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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第三章  泡沫(1)






 王子は言った。

 「そなたが生きてくれるなら、他の事などどうでも良い」

 そして王子は国を裏切った。


 王女は言った。

 「貴方がお命を終えると仰るならば、わたくしも後を追う所存です」

 そして王女は国を捨てた。











 男は宿屋の狭い一室で、己の首にかけていた鎖を埃に塗れた服の奥から引っ張り出した。その鎖に下がる指輪を手に、男は遣る瀬ない思いを深い溜息に代えて吐き出した。


 男は先程、階下の酒場である中年の騎士と知り合った。その騎士は、このルトの騎士団の団長を務める者であった。何やら意気投合して酒を酌み交わすうちに、その団長が亡国ユトレアの黒将軍の話を持ち出し、その噂話を始めた。男の熱心に話を聞く態度に気を良くしたのか、団長はさも重要な秘密でも打ち明けるかの様に肩を寄せ、自分はかの黒将軍とその細君さいくんに会った事があるのだと男に耳打ちした。男は大いに驚いて見せ、詳しい話をせがんだ。


 「あれは、かれこれ六年程前の事だったかなあ。領主様がある日突然、よそ者を拾って傭い入れたんだ。まだ若い男だった。領主様はその男を俺に預けたわけなんだが、どこにでも新人歓迎会ってのがあるもんだろう? うちの騎士団にもあってなあ、新人は倒れるまで打ち合いせにゃあいかんのだよ。勿論真剣は使わんのが規則だがな。いやあ、あの時は皆驚いたもんだった。一体何人の団員が打ち負かされたのか、多過ぎて分からん位だった。腕に覚えのある者は皆負けたよ。しかも剣を合わせて五分以内に負ける者ばかりでな、十分持ちゃあ良い方だったんだ。そうしたら、ついにまわりが俺の尻を叩き始めてなぁ、まあ俺もああいうのは好きなんで見物はするんだが、一応団の責任者だしな、いつもなら自制するんだ。だがあの時はさすがに興味が湧いてな、彼と剣を合わせてみたくなった。....いやあ、強かったな。俺がそれまで剣を合わせたどんな奴よりも彼は強かった。完敗だったよ。さすがに十分で負けるような真似はしなかったが.....。俺はもう歳だろうかって落ち込んだもんだよ。でもな、本人はそんな剣の腕前を鼻にかけるところも無くてな、物静かな男だったな。若いくせにやたら落ち着いていた。勤務が終わると、いつもさっさと家に帰ったなあ。同僚達が遊びに誘っても、かみさんが案じられると言ってなあ、随分とつれなかったらしい。かみさんてのが、これ又美人でなぁ.....。よくからかわれとったが、かわし方も上手かった。間も無く小隊を持たせたんだが、随分と兵を動かし慣れとったんでな、すぐに大隊を任せた。この分じゃあ行く末は俺の後釜だと思っとったら、ある日突然姿を晦ましちまった。その日の夜だ、俺が彼の正体を知ったのは.....。それから細君のな.....。何となく納得したよ。彼があの黒将軍でもおかしくは無いってな.......。今頃、どうしとるかなあ.....。無事だと良いのだがなあ........」





 ウォーデン王国の一州であるルトの領主、ルモンド・フェビアンは公務の最中であった。近頃はあの不良息子もいい加減心を入れ替えたのか、真面目に父を手伝う様になった。やっと自分の跡目を継ぐ気になったかと、少し安堵しているルモンド卿である。

 聞いたところによると、息子は町のさる商人の娘に懸想しているらしい。娘の方も満更では無いらしく、そこでルモンドは考える。ひょっとしてあの不良息子が心を入れ替えたのは、その娘の存在があってこそであろうかと.......。ならば、ゆくゆくはその娘を息子の嫁に迎えても良いかもしれない。所詮はしがない地方領主。息子の嫁に平民の娘を迎えたところで、大した問題にはなるまい。ルモンドが公務の最中にそんな事を考えていると、家令が困惑顔でやって来た。

 「ルモンド様、ユトレアの黒将軍の件でどうしてもお目通りしたいという者が参っておりまして.......」

 「黒将軍? ハーグシュ王国の者か?」

 「いいえ、違うと申しております。卿は約束の無い者にはお会いにならぬと申したのですが、これが又とんだ頑固者でして、今目通りが適わぬなら約束を取り付けて来いと、さもなくばその場を動かぬと申しまして......」

 「ほぅ、何者であろう....?」

 「名をファランギス・ディーズと名乗っております。一介の旅人の様な風情ですが、剣を下げております処を見ますれば....」

 「ふむ....、黒将軍の件とな.....」

 ルモンドは考える。ハーグシュの者で無いならユトレア人か...? もしくはスラグかエドミナか....?

 ユトレア王国はさきの戦に敗退して後、三分割された。エドミナ領ユトレア、スラグ領ユトレア、そしてハーグシュ領ユトレア。黒将軍ラドキースの首を追っているのは、ハーグシュだけでは無い。

 「会ってみよう。武装を解かせて連れて来るが良い」

 俄に興味を覚えたルモンドは、家令にそう命じた。



 ルモンドの執務室に通された訪問者は、その薄汚れた風体には似合わず、礼儀正しく且つ一分の隙も無い挨拶と、この不躾な訪問に対する詫びの言葉を口にした。

 「ファランギス・ディーズ殿と申されるそうだな? ファランギス・ディーズ...何と申される? ひょっとして、他に氏族名をお持ちなのではないのかな?」

 ルモンドは執務机の上に手指を組んで、試す様な瞳を目の前の訪問者へと向けながら尋ねた。

 「ファランギス・ディーズ=エトラ・ファーガスと申します」

 訪問者は躊躇う様子も見せずに氏名を告げた。歳の頃は三十そこそこといった処であろうか......。ルモンドは内心考える。

 「エトラ・ファーガス....。ユトレア南部にファーガスという地名があったな? そこもとはユトレア人であられるのか? ファランギス殿?」

 「いかにも」

 そしてルモンドの思いのほか、訪問者は己がユトレア人である事を認めた。

 「ユトレアのお方が何用であろうか?」

 「今から六年ろくとせ程前、こちらに黒将軍ご夫妻が滞在されたと耳にし、慮外ながら罷り越しました。その折りの事を是非ともお聞かせ願いたく」

 「これはこれは、異な事を申される」

 「お願いです、フェビアン卿。どんなに小さな事でも結構です。我が主君がこちらの騎士団に席を置いた折りの事をお教え下さい」

 「そこもとは、ユトレア皇太子の臣と申されるか?」

 「いかにも。祖国滅亡よりこの方、我が主君の行方を追っております」

 「ふむ....」

 ルモンドは、短く刈られた白いあご髭を撫でつつ相手を観察する。ラディと同じ年格好だなと、ルモンドは思った。そしてそのすらりとした背格好も、ルモンドの記憶するラディに良く似ていた。伸び放題の榛色の髪は無造作に束ねられ、その破れ薄汚れた身なりも相俟あいまって、まるで傭兵風情か無法者の様であったが、その榛色の瞳には理知的な色があり纏う雰囲気にはそこはかと無い気品が感じられた。

 「だが、それを信じて良いものかな....? 口で言うは容易かろうからな。そもそも、そこもとがハーグシュやスラグ、エドミナの人間では無いと言う証も無かろう?」

 「フェビアン卿は、私がハーグシュかスラグ、エドミナの回し者であらば殿下の話はなさらぬおつもりですか?」

 その真摯な言葉にルモンドは笑い声を立てた。

 「話すも何も、かの黒将軍殿下がこのルトに滞在したという話があるようだが、あれは単なる噂であろうに.......」

 「.....分かりました。では.....、卿が嘗て拾い騎士団に傭い入れたという者の事をお聞かせ頂けませんか? 私が誠、ユトレアの者であるという証は......」

 ファランギスは服の中から銀の鎖を引っ張り出してそれを外すと、進み出てルモンドの執務机の上に置いた。銀鎖には指輪が一つ通されていた。ルモンドはその指輪に手を伸ばした。冠に蔦の絡む剣の紋の入った男物の指輪であった。

 「証になるかどうかは分かりませんが、私が殿下からお預かりしている物です」

 ルモンドは、傍らの小さなレンズの二つ連なったメガネを己の鼻の頭に乗せると、その造りの良さを確かめ、裏側に記された持ち主の名を確かめた。

 (あの二人の子も、無事に生まれておれば五つになろうか....)

 ルモンドは指輪を手にしたまま懐かし気に瞳を細めた。暫しの沈黙の後にルモンド・フェビアンは口を開いた。

 「お二人のその後の消息は全く存じ上げぬが.......、それでもよろしいか? ファランギス殿」

 切実であったファランギスの表情に光が射した。

 「はい、フェビアン卿」

 力強く頷く黒将軍の臣に、ルモンド・フェビアンはやがて語り始めた。




 

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