうれん草ね。お母さんにお礼を伝えてね」

 「うん!」

 シュナは頷くと、籠を床に置いて仲良しのエルの隣に並んで床に膝を付き、セリーおばちゃんの寝台にエルの様に両肘を付いてあごを支えた。

 今日のセリーおばちゃんは少し元気そうだとシュナは思った。相変わらず顔は真っ白だけども.......。母ちゃんは日に焼けていつも真っ黒なのに、セリーおばちゃんはいつも真っ白だ。きっと病気のせいなのだとシュナは思う。

 去年は家の前の小さな畑を耕したりしていた筈なのに、今年に入ってからのセリーおばちゃんは、ずっと寝台に横になってばかりだった。シュナの母親は時々、「気の毒にねえ...」と呟いて涙を浮かべる。すると、小さなシュナはとてつも無く怖くなった。


 「ラディせんせいは?」

 「きょうは、けんのおけいこのひだよ」

 エルが母親に甘えながらシュナに答える。

 「でも、もうそろそろ戻ると思うわ、シュナ。そうしたら今度はあなた方のお勉強の時間なのね」

 「ぼくね、まちのいじわるなやつらより、いっぱいことばをかけるんだよ、セリーおばちゃん」

 シュナが意気込んで言えば、隣のエルも、「あたしも! あたしも!」と、舌足らずな声を上げる。

 「まあ、二人共えらいのねぇ。すごいわねぇ」

 セリーはクスクスと静かに笑いながら小さな頭を二つ撫でてやる。

 「ぼく、おっきくなったらラディせんせいみたくなるんだっ!」

 「あたしもーっ!」

 「エルはおんなのこだよ」

 シュナが目を丸くすると、エルは 「いいのっ!」 と叫ぶ。シュナの言葉など聞き入れやしない。

 「ぼく、エルにはおひめさまになってほしいのに......」

 「おひめさまは、けんがつかえないからいやっ!」 

 「ふぅ〜ん....」

 シュナは少しがっかりした。


 エルの父親は、この付近では “先生” と呼ばれている。町中の小さな学校で、子供達に読み書きや算術を教えているのだ。又、週に幾度かは、町の裕福な子息達に剣の稽古をつけていた。シュナには父親が無く家も貧しかった為、町の学校へは通っていなかったが、ラディ先生はちょくちょくシュナに読み書きや算術や剣を教えてくれる。シュナとエルは文字を覚えるのが楽しい年頃なのか、学校に通う町の子供達よりも余程多くの単語を書けた。昨日習った単語の綴り方をシュナとエルが競う様にセリーに話していると、扉が開く音に続き家に人の入って来る気配がした。

 「とうさまだっ!」

 エルが素早く立ち上がって駆け出した。大好きな先生の帰宅にシュナも立ち上がる。セリーの寝室に姿を見せた背高なラディ先生は、幼い少女を軽々と受け止め抱き上げると、一瞬天井にぶつかるかと思う程に放り上げてから片手で娘を抱えた。奇声を上げてはしゃぐエルのほっぺたに、ラディ先生はちゅっと口付けした。少し羨ましく思いながらシュナが挨拶をすると、ラディ先生はシュナの胡桃色の頭を大きな手で撫でた。

 「来ていたか、シュナ。昨日教えた単語は全部覚えたか?」

 「うんっ! ぜんぶかけるよ、ラディせんせいっ!」

 「そうか、えらいな。お前は賢い子だ、シュナ」

 ラディ先生は微笑みながら再度シュナの頭を撫でた。

 シュナにとって、このラディ先生に褒められる事は何よりも嬉しい事であった。先生に褒められたくて、教わった単語を一所懸命に覚えるのだ。夕食の後、つましい灯りの元で手仕事をする母親の傍ら、指で机の上に習った単語を書いていると、読み書きの出来ない母親もシュナを褒めた。だからシュナは読み書きを覚えるのが大好きだった。

 シュナは農婦の母親と二人暮らし。だがシュナが生まれるわずか前までは、父親もきちんといたし三歳上の兄もいた。それだけでは無い。祖父も祖母も叔父も叔母も従姉もいた。シュナの家は、シュナが生まれるわずか前までは大家族であったのだ。それが流行病はやりやまいの為に皆がばたばたと死んでいった。幸運であったのか、もしくは不運であったのか、臨月も近かったシュナの母親だけが生き残った。大きな田舎屋で、残されたシュナの母親は独りで子を産み、独りで畑仕事に精を出しながらシュナを育てて来たのである。そんな母がシュナに時折言う。読み書きや算術はねぇ、出来ないよりは出来た方がいいに決まってるさ。先生に感謝するんだよ、シュナ....と.....。


 「とうさま、あたしもかけるよ。きのうならったの、ぜんぶかけるよっ!」

 父親の首にしがみついていたエルが、シュナに負けじと父に報告していた。

 「そうか、お前も偉いな。私の姫君」

 先生は静かな笑い声を立てながら、もう一度娘の額にちゅっと口付けた。ラディ先生はエルの事をよく “小さな姫君” とか、“私の姫君” と呼ぶのだが、シュナにはそれが不思議でたまらない。

 「ラディせんせいは、どうしてエルのことを “わたしのひめぎみ” っていうの? せんせいのおひめさまはセリーおばちゃんでしょ? エルはぼくのおひめさまだよ、せんせい」 

 シュナのあまりの無邪気さに、エルの両親は目を見合わせた。二人の堪える様な笑い声が続く。

 「それは悪かった、シュナ」 

 「ちがうよ、シュナっ! あたしはおっきくなったらとうさまのおよめさんになるんだもんっ!」

 エルが頬を膨らませて抗議し出した。

 「ダメだよ。だってラディせんせいは、もうセリーおばちゃんとけっこんしてるもん!」

 シュナもむきになって言い返す。

 「尤もだな、シュナ。エルは大きくなったらシュナのお嫁さんになってやるといい」

 笑いながら言う父の言葉にエルは不満そうに考え込んでいたが、やがて渋々と 「いいよ」 と答えた。

 「なんかいやそ〜」

 シュナも口を尖らせる。

 「べつにいやじゃないけど...」

 エルも少し口を尖らせている。

 「さあ、二人とも表へ行って覚えた単語を総て地面に書き出しておいで。私もすぐに行くから」

 ラディは言いながらエルを下ろした。幼い二人は元気良く返事を返しながら外へと駆け出して行った。


 バタンと扉が閉まり静けさがやって来る。ラディは寝台の傍らへ行き、身を屈めて妻の唇に口付けを落とした。ほのかな薬の香りがする。

 「気分はどうだ?」

 「ごらんの通りですわ。今日はとても良いの」

 「薬湯はきちんと飲んだか?」

 良人の低く優しい声音に、セレーディラは微笑みながらおっとりと頷く。ラドキースはそんな妻のすぐ隣に腰掛けて、その薄い肩を抱き寄せる。

 「お薬を飲む度に思い出しますわ」

 「ん?」 

 「貴方に無理矢理薬湯を飲まされた事」

 セレーディラは悪戯っけな瞳でラドキースに笑いかけた。今、己の肩に頭を預けるこの姫君の唇を、初めて塞いだときの感触と苦い薬湯の味が甦りラドキースは苦笑を漏らす。

 「そんな事があったな...」

 「まるで昨日の事の様...」

 遠い瞳をする妻に、ふと不安を感じ、ラドキースはセレーディラの白い手を取って口付ける。そして彼女の後れ毛を愛し気に整え、その金褐色の髪を撫で、その額に唇を寄せる。

 「明日、髪を洗ってやろう...」

 セレーディラは嬉しそうに頷いた。




 

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