第659話
「……なんで、私がこんなのの相手をしないといけないのよ?」
「こっちのセリフだ。お前のような煩いだけの女と手合せをしても得るものなど何もない」
ラースの言葉を拒否しようとしたフィーナだが、ラースの態度には彼女のを退けるほどの凄味が有り、フィーナは文句を言いながら木剣を手にする。
文句があるのはアノスも同様であるが、隊長であるラースの命令には逆らえずに木剣を軽く振った。
軽く振ったようだが、その剣の振りは鋭く、それを見たフィーナは油断して恥ずかしいマネは出来ないと思ったようで目つきは鋭く変わっていく。
フィーナの放つ気配の変化はアノスにも良い影響をもたらしたのかその表情は引き締まった。
「おっさん、実際はどっちに分があると思ってるんだ?」
「小僧はどう見る? 率直な意見を聞かせてくれないか?」
「そうだな……さっき、おっさんも言ったけど、スピードはフィーナ、アノスはパワーもあるだろうけど、騎士鎧を着てる分、守備力も高いだろうからな。」
手合せを始める前に準備運動を始める2人の姿が真剣なものに変わる様子に周囲には緊張感が漂い始め、ジークは煽ったラースに予想を聞く。
ラースは1度、頷くと先にジークの予想が聞きたいようで聞き返すと、ジークは2人の戦い方も見ているが簡単には予想できないようで頭をかいた。
「うむ。お互いに相手の力量くらいは測れるようだからな」
「とりあえず、どっちが我慢できるかだと思う。アノスも頭に血が上りやすいし、フィーナはおっさんやレインと手合せしているのを見ていると上手く剣を弾かれてキレてスキを狙われるってのが負けパターンだから」
「……だろうな。木剣を捨てて掴み合いのケンカにならなければ良いが」
一長一短はある物の実力としては拮抗しているとジークもラースも評価したのだが性格的に言えばどちらも熱くなりやすいため、改めて考えると不安の部分が多く、2人は眉間にしわを寄せる。
「……やっぱり止めないか? 出発前に傷薬が底を尽くとかイヤだぞ」
「いや、そうもいかんのだ。先ほども言ったが、2人の実力を認めていない者もいるからな」
「俺は良いのかよ?」
ラースに考え直すように言ってみるジークだが、ラースも部隊長として指揮を執る上で必要な事だと言う。
彼の言葉にジークは自分の扱いを疑問に思ったようで首を傾げるとラースは言いにくいのか苦笑いを浮かべた。
「小僧の場合、今回は戦力と言うよりは森を歩く案内人と言う形に近いからな。非戦闘員と考えている人間が多い。それでも昨晩の事もあるから、小僧の事は認めている者も多い」
「そうか。何かあったら、俺はサボっていても良いんだな」
「そんな気はないだろう……あまり、言いたくはないのだが、レギアスは元々、兵を鍛えるような事はしていなかったからな。兵士達には腕自慢も多いのだが部隊としてはギムレット殿に負けているのでな。アノスにはワシが動けない時に兵達の指揮も執って貰わなくてはいけない場合もある。今回でどうにか認めさせないといけないのだ」
ジークを戦闘要員だと思っていない者も多いようだとラースは小さくため息を吐く。
ジーク自身も考えると偵察やテントの準備などしかしていないため、そう思われていても仕方ないと思ったようでいざと言う時はサボると冗談を言う。
その言葉が冗談とはわかりつつも、ラースはわざとらしく大きく肩を落とすと隣に立っているレギアスを恨みがましい視線を向けた。
レギアスは少しだけ気まずいのかコホンと1つ咳をすると逃げるように2人から距離を取り、フィーナとアノスへと視線を向ける。
「……爺さんも厄介だな」
「うむ。小僧に言うのは筋違いだとは思うがな。老いたとは言え、時代を生き抜いてきた者だ。一筋縄ではいかん。スキを見せるとのど元に剣を突き立てられてもおかしくはない。少しでもこちらの有利にできるようにしておきたいからな」
「アノスで大丈夫か? 本人は余計なところで生真面目だけど、実家はガートランド商会を通じてきっと繋がってるぞ」
ラースがアノスに期待しているのはギムレットへの対処の1つであり、ジークは血の繋がりがあるため、どこかに罪悪感があるのか困ったように頭をかく。
ギムレットが裏で動いてくるのは目に見えており、ラースは少しでも有利な状況を作り出したいと言うがジークはアノスでは役不足だと思ったようで眉間にしわを寄せた。
「何、アノスも今は未熟だ。それでも今回の件でアノスに資質があると思う者がいれば、そいつをつけてやる事もできるからな。主従関係と言うのはお互い引きあってこそ、成り立つものだとは思わないか?」
「……おっさんの下にも曲者は居そうだな」
「騎士として実績を重ねたが、ワシ1人の功績だとは思っていないな。ワシの性格はお主も良く知っているだろう?」
ラースは騎士として恥じぬ功績を残せたのは自分を支えてくれた部下の力があってだと笑う。
ジークはいつもとは違うラースの様子になんと言って良いのかわからないようで頭をかくと準備運動を終えた2人へと視線を向けた。
「……とりあえず、フィーナはかませ犬って事で問題ないか?」
「そう言うわけではないが、面白い物を見せてくれれば良いな」
「おっさん、合図してよ」
フィーナはアノスの実力を認めさせるために用意されたと思ったようでジークは小さくため息を吐くとラースは苦笑いを浮かべる。
その時、フィーナが今回の手合せを仕組んだラースが開始を告げるべきだと思ったようでラースに向かって言う。
「うむ。そうだな。それではアノス=イオリアとフィーナ=クロークの試合を始める。互いに準備は良いな?」
「ええ」
「……はい」
「それでは始め」
ラースは1つ咳をした後、フィーナとアノスの間に移動すると2人の顔を交互に見て準備ができたかと問う。
2人は剣を構えるとお互いから視線をそらす事なく返事をし、ラースは手合せの開始を告げた。
フィーナとアノスはその性格からか先手必勝と考えたようで大地を蹴り、一気に距離を縮める。
同じ動きをした事で木剣同士がぶつかり、体重差があるためか、フィーナはアノスに弾き飛ばされるが、彼女もラースやレインと良く手合せをしている事もあり、弾き飛ばされるのにはなれており、すぐに体勢を立て直す。