Scene1 図書館
智子の住む町の中心に、図書館が建っている。
ほとんど訪れる者もいない広い館内に書架が林立する風景が、智子は好きだった。
数葉の風景写真が飾られたがらんとしたホールを抜けると、妙に分厚い強化ガラスの自動ドアが行く手を遮る。
まるでこの中の書物が有害な黴菌か爆発物のようだと、毎度抱く皮肉な感想とともに利用者証を傍らの読み取り装置に掲げる。
静けさを破ることを過度に恐れたのか読み取り音すらせずに静かに自動ドアが開き、嗅ぎなれた紙の香りが鼻腔をくすぐる。
手荷物カウンターにたたずむ司書アンドロイドに通学鞄を押し付けるように差し出すと、アンドロイドが無言のまま荷物をしまいに行くのには見向きもせずに書架へと歩みを進めた。
別に特定の本を読みたいわけではない。
ただ適当に書架の林を逍遥し、背表紙に這わせた指で感じるままに適当に引き出して読むだけ。
昨日は図鑑の棚、おとといは民俗学の棚。
今日は生物学の書架に足を止めた。明日は哲学か、あるいは気晴らしの小説の棚か。
書架の間に適当に置かれたソファに身を沈めれば、背の高い書架に遮られて誰にも見つからない、誰を見かけることもない。
いや、そもそもこの図書館で利用客を見かけることなどほとんどないのだが。
開かれたページに並ぶのは、精細な図版と文字の羅列。
昨日に引き続き図鑑あるいは百科事典に近い構成の本を引き当ててしまったらしい。
無意識に視界を遮る大判の本を選んだのは失敗だったかと小さく舌打ちしながら、それでも重い本を書架に戻しに行く気にもなれずにそのままページをめくる。
ヒツジ(Ovis aries) :偶蹄目ウシ科ヤギ亜科。体毛は繊維や織布、肉は食用に……
デフォルメされたものならば、毎朝の占いコーナーでも見るが、図版として写実的に書き起こされたそれは、馴染みのない奇妙な生き物だった。
最後の偶蹄目が死んだ日のニュース記事をいつか別の書架で見かけたことを思い出しながら、読むとはなしに単語の羅列に目を走らせる。
この図書館は墓標なのだ、と義兄は言った。
かつてあった、あるいはありえた過去の、無残な亡骸。
失われた過去を今更掘り返してどうなるのかと、足しげく図書館に通う義兄に問うた時の寂しげな顔を思い出す。
今こうして過去を掘り返すでもなくその墓碑銘を無為になぞっている自分は、あの時の自分になんて返すのだろうか?
思索が目の前のページを通り過ぎてさまよいだした矢先に、ぶつりと接続音がして、館内スピーカーからラジオの音声が流れだす。
利用客の来訪に合わせて背景音楽を流す「配慮」の一環として司書アンドロイドが自動で起動したのだろう。
静寂を好んで書架の林の中に引きこもっている智子には有難迷惑と言うほかはない。
しかも、流れた番組は彼女が一番聞きたくないものだった。
――トちゃん、ヨシトミ アキラ トモコご夫妻の長女、トシコちゃん。誕生おめでとうございます……
この一週間で生まれた子の名を繰り返し読み上げるだけの、ただそれだけの番組。
昔は毎日だったという。
毎日、その日に生まれた子の名を読み上げ祝福する。
それが今や一週間。
一週間同じリスト、同じ原稿を延々と繰り返し読み上げる。
毎日読み上げるには出生数が足りなくなった。すでに一週間でも時間を持て余し気味だ。
そもそも、出生報告が番組として成立すること、それ自体が子供の誕生が珍しいことの裏返しだ。
出産が減ったのは何らかの遺伝子異常ではないかという学者もあったが、遺伝的相性のみで決定される配偶制度の中にあっても子供が生まれてこない現状には説明がつかない。
結婚年齢や若者の淡白さを糾弾する論調は根強く支配的だが、社会制度でいくらその穴を補っても、世帯当たりの出生率は下降線をたどっていた。
環境ストレスに原因を求めた人もいた。人は増えすぎたのだと。しかし、こうして少ないといえるほどに人口が落ち込んでも、出生率が回復したなんて話はどこからも伝わってこない。
智子のように姉がいる、という環境はすでに特殊な物となっている。
姉。
いったい、この放送を聞いている何人の人間が、毎日子供たちに祝福を投げかけるこの女性が結婚出産を拒んでいると知っているのだろうか?
あの日、義兄――結婚をすることはついになかったのだから「義兄」と呼ぶかもしれなかった人が突如反逆罪として指名手配され、姉妹の前から姿を消した日に、すべてはすっかり変わってしまった。
義兄の公民権が停止された結果、遺伝子適合情報が繰り上がった男が、姉の新たな婚約者となった。
姉がそれを拒んだ気持ちは、智子には痛いほどよくわかった。
遺伝子適合情報だけで強制的に結ばれたとは思えないくらいに、義兄と姉は惹かれあっていたからだ。
しかし、二人の関係を祝福していたはずの周囲の反応は、気持ちが悪いほどに冷淡だった。
逃亡犯に操を立て、市民の義務である結婚出産を行わないとは何事か、と。
姉妹にとって理不尽に思える糾弾は、姉の新たな「婚約者」により適合率の高い女性が現れたことでやがて終息したが、姉は半ば強制的にこの番組のアナウンスを担当させられることになった。
沢山の人の出産に祝福を述べていれば、いずれは自分もと思うように、子を産みたくないなどと血迷ったことを言わなくなるだろうなどともっともらしいおためごかしのもとに、毎日勤務時間の間延々と同じ原稿を繰り返し読まされ続けている。
これが懲罰人事でも拷問でもないと誰が言えるのだろう?
そうして、生まれた子供たちに祝福を与える番組は、姉妹だけにはひたすらに苦痛な、呪わしいものへと姿を変えた。
いや、そもそもこの番組は子供たちにとって本当に祝福なのだろうか?
今こうしてつまはじきにされてしまえば、その前提にすら疑問を感じざるを得ない。
ほとんど同年代の子供のいない社会の中で、ただひたすらに「正しい」相手と子を作り育むことで社会に貢献するよう求められる社会。
勝手な都合で恋人との仲を引き裂かれ、それにいやだということすら許されない。
そんな社会に生れ落ちることは本当に幸せなことだろうか?
――人という種族は、緩やかに滅んで行っているんだよ。
義兄が摘発される前に、寂しげな表情とともに残した言葉が姉の声にかぶさって反響する。
滅びゆく種族だからこそ、子供が生まれないのだと。
遺伝子や環境ではなく、ただ、種としての寿命が来たのだと。
そう言った彼は、その言葉のために反逆者と呼ばれた。
この社会が続くこと、人がこれからも繁栄すること、それを疑うのは社会に対する最大の裏切りだと。
思うことすら許されない異端思想だと。
学究肌の義兄がなぜそんな考えに至ったかはわからない。
しかし、すべてが――この町への思いすら変わってしまった今となっては、彼に同情しこそすれ、恨む気にはなれなかった。
――コちゃん。誕生おめでとうございます……
「……この呪われた世界にようこそ」
何度目かの姉の言葉を継ぐように小さく吐き捨てる。
思うことすら罪ならば、私もまた反逆者なのだろうなと、唇をゆがめながら。