千夜二夜
大臣の娘シェヘラザードが、千と一夜の歳月をかけて王に語った、千夜一夜物語――。
妃の裏切りによって女性不信になったシャフリヤール王は、一夜を共にした乙女を処刑してしまうようになりました。そうして、数多の乙女を処刑した王ですが、いつも彼女の語る物語の続きが気になり、彼女のことは殺さずに生かし続けたそうです。
彼女はそうして、王の子を産み、正妃となり、彼女自身の人生は大団円を迎えましたが……。
彼女が紡いだ物語は、千と一日で終わったのでしょうか?
きっと、語らずに終えられた物語もあったのではないでしょうか――。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
影が落ちることもなく、頭上高くに昇った灼熱の太陽に照らされた市場。
砂が舞い、熱気に揺らぐ視界。駱駝や驢馬といった家畜の匂い。
市場に集う商人たちが持ち寄った、異国の珍しい品々に、皆、食い入るような目付きで店先に立つ。
中国仕立の見事な民芸品、イオニア産の大麻、マラバル産の小豆蒄、白い肌と金髪の美しい女奴隷――品物は、さまざまだ。
活気に溢れる声が飛び交う、独特の場である。店主と客の喧嘩も尽きない。どこかで言い争う声もあったが、皆、特に気にも留めなかった。
その市場に、一人の青年がいた。
青年は、歳若く身なりもよく、整った顔立ちをしていた。この茹だる暑さの中でも、彼は颯爽と振舞う。女性たちはそんな彼を振り返り、秋波を送るが、彼はそれを楽しむようにして眺めるばかりだった。供に一人、屈強そうなひげ面の男を連れている辺り、それなりの身分の者か、裕福な商人の子息なのだろう。
「アルフ様、そろそろお戻りにならないと」
供の男がぼそりと言った。アルフと呼ばれた青年は、柔らかな仕草でうなずく。
「わかっているよ。けれど、これと言って目ぼしいものもない。せっかく市場やって来たのだから、掘り出しもののひとつでも手に入れて、父上をびっくりさせたいじゃないか」
彼の父親は、バグダードの豪商である。その子息として相応しい目利きを見せたかったのだ。
市場の品は、少し珍しい、そんな程度のもの。これでは、父を驚かすことなどできない。
アルフは嘆息すると、ふと先ほどまでは見向きもしなかった、とある商人の扱う商品に目を留めた。それは、驢馬だった。鎖に繋がれた、三頭の驢馬。ただ、その驢馬の中に、アルフの目を惹き付けて止まない『商品』があった。
他の驢馬たちと同じように、首に鎖を巻き付けてその中に紛れているのは、それはそれは美しい娘だった。燃えるように赤い髪と、赤い瞳。その豊かな体に沿った服は、そうみすぼらしいものでもなく、娘自身も他の奴隷とは違い、汚れてはいなかった。まるで、薄い光の紗をまとっているかのように光り輝き、神秘そのものの姿であった。
その乙女の麗しさに、アルフは言葉もなかった。ただ、呆然とその姿に見入っている。すると、供の男が不思議そうに声をかけて来た。
「どうかなさいましたか」
男は、眼前の乙女に気付いていないのだ。これほどの美しさだというのに、その鈍さに驚いてしまう。
「顔を正面に向けてみろ。そうしたら、すぐにわかる」
思わずそう言ってから、アルフははっとした。
この供の男に限らず、道行く人々は、何故だか乙女に注意を払わなかった。一瞥したとしても、興味もないといった風に顔を背ける。女性ならばまだしも、男性であっても同じだ。このような娘ならば、何千ディナール払うことになろうとも、寝所に侍らせたいと思わないのだろうか。
やはり、供の男も同じ反応だった。太い眉を顰め、気でも違ったかといぶかしむような顔をした。そうして、その言葉にアルフは耳を疑う。
「アルフ様と私の前には、四頭の驢馬しかおりません。それも、ひどく年老いてなんの役にもたたぬような、醜い驢馬が混ざっております」
四頭。
アルフの目には、三頭の若く力強い驢馬と乙女の姿しか映らない。
これは一体、どうしたことなのか。アルフが困惑していると、乙女は人差し指をそっと、艶やかな唇に押し当て、それから、美酒のように人を酔わせる声を、その唇からもらした。
「そこのあなた様――アルフ様と仰る、あなた様です。私の声は、あなた様にしか聞こえないことでしょう。ですから、おかしな目で見られませぬよう、どうかお返事などなさらずに聞いて下さい」
熱病に浮かされたように、アルフは小さくうなずいた。そうすると、乙女は心底ほっとしたように、儚く美しく微笑んだ。
「私は、とある国の王女で、名をライラと申します。けれど、今、あなた様のお付の方が申されましたように、私の姿は、あなた様以外には醜く年老いた驢馬として映るのです」
それは、信じがたいけれど、すでに疑いようのないことだった。
ライラは憂いを含んだ濡れた瞳を伏せ、喧騒の中で歌うように続ける。不思議と、その声は何にもかき消されることがなかった。
「私を見初めた魔人が現れたことが発端でした。父王は、私を守るため、その魔人よりも力のある魔神に頼み込み、私の姿を年老いて醜い驢馬に変えてもらったのです。どこを探しても私を見付けることができなかった魔人は諦めて去りましたが、私が元の姿に戻る手段が、簡単なことではなかったのです。私の真の姿を見抜き、触れることができるのは、この世でたった一人の、私の運命の男性。その方の手によってのみ、私は元の姿に戻れるのだと言います。父王は、そのたった一人を探すため、ありとあらゆる男性を城に呼びました。他国の王子、法官、商人、托鉢僧、奴隷、さまざまです。けれど、その中に私の姿を見抜ける男性はおりませんでした。それどころか、やって来た商人の家畜と混ざってしまうと、誰も私を見分けられませんでした。そうして、城にはただの驢馬が残り、私は商人によって鎖に繋がれ、城や父王たちと引き離されることとなったのです」
彼女は長い語りを終えると、ハラハラと涙をこぼした。その清らかさに、アルフはどうしようもなく胸を打たれる。
つまり、自分こそが彼女を救えるただ一人の人間ということなのだ。
アルフは、逸る気持ちを落ち着けることもできず、口を開いた。
「店主、この驢馬をくれ」
日に焼け、黒いあごひげを伸ばした店主は、その剣幕に驚きながらも、金回りのよさそうな上客に媚びた笑みを向ける。
「へい、どの驢馬で。ええと、こちらの雄の驢馬でしょうか。締まった体を見てもらえればわかると思いますが、丈夫でよく働きますとも」
「違う、こっちだ」
と、アルフは乙女ライラの体を引き寄せる。値も訊かぬうちに、金貨の詰まった袋を店主に放る。首をかしげた店主はその袋を開き、驚きの後には破顔した。
「それで足りるだろう」
「もちろんでございますとも。では――」
カチャリ、と鎖を外すと、その先をアルフに手渡す。けれど、いくら傍目に彼女が驢馬にしか見えないとしても、アルフの目には首を鎖に繋がれた乙女の姿である。その鎖を引いて歩く気にはなれなかった。
だから、その体を抱き上げる。
「あ、あの、どうか、そんなことをなさらないで下さい」
困惑したライラは、震える指でアルフの胸元をそっと押しやる。けれど、返事をするなというのだから、その言葉には従わず、彼女を抱えたままで市場を抜けた。
そのぬくもりと、甘い香り。掻き抱いた腕に力を込めてしまいたいと、そう切望する。愛しいと想う気持ちが、瞬間的に、こうも易々と沸き起こるものなのだと、この時初めて知るのだった。
彼女を抱えて屋敷に戻ると、アルフを迎え入れた家人や奴隷たちは不思議そうに首をかしげた。彼らの目には、この美しい娘は年老いた驢馬の姿にしか見えないのだから、それも無理からぬことである。気でも触れたのかと、日頃から険悪な仲の兄、トファイルは、アルフを嘲笑う。父の財産を相続する競争相手が減ったとでも思うのだろう。
アルフの三つ年下の、まだ少年と呼べる弟のファハルは、アルフに似た線の細い優美さを持っている。彼も、自慢の兄の抱えるものに目を瞬かせた。
「に、兄さん、その驢馬は一体どうしたというの」
やはり、ファハルの目にもライラは驢馬なのだ。アルフは、心配そうな瞳を向けて来る弟を精一杯安心させようと微笑んだ。
「そうだな、今にわかるはずだ。もう少しだけ待っているといい」
今はそうとしか言えなかった。
納得し切れていないファハルを残し、アルフは驢馬を抱えて自室へ下がる。そうして、身の回りの世話をする奴隷たちもすべて遠ざけ、ようやくひと息つけた。とりあえず、ライラを天蓋の付いた寝台の上に座らせる。
「ここでは二人きりだ。これでようやく、話ができる」
すると、ライラは花が開くように可憐に微笑んだ。
「ええ、私の声を聞いて下さるのは、もはやあなた様だけ。こんな風に、人としてお話できることが、どれほどの幸せであるか――」
感極まったのか、そこで彼女は声を詰まらせた。そんな様子も、アルフは愛しくて、その涙がこぼれる前に頬に触れる。
「魔法さえ解ければ、いつだって、誰とだって話せるようになる。だから、泣かなくていい」
ライラは、はい、と小さくうなずく。けれど、そう口にした途端、アルフは気付いてしまった。自分がライラを元の姿に戻せるただ一人の人だというけれど、その方法を自分は知らなかった。
「――時に、その魔法とは、どのようにすれば解けるものなのだろうか」
その手段を、ライラが知らなかったとするなら、ことはそう簡単ではない。一抹の不安を覚えたアルフだったけれど、その心配は杞憂に終わった。
ただ、ライラは頬を薔薇色に染め、瞳をそっとそらした。
「それは――」
知らないのではない。語ることを憚った。
その恥じらいが、物語っている。そう解釈したのは、自分の欲望と重なるからであろうか。
そっと、その柔らかな唇をなぞるように重ね合わせる。そうして、細く薄い肩を手で包み、ゆっくりとその体を後ろへ傾けた。覆いかぶさるように、その宝石のような瞳を見下ろし、首筋から指を這わせる。
「これで、間違いないな」
違うという言葉は受け入れられないというのに、そうつぶやいた。ライラは覚悟を決めたのか、目を伏せると、うっすらと唇を開いて、どこか甘い響きのあるで答える。
「あなた様のお望みのままに。それが答えでございます」
アルフは優しくライラの髪を撫でた。そうして、耳もとでささやく。
「名前を呼んでくれ」
「アル、フ様――」
「もっと、たくさん」
柔らかなその体を抱き締め、朝を迎えた。昨晩の、自分が付けた赤い痕が、その美しい裸体に微かに残っている。それを満足げに眺めながら、アルフは体を起こした。
「ん――」
小さくうめいて、薄くまぶたを開いたライラに、アルフは口付ける。起き抜けで、どこか気だるげに応える様子に、とろけるように甘美な気分を味わった。
「体はどうだ、魔法は解けただろうか」
ライラは、そばにあった衣服を引き寄せ、体を隠す。まだ恥ずかしがる、そんな様子が愛おしい。
「どうでしょうか。自分ではなんとも――。他の方の目に触れればわかるはずですが」
確かに、その通りだった。それが手っ取り早い。
アルフは手を甲高く叩き、奴隷を呼び付けた。いつもアルフの身支度から伽の相手までを務める三人の女奴隷がやって来た。アルフは彼女たちに問う。
「この娘を、誰もが口々に褒め称えるように飾り立てろ」
「かしこまりました。仰せのままに」
と、低頭する。つまり、女奴隷たちの目から見ても、ライラは娘の姿だということだ。二人は顔を見合わせ、笑みを交わした。
昨晩の情事の痕にも彼女たちは平然としつつ、ライラを風呂へ連れて行く。戻って来た彼女が、美しく磨き上げられていたのは言うまでもない。ただ、身に付けたどの宝石よりも、その瞳がアルフを惹き付けて止まなかった。その華奢な体を抱き寄せると、耳もとでそっとささやく。
「すぐに家族に紹介しに行こう。私は君を娶ると」
その一言に、ライラは両手で口を塞ぐような仕草で驚きを表した。けれど、喜びを溢れさせていると見て取れる。
こうして出会えた二人は、運命に導かれたのだ。お互いの心は、あらかじめ決められていたかのように、抗うことの出来ないもののように思われた。この気持ちがさだめであったというのなら、アルフはそのさだめに感謝したいと感じていた。
やはり、魔法は解けたのだった。
美しいライラの姿に、父も母も兄も弟も呆然と立ち尽くした。ライラは、結果として男を知った今となっても、清らかな乙女のようだった。むしろ、その美しさに磨きがかかったように思う。
「私の妻です」
アルフは、そう口にした瞬間、体の芯から喜びがあふれ出すのを感じた。兄の嫉妬、弟の羨望を受け、微笑む。
そうした後は、もう誰にもライラを会わせたくなかった。部屋に閉じ込めるようにして共に過ごす。
麝香の香りが立ち込める部屋で、二人、抱き合いながら甘くささやく。溶けてひとつになるような感覚だった。
少なくとも、アルフはライラと共にいる時にはそう感じ、他には何も求めなかった。
けれど――。
ある時、彼女は言った。
「アルフ様、私――ひとつだけお願いがございます」
「ん」
かわいい愛しい妻の願いだ。叶えてあげたいと思った。
その一言を聞くまでは。
「私の父と母に会わせて頂きたいのです」
どきり、と心臓が鳴った。胸に顔を埋めているライラがそれに気付かなかったとは思わない。けれど、彼女はそのまま続けた。
「父と母は、私がここで幸せに暮らしていることを知りません。取り違えられた驢馬を、哀れな娘だと思って悲しみに打ちひしがれているはずなのです。ですから、どうか、私を連れて私の国へ一緒に来てほしいのです。ひと目でいいのです、会えさえすれば。このように立派な旦那様に恵まれましたことを報告したいのです」
その言い分は当然だった。心優しい娘は、表には出さずとも、ずっと両親を案じていた。それをようやく口に出せたのだ。彼女の夫として、腕の中の妻に、優しく微笑んで答えればよかった。
ただ、とっさにそれができなかった。
彼女は、一国の王女であると言っていた。
それに比べ、自分は裕福ではあるが、商人の子だ。
そこへ向かったが最後、釣り合わないと言われるのではないか、引き離されてしまうのではないか。そんな不安が胸を過ぎった。
返事をごまかすようにして、強く彼女を抱き締める。その首筋に顔を埋めながら、その日はその話題に再び触れずに済むように努めた。体とは裏腹に、心にはどこか冷え冷えとした楔が打ち込まれた気がした。
それからというもの、アルフは昼間はライラを一人部屋に残し、離れるようになった。共にいる時間が長ければ、それだけ例の問題が彼女の口に上るのだ。離れている時間、アルフはどうしたら彼女と長くいられるのかを考えた。せめて、巨万の富でも手に入れたなら、いかに身分のない自分でも、受け入れてもらえるのだろうか。
こんなものはすべて自分の考えすぎであり、魔法を解いた自分を、父王たちは歓迎してくれるかも知れない。そう、思わなくもない。けれど、もしそうでなければ、とそれを考えるとやはり恐ろしかった。
ならば、どうするべきか。
せめて、父の財産をすべて相続すれば、王は自分を認めてくれるだろうか。
そんな考えが、次第にアルフを締め付ける。
兄のトファイルは、兄弟の中で一番父に似ていた。無骨だが、表と裏を巧みに使い分ける。決して麗しくはない顔立ちが、たちまち善人のように変わるのだ。金づるの前では。
つまり、一番商人に向いてると言えるのかも知れない。そう思うことだけが、兄にとって救いだったのだろう。下らない人間だ。
――邪魔だ。
いつも、アルフをごく潰しとなじった。
けれど、兄が自分や弟のような麗姿を持てずにいることに劣等感を覚え、そうした態度を取るのだとわかっていた。かわいそうな人間だと、どこかで思っていた。
ただ、もう、どうでもいい。いらない。それだけだ。
アルフは、決断した。金の装飾、エメラルドの輝く短剣で、アルフは女奴隷とまどろむ兄を刺した。うめく間もなく事切れた兄は、赤い血潮に塗れて行く。美しくはなかった。
いつだって、兄は醜い。だから、これでいい。
女奴隷は、主人殺害の罪を着せられ、処刑された。
そうして、アルフはライラの腕の中に戻る。
後は、父親、それから弟。
父は、時が経てば先に逝く。問題は弟だ。
けれど、自分によく似た美しい少年であるファハルは、殺すには忍びない。自分を慕ってくれているのだ。彼は生かしておきたい。
少なくとも、兄はいなくなった。これで、父の跡継ぎは自分だ。
これならば、ライラの父王に会いに行けるだろうか。
アルフはそう考え、ようやく心を落ち着けた。
再び部屋でライラと過ごす時間を増やし、大切に、愛しみながら寄り添う。ライラはよく、笑っていた。クスクスと、かわいらしい甘い声音で笑う。
「アルフ様、ねえ、アルフ様」
アルフの首に細くしなやかな腕を巻き付け、ライラは幾度か名を呼んだ。その声で名を呼ばれることが、アルフは好きだった。胸の奥が熱く、幸せな心地がする。
けれど。
「聞いて下さるかしら」
「ん――」
赤く煌く、芳しい髪から顔を上げると、ライラは腕を緩めてアルフの顔を見据えた。その面持ちは、出会った時と変わらずに美しく、清らかに見えた。けれど、それは。
「ねえ、私、あなたには飽きてしまったの」
「何、を――」
「だって、あなた、退屈なんですもの」
にこり、と花のように微笑む。けれどそれは、砂漠に咲く花だ。
儚く弱く、守り手を必要とする花ではない。どのような環境であろうとも咲き誇ることができる花。
何を犠牲にしようとも、その花は美しくある。
背中に、ドス、と強い衝撃があった。そこからは、痺れるように広がる。痛みは、どこか借りもののようにぼんやりと響く。
振り返ることができなかった。
ただ、口から血を吐いた。
その頃には、痛みも体に馴染み、悶絶するほどの激痛となった。
「――ごめんね、兄さん」
そんな声が降る。
寝台に倒れたことで、短剣を握るファハルの姿が見えた。少年のその細い体に、衣をはだけたライラが絡み付く。ファハルの瞳は、どこか熱に浮かされたように虚ろだった。
その時になってようやく気付く。自分もきっと、そうであったのだと。
「市場であなたを見かけた時には、この人だと思ったのよ。でも、彼の方が情熱的できれいなんですもの。仕方がないわよね」
その清らかな面には、麗しい微笑がある。けれど、その瞳はどこまでも欲望に忠実に、貪婪に輝いていた。
あれは、鬼神だ。
すべては、彼女の嘘――。
ぼんやりと薄暗い光を放つその瞳と長く伸びた影を、アルフは朦朧とした意識の中で見つめていた。
それでも、愛しく、幸せだったと言ったのなら、彼女はどう思うだろうか。
彼女にとっては、自分はおもちゃのひとつに過ぎなかったのかも知れない。新たなおもちゃがあれば、不要になる程度の。
彼女の語る言葉をすべて信じ、滑稽にもがいた自分は、さぞ面白かったのだろう。
無様な死。
けれど、心は、それでも彼女を求めていた。
その愚かしさを噛み締めて、彼は死に逝く――。
【نهاية ― 終 ―】
そういえば、悪女って書いたことがないなと思いまして。
そんな理由でできた話……。
女性不信になった王様に、悪女の話ばっかりしてたら、シェヘラザードの命に関わりますよね。
名前の由来は、Alf Laylah wa Laylah 『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』。アルフが千、ライラが夜だそうです。