3話 死にかけの少女
シャノンのお仕事。臨時担当になったのは前線都市マルクダイム。
シャノンがいる都市サンタパレスと同じく連合国家シャルドハークに属し、シャノンが働く学術都市サンタパレスより東に位置する大きな都市。南側領地の極東に位置している。
往復で6日もかかるため往来する人はそれなりの用意をする必要があり、交易路はあるもののそこまで頻繁に行われていない。
連合国家シャルドハークの国境の境目にあるため大きな城塞を持ち、学術都市サンタパレスのような賑わいはなく、少し殺伐とした雰囲気が広がっている。
今では大規模軍隊が都市の半分を占め、前線都市マルクダイムは戦場の都市となっている。
前線都市の由来でもある。
現在、敵国である東側の軍勢と頻繁にぶつかり合っていた。
戦争状態である。
「そりゃぁ手紙の量も多くなりますか」
サンタパレスでマルクダイムからの手紙を待つとはそういうことだ。
戦場で戦う人たちからの手紙は生存報告に他ならない。
誰もがマルクダイムからの手紙を待っており、必ず届けなければいけないという使命が今、シャノンに課せられていた。
シャノンは日も昇らない真っ暗な朝から郵便屋で支度を整える。
いつも使っているカバンを肩に下げ、中には片道分の携帯食料。応急処置用の道具、薬草一式。
街の外へ出るとき必ずつける5つのナイフをしまったベルトを腰に下げ。
その上に雨除けのマント。最後にハンチング帽をかぶって支度が終わる。
気合を一つ入れると、
「行ってきます」
誰も出社していない郵便屋に向かって頭を下げシャノンはサンタパレスを出た。
向かうマルクダイムは前線都市だけあって後方からの支援物資を確実に届けるために街道は整備されており、山、谷を越える必要はない。
平坦な道であり、街道さえ外れなければ野生の獣に遭遇することも稀である。
距離で言えばかなり遠く中継地となる街もないが、郵便屋の手紙を取りに行く仕事としては楽な方である。
サンタパレスを出てしばらくするといつもの朝日がシャノンを照らす。
朝焼けの空には雨雲はなく、また空の向こうもまだその気配はない。
シャノンは片道は天候に恵まれそうだ。と予想する。
実際その予想は当たり、マルクダイムにたどり着く3日間の道中は何のアクシデントもなかった。
「やー着いた着いた。私のクビがかかっているので余計なことは無し。ささっと終わらせちゃいましょう」
マルクダイムに着くとシャノンは郵便屋マルクダイム支店へと入った。
郵便屋に入る前からだが、やはり前線都市というだけあって騎士、剣士はいたるところに見受けられる。
それを横目に手紙の収集場所に行き、カウンターで手紙を取りに来たと伝える。
カウンターでは無精髭を生やしたちょっとだけうさん臭そうな人が口の滑りがよさそうに対応してくれた。
「お、サンタパレスの郵便屋か。いつものあんちゃんはどうした」
「怪我したんで、代わりでっす」
「そうかい、ちょっと待っててくれ。仕分けがもうすぐなんだ」
「待ちますよ。仕事ですもん」
「にしても女で郵便屋たぁ珍しいな。それも外回りで」
「私も私以外に女の子の郵便屋は見たことないんですよ」
「街と街の間を駆けるからねぇ、ここより南は場所によっては危険なところが多いんだろう?」
「ですね」
「ま、ここに限っては街の方が危なそうだけどな。戦争ってのは、嫌になるねぇ」
「戦争で手紙が増えてお仕事がたくさんあるのも、喜べないですしね」
「そうだな」
手紙を出しに来る人もほとんどが騎士。そして傭兵。
戦争は激化はしてはいないが、それでもいつ出撃命令が下されるかわからい。
相手の攻勢しだいでは、いつ命を落とすかわからなのだ。
シャノンが担当してきたところとは、手紙を出す人の表情も、やはりどこか暗く見えてしまう。
ふと、シャノンと同じくらいの男の子を目にする。
「あ、あんな私と変わらないくら位の男の子も戦争に?」
「剣を背負ってるだろう。ありゃ、傭兵だな」
「……終わってくれないですかね。戦争」
「もう聞き飽きた願いだな。そりゃ。さ、手紙の仕分けが終わったようだ。帰りの食料と一緒に持って行ってくれ。くれぐれも、失くさないよう大事にな」
どさりと置かれた手紙は200通を超えている。それと帰りの携帯食料を合わせてバッグに入れると隙間もなにもないパンパンに膨らんだ。
手紙も1通に1枚の手紙であればいいのだが、ここでは感情のこもったものが多い。
想いの数が手紙の数となっているのだ。中には、形見を送ろうと小さな宝石まで入っているものもある。
「うっ、そして重い」
郵便屋の仕事はほとんど体力勝負である。
男性が多く、女性であるシャノンが珍しがられるというのも無理はない。
シャノンはいっぱいに詰まったカバンを肩にかけると、気を付けて行けよという声を背中に受けながら郵便屋を出た。
できれば、前線都市マルクダイムを見て回りたい気持ちはあったが、手紙の重さと郵便屋で聞いた話もあって、シャノンはそれを断念した。
こんな街だからこそ困ってる人はたくさんいる。
普段であれば、目についた困りごとには首をことごとく突っ込んできたが、ここだけは、そう簡単に踏み込めない人たちが多いのだろうと思った。
郵便屋を出て見上げた戦火の空は、心を濁すような煙でいぶされた灰色だった。
こうしてマルクダイムからの手紙をもって出立したのだが、何事もなかったのはそこまでである。
空を見上げ天候を確認すると、空の向こうに見える黒い雲。
春の薄雲とは違いかなり盛り上がっている。雨の気配は近くに感じた。
春の季節といっても、冬と春の間は天気が変わりやすい。
オルナレシア大陸の春というのはそういうものだ。
と、シャノンはそんなことを思い出しながら、急に降り出した雨に打たれ始める。
学術都市サンタパレスまで半日を超えたところまで降り出さなかったのは幸いだったのかもしれない。
「うぅ。間に合わなかったよ」
郵便局員として街と街の間を何度も行き来しているシャノンにとって雨雲を見つけることは容易だが、それと雨が降る前に退避できるかは別である。
おまけに今回は臨時のお仕事で、こちら側の天気事情にはあまり詳しくない。
体は雨除けのマントで覆っているが、頭はお気に入りのハンチング帽だけ。
びしょびしょになりながら雨宿りできる場所を探してひた走る。
「このあたりに森はない。林じゃ雨除けには十分じゃない。となれば、寄りたくなかったけど行くしかないか」
シャノンが思いついた雨除けの場所は、帰り道から外れる場所になる。
森のような場所ではなく建物がある場所だ。
とはいえそこは街ではない。かつて街だった場所に当たる。
空を見ればまだまだ降り続きそうな雲行き。青かった空はもうどこにもなく、暖かな日差しの代わりに降り注ぐ冷たい雨。春の始まりというが、それは冬の終わりでもある。まだ雨は冷たい。走るシャノンの息もいつの間にか白くなっていた。
帰るためのルートを外れると次第に草原の草は小さくなっていき、そして土があらわになっていく。
雨で緩んだその地面を蹴ってひた走ると、次第に人工的に加工された石が無造作に転がっている場所へとたどり着く。
「あともう少し。さすがに手紙を濡れさせるわけにはいかない」
雨除けのマントを羽織っているとはいえ、長く雨に打たれれば水は浸透してしまう。
手紙もそうだけども、シャノン自身の体力も雨で相当奪われていた。
どうにしても雨宿りの場所は必要である。
急ぐシャノン。シャノンは自分の足元に別の足跡があったことには気が付かなかった。
しばらく進むと、かつて道だったような場所が現れる。そこまで来ると建物だったと思わしき石組みのものも増えてきて、ここがかつて町と呼ばれた場所だということがわかる。
シャノンは走る速度を落とし、雨宿りの場所を探した。
ふと石組みで作られた建物を見つける。
そこは町だった場所の中心にあたり、幸いなことにしっかりと屋根も残っている。
えり好みできる状況でもないので、シャノンはすぐにそこに入り込んだ。
「ゴール。ひゃーずいぶんと濡れたかなぁ」
白い息を吐きながら呼吸を整える。
と同時にマントの下のバッグを見て、手紙は一通も濡れていないことにほっとした。
「ずいぶんと帰り道を外れたなぁ。あぁ、また局長に怒られる。それに」
ふと目を落とした自分の太もも。
街と街を行き来するために必要な自分の体。とはいえ、街娘と比べても明らかに太い。
全部筋肉であることはたしかで、今も3時間ほど走り通して見せた。
昨日の配達先であるナターシャとは大違いだ。
「あー……考えたって細くはならないよね。まぁいっか」
一瞬、結婚とか恋人とか、そういうことを考えてはみたが、どうもシャノンにはそんな自分が想像できないようで気にしないことにした。
ちなみにではあるが、容姿は以前ナターシャに褒められたことがあったりする。
胸はそれなりだし、侯爵ともどもパーティーに出席してほしいと言われたこともある。
もちろん本人はそんなこと全く思っておらず、社交辞令かなにかかな?ぐらいにしか考えていなかった。
そんなことを考えながら雨に濡れたマントを脱ぎ、ばたばたと滴を落とすとバッグを降ろし、腰につけていたナイフ5本をベルトごと外す。
雨はまだ止みそうもない。
止むころには夕方を過ぎるかもしれない。
街道を外れてしまえばぐっと危険度は上がる。
仕方ないがシャノンは一夜をここで過ごすことに決めた。
朝を迎えて行動することが賢明であると判断したのだ。
「さて夜を過ごすのに食べ物はあるけど、暖が取れないかなぁ」
ふと視線を建物の奥へとやる。
以前は街だった場所の建物。灯りは当然なく暗闇がそこにあった。
そのまま捨て置かれているようで埃がたまってはいるが、探せばいろいろありそう。
シャノンは本でもあれば儲けものと考えた。燃えるものであれば歓迎である。
ベルトごとおろしたナイフのうち、赤い柄のナイフを抜く。
刃渡りは20センチほど。反りが大きく銀色の刃には赤い宝石が取り付けられている。
「機嫌がいいと助かるんだけど。えい」
シャノンは声と同時に、人差し指で刃に取り付けられている宝石を軽く叩く。
すると宝石の周りに小さな魔法陣が現れ、ナイフの切っ先に小さな火が灯った。
もちろん暖が取れるほどの暖かさはないが、ランプ代わりになるしたき火をするための火種にもなる。
「よーし。いい子いい子」
手に持ったランプ代わりのナイフは握っているシャノンの魔力を吸い取り赤い宝石をたたくことで火を出す魔術道具。
使う人が使えば大きな火を出すこともできるが、シャノンにはそんな素質はなかった。
たまに火がつかないことがあるが、小さな魔力しか持たないシャノンの魔力切れが原因である。
ナイフの機嫌云々ではないが、シャノンはそんなこと知らない。
ともあれ、暗闇を進むには十分な灯りを得たので、早速建物の中を探ってみることに。
外側は石作りだったが内装は木でできていた。
なにかに襲われたのかいたるところにものが転がっており壊れている。
よくみれば焼け焦げた跡も残っている。
この場所がこうなった経緯はわからないまでも、とてつもない何かが起こったことが伺える。
「まぁでも放置されてたらこうなるよね。んー燃えそうなのはあんまりないなぁ。最悪壁の木でもはがして使うしかないかも」
少し奥に進むとそこに下へと続く階段があった。
ナイフの火で下を覗いてみると結構深いようだ。灯りに照らされて埃が舞っている。
と、ようやくここでシャノンはあることに気が付く。
何かが擦った跡が階段についていた。そこに積もった埃がなく、必然的に最近ここに何かが来たということを示していた。
その痕跡は足跡でない。そのためか、人か獣か。シャノンは思考を逡巡させる。
と、同時に、階段の奥に本があるのが見えた。
「あぁ、こういう時に奥に進まなくちゃいけないとは。自分の幸運を信じなくちゃいけない状況は好きじゃないよう」
文句の言葉は階段の奥の暗闇に吸い込まれて消える。しかし、暖は取らないと一夜を過ごせない。凍えた体は急速に体力を奪ってしまう。そうなれば、サンタパレスへの帰還も難しい。
意を決してシャノンは階段を一歩一歩進んでいく。いざという時は手に持ったランプ代わりのナイフが頼りである。
暖には壁の木を使ってもいいけど、倒壊の危険はあるし何より何がいるかは確かめないと眠ることもできはしない。
慎重に、心臓の音がはっきり聞こえるほどに高鳴らせながらシャノンは地下へと降り立った。
目線を落とすと、擦れた痕跡はさらに奥へと続いている。
「だーれか、いませんかー?いるなら返事は鳴き声以外がいいでーす」
恐る恐る声をかけてみるが、返事はない。
「恐ろしいなぁ。獣でも出てきたら勝てっこないよぅ」
弱音を吐きながら、ナイフの先の火で辺りを見渡した。
そこはおそらく書庫と思われる場所だった。倒れた本棚、散乱しているのは埃をかぶった本、本、本。一つ手に取って埃を息で払うと、それは誰かが記述した魔術本らしいことだけはわかった。
シャノンも以前どこかで見たなぁとつぶやく。
一応本棚も木でできているので崩してしまえば暖を取ることはできそうだった。
「燃えるものは確保。それでも奥は見ないといけなさそうだ。一応この部屋で地下は終わりみたいだからね。にしてもすごい本だよねぇ」
周囲をもう一度照らしてシャノンは息をつく。
圧倒的な本の量。数百冊はありそうである。こんなに本がある場所と言えば王都シャルドハークに限られそうなものだ。
「これも魔術本、こっちも。あぁ、頭いたくなりそうなのばかりだ。こっちも本、これも本、あれも本、あっちは女性で、それも本……」
周囲を照らしていたシャノンの動きが止まる。
左から右へ確認していた中で見てしまったそれにシャノンは血の気が引くのを感じた。
確か正面。
一番本が崩れ、山になっていたそこに女性がいたように見えたのだ。
恐る、恐る、灯りを正面にしたとき、
「うひゃぁあああっ!?」
シャノンは叫びをあげた。
本当にそこに女性が座っていた。
それもこんな場所にはふさわしいとは到底思えないその容姿。
煌めくような金色の長い髪。白い肌と強烈なほど鋭い威圧の赤い眼光。黒いドレスをまとった女性の姿。
だがそれも一瞬。その女性はふとその場で姿が消えてしまった。
まるで、そこに存在しなかったかのように。
シャノンは唖然とする。と同時に、その本の中に一人の少女がうずもれているのを発見する。
目をこすってもう一度見直すが、そこにはやはり本にうずもれた少女がいるだけだった。
まだ高鳴っている心臓。胸を手で押さえながらゆっくりと少女に近づく。
「女の子?」
確かめるまでもなく女の子。シャノンは本をそっとどかしてみる。
「ちょっと、え?これって……」
シャノンは驚く。女の子のその姿。
ただ、布を一枚まとっているだけである。
よく見ればその布もずたボロ。顔にも手にも流れ出た血がついている。そして強烈なのは足。爪は完全にはがれて、目もそむけたくなるほどに真っ赤だった。
触れれば首元が冷たい。荒く苦しそうな息と、早く上下する胸。
シャノンは理解する。
そう、女の子は、死にかけていた。