奴隷としての生活:軍隊と法律編
さて、ハトシェプスト女王は父であるトトメス一世や息子であるトトメス三世ほど外征はおこなわなかった。
彼女の父親であるトトメス一世によってシリアやヌビアは平定されており、ハトシェプストはその拡張された領土を守るだけでよかったのだ、彼女の治世の晩年に至るまでは大規模な反乱は起きていなかった。
だからといってこの頃のエジプトは軍隊を持っていないわけでもなかった。
逆に強大な陸軍を持っていたからこそ、反乱などは起こせなかったというのが実際だった。
この時代のエジプトは既にヒクソスから戦車の技術を取り入れていた。
ただし馬に直接乗る騎兵はまだない。
まだ馬具が発達していないこの時代では、馬に直接乗って弓を放つような芸当はエジプト人にもヒッタイトなどの東方の王国にもできなかったんだ。
エジプト軍は戦車兵以外は鎧を身に着けず、人間大の大きさの牛革の盾を唯一の防具としていた、戦車兵は皮の鎧を来ていたけどな。
これは単純に暑いからだな、鎧を着て歩いているうちに体力を削られ倒れられたら意味がない。
戦車に乗ってる兵は歩かなくて良いから鎧をつけてもどうにかなったというのはあるんだろう。
そして頭には頭巾を被って暑さから頭を守った。
武器は青銅製の槍・戦斧・山刀・ナイフ・棍棒やコピシュと呼ばれるショーテルのような鎌のような剣・複合弓の長弓・ブーメラン・ボーラなどが使われている、装備は必ずしも統一されていなかったが槍と弓が一番多く使われてるようだ。
狩猟に使われてるものが戦争にも使われるのはまあ必然というものだろう。
基本的には王の持つ軍隊は、まず王などの貴人の身辺警護と治安維持のために使われ、次第に鉱物資源を採掘する労働者を保護する目的に用いられる用になっていった。
金や銀、銅、錫などの青銅の材料を採掘して安全に運ぶための護衛のために戦力が必要だったということだな。
現在のエジプト新王国時代には領土も広くなり常備軍が編成されるようになってる。
それまでは農民を必要に応じて集ていた。
エジプト新王国はもともとテーベの豪族であったアフメスがヒクソスの根拠地アヴァリスを制圧し、さらアフメスはヒクソス勢力にとどめを指すべく、アラビア半島のシャルヘンを陥落させ、ここにヒクソス勢力は壊滅したんだ。
そして彼はヒクソスのアペピ王の娘ヘルタを妃として迎え、これによってヒクソスがシリア地方に持っていた統治権をエジプトが継承し、その後アフメスはヒクソスの同盟国であったヌビアを征服した。
地方の貴族や豪族たちは既にヒクソス人の手で一掃されていたので、今の王朝は中央集権化を早くすすめることができたんだな。
そして国王はアメンラーの子の現人神として君臨し、租税として収入の1/5つまり2割を徴集したんだ。
日本的な言い方なら二公八民ってわけだ、全然税率としては低いよな。
ハトシェプストの父であるトトメス1世は、南方のヌビアを再度征服すると、東のアジアに軍を向けてすすめ、シリアのユーフラテス河畔までを制圧した。
其の時にエジプト人は、ユーフラテス川がナイル河とは逆に南へ流れるのをみてたいそう驚いたそうだ。
この時戦争捕虜が結構そっちの地域から連れてこられたがヌビアやシリアの人間も来た方に戻ることは殆どなかったそうだ。
ミウの両親もこの時連れてこられたそうだ。
「まあ、エジプトはいろいろな意味で住みやすいからな」
現在の新王国時代のエジプトの人口はおおよそ300万人だが兵士などは3000人位だな。
平時における総人口の1%と言うのは妥当なとこなんじゃないかな。
因みに今のところ軍人は書記官よりはずっと位の低いものとみなされていた。
さて、王はヌビアやシリアでの戦争での勝利は、自分が深く帰依するアメン神の加護によるものだと考えるようになり、トトメス1世がアメン神殿への寄付は莫大なものとなり、アメン神殿の神官たちに財力と政治への発言力を強めていく。
国が栄え、富が集まるようになれば、それに関わる人間が腐敗するのは古今東西の常でエジプトも其の例外ではなかった。
つまり賄賂が横行することにつながるわけだが、古代エジプトでは貴族・書記官・神官の不正行為に対しては王命によって厳罰処分が与られた。
賄賂に対する処罰は厳しく「官位剥奪の上国外への追放か鉱山での強制労働」という大変厳しいものだ。
この時代の鉱山労働は粗末な木の道具が主だったから其の苦しさは想像を絶する。
平民や奴隷に関しては、働かずに税金の未納を起こした場合は鉱山での強制労働をさせられたようだ。
窃盗の場合は盗品を所有者に返却した上で、その品の2~3倍の金額に値する賠償となるものを支払い、支払えない場合は強制労働、国家公共財の窃盗や横領については棒による百叩きと百倍の賠償が課された。
家畜の窃盗に対しては両腕を斬り落とされるという更に重い罰が与えられたし、神殿の祭祀具を盗んだら即刻死刑になった。
この時代両腕が使えないのは事実死刑に近い。
ハンブラビ法典じゃないが犯罪に対してはきつい罰が課せられているが、おおよそ公平な裁きが行われてる方だと思うぜ。
まあ、それはともかく今の俺は軍の兵士の食べる食料や武器などを運ぶ人足だ。
強制的に徴兵されて戦わされるようなことはなく軍は志願制だ。
「んじゃ行ってくるな」
「気をつけてね」
ミウが心配そうな表情で俺を見送ってくれた。
この時代、軍人は勲功を立てて王に認められ平民から上流階級に登る人々を出現させたため、厳しくて長い勉強が必要な書記よりも肉体的に頑健であれば手っ取り早く成功できる可能性のあった軍に進んで参加するものも少なくなかった。
また南のヌビアや東のシリア・海の民と呼ばれる地中海の島々から来た傭兵も少なくなかった。
さて金が入った箱を鉱山から船着き場へ運ぶ道の途中、昼飯の時間になって休憩だ。
俺は馬車からパンの詰まった箱を持ってきていた。
「昼飯持ってきましたよ、どこに置けばいいですか?」
「そのあたりに適当においておいてくれ」
「分かりました」
俺はパンが入った箱を適当において、次は水を運ぼうとしていた。
その時脇の森から矢が飛んできて幾人かが矢を受けて倒れた。
「敵襲だ!応戦しろ!」
兵士が盾を構えて森の方へ向かい、そちらからヌビア人らしい男が槍を持って出てきて戦闘になった。
俺は馬車の影に隠れてやり過ごそうとしたが、ヌビア人は反対側からも出てきた。
「やばい、反対側からも来たぞ」
「なんだと、今行く!」
ヌビア人は俺に向けていった。
「この泥棒共が俺たちに金を返せ!」
なるほど、もともとは独立国だったヌビア人の一部ににとってエジプト人はそう見えるのか。
まあ、わからなくはないが……。
俺はあちこち逃げ回った、なんせ身を守る武器もなければ戦うための技術も俺にはない。
しかし、サッカーのお陰で逃げたりフェイントをかけたりするのは得意だ。
武器を持って相手を殺すなんてことは俺にはできない。
”人を殺してはいけません”
日本人はそうおそわって育ってきてるからな。
やがて多勢に無勢でヌビア人の何人かは殺され、逃げ出していった。
こっち側にも死人や怪我人が出てる。
古代エジプトは比較的治安はよく平和で有っただけに俺にはショックが大きかった。
「属国になるっていうのはこういうことなのかもな……」
幸いなことにヌビア人の襲撃は其の一回で済んだ。
俺は金が入った箱や食料が入った箱を馬車から船に積み替えていた。
後はナイルを下るだけだ。
海のときと違いオールを漕いで進む必要が無いのが助かる。
「もう、兵士の荷運びは懲り懲りだ」
ネフェルウラー王女にお願いして今後はこういうことには参加しなくても済むようにしてもらおう。
そして無事帰ってミウの顔を見たときはホッとして、俺達は家に前で抱き合って再開を喜んだ。
「ただいま」
「おかえりなさい、無事でよかった」
「ああ、本当にな」