奴隷としての生活:娯楽編
さて古代のエジプトじゃ娯楽なんて何もないんじゃないかと思うだろうが、実はそれなりにある。
勿論パソコンもスマホも据え置きゲームもないからコンピューターゲームのたぐいはない。
タロットやトランプのようなカードゲームもまだない。
紙は貴重だしな。
しかし、ボードゲームはあるし、エジプトは世界最古のボードゲームが発明された場所でもあるのだ。
「さて、ではセメトを始めましょうか」
「相手が先生でも負けませんよ。」
俺がネフゥルウラーとやろうとしてるのはセネトと呼ばれる世界で最も古いボードゲームだ。
セネトは、エジプトの言葉で通過するを意味してて、日本ではエジプト将棋と呼ばれてるようだな。
このゲームはとてもとても古くなんと5500年前くらいからもう有ったらしい。
そして今の新王国時代では、セネトは死者を守る護符としても扱われている。
2人で対戦して楽しむこのゲームは、王侯貴族だけではなくて一般人の間でも娯楽として親しまれている。
エジプトからローマ、ローマから中東、中東から中国、中国から日本と様々に姿を変えながら日本には雙六として伝わってるし、モノポリーや人生ゲームの祖先とも言えるし、ルールはだいぶ違うがチェスやバックギャモンの元になったんじゃないかと言われるゲームでも有って、あらゆるボードゲームの祖先らしいぞ。
遊び方は青いコマと黄色いコマを10マスかける3列のボードの上を交互に並べて1番左上から右下までZ字にサイコロを振ってその数だけコマを進め、全部のコマがゴールしたほうが先だ。
ただし、コマを進めてそれが相手の駒に乗っかったら場所を入れ替えることができたり、2つ以上コマが重なっていれば取られなかったりと、運だけで進むものではないので結構頭を使うんだな、これが。
いくつかのマスにはいろいろな意味を示すシンボルが描かれてて、15番は「再生」のマス、26番は「幸い」、27番は「不幸」のマスで、不幸のマスに入ると再生のマスへ、その時再生のマスが塞がってたら一番最初に戻される。
幸いのマスに入れば一回休みだ。
不幸のマスは凶作やセトを意味していて、そこにのると殺されてしまうということだし、幸いは豊作で農作業をしなくても遊んでいられるという意味だな。
一人が使う駒の数は5個から10個で数が増えるほど戦略的な要素が増えるし、数が少なければ運の要素が強くなる。
先ずはお互いにサイコロを振って数が大きい方が先手だ。
「ふむ、私は3ですね。」
「私は5ですから私が先ですね」
「では王女からどうぞ」
「はい、じゃあ……4だからどうしようかな……」
因みにネフゥルウラーは結構強い。
「じゃあここのコマをこう進めてっと」
「う、そう来ましたかでは…うーん、出目が悪いですね……」
結局今日は一勝四敗で負け越したぜ、とほほ。
「ありがとうございました、先生、今日は調子悪かったのですか?」
「いや、王女が強くなってるのだと思いますよ」
「そうですか、それなら嬉しいです」
無邪気に喜ぶ彼女だがこのゲームに勝つには頭の良さと運のよさの両方が必要だが、彼女はその両方を備えているのだろう、さすが王族だよな。
さてエジプトの一週間は10日で10日に一度は休みだ。
その休みに俺は何をしているのかというかというとサッカーだ。
因みにサッカーのような足で球を蹴る球技はもともとエジプトにあって古くから行われていた。
その他にも娯楽としてのスポーツは多くフェンシングのような剣技やレスリングのような格闘技、水泳などがスポーツとして楽しまれている。
特に300年位まえに存在した中王国と呼ばれる時代は球技がかなり盛んだったようだが今はスポーツと実益を兼ねた動物の狩りのほうが娯楽の中心となっていて、サッカーはあんまり人気はなかった。
そんな状態だったが俺は一度取り上げられたが返してもらった俺がここに来た時に一緒に持ち込んだサッカーボールをつかって、一緒に農作業をしてる連中にサッカーを教えて遊んでいた。
最初は人数が少なかったからフットサルレベルだったけど次第に参加人数も増えて今じゃちゃんと11人ずつで遊んでるくらいだ。
「ほらほら、ボール回せー」
「走れ走れー」
「パスパス!」
「それ、シュートだ!」
因みに俺はフォワードだ、元の世界の時からポジションはそこだったからな、エジプト人は黒人だから皆身体能力が高くて大変だが、無心でボールを追うのは楽しいぜ。
ここに来る前に悩んでたのが馬鹿らしく思えてくるから不思議だな。
あ、因みに、野球のようなスポーツもあるぜ。
もともとは、ファラオが棒で野球のボールとと同じくらいの石を打って、その飛び方で農作物の豊凶を占っていたらしいが、木のバットと革のボールを使って、それを打って遊んだりもするんだ。
まあ、野球にはあんまり興味が無いこともあって俺はそっちはやってないけどな。
そして身分の上下に関係なく楽しみとしているのが祭りだ。
「んじゃまあ、ミウ一緒に行こうか」
「うん」
ミウは奴隷の娘で俺と一緒に種まきや収穫を行なってる関係で仲良くなった女の子だ。
今日はビールの女神でもあり、愛と美と豊穣と幸運の女神でもあるハトホルと知恵の神であるトートの祭りだ。
ハトホルとトートの神殿では神像を屋上まで持ち上げ、太陽神アメンラーの力により新しく神像に生命を吹き込み、死者と神への捧げ物として神像へビールとパン、牛や羊の肉が捧げられ、注げ終わったあとそれは料理されて俺たち奴隷にも振る舞われたんだ。
「ん、この牛肉、すごい美味しいな」
「うん美味しいね」
俺達は振る舞われた牛のステーキを塩で味付けして食べ、パンをちぎって食べ、ビールを飲み、楽師がフルート、クラリネット、トランペット、ハープ、太鼓、タンバリンなどで音楽を奏で、踊り子がセクシーな衣装で踊りを踊るのを楽しんでいた。
因みにハトホルやトートは後の世の中でも死や魔術を司る神として、タロットや錬金術と結びつけて信仰されていたようだ。
さて、トト神の祭りでは無花果と蜂蜜が振る舞われる。
それはスプーン一杯の蜂蜜と一切れの無花果だ。
「真実は、まこと甘露なるかな」
「真実は、まこと甘露なるかな」
俺とミウはトトに加護を願う言葉をお互いに唱えて、スプーンを互いの口に入れあった。
こうすることがトートからの加護を得られる方法とされているんだな。
「んー甘くてうまいな」
「そうだね、蜂蜜なんて私たちは今日ぐらいしか食べられないものね」
古代エジプトでは養蜂がすでに行われているが、その手段は原始的で蜜を取るのも危険な作業だ。
それも有って蜂蜜は貴重なもので普段食べることはできないから、この新年のお祭りは民みんなが楽しみにしてる。
今の時代では麦の収穫なんかも終わってちょうど農閑期にあたるからみんな余裕もあるし、食い物も飲み物も無料で振る舞われるものだから金の心配をすることもない。
まったくこの時代はいい時代だと思うぜ。