第零章 日常
暗めの洞窟の中に響き渡る少年の声。
「いや、いや、ちょっと待て。今攻撃受けたら死ぬって。お願いだからちょっと待って!」
吹っ飛ばされて立つ暇すらない少年が彼を飛ばした主犯のオーガを説得している。
当然、オーガに言葉は通じない。が、少年は必死で懇願し続ける。しかし、オーガは無慈悲に金属でできた棍棒を振りかざす。
その時。
「ほんとだらしないなぁ」
そんな声が少年の耳に入ってきてすぐのこと、少年の後ろから飛んできた真っ赤な炎の球体が少年の真上を通り過ぎて行き、その先のオーガに当たった。
しかし、オーガは少しダーメジを受けた様子で後退しただけだ。
「はぁー。死ぬかとおもった。ありがとう」
立ち上がり火の玉が飛んできた方向を振り返ると少年は心底安心した面持ちで言った。
少年を助けたのは一人の少女だ。
「安心するのはまだ早いわ」
明かりが微かにしか灯っていない洞窟の中、人間は彼等二人を覗いて他にはいない。
周囲を5体のオーガに囲まれ、まともに身動きが取れない少年と少女。だが、ただの少年少女ではない。
少年は金属の鎧を身に纏い両手で剣を握りしめている。
少女は魔法使いのような黒装束を身に纏い、右手には先端に丸い物体が付いている棒、言わば杖のようなものを握っている。
そして、二人はそれぞれ程度の違う怪我を負っていた。
少女は軽症で少しの擦り傷が目立つ程度だが、少年は口から血が流れるほどの痛手を負っている。
「とりあえず、はい。回復」
少女が杖を振りながら呪文のようなものを唱えた途端、少年は緑色の光に包まれ先ほどまでの傷が嘘のように無くなった。
「ありがとう。ほんと、助けてもらってばっかりだ」
「その話は後。まずはこいつらを片付けるわよ」
「了解」
5対2という絶望的な場面。信じられるのはお互いのみだ。だが、互いに背中を預けている二人には一切の懸念はない。それどころか少年は笑顔でこの状況を楽しんでいるようにすら見える。
「一匹残らず駆逐してやる」
少年は瞳に燃え滾るような熱い光を宿し、言い放つと剣を一振りし、雄叫びと共にオーガに向かって全力で走り出した。
「うおぉぉぉ!」
再び戦闘が始まった。
✳︎ 1 ✳︎
「負けたぁー」
ここはどこにでもありそうな小さな住宅街。その端っこの方の家の中で、これまた一人の少年が嘆いた。
少年は部屋のベットに両手を広げ倒れこむ。
先ほどの鎧をまとった少年がベットに放り出されたゲーム機の中で倒れこんでいる。
「あんたねぇ。回復私に頼り過ぎよ。画面の右下に表示されてるアイテムなら、すぐに使えるって言ったでしょ?」
ベットの近くにある椅子に座りながら話す茶色がかった長い髪をツインテールに結んだ少女。
彼女のゲーム機の中でも先ほどの魔法使いの少女が倒れこんでいる。
「えっと。どうだっけ?」
「はぁ。もう。あんたセンスのかけらもありゃしないわね。貸してごらん」
少女は深いため息をこぼすと少年のゲーム機をとって実際に動かして見せた。
「はい。わかった?」
「なんとなく。けど……」
少年は何かが腑に落ちないのかゲーム機に視線を落としたまま顔を上げない。
「けど何よ?」
「これがリアルだったらもっと簡単なんだろうなって思ってさ」
「何わけのわからないこと言ってるのよ。これがリアルだったら私たち死んだのよ」
冗談には聞こえない少年のセリフに少女の口調が少しだけ強めになった。
「まぁ、そうなんだけどさ……」
少年は言葉を失った。それにつられ少女も黙り込んだ。
それからその場には気まずい空気が漂い、二人は黙り込んだままだった。
部屋の中に漂う沈黙。
それを打ち破るように突然、携帯が鳴った。
「ごめん、ちょっと出るわ」
鳴ったのは少女の携帯の方だった。
少女はゲーム機を椅子に置くと、携帯を片手に部屋を出て行った。
部屋に一人残された少年は倒れこんでいる剣士を見つめた。
「俺もお前もこの程度なんだろうな……」
ゲームの中の少年はうんともすんとも言わないし動かない。
それでも少年は続けた。
「ごめんな。俺が弱いばっかりに……」
「何言ってんの? あんた」
つい先ほど部屋を出て行った少女が戻って来ていた。
「え?」
少年の顔はきょとんとしたまま動く気配はない。
「電話は? もう終わったの?」
驚きで少しの間固まった後、ようやく出た言葉はあまりにも明らかだ。
「ええ。悪いけど、今日はもう帰るわ」
椅子に置いてあるゲーム機の電源を切ってかばんにしまうと少女はそのまま部屋の外へと歩き出した。
「待って。なら、送ってくよ」
少年がベットから立ち上がった。
「いや、いいよ。帰るって言ってもすぐ近くだし」
少女は振り返り、手と首の両方を振った。
「それでも、送ってくよ」
外はそれほど暗くはないが少年はそうしたかった。
少女は少女で少年がそういう人なのを知っていた。
「わかったわ」
少女は笑顔で返事を返し再度歩み始めた。
今度は二人で。
現在の時刻は午後6時。夕暮れ時。
夏真っ盛りでジメジメとした空気の中、車通りの多い道を歩いている。
「あのさ、梓乃葉」
歩道は車道と対照的に人通りが少しもない。なので、二人はゆっくりと並んで歩いている。
「何?」
「梓乃葉はどこの大学に行くの?」
二人は今年が高校最後の夏だ。
場合によっては長年親しんだ目の前の風景や友すらも置いて旅立つことになるだろう。
「そうねー。ここから離れるのは嫌だけど、多分もっと都会の方の大学に行くかな」
並んで歩いているにもかかわらず、お互いに視線を合わせることはない。二人の目に見えているのは見慣れた街の様子だけだ。
「そっか。まぁ、梓乃葉ならどこでも受かりそうだしね」
「そういうあんたはどうなのよ?」
梓乃葉は少年の反応に不満を持ってわざとらしく不満な口調で返した。
しかし。
「俺はここら辺の大学に入れたらなぁーって思ってる」
少年にはそれがいつもと変わらない様子に感じられたようでいつも通りに返事を返した。
「そう。なら、今年が最後になるんだね……」
諦めにも近い感情が梓乃葉の心に渦巻く。彼女の声が暗いのは別れを悲しんでいるからだけではないのだろう。
「何が?」
「祭だよ。夏祭り」
「夏祭り? もうそんな季節だったのか」
「はぁ……」
小学生の頃から毎年欠かさず一緒行っていた夏祭り。しかし、少年にはもう、どうでもいいことなのだろうか。
そう思うと梓乃葉から思わずため息がこぼれた。
「……あんたは相変わらず何にも興味ないんだね……明日だよ……」
伝えたいことを素直に伝えられるわけもなく梓乃葉はただ不自然じゃない言葉を紡ぐことしかできなかった。
「……」
少年には梓乃葉が今年の夏祭りにかける思いの重さだけが感じられた。
少し申し訳ないような気がして、思い出そうとする様な素振りを見せる。
故に返す言葉もない。
しかし、梓乃葉は切り替えて笑いながら茶化すように言った。
「少しは世の中に興味を持たないと、いつか一人になっちゃうぞ?」
重たい雰囲気は好きじゃないから。
「うーん。別に興味がないとかじゃなくて……何と言うか、生きてる実感が無いだけだよ」
「何それ」
梓乃葉には少年の言葉が大それた言い訳にしか聞こえていない。
けれど、ただ笑って見せた。
それを見た少年は誤解されたとでも思ったのか慌てて語り始める。
「いや、だってさ。例えば俺が世界で一番頭のいい学校に行ったとしよう。それで、そこでも成績優秀でしかも、その後でも大活躍してノベール賞を取ったって俺が生きた証にはならないでしょ」
「どうして? ノベール賞まで受賞したなら間違いなく教科書には載るでしょ」
梓乃葉はこんな話をしたいわけではない。自分でもそんなことは重々承知だ。
だが、梓乃葉にはこの会話を続ける以外に選択はない。
いや、選択できない。
「そうじゃないんだよ。それだと名前が残っておしまい。歴史上の人物って時間が過ぎれば過ぎるほどいたかどうか曖昧になるし、何よりインパクトがない。なんと言うか、うまく説明できないんだけど、俺が生きた証にはならないよ」
「じゃあ何を残したいわけ?」
自分でもあまりわかっていないのか、あるいは、それを言葉で表現する手段を知らないのか、少年は何か言いたそうな顔をしたまま何も話さない。
「…………うまく言葉にできないけど、どこかにずっと俺が生きていたっていう証拠を刻みたい。歴史上の人物みたいな扱いじゃなく今でいうキリストみたいなの。けど、そんなこと今の退屈な世の中じゃできない。だから……俺には生きてる意味がないんだ……そんな、無駄な人生を歩んでたら生きてる実感なんてしないさ」
しばらく口を閉じて思いついたのは強引に結びつけた言い訳のようなセリフ。
「やる前から諦めてどうするのさ」
梓乃葉には少年の言ってることがよくわからなかった。
故にただ適当な言葉を返す。
「ちょっと違うかもだけど、歌手とかは?」
「それも思ったけど、梓乃葉の言う通り、なんか違うんだよね」
「ふーん」
梓乃葉は少し黙り込み、わざとらしく考える素振りをした。
「じゃあ、異世界のヒーローとか?」
その後、右人差し指を立てて遊び半分の言葉を並べた。
「そうだなぁ。規模があって人気者にもなれる。そんな感じのことをしたい」
「何言ってるのさ。子供じゃあるまいし」
梓乃葉が呆れた声音とは裏腹な表情で放ったのは、なんだかんだでこの時間を楽しんでいるからこそだ。
「まぁ、そうなんだけど……けどさ、もしも、例えば、困り果てた誰かに世界を救ってくれって言われたら断れないだろ? だから、そんな時のために色々と考えて——」
「——そんなこと、有り得ないよ……」
少年の理想が含まれた言葉は梓乃葉の冷たい声にかき消された。
この別れや報われない思いが当たり前に存在している残酷な世界でそんな小説の1ページにも及ぶような展開があってたまるか。
本当にそんなことがあるなら、SFチックな展開じゃなくてありふれた日常がずっと続くような展開の方があって欲しい。
ずっとみんなで一緒にいられるように。
「……だろうね」
少年はそう言ったものの、梓乃葉は最初から少年がそう思っていないことくらい分かっているだろう。八つ当たりみたいなことをしてしまった。そう思い、梓乃葉は一転して笑顔で切り出した。
「つまり、あんたは世界的な規模で誰かの役に立つかつ未来永劫崇められ続ける様な人になりたいってこと?」
「そ、そう言われると本当に子供っぽいな」
少年は苦笑を浮かべた。
「確かに」
それを見て、梓乃葉はふふっと笑った。
「でも、嫌いじゃないよ。あんたのそういう所。こういう時だけ普段とは全然違う人になるんだから。将来は哲学者か何かになってるのかもしれないわね」
「悪くないかも」
少年は冗談気味に笑って返した。
「まぁ、冗談はこの辺にして、今日はもう、バイバイ」
気がつくと少年は梓乃葉の家の前にいた。
たわいのない時間だった。けど、無いよりはマシだ。そんなことを思うと梓乃葉は自然と頬が緩んだ。
玄関フードへの階段を2、3段駆け上がると梓乃葉は振り返り手を振った。
「うん。また、明日」
少年も手を振りかえす。
それから互いに背を向け合うと梓乃葉は玄関フードへ入って行き、少年は自宅への帰路につく。筈だった。
しかし。
「あのさ」
少年が振り返り言った。
たが、梓乃葉も振り返って同じセリフを口にしていた。
二人は互いの顔を見合わせて少しの間笑った。
「なら、もう言わなくていいわよね?」
「うん。じゃあ、いつもの所で。みんなも誘っとく」
そう言うと少年はまた背中を向けた。
「忘れないでよ」
「うん。大丈夫」
少年の言葉を最後まで聴き終えると梓乃葉は今度こそ玄関フードを通過し家へと入って行った。
✳︎ 2 ✳︎
次の日の夜。夏祭り。
星が綺麗に見える夜。河川敷にはたくさんの出店やその品物を手に握る人々で溢れかえっている。
夏祭りの会場から少し離れた山にある神社の境内で少年は待っていた。
「よっ、かぐつ」
境内への階段を上がってきたのはチクチクとした黒髪でがっしりとしたがたいの男だ。
「相変わらずだね、純」
「女子より遅い男子ってどうよ」
かぐつの隣に立って純を罵っているのは梓乃葉だ。
「まだ栞と蓮も来てないだろ」
周りを見渡たしながら放つ彼の言葉や態度に罪悪感はない。っと言うのも、純は既に集合時間から10分以上遅れているのだ。
「蓮なら自販で飲み物を買いに行ったよって純に言っとけって蓮に言われた」
「お前も相変わらずややこしい奴だな。まぁ、どちらにしろ栞は来てないんだろ?」
「ええ。来てないわ」
「なら別にいいじゃんか。女子はあいつしかいないんだし」
あまりにも自然に放たれた言葉にかぐつも一瞬肯定しそうになった。
口が半開きになっている今の姿を梓乃葉に見られたらどうなるか、考えるまでもない。
だが、かぐつが1音発するより先に梓乃葉が口を開けたのが幸いした。
「は? 私がいるでしょ? この私が! たく、女子にそんな態度とるから彼女の一人もできないのよ」
さすがに腹を立てた様子の梓乃葉だが、かぐつからしてみればこのニ人のやり取りは驚くほどいつも通りだ。
「そもそも俺らのグループにリア充は一人もいないよ」
かぐつは一旦開いていた口を閉じると一息入れてから言葉を返した。
「かぐつは黙ってて」
梓乃葉の言葉の丁度すぐ後、階段の方から声が聞こえた。
「ごめん、遅く、なった。みんな、いる?」
「この声、栞が来たみたいね」
境内までの階段を走って登ってきたのは梓乃葉の言う通り栞だ。
柔らかい白色セミロングの髪を揺らしながら膝に手を乗せ息を切らしてる。
「後は蓮が自販から帰って来れば全員だな」
「蓮が、自販……?」
純の言葉を辛うじて聞き取った栞が発する。
「俺はみんなの飲み物を買って来るから栞はベンチに座って息でも整えといてって蓮が言ってたよ」
「おまえ、それほんとに蓮が言ったのか?」
自分の時とはあからさまに違う態度に納得がいっていない様子の純。
「ええ。一語一句違えてないわ」
「蓮も蓮でキモいが、かぐつも相当だな」
「俺はただ言われた通り言っただけだよ」
「まぁ、それはいいとしてとりあえず栞は座りな」
差し出された梓乃葉の手をとって栞はベンチまで歩く。
「ごめん。ありがと」
境内への階段を上がってすぐ右側は高台になっていて祭の様子が一望できる。そこに置いてある一本の長いベンチに座る。
「蓮の奴遅いな。もうそろ花火始まるってのに」
純の言葉の後すぐ、狙ったかのように蓮は階段を上がってきた。
「悪い。待たせた」
「蓮来た?」
「ええ。来たわよ」
未だ息を切らしている栞の言葉に答えた梓乃葉はさらに続ける。
「別にそこまで待ってないわ。花火もまだみたいだしね」
「それは良かった。間に合ったみたいだね」
赤色短髪の蓮はベンチに腰掛けながら、右手にぶら下げてあるレジ袋から中身を取り出し配りだす。
「かぐつはカルピース、梓乃葉はミルクティー、栞はいろほすのオレンジ。俺がお茶っと。全員貰った?」
「うん。ありが——」
「おい。俺のは無いのか?」
かぐつのセリフを遮った純の手にだけペットボトルが握られていない。
「お金くれれば行ってくるよ」
それがさも当然のような様子の蓮とその他。
「は? さっきから俺の扱いが雑だぞお前ら」
「冗談だって。はい、コラ・コーラ」
蓮は笑いながらレジ袋から最後の一本を取り出した。
「なんだよ。サンキュー」
「ていうかあんた、自販行ったのになんでレジ袋があるわけ?」
「持参したんだよ。さすがに5本は同時に持てないからね」
そんなどうでもいい話をしていると、かぐつの目が夜空に溶ける小さな光を捉える。
「あっ」
「どうかしたか? かぐつ」
「純には見えなかった? 今何か上がったような……」
そう言い終わったのと同時に空に花が開いた。
「ギリギリセーフと言ったところかな」
咲いては散ってを繰り返すそれを見て安堵の表情を浮かべる蓮だった。
それからしばらく花火を見上げていた五人。
「ねぇ、みんな?」
栞が花火を見上げながらペットボトルの水を少し飲むと、ふと呟いた。
「何?」
声にわざわざ顔を向けて答えた蓮だが栞の視線は花火から逸れることはない。
けれど、声だけで誰が言葉を返したのかはすぐにわかる。
「蓮のは、知ってる」
「何のこと?」
「進路の、話」
栞と蓮と純の三人もかぐつと梓乃葉と同い年だ。そして、全員同じ高校に通っている。
「あー。もう卒業かよ。早すぎるだろ」
「純は、決まって、ない。なら、梓乃葉、と、かぐつ、は?」
「勝手に決めんな。まぁ、決まってないんだけどな」
「私は決まってる。都会に憧れてるから都会に行く」
その言葉を聞いてかぐつは無言で視線を一瞬だけ梓乃葉に逸らした。
「そうだったの……残念……なら、今年が、最後……なんだ……」
栞のことだから本人にはそんなつもりはないのだろうが、周りから見れば少々あからさまに落ち込みすぎだ。
梓乃葉の病状が暗くなったのは見なくてもわかる。
「けどまぁ、最近俺もここを出ようかなーって思ってたし、しょうがないんじゃない?」
少しの沈黙の後、視線を花火から逸らすことなく切り出したのはかぐつだ。
「かぐつは、ここ、出て、どこ、行くの?」
「まぁ、そこまでは決まってないけど」
かぐつは少し栞に悪いことをしたように感じて苦笑いを浮かべた。
「みんな、離れちゃうんだ……」
「栞………」
悲しそうな顔をする栞を見て悲しそうな顔になる蓮。
場の空気が少し重たくなったのを感じる。
「し、しょうがないだろ。みんなにも、ほ、ほら、やりたいこともあるだろうしよ。それに、もう会えなくなるわけじゃないんだし。最後まで楽しもうぜ。俺らだけの時間をよ」
タジタジに話す純だが、声音にはいつも以上に熱い何かが感じられた。
「純?」
栞は純を見つめて首を傾げた。
「なんだよ?」
「純に、しては、良いこと、言った」
さっきまでの暗い顔が嘘のように、にっこり笑った。
「まぁな。少なくとも俺はここに残るからよ。寂しくなったらいつでも会いに来いよな」
「私は遠慮しとくわ」
純の言葉に間髪入れずに答えたのは栞ではなく梓乃葉だ。
「おまえは来るな。むしろ来ても会ってやらねぇ」
「うわー。純のくせに生意気」
「うるせ。どっちがだ」
口論を続ける二人をよそにかぐつが口を開く。
「蓮はどうするの?」
「かぐつからそんなことを聞くなんて珍しいな。まぁ、答えとしては俺はここに残る。ついでに言うと栞もね」
「残る人の方が多いのね」
純との口論を適当なところで切り捨て梓乃葉が会話に入る。
「まぁ、ここでも十分楽しめるしよ。何よりここをもっと活発にしてやりてぇからさ」
「それあんたの夢なの?」
「まぁ、そんなところだな」
少し照れてるが自信に満ち溢れた様子の純。そんな純を見て皆目を丸くしていた。梓乃葉に関しては顔色が変わるほど驚いていた。
「純? だよね?」
栞は疑いの眼差しを向け純の額に手を当て熱を計るそぶりを見せる。
「な、なんだよ」
純は突然の栞の行動にあからさまに動揺している。
「今日の純なんか変」
「まともなこと言ったつもりなんだが」
「だから変」
「あのなぁ……」
顔と心が一気に冷え込んだ純だった。
「でも以外だな。純ってそんなこと考えられる人だったのか」
「まさか蓮にまで言われるとは……」
自分のキャラクターを少し考え直さなければと考える純であった。
それからは暗い雰囲気が消え去り、どうでもいい話に花を咲かせ、夜空に散りゆくさだめの花火を眺めた。
✳︎ 3 ✳︎
夏祭りが終わり帰宅途中。
しばらくは五人で同じ帰り道を歩いていた。
そして、今は分かれ道。栞、蓮、純の三人とかぐつ、梓乃葉の二人に分かれてそれぞれ帰り道についた。
「かぐつ、梓乃葉」
栞の呼びかけに振り返った二人。
「どうかしたの?」
あまり表情が変わらない栞だが、今はさらに固い。それにつられて、返事を返した梓乃葉もやや固い表情をしていた。
「行くところ、決まったら、連絡して。勝手に、行ったら、怒る」
「わかった」
「私もわかったわ」
もうすでに怒っているのではないかと思ってしまうほどの声のトーンと表情だった。
けれど、梓乃葉はそんな栞を見て、胸の中に暖かいものを感じていた。自分では気づいていないだろうが栞に返事をする梓乃葉の顔はとても優しい笑顔だった。
「じゃ、バイバイ」
栞も先ほどと一転して笑顔で手を振った。
「うん」
「じゃあね」
二人は手を振り返すと自分達の帰り道を歩き出した。
「それにしても意外だったわ」
梓乃葉とかぐつは昨日と同じ帰り道を同じように歩いていた。
違うのは夜道を照らす街灯、夜空に輝く星があることくらいだろう。
「純のこと?」
「そう」
「確かに。それは思った」
その言葉の後、少しの間静まり返った。
そして、唐突に少し真面目な表情で梓乃葉が切り出した。
「あのさ。かぐつ」
「なに?」
「ほんとはここを出るつもりないんでしょ?」
「まぁね。やっぱり梓乃葉にはわかってたんだ」
「昨日行かないって言ってたじゃん。それに、何年の付き合いさ。別に良かったのに」
頬を赤く染めてそう言っても信憑性にかけるだろう。
「俺はしたいことがあるならした方が良いと思ったからそう言っただけだよ。あ、でも、別に栞が——」
「大丈夫だよ。全部言わなくてもわかってるって。けど、ありがとうだよ」
「うん」
かぐつは照れて赤くなった頬をごまかすように違う話題を持ち出す。
「でも、梓乃葉は本当に出て行くつもりなんだね」
しかし、梓乃葉には夜の闇でかぐつの染まった頬は見えていない。
「ええ。それも昨日言ったじゃない」
「昨日は多分だっただったから」
かぐつのそれは単なる屁理屈なのかそれとも確信に変わったことへの焦りなのかはわからない。
ただ、どちらにしても聞いてみなければわからなかった。それだけだ。
「ふふっ。ほんと、昔からそういうところだけは変わってないもんね」
かぐつより先に2、3歩進み振り返って笑顔を見せた梓乃葉。
ちょうど街灯に照らされて、かぐつの目には梓乃葉の笑顔がより輝いて見えた。
「そ、それは、わからない」
かぐつは照れを隠すように視線を空に向けた。
「そっか」
なぜかわからないけれど、梓乃葉は先ほどよりも断然嬉しそうだ。
「ね、ねぇ。かぐつ」
「何?」
「本当にここから出る気は無いの?」
「うん。まぁ、面倒だし」
心の中ではそう返事が返ってくるのはわかっていた。 でも、梓乃葉は聞かずにはいられなかった。
思ったよりも早く返ってきた回答に少しだけ胸を痛めながらも黙って歩き続ける。
「……けど、梓乃葉が来いって言うならついて行くさ。どうせ、やること無いし」
予想外の回答に梓乃葉の鼓動が高鳴った。しかし、なんとなく嫌な予感がした。ただの思い込みかもしれない。そう心に保険をかけ冗談気味に、茶化すようにして返す。
「え? な、何それ。まさか、告白?」
「まぁ、そう受け取ってもいいよ」
「え?」
梓乃葉は思わず足を止めた。自分でも気づかないうちに手が口を覆っていた。
瞳には歩みを止めたかぐつが少しだけぼやけて写っている。
「う、嘘……?」
だんだんと小さくなり夜風にかき消された声。
それと対照的にゆっくりと顔が赤く、濃く染まっていく。ごまかしきれないほど濃く染まっている頬。
顔の周りに熱が帯びて妙に熱い。
しかし。
「嘘」
それはほんの数秒間だけだった。
だが、かぐつの言葉には重みが感じられない。
「はぁ。だ、だよね〜嘘だと思った」
梓乃葉は晴れない疑いを抱えてゆっくりと歩き出した。
「じゃなくもないんだけどね……」
かぐつは小さく呟いたあと、梓乃葉の後ろを歩き出した。
かぐつの小声の後、静まり返る二人。
「そ、そそれってどういうこと?」
また、梓乃葉の顔が赤くなる。
しかし、平静を装って歩みを止めることも振り向くことも梓乃葉はしない。
梓乃葉の後ろを歩いているかぐつには梓乃葉の顔が見えていない。でも、おそらく梓乃葉の様子はわかっているのだろう。
敢えて横に並び直さないのが梓乃葉の出方を窺っているように感じられる。
「さぁ。少なくとも今の俺は梓乃葉によっていくらでも変えられるってことだよ」
かぐつのこういうところが信用しきれない。いつも答えを濁して。男ならもっとはっきりして欲しいものだ。だがその怒りは裏返して見える感情があるからこそだろう。
「あんたの人生くらい自分で歩め」
梓乃葉はその怒りと恥ずかしさを紛らわせるためにかぐつの頭に軽く手刀をいれた。
まだどこかでかぐつの言葉を本当に受け取っていいのか、その言葉が本当なのか悩む自分がいてごまかすことしかできなかった。
「そうしたいのは山々なんだけどね。まぁ、これから探してみるよ。俺が存在した証拠の残し方。やる前から諦めるなって言われたし」
そう言って梓乃葉を見て笑った。
「見つかるといいね」
梓乃葉もいつの間にか熱が引いた頬を緩めた。
「うん。俺もそう思うよ。それじゃあ」
気がつけば梓乃葉は自宅の前にいた。
「あれ? もう着いてたの。じゃあ。バイバイ」
梓乃葉は少し悲しそうに手を振ると家へと入って行った。
その後ろ姿を見終えると夏の夜風に浸りながら、満天の空を見上げ、一人歩き出すかぐつだった。
今回初めて作品を執筆しました。
ですから小説自体の書き方や言葉使いにいたらぬ点が多々あると思っています。一応自分でも確認しましたが見落としなど発見しましたら連絡いただけると幸いです。
またそほかにも、感想やアドバイス、批判や評価なども待っています。