第6話
「では、考古学部の入部試験の問題はこれでいいでしょう。学園としては承認したいと思います。
次の議題も對馬先生の事なんですが、女子バスケット部の生徒達から学園に嘆願書が出されています。
それについて女子バスケット部の顧問である山口先生から説明があります」
女子バスケ部顧問は山口亜理紗と言う二十二歳の女性英語教師である。
彼女は小学校卒業と共に公務員の父の転勤で、両親と共にアメリカに渡った。
亜理紗はは優秀な子だった。
アメリカの中学・高校とそれぞれ飛び級で進級し、16歳で家族と日本に帰ってきて拓朗と同じ日本最高学府の大学に進学したという才媛である。
亜理紗は年齢的には拓朗の一歳年下だが大学では先輩だった。
亜理紗の祖母がロシア人とのハーフなので、彼女はワンエイスハーフクオーターとなる。
日本人ばなれしたスタイルの良さと、長いまつ毛でどこか幼さを残す端正な顔立ち、髪は美しい栗色をしている。
いわゆるブルネットであるがどんな手入れをすれば、これだけすばらしいキューティクルを保てるのか。
妖精のように美しく清楚で童顔な彼女は、この学園に赴任してから男性教師や生徒達の憧れでありアイドルでもある。
亜理紗は去年この松涛学園の女子バスケ部の顧問に就任して、高校バスケット界でも、そのルックスやスタイルの良さから妖精監督と言われ都内でも有名である。
テレビのニュース番組の取材もあったほどだ。
アメリカに恋人がいるという噂だが、週に一度は男子生徒から告白されているらしい。
アメリカにいるときに始めたバスケットは大学では続けていたが、いまでは後輩の指導に重きを置いている。
拓朗がこの学園に赴任して来た時、亜理紗は大学の後輩が来たと喜んでくれた。
後輩になにかと世話を焼きたがる亜理紗に拓朗は感謝していたが、男子職員や生徒からやっかみも受けた。
それを察した亜理紗が距離を置いてくれるようになり現在に至っている。
「山口先生、お願いします」
という教頭の声に立ち上がった亜理紗は、会議室のドアをあけ外にいる生徒に合図をした。
すると機材を持った女生徒が数人入って来た。女子バスケ部の部員である。
亜理紗は会議室の備え付けのスクリーンをするすると下ろした。
女生徒達はプロジェクターとノートパソコンをセッティングしている。
「えー、女子バスケ部顧問の山口亜理紗です。
これから皆さんに對馬先生の高校時代の動画をお見せしたいと思います。
これは、5年前の高校総体、つまりインターハイで男子バスケットボールの決勝戦の模様です。
国営テレビで放送されたもので、場所はここ松涛学園の第2体育館です。では遮光カーテンを閉めてください。10分程に編集して纏めてあります。じゃ、松本さんお願い」
室内が暗くなりスクリーンにバスケの試合の模様が映し出された。
そしてアナウンサーの声が部屋中に響き渡る。
女子バスケ部の部員たちは入り口近くに整列して並んで画面を見ているが、15人位いるだろうか。
『さあ、このインターハイ決勝である○○県代表の神城高校対○○○県代表の湘東大付属高校の試合も残り3分となりました。ここまではこの大会で屈指の得点力を誇る神城高校のポイントゲッターであるパワーフォワード對馬選手の活躍で神城高校が25点もの大量リードしております」
画面に拓朗の顔がアップになる。この頃は髪も短くて眼鏡も掛けていない為、今の拓朗と外見上はほぼ一緒である。
「「おおぉ、對馬先生だっ」」
会議室から歓声が起こる。
場面では拓朗が相手のパスラインを読みインターセプトしてボールを奪い速攻に入った。
拓朗は思った。
―――たしか、ここでは結構派手なダンクを決める筈だ。試合も決定してるし、この試合で最後だから、思いっきりダンクを決めてやろうと思ったんだよな。
場面ではアナウンサーが絶叫していた。
『對馬選手ぅ、ダーンク!!ダンクシュートを決めました。おやっ、ホイッスルが有ったようです。
どうやらディフェンスチャージングがあった模様です。解説の仙道さん今のはなんでしょうか』
『あれは、對馬君が相手の反則を狙ったんですね。ほらバスケットカウントワンスローになったでしょう。
對馬君がわざと湘東大付属高校の選手に追いつかせて反則をさせたんですよ。今の高校生では對馬君の速攻に追いつくのは難しいと思います。湘東大付属高校の選手は對馬君の背中を手で押してしまったんですね。しかし見事なダンクシュートでした』
『すごいですね、對馬選手はそこまで考えてやってるのですか』
『はい、神城高校は1月の国体でも優勝していまして、對馬君は最優秀選手になっています。それで日本代表選手に選ばれているんですよ。今年の3月にアメリカ遠征に行った時、あの技術を憶えたんだと思います』
画面は神城高校の応援席を映している。神城高校は男子校なのでほとんどが男子だがちらほらと女子もいる。
その女子の中にまだ小学生らしき子もいた。
拓朗がちらっと女子バスケ部のほうを見ると進藤結衣がにこにこして、あれが私ですというようなジェスチャーをしている。
フリースローも決まって拓朗がディフェンスに戻るシーンで顔がアップになる。
満足そうにチームの仲間にウィンクしていた。
この後、表彰式の場面に変わり、拓朗が最優秀選手に選ばれたシーンが映った。
画面の中の拓朗は仲間に揉みくちゃにされていたが嬉しそうに微笑んでいた。
動画が終わり照明が灯されると女子バスケ部員が機材をテキパキと片付ける。
そして、亜理紗が話し始めた。
「皆さん、ご覧になったでしょうか。ここにいらっしゃる對馬拓朗先生は高校時代、日本代表選手に選ばれるほどのバスケの選手だったのです。私も部員が持って来たビデオ動画を見まして思い出したことがあります。
私がまだロサンジェルスに住んでいた頃、私の通う高校にバスケの高校日本代表チームが親善試合に来たのです。
その時私は日本語通訳として学校から依頼され彼らの窓口になりました。私もバスケをやってましたので親善試合は興味深くみました。そして日本代表チームのポイントゲッターである對馬拓朗のプレーに魅せられてしまいました」
ここまで亜理紗が説明した時には拓朗も気付いていた。
(ああそうだ、あの時の女の子は山口先生だったんだ。そういえばあの時貰ったメモはどうしたっけ…
ああ、そうだトーコに取り上げられたんだっけ。あの時はフーコも怒ってたよなあ)
亜理紗の話は続く。
「そして、日本代表チームが次の親善試合に向かうためロサンジェルスを離れる時、私は彼、對馬先生に連絡先を書いたメモを渡しました。私はその数ヵ月後に家族ともども日本に帰る予定でしたから、日本での連絡先も書いておいたのですが、ついに今まで彼からは一度も連絡はありませんでした」
亜理紗は恨みがましそうな目で拓朗を見る。
「ああ、ええっと、あのメモはやっかんだチームのメンバーに取り上げられて…その、どこかに…」
拓朗は苦しい言い訳をするが亜理紗は話を続ける。
「拓朗、いや對馬先生はあの時、多くのアメリカの大学から留学を勧められていました。
ですから私は對馬先生はアメリカにいるものと思っていました」
その時バスケ部の松本 詩織が思わず聞いてしまった。
「じゃあ、亜理紗先生が言ってた『アメリカにいるはずの恋人』って對馬先生の事だったんですか」
これには会議室にいる全員がぎょっとした。
拓朗は呆然としている。
亜理紗は拓朗を見て頬を赤くして俯いてしまった。
「…………………」
否定も肯定もしないで頬を染め黙って俯く亜理紗を見て、女性陣全員が肯定と受け取ってしまう。
男性職員らは顔を赤らめ俯く亜理紗を見て、珍しいものでも見たような顔をしている。
普段の亜理紗は何事も堂々と毅然とした態度で臨んでいるし、可憐な外見からは想像も出来ない位はっきりとものを言うタイプである。
こんなしおらしい姿は見たことが無い
男子生徒からの告白の返事もほとんどが「お断りよ、立場を考えなさい」の一言である。
それでも亜理紗は学園でナンバーワンの人気を誇るマドンナである。
「……………」
なんとも言えない沈黙の中、バスケ部キャプテンの佐々木里奈が前に出た。
このままでは会議が進まないと思ったのであろう。
亜理紗の話は完全に議題から脱線している。
「亜理紗先生、私の方から話した方が良いのでしょうか」
「そ、そうね、今日の私は對馬先生の前では自分を見失ってしまうみたい。ちょっと席を外します。
里奈、お願いね。すぐに戻ります」
亜理紗が会議室を出て行くとバスケ部の女子も何人か亜理紗の後を追って部屋を出た。
その中には詩織の姿もあった。
おそらく亜理紗に謝ろうと思っているのだろう。
「對馬先生、先生がバスケの高校日本代表だったと言うのは間違いないのですね」
と、拓朗の隣の席に座る中沢優奈が聞いてくる。
「ええ、まあ、昔の話ですが」
「何かスポーツをしてるのかなって思ってましたけど。すごい人だったんですね。
でも何故、辞めてしまわれたのですか」
「大学受験の勉強で目を悪くしてしまったんですよ。それでバスケは諦めました。
それに考古学に出会いましてね。夢中になってしまいました」
―――トーコに目を悪くされたんだよな。早く帰ってこないかな。あ…いや紀香達のことはどうすれば
「まあ、そうだったのですか。でもそれで先生は考古学というすばらしいものに出会ったのですから良かったですよね。人間万事塞翁が馬と言いますが本当ですね」
「ありがとう、中沢先生」
優奈は拓朗と話せたのが嬉しかったのか頬を染め満面の笑みだ。
「でも對馬先生、先生は毎朝校庭のトラックを走っていますよね。私達は夏休み中、朝練に出てましたけど先生が走っているのを見ました。その姿はすごく綺麗で最初は陸上の選手かなと思いました」
里奈はきらきらした目で嬉しそうに話す。
アスリート少女を地で行くようなショートヘア、端正な顔立ち、スリムな体型と三拍子そろった里奈である。
拓朗の好みのどストライクである。
―――フーコによく似てるよなぁ。えーと佐々木里奈ちゃん、キャプテンだったな
「それが對馬先生って分かった時は、やっぱりって思いました。先生っ、先生は本当にもうバスケから心が離れてしまったんですか。バスケには未練は無いのですか」
「うーん、いや、そんなこともない…けど」
確かにそう言われるとそうでもない。
拓朗は先日バスケ部のメンバーから監督になってくださいと言われ嬉しかったのだ。
拓朗は小学校の時、流行っていたバスケットアニメに出てくるルカワというキャラに憧れていた。
もちろんあの10番の赤毛の男が一番好きだったが。
そして高校の時にはいつか指導者になりたいと思うようになった
『諦めたらそこで試合終了ですよ」の安○先生に憧れるようになった。
もちろんあのどこぞの軍が極秘に開発したような、樽型重装甲騎兵のような先生の体型に憧れた訳じゃなく、バスケ部の監督として○西先生のように尊敬され慕われる指導者になりたいと思ったのである。
そういった下地があって拓朗はいま高校教師をしているのだ。
ちょうどそこに扉の外で深呼吸をしていた亜理紗が戻ってきていた。
「じゃあ、對馬先生はバスケ部の顧問になってくれる意思はあるんですね。
まあ、それでは私は副顧問として全力で…全身全霊をもって對馬先生をサポートさせて貰います」
とんでもないハイテンションで亜理紗は叫んだ
と、同時に
「「「「ありがとうございます」」」」
女子バスケ部員ら全員が顔が膝に付く勢いで拓朗に向かって頭を下げた
拓朗はあまりの状況の変化に混乱してしまった。
「あ、いや、ま、まあ、そういった意思があるというか、それに近い感じがしなくもないという方向も視野に入れることを検討……」
と、どこぞの国の政治家のような、訳のわからない事を言っている。
だがそこに寺尾佑理の助けが入った。
「待ってください。對馬先生は考古学部の顧問です。簡単にはいきませんよ」
中沢優奈も発言する。
「そうですよ。考古学部は現在、入部希望者が殺到している人気の部活です。對馬先生だけでは対処できないほど部員が増える可能性があるのです。ですから私が考古学部の副顧問として對馬先生をサポートする必要があるのです」
いつの間にそんな必要性が生まれたのであろうか。
それに亜理紗も優奈も拓朗をサポートするといっているが部をサポートするというのが正しいのでは無いだろうか。
だが気付かないのか誰もそれを指摘しない。
亜理紗も負けてはいない
「ですが、對馬先生ほどバスケ部の監督・コーチに相応しい実績を持った方はいません。しかし考古学部は寺尾先生や中沢先生、青木先生といった考古学がお好きな先生がいらっしゃいますから、この際、顧問を替わって頂くのが良いのでは無いでしょうか」
「「「ぐっ………」」」
正論である。
これにはどう反論すれば良いのか佑理も優奈も困ってしまった。
だが冗談ではないと佑理は思った。
―――考古学なんてまったく分からないわよ。今回は對馬先生と少しでも話しができたらなと思って、昨日ネットで調べた事がたまたま問題に出ただけでし、顧問なんて冗談じゃないわ。
優奈も佑理と同様に拓朗だけが目当てで他はどうでもいいのだ。
佐藤今日子などはゲームのキャラでギルガメッシュに名前を知ってただけで、メソポタミア文明のことなど何も知らない。
ここで亜理紗は畳み掛けるように話を続ける。
「それに先ほどの生徒会の岩瀬さんのお話ですと、考古学部に入部を希望している生徒の大半は對馬先生と部活をやりたいと言うのが理由とのことでした。對馬先生が考古学部の顧問から女子バスケ部に移ったと分かれば入部希望を撤回する生徒が多いのでは無いでしょうか」
「まあ、入部試験とかしないで済みそうですね」
教頭も同意する。
「でもそうなると今度は女子バスケ部に入部を希望する者が殺到するのではないですか」
「高校バスケはそんなに甘いものではありません。中学からバスケをやっていないと、とてもじゃないですが練習についていけません。それは生徒達もよく理解していると思います」
「なるほど、山口先生のお話はもっともです。では對馬先生には女子バスケ部…」
と教頭が結論を下しそうになった所で待ったが掛かった。
「「待ってくださいっ」」
二人の男性教師から同時に声が上がった.