5話 意識無き夢の中
学術都市サンタパレスの中央にある礼拝堂。
昼は治療施設として使われ、夜は礼拝をする人で多くなる。
夜の静けさが、祈りの時間を正しいものへと導かれるのだということを皆信じて疑わない。
雨が上がり、数時間が経つ。
今日、その静けさは、破られることとなった。
蝋燭の火が灯る静寂の教会に、死にかけた二人が訪れる。
一人は廃屋の中で死にかけていた少女。
もう一人はとてもまともではない様相。まったく整わない息をしながら瀕死の状態のシャノンだった。
シャノンの顔にはどこかで跳ね上がってかかった血がべったりついている。
口からは血が流れた跡が残る。
左腕は腫れ上がりぶらりと下げたまま。
さらに太ももには廃屋を出た後に襲われた獣の爪痕と、その爪そのものが刺さったままである。
腹部からも出血しているのかボタボタと血は流れ出ており、両足は真っ赤に染まり切っていた。
その光景に、祈りに来ていた数人が驚きの声を上げる。
「だ、れか。治療、を」
かすれたその声で助けを求めた後、シャノンはその場で倒れた。
「……しゃ、シャノンじゃないか」
「まぁ大変!すぐに治癒士を呼んで頂戴。お湯が必要ね。こっちで沸かすわ!」
「おい、子供を背負ってるぞ!」
シャノンに気がついた人たちがすぐに駆け寄る。
ボロボロで黒ずんだ雨除けマントを取ると背負われた少女にも気が付き、固くシャノンと結んであった紐を切って一度椅子の上へと寝かせた。
「こいつぁひどい。なんて傷だ。ここにある薬草で足りるか?」
「足りるわけないだろ!たくさん必要だぞ。近くの奴に持ってこさせろ。近くの家じゅうからだ。店もすぐに開けさせろ」
「どっちもすごい怪我じゃないか。すぐ運ばないとだめだ。誰か手伝ってくれ」
「よしきた。せーので持ち上げるぞ」
「ジャッハさんとこに連絡入れとけ」
霞む視界。朦朧とする意識の中、シャノンは自身の体を数人に支えられる感覚でわずかに意識が戻る。
同時に精一杯出せる声で言う。
「あ、お、んなの子」
「静かにしてるんだ。安心しろ、あの子も面倒見る。まずは自分のことを考えろ」
礼拝に来ていた人たちが一斉に動き出している。シャノンはその中であの少女を探す。体は動かない。
どうにか視界に映る範囲で探す。
「あたらしい包帯と、きれいな布だ。あと水!急げ馬鹿野郎!」
「止血の軟膏まだか!麻酔薬用意!あとだれでもいいからシャノンちゃんに声かけて」
「シャノンちゃん。気をしっかり持って。ダメ、生きなきゃダメ。がんばって」
薄れゆく意識の中、シャノンは同じように抱えられる少女の姿を見る。
少女に意識はない。
慌てながらも力を合わせて助けようとしている人々。
そしてその向こう側。
「あ、なたは?」
少女を心配するように見つめるひとりの女性の姿を目にした。
それは廃屋の中で一瞬で消えてしまった黒いドレス姿、金の髪、赤い瞳の女性である。
教会の椅子に座り、一人少女を見つめている。
シャノンと少女を治療する人々には全く見えていないのか、だれもその女性を気に掛けることはない。
ふと視線に気が付いたのか火にも似たその赤い瞳をこちらに向ける。
鋭い眼光ではあるものの決して敵意のある目ではない。
シャノンの問いには答えず、黒いドレス、赤い瞳の女性はすっと立ち上がると口元が動く。
――――礼を言う。なればこそ、今お前を救おう
赤い瞳の女性の声は聞こえなかった。だが、確かに口はそう動いていた。
シャノンはゆっくりと目を閉じていく。
同時に直感する。少女が助かることに。
それに安心し、意識は暗闇の中へと落ちていった。
――――だが、お前が助けた少女は、死ぬべきだったのかもしれない。
暗闇の中、声が響く。
シャノンが聞いたその声に感情の揺らぎはない。
ただ冷たく、凍えるように言い放つ。
どうして、と聞き返すこともできずシャノンは暗闇のなかをまどろむ。
――――我ら、女王の過ちであるその少女
懺悔のような言葉の後、暗闇を見ていたシャノンの視界は激しい光と共に一変する。
――――生まれることすら祝福されなかった。
その視界は、炎で埋め尽くされていた。
赤く揺らめくそれはすべてを飲み込み、視界の全てに映る。
草も、土も、建物も、人でさえも。
崩れゆく建物。街と呼ばれるべきそれは業火に包まれ、今まさに終焉を迎えようとしていた。
その場所をシャノンは知っている。
雨をしのぎ、少女を助けたその場所。かつて街であった場所。
ポルトクリフという場所である。
シャノンの記憶の中にもある、2年前。
夜の空をも真っ赤に染め上げる業火が、ポルトクリフを包み込んだ。
なぜそんなことになってしまったのかは誰にもわからない。
サンタパレスからも救援を送るも全く間に合わず、なす術なく、その全ては焼き払われた。
そして生存者はだれもいなかった。
シャノンの視界は、まさにその2年前のポルトクリフの真っ只中にあったのだ。
熱さはない。
これが夢だからである。
だが、シャノンはこんな夢を知らない。
はっきりしない意識の中混乱していると炎の中に影が見えた。
数は、8つ。
影は炎の熱で揺らめいているが、全員がドレスのようなものを身にまとっている。
その影の中で、距離が近い二人の姿をシャノンは確認できた。
一人は空中に座り、その腕にシャノンが見つけた死にかけの少女を抱いている。
少女はぐったりとしており、動く気配はない。
そしてもう一人は、あの黒いドレス、赤い瞳の女性である。
その眼光は教会で見たものとは全く違い、敵意、いや殺意をむき出しにしている。
瞳は深い呼吸と共に、金色と緋色に明滅しており、怒りの感情が取るようにわかった。
――――少女の為に、街は死んだ。
沈んだ声が聞こえた。
視界に映る赤い瞳の女性はまるで空を破るような咆哮を上げたあと、その口から爆炎を何度も何度もポルトクリフの町に向けて撃ち放つ。そのたびに、大地は草木も残らず焼けていく。
少女を抱いた女性は手を空にゆっくりと掲げると、空からポルトクリフへ燃え盛る巨大な岩盤がいくつも降り注ぐ。落ちたそれは大地を跳ね上げ、ある物全てを破壊していく。
残りの6つの影も動き、ポルトクリフを破壊していく。
さらに燃え上がるポルトクリフ。
焼けた白い石だけが残骸として残る。地を焼き払い、なにも残らないように壊していく。
この光景が、シャノンが助けた少女の為に行われている。たった一人の少女の為に。
――――夢であればと、どれほど願ったか。だが叶いはしなかった。
また、シャノンの視界は強い光と共に一変する。また暗闇にもどった。
ふと正面に、赤い瞳の女性がシャノンの方を向いていた。
美しい白い肌。そのほほに涙の跡が残る。
――――もしも、お前が願いを聞き届けてくれるのであれば
そっと、赤い瞳を閉じ、
――――あの子を、殺して、あげて
そう言葉を残すと、女性はシャノンの意識から消える。
シャノンの意識はさらなる暗闇へと落ち、もう声も聞こえることはなかった。
深い眠りの中にあるシャノン。
その傷ついた体は、今少女と共に治療台の上へと乗せられ、治療が続けられていた。
夜遅くだが、4人の治癒士が治療を行っている。
礼拝で来ていた人たちも、手に血をまとわせながら、手助けできるすべてを引き受けている。
「こ……これは。いかんな」
治癒士の一人がにじむ汗をぬぐってもらいながら言う。
シャノンは、引き裂かれた足とは別に、腹部、また右腕に大きな傷があった。
そこには数本の獣の牙が深々と刺さったままである。
腹部の傷は体の内側をひどく傷をつけていると思われ、下手に治療をしようものならすぐに命を落としてしまいかねない。
そもそも生きているのが不思議なくらいである。
教会には十分な治療設備は整っているものの、それでもシャノンの命を救えるかどうかは賭けに等しかった。
一方シャノンが背負ってきた少女のほうがまだ安定している。
体温はシャノンの応急処置とマントにくるまれて運ばれたためにそれほど低下しておらず、呼吸に混じるノイズのような音はほとんどない。
足の傷はひどかったがこれも血が固まっており、余計な出血がないので治療を施せば問題なかった。
「女の子助けて自分が死んだら意味ないだろ。なんとしてでも生かすぞ」
「牙を引き抜くのと同時に止血する。手が足らん。女の子の治療が終わったら手を貸せ4人でやるぞ」
「魔術道具を用意しろ。輸血だ。礼拝に来てる人たちから輸血だ、輸血」
シャノンに治癒士4人がかりで、治療をする。
透明な容器の上に緑色の宝石が乗った器具をもって礼拝堂に設置。治癒士が言ってた魔術道具である。
宝石にシャノンの血を数滴たらし、その宝石の近くに礼拝に来ていた人たちの腕を近づける。すると、宝石は赤くなる。
「よし、血が適合してるな。ちょっとでいい、血を分けてくれ」
宝石が赤くなれば、シャノンと同じ血であるとわかるのだ。
あとは、ナイフで血を出して透明な容器に入れていく。これで輸血用の血を集める。
十数名から血を分けてもらうと、透明の容器の中に、別の透明な宝石を浸す。
宝石はみるみるうちに真っ赤になり、血をすべて吸い取っていく。
「輸血の用意はできたぞ」
「右腕の裂傷から血を入れよう」
治癒士の一人が真っ赤になった宝石をシャノンの右腕の裂傷に食い込ませる。
すると、宝石は今度は逆に血をゆっくりと吐き出し始めた。
これでシャノンの中に血が入っていくことになる。
「よし、牙を抜くぞ。止血用意しろ」
治癒士が言うと、腹部に食い込んだ牙をゆっくりと引き抜いていく。
大量にあふれ出る血と、傷がついた内部を想像していた治癒士が驚きの声を上げた。
「えっ?血が、ほとんど出てない。中もきれいだ」
「こりゃぁ運がいい。ここが大丈夫なら、いけるぞ」
すぐに傷を縫い合わせ、軟膏で止血する。
牙が食い込んだ箇所は腹部。数か所に及ぶが、どれも体の中の内臓を傷つけることにはなっていなかった。
……正確には、抜いた直後に治癒したのだが。
治癒士も手伝う礼拝者もそれには気が付いていない。
眠るシャノンの体の中を莫大な魔力がいま生命力としてあふれていることに。
シャノンの再生能力は、人の何倍も上がっている。
シャノンは死んでいておかしくなかったのだ。
ナイフを抜いて覚悟を決めた後、礼拝堂にたどり着くまでにシャノンは死の体験をしている。
左腕は、オオカミの一撃で噛み砕かれ、得物を押し倒すために右腕は引き裂かれた。
2匹に組み付かれた後、3匹目が腹部にかみつき、シャノンを食いちぎるために振り回す。
ナイフでかみついたオオカミを刺し殺すも、その際に投げられ顔から地面に落ちる。
倒れたシャノンを食らおうと襲い掛かるオオカミを足でけん制し、爪で引き裂かれ、激痛のままナイフを振るって次のオオカミののど元に偶然刺さし倒す。
次にシャノンの頭を狙ったオオカミは、ナイフを加えたシャノンをおもいっきり噛み、口の中からナイフで引き裂かれる。
最初に倒したオオカミ含め4匹も殺され、残りの2匹は逃げた。
失血死は免れようもないシャノンではあったが、その時には体中を巡る莫大な魔力がシャノンの命を、サンタパレスまでの道のりをさせていた。
そうでなければ、今頃はオオカミの餌となっていただろう。
傷はすぐにふさがり、血は止まる。
砕かれた骨は支え木もいらないほど元に戻っていく。
どれも治癒士たちが気が付かないほどではあるが、シャノンの容体は安定に向かっていた。
輸血もしっかりと行われ、体は急速に回復へと向かっていく。
「こ、これなら何とかなりそうだ。いつになく治療が早い」
「二人とも、助かりますかね」
「大丈夫だ。ここまでくれば安心だろう」
治癒士はシャノンの容体に息をつく。
細々とした息は、気が付けば安定している。上下する胸も、一定のリズムで落ち着いていた。
流れ出る血は徐々に止まり、開いた傷はきれいにくっつく。
シャノンを助けた、体中を巡っている莫大な魔力。
それが夢の中の女性のおかげなのかどうかはだれもわからない。
だが終夜を徹して行われた治療は成功する。
少女とシャノンが教会に併設された診療所のベッドに移動したときには、山の向こうから朝日が差し込み、白んでいた空は明るいオレンジ色に変わる。
草木に水滴が光り、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
町にいつも通りの朝が訪れる。
教会の礼拝堂には、治療のために疲れ切った人々が場所も選ばずに寝ていた。
治癒士も役目を終えると、同じように礼拝堂の椅子に体を預けて眠りに入る。
たくさんの人の助けを得て、全員が、今は静かに眠る。
死にかけていた少女と、シャノンは助かったのだった。