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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第二章  幸福の灯〜トラジェクにて〜(4)

 

  

 



 セレーディラは、エルに乳を与えて寝かしつけると台所のナスカの元に顔を出した。

 「まあ木瓜が沢山...」

 テーブルの上に山の様に盛られた瑞々しい木瓜に、セレーディラの青空色の瞳は丸くなった。

 「酢漬けにするんだよ。冬の為の保存食さ」

 「保存食?」

 「そうさ。作り方を知ってるかい?」

 「いいえ.....」

 「じゃあ、教えてやろう」

 セレーディラは嬉しそうに頷いた。

 この様にセレーディラは、ラドキースがバレンと共に木を切り倒しに出掛けている日中、ナスカと共にエルをあやしながら家事をして過ごし、夕食後は皆と楽しく語らいながら繕い物をしたり刺繍を刺したりして過ごした。

 

 三ヶ月が過ぎ、エルの顔立ちもはっきりとして来た。もはや小猿のようにくしゃくしゃな赤ら顔ではなく、セレーディラのような色白で滑らかな肌に変わっていた。そしてラドキースとセレーディラの愛情は元より、バレンとナスカからも実の孫の如く猫可愛がりに可愛がられていた。小さな赤子は正に皆の愛情を一身に浴びていたのである。


 「目元がラディ似だねぇ、この子は」

 「そうか?」

 「だが笑うとセリーに似てめんこいぞ」

 「そうでしょうか....」

 バレン手製のゆりかごの中のエルを、四人が頭を寄せて覗き込んでいた。エルは機嫌良く両手を伸ばしながら、しきりに言葉にならない声を上げている。

 「ご機嫌だねえ、今日のエルは」

 ナスカがエルの小さな手に指を絡めながら声音を高くして話しかけると、エルはきゃっきゃと笑い声を上げた。

 「子供がいるってのはいいねえ、お前さん」

 「そうだなあ。退屈しないもんだなあ。ずうっと眺めてても飽きないもんなあ」

 「ずっとここにいておくれよ、二人とも」

 「うん、そうだそうだ」

 俄にしんみりと訴えて来る樵の夫婦に、ラドキースとセレーディラの表情は微かに翳る。

 「そうさせて貰えたらと正直に思う。だが、いつ追っ手が来るか分からない。せめてそれまでは、有り難く...」

 「匿ってやるとも。どんな事したってなぁ。お前さん方はわしらの子供みたいなもんだ」

 バレンの言葉にナスカも大きく頷いた。

 


 ユトレアを脱出してからこの方、ラドキースが祖国を憶い憂えなかったかといえば無論嘘になる。セレーディラの前では努めて祖国の話題を上せる事は避けていたが、心が痛まぬ筈は無く罪悪感を感じぬわけも無い。

 滅ぼされて後のユトレアは三分割され、現在ではそれぞれハーグシュ、スラグ、エドミナの三国の支配下に置かれている。ウォーデン王国のルトに暮らした間は、時折分割後の祖国の噂を耳にする機会もあり、西部諸国の情勢を伝え聞く機会もあった。終戦時、ユトレアの属国であったスキーレンドが、三国の要求に従いユトレアの血を引く国王の身柄を差し出したという事も耳に入っていた。だが、このトラジェク王国の辺鄙な森の中の樵夫婦の家に厄介になってからは、そんな話を耳にする折りも無い。

 人里から離れた単調な日々、つましい生活。こんな生活もあったのだな.....と、ラドキースはそんな事をふと思う。素朴で善良な樵の夫婦は、貧しくとも幸福そうだ。事あるごとに笑っている。そして物思う処もあるであろうに、エルをあやすセレーディラも又、実に幸せそうであった。

 




 「何を作ってるんですの? 二人共」


 バレンとラディが木片を削っている様子に、何やら興味を惹かれたらしいセリーがエルを抱きながら彼等の手元を覗き込んだ。

 「おお、セリーか。靴を作っとるんだよ」

 バレンが顔を上げて答えた。

 「靴? バレンとナスカが履いている様な靴ですか?」

 「うむ、そうだ。こいつぁなぁ、丈夫でいいんだ。特にわしの様な生業にはなぁ。仮令、足の上に木が倒れて来ても壊れねえ程に丈夫なんだ」

 「まあ、そんなに?」

 驚くセリーに、バレンは笑いながら肯定する。

 

 その日は、朝から雨であった。随分派手な降り様であった。

 「やれやれ、よく降っとるなぁ...」

 質素な朝食を摂りながらバレンがぼやいた。

 「どうするのだ? バレン」

 ラディの問いに、バレンは肩を竦める。

 「こんなざあざあ降りじゃあ、仕事にはならんて」

 「そうさ、今日はゆっくりすりゃあいいのさ」

 「ゆっくりどこじゃ無いぞ、ラディ。うちの母ちゃんは人使いが荒いからな」 

 バレンがラディに身を寄せて小声で耳打ちすれば、ナスカがわざとらしい咳払いをする。

 「何か言ったかい?」

 「うんにゃ?」

 すっとぼけるバレンに、セリーがくすっと可憐な笑い声を零した。続いてラディが笑い、つられた様にバレンとナスカも一頻り笑った。


 昼を過ぎても雨音が途切れる事は無かった。

 バレンと向かい合い、真剣な顔つきで木靴を削っていたラディは、それをトントンと床で叩いて中の木屑を綺麗に払うとセリーの足元に置いた。

 「履いてごらん」

 「まあ..、私に..?」

 ラディーは微笑み頷くと、衣服の木屑を払いながら立ち上がり、セリーの腕の中の娘に両手を伸ばした。初めの頃こそ、おっかなびっくりな手付きで小さな赤子を抱いたラディであったが、三ヶ月も過ぎれば、その手付きも堂に入ったものである。セリーはエルを委ねると、靴を脱いで素足をその木靴に差し入れ、数歩歩いた。

 「思ったよりも軽いわ」

 「乾かしゃ、もっと軽くなるぞ。この木は軽い上に、うんとこさ丈夫なんだ」

 まぁ...と、しきりに感心し、物珍し気にカタカタと歩き回るセリーが可笑しかったのか、バレンも、そしていつの間にか台所から顔を覗かせたナスカも楽しそうに笑う。ラディもエルを抱き抱え、時折器用にあやしながらそんなセリーに優しい眼差しを向けている。

 「でも、ちょっと大きいみたいですわ」

 「いいんだよ、それで。足にぴったりだと足が擦れて痛くなっちまうからね」

 テーブルに縫い物を広げながらナスカが言った。

 「ああ、成る程...」

 素直に納得したセリーは、嬉しそうに尚もカタカタと音を立てつつ歩き回ってから、漸く木靴を脱いだ。

 「気に入ったか?」 

 「はい、とても。カタカタと鳴る音がとても素敵ですわ」

 セリーがエルを受け取りながら感想を述べると、傍らの樵の夫婦は再びやんやと笑い声を上げる。

 「そういうもんかい? そりゃ良かったよ。でも木靴がそんなに珍しいのかい? セリー」

 「ええ。木で靴を作るだなんて、吃驚しました」

 「庶民の知恵さ。捨てたもんじゃないだろう?」

 ナスカが茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。

 「それにしても中々上手く出来とるなあ。お前さん器用だな、ラディ」

 「刃物なら使い慣れているさ」

 ラディの削った木靴を手に、バレンは感心する。

 「私にはとても出来そうにありませんわ....」

 ラディが小刀を器用に動かし靴の表面を整えてゆく様子に、セリーは溜息混じりにぼやいた。

 「そうだな。お前は止めておいた方が良いな、セリー。指が十本あっても足りなさそうだ」

 ラディがセリーをからかった。 

 「もう、ラディったら」

 おっとりと膨れっ面を見せる妻に、ラディは嘗て彼女がナイフを持つ度に指を切っては自分をはらはらさせた事を思い出し、顔を背けて肩を震わせ始めた。

 「失礼ね。貴方が何故笑っているのか分かりますわよ」

 セリーは頬を膨らませたままナスカの傍らに座った。

 「何が可笑しいんだい? ラディは?」 

 ナスカも面白そうに尋ねて来る。

 「私が以前、食事の仕度の度に指を切っていた事を思い出しているのですわ、きっと」

 セリーの言葉にナスカもバレンも笑い出した。

 「終いには指を切り落としはしないかと、気が気では無かった。あの頃は....」

 「大袈裟なんだから、ラディは...」

 「大丈夫だよ、ラディ。今じゃこの娘はきちんと野菜を切ってるよ。自分の指の代わりにね」

 「もう、ナスカまで....」

 セリーは、頬を赤らめながら抗議の声をあげれば、回りも楽し気に笑う。

 樵の老夫婦は本当に良く笑った。それにつられてラディとセリーも笑う。笑いの絶えない家であった。二人がこんなに良く笑う事が出来たのは、後にも先にもバレンとナスカの元に滞在したこのひととき以外には無い。





 真夜中、エルが泣き出すと、セリーは眠い目をこすりながら暗闇の中を起き上がった。灯りを灯す事もせず、セリーは手探りで小さなベッドからむずかるエルを抱き上げると、共に目を覚ましたらしいラディの手を借りながら寝台に戻って乳を含ませる。

 「夜もゆっくり眠らせてくれないなんて、この子は小さな怪獣みたい...」

 ラディは低く笑って、「そうだな」と答えた。

 「この子はやっぱり貴方似かしら.....。瞳も貴方と同じ色ですし....」

 「髪はそなた似であろう?」

 ラディの指が暗がりの中、朧げに見て取れる娘の頬を撫でる。

 「エルは、どのような子に育つでしょうね」

 セリーはラディの肩に頭を預けながら囁く。

 「そなたの様な娘に育って欲しいな....」

 「誠にそう思われるのですか?」

 「心より....」

 「私は貴方の様に育って欲しいのに...」

 「女の子なのにか?」

 ラディは密やかな声で笑う。

 小さなエルは、二人の会話の内容など何処吹く風の体で己の食事に熱中している。

 「幸せ.....」

 ラディの耳にセリーの小さな声が辛うじて届いた。エルは満足したらしく、セリーの乳房から顔を離して機嫌良さそうな声を上げた。

 「セリー?」 

 ラディの肩に頭を乗せたまま、どうやら眠ってしまっているらしい。だが腕はしっかりとエルを抱えている。ラディーは、はだけたままの妻の胸元をそっと閉じてやった。


 後ろめたい思いを、罪の意識を胸の内に秘めながらそれでも、この幸せが続く事を願った。

 出来る事ならば......、常しえに....と.........。





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