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ユトレア年代記  作者: 秋山らあれ
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第一章  終焉と苦悩、そして.....(9)






 その恐ろしい程の静寂を破ったのは王であった。実の息子である皇太子の俄には信じ難い言葉を咀嚼し、その顔を怒りの色に染め上げた王の鋭い眼光が、跪くラドキースを射抜いた。。

 「何故なにゆえだ!? 何故なにゆえその様な真似に走った? 理由わけを申せ! 皇太子ともあろうそなたがっ、これがどれ程の裏切り行為であるか分からなかったわけでもあるまい! ラドキースよっ!!」

 王は拳を握りしめて激怒した。対する皇太子は静かな瞳のまま答えようとはしなかった。髪の色も瞳の色も異なってはいたが、相対している王と皇太子の顔立ちはどことなく似ていた。並んで立てば、父子であるという事を疑う者などいなかったであろう。

 答えぬ息子に王は痺れを切らし、どっしりとした机を忌々しげに叩いた。

 「何故黙っておるのだ? 理由わけを言えぬというか?」

 「理由わけを申し上げたからとて、私の罪が許されるわけでもありますまい」

 「何っ!?」

 「御処分、如何様にも。覚悟は出来ております故」

 たまりかねた臣達の囁く声が、あっという間に室内を騒がしくする。

 「陛下っ!」

 ファランギスが立ち上がり、ラドキースの傍らに駆け寄り跪いた。しかし、彼が王に進言しようと口を開く前にラドキースの声がそれを遮っていた。 

 「恐れながら、一つ案じられるはこのファランギスの身の上です。この件についてファランギスは全く与り知らなかったことゆえ、どうか御咎め無きよう平にご容赦を賜りたく、陛下」

 ラドキースは再度頭を垂れた。

 「戯け者めが....、今この場で斬り殺されない事を幸いと思えっ!」

 王は奥歯を噛み締め、怒りの形相を息子から背けた。

 「連れて行けっ!」

 王の命に、衛兵等は戸惑いの表情で皇太子を取り囲んだ。ラドキースは自ら腰の長剣と懐の短剣を衛兵へと差し出す。

 「殿下.....」

 今にも泣き出しそうな顔をして見上げてくる乳兄弟に、ラドキースは微笑んで見せた。


 黒将軍の異名で名高きユトレア皇太子ラドキースは、大罪人として捕われ、その後間も無く廃嫡される事となった。





 ラドキースは、その昔、罪を犯したさる王族の為に建てられたという北の塔に幽閉された。牢とはいえ、そこはやはり王族の為の物であった為、最低限の調度品が置かれ小綺麗にされている。地下牢に比べれば天国であっただろう。


 皇太子の処遇に対しての重臣達の意見は真っ二つに割れた。王妃派の臣達は、彼の処刑を主張した。謀反は大罪。敵に与した者は、仮令王族に連なる者であろうともというのが彼等の主張であった。残りの臣達は、皇太子の将としてのずば抜けた才覚を口々に、処刑に難色を示した。唯でさえハーグシュの残党の動きがあちらこちらで見られる今日こんにちである。だからと言って内通者に大軍を任せられようかと、王妃派の臣達は口角に沫を飛ばした。


 散々悩んだ挙げ句、王は決断を下した。

 「殺しはせぬ。だがラドキースは生涯をあの北の塔で終えるのだ」

 それが、王が息子に下した判決であった。





 ラドキースが陽のあたらぬその北の塔に幽閉されてから、早半年程が過ぎようとしていた。今では皇太子乱心で囚われの身となった事を知らぬ者は、王国内にはいないであろう。

 彼は、その日も粗末なテーブルに本を開きながらぼんやりとしていた。大罪人として捕われた以上、王妃や異母弟、そしてその一派達がこの自分の処刑を主張するであろう事は火を見るよりも明らかな事は分かっていた。そしてその覚悟も出来ていたというのに、思いの外、死を免れる事となった。

 セレーディラは無事に逃げ仰せたらしかった。ハーグシュが王女の名において兵を募っているという報を、ラドキースはファランギスから聞かされていた。今頃どうしているのか....。本当に無事でいるのか.......。ラドキースは敵の王女の身を案じる。そして自嘲気味な笑いを漏らした。己はまさに祖国を裏切った大罪人なのだと......、改めて自嘲した。

 ここへ来てから時間が余りあるせいか、ぼんやりと考え事をする事が多くなった。気が付けば放心している自分が愚かしく可笑しくて、独り苦笑する事もしばしばあった。それまでは忙しさと命の危険に常に付き纏われていた事もあり、ぼんやりしている暇などそうそう無かったというのに.....。だが失脚した今、この自分を眼中に入れている者など最早いないであろう。そう考えたら身体からも心からも、張りつめていた物がすっと消えた。

 

 扉の叩かれる音に、ラドキースは現実に立ち返った。錠の外される音に続いて、小さくも頑丈そうな扉は軋みながら開いた。

 「読書に熱中してらしたんですか? それとも又、放心してただけですか? 殿下」

 ファランギスであった。からかいを含んだその言葉に、ラドキースは苦笑する。

 「放心していただけだ」

 「復帰なさった時に立ち直れない程ボケないで下さいよ、殿下。宮廷には貴方を信じ、復帰を願う者も少なく無いんですから」

 「私は、この生活が結構気に入っているのだがな...」

 そう言いながらラドキースは微笑む。

 ファランギスは、縦長の細い窓の鉄格子を見て今日もやはり胸を痛めた。嫌でもこの王子が罪人である事実を痛感させられる。

 「まあ、暫くは骨休めも良いですけれど.....」

 「又、袖の下を使ったのか?」

 「ええ、まあ...」

 ファランギスがこの塔を訪れる事は、無論許されている事では無い。だがファランギスは、そんな事にはおかまい無しな様子で衛兵達と塔の守役に賄賂を渡しては、ちょくちょくラドキースの前に姿を見せた。王や王妃派の臣達の耳にでも入れば又厄介事になろうからと、ラドキースはこの乳兄弟を諌めるのだが、てんで聞き入れやしない。それどころか、『私が命を惜しむ様な人間だと思ってらしたんですか!?』と言って、本気で怒り出す始末。

 この事が明るみに出た時、咎めの及ぶのがファランギス一人で済むとは考えられなかった。恐らくは、エトラ・ファーガス一族に及ぶ筈である。下手をすれば、その郎党にまで及ぶであろう。ラドキースはそれを思い、物憂い溜息を洩らした。

 「その内、破産するぞ」

 「破産する前に、殿下にはここを出て頂きますよ」

 ラドキースがからかい半分に言えば、大真面目な表情のファランギスからはそんな答えが返って来た。


 ラドキースがこの塔に幽閉されてから間も無く、このファランギスは塔の守役になりたいと言って王に直訴したらしい。あまりの事にラドキースも呆れたものであった。貴族が牢獄の番人になった例など、未だかつて聞いた事も無かった。恐らくは、すげ無く却下されたのであろう、健気にもファランギスは袖の下を使ってラドキースに会いにやって来る。

 

 「殿下、実は.....」

 「ん?」

 ラドキースの静かな微笑にファランギスはふと思う。まるで悟りきってしまったような顔だと......。

 「どうした?」

 人の顔を凝視したまま口を開こうとしないファランギスに、ラドキースは片眉を上げて見せる。ファランギスは一つ呼吸し、ラドキースの向かい側の椅子を引いて腰を下ろした。そして、酷く真剣な表情で口を開いた。。

 「ハーグシュが決起しました....」

 ラドキースは一瞬目を見張ると、静かに目を瞑った。

 「.......早かったな」

 あのクウィンダン・サダガルドが存命していたのだ、必ず決起するとは思っていた。しかし、こんなに早く事を進めて来るとは.......。

 「殿下のお考え通り、スラグがハーグシュに付きました。それにエドミナも...」

 ラドキースは厳しい表情でファランギスを見た。

 エドミナはユトレアの東に接し、又その北部をハーグシュに接する王国であり、さきの戦では長らく中立の立場を貫いて来た王国であった。

 「やはりか.....」

 ラドキースは呟いた。少なからず予想はしていた事であった。

 「さきの戦ではどちらにも加担せずに中立を守ったというのに....」

 ファランギスの瞳には悔しげな色が浮かんで消えた。

 「殿下の予想通り、スラグはエドミナに脅迫紛いな持ちかけでもしたのでしょう。....それに貴方の失脚も大きかったのでしょう。トーラン将軍の言葉を借りれば、“ハーグシュには獅子がいる、しかしユトレアは黒将軍を失った” ですよ。」

 「戯言を......」

 「実際そうですよ。貴方程兵達を惹き付ける将は他にいないし、あのエヴェレット卿を唸らせる程の軍略家も他にはいない」

 沈黙が流れた。

 「殿下の一番目の弟君を総大将に頂いて、近々王国軍が出陣します。私も、エトラ・ファーガス騎士団の派遣を命じられましたので近々......」

 「そうか...、行くのか.....」

 「ハーグシュ決起前に貴方には復帰して頂くつもりだったのですが、後回しになりました。よもや、殿下無しで戦場に赴く事になろうとは......、不安ですよ、正直言って....」

 「何を弱気な、お前らしく無いな」

 「未だ嘗て無かった事ですからね。貴方抜きで戦に行くなんて事は....。案じているのは、私だけじゃありませんよ。あのトーラン将軍でさえ案じておられる。そもそも戦を何かの遊戯事と勘違いしている、あの第二王子が総大将というのからして既に危うい。能無しは能無しらしく、大人しくお飾りに甘んじてくれれば良いのですが、何かに付けて貴方を目の敵にして来たあの王子が、大人しくしてくれるとは思えません。貴方以上の勇名を得ようと先走る事など目に見えている。既に貴方を支持していた者達をことごとく遠ざけていますしね。トーラン将軍までをも遠ざけました。まあ、さすがにエヴェレット・フォンデルギーズ卿を手元に置かれるだけの理性はお持ちのようですがね」

 苦々し気に第二王子をこき下ろすファランギスに、ラドキースは小さく息を吐く。彼がラドキースの異腹の弟達をこき下ろすのは今に始まった事では無かったが、しかし今回ばかりは、ファランギスも心から怒っているらしい事がラドキースにも伝わる。確かに第二王子は我の強い気質をしており先走る傾向がある。あの異腹の弟が、ユトレア一の名参謀を傍らに置いたとして、その言を常に素直に聞き入れるかが案じられた。仮令将が王族であろうとも、愚かであれば臣も兵も簡単に背を向けるであろう。戦は遊びでは無いのだ。

 「スキーレンドはどうなのだ?」

 対ハーグシュの五年戦争の末、現王妃の血を引く第三王子が国王に祭り上げられたスキーレンド王国は、当然の如くユトレアの属国としての扱いを受けている。

 「思ったより期待は出来ません」

 「そうか....、確かにそれ程の軍事力を持った国では無かったが.....」

 さもありなんである。強力な軍事力を持った王国であったなら、そもそもあの様な他国同士による継承戦など起きなかったのだ。

 「さぞ、やり辛かろうな.......」

 「他人事ひとごとの様におっしゃいますね、殿下」

 ファランギスは深い溜息を吐くと、額がテーブルに付く程にがっくりと肩を落とした。その姿にラドキースは目を伏せた。

 「すまぬ......」

 ファランギスが緩慢に顔を上げた。

 「すまぬ......」

 瞳を伏せ再度詫びる主君の姿に、ファランギスは何とも言えぬ気持ちのまま首を横に振った。

 「いいえ......。いいえ....、私にも責任が有りますから........。あの時、私には殿下を止める事が出来なかったんですから」

 ラドキースの姿があまりに痛々しく、ファランギスは不覚にも泣きたくなる。

 「生きて、戻れよ、ファランギス」

 「勿論です。貴方をここから解放する仕事が残ってますからね、兄弟殿」

 ファランギスは無理に戯けた笑顔を作った。それがその時の彼には精一杯であった。



 乳兄弟が去った後、ラドキースは窓辺に立った。鉄格子の嵌まった縦長の細長い小さな窓から表を覗くと、暗がりの中去って行く乳兄弟の姿がぼんやりと見て取れた。

 ラドキースは懐から折り畳まれた布を取り出した。漂白された木綿に美しく刺繍が施されている。金の冠と緑の蔦の絡む剣。

 ラドキースはその紋を親指で撫でた。そしてセレーディラを想った。





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