第657話
「本当にすいません」
「別に謝る事でもないって」
「そうそう。良いから先に顔を洗って来なさいよ。そのままってわけにはいかないでしょ」
朝食の準備が終わる頃にノエルとフィアナは目を覚ますと自分達が寝坊した事に気づき、慌ててテントから出てくる。
2人は深々と頭を下げるが、別に謝る事でもないと思っているジークとフィーナは顔を洗って出立の準備をするように言う。
ノエルとフィアナは遅れてしまったため、朝食の準備を手伝いたいようだがフィーナは女の子として身だしなみを整えてくるようにと言い、2人はバツが悪そうに顔を合わせた後、そそくさと顔を洗いに行く。
「2人もフィーナに言われるとは思ってなかっただろうな」
「何よ? 私はそれなりに身ぎれいにはしてるわよ」
「はいはい。それは悪かったな」
2人の背中を見送り、苦笑いを浮かべるジークだが、彼の言葉にフィーナは不満を感じたようで頬を膨らませた。
不満そうな彼女の様子にジークはおざなりに謝ると朝食の準備を続けて行く。
「……ねえ。アノスって言った? あいつって起きてきた? 見てないけど」
「そう言えば、今朝は見てないな。他の奴らは朝食の匂いに呼び寄せられて何度か顔を出してるけど、まぁ、腹減ったからと言ってもつまみ食いをしようとここには来ないだろう。剣でも振ってるんじゃないか?」
「剣を振る? 違うわね。きっと、逃げ出したわね。ワームに逃げ帰ったのよ。ジーク、転移の魔導機器は無事?」
フィーナはジークからのこれ以上の謝罪は望めないと思ったようで朝食の準備を終わらせようと手を動かし始めるが、ノエルとフィアナが起きた事で同行しているメンバーとは顔を合わせたようでアノスが起きてきてないのではと首を捻った。
ジークもアノスには今朝は顔を合わせていないが、彼の性格を考えれば朝食の匂いに誘われて顔を出す事やつまみ食いをしに来るようには見えないため、何かしているのだろうと結論付ける。
しかし、フィーナはそれでは面白くないと言いたいのか、アノスをバカにするように言う。
「……誰が逃げ出すか」
「つまみ食いか? ほら」
「バカな事を言うな……」
その時、眉間にしわを寄せてアノスが顔を出す。
彼の表情からフィーナの言葉が彼の耳に届いていたのは明らかであり、ジークは苦笑いを浮かべると話をそらそうとしたのか、作っていた朝食の1つをアノスの前に置く。
アノスはつまみ食いなどする気はないと否定するが身体は正直であり、悲鳴を上げてしまう。
その様子にフィーナは声を上げて彼を指差して笑い、アノスの顔は恥ずかしさなのか彼女に対する怒りなのか真っ赤に染まり始める。
「フィーナ」
「だ、だって、かっこつけたくせにお腹鳴っているのよ」
「だからと言って、そこまで笑う事でもないだろ。お前なんかしょっちゅう、腹の虫が鳴いてるだろ。アノス、味見してくれ」
2人の様子にくだらない事で争いに成っても困るため、ジークはため息を吐くとフィーナをいさめる。
それでも、フィーナは笑いすぎで上手く呼吸ができなくなっているようでその声は切れ切れであり、ジークはフィーナに言う資格などないと言った後、彼のプライドを傷つけないように気を使ったのか、あくまでも味見だと言って、先ほどの朝食の1つを食べるように促した。
アノスは眉間にしわを寄せながらも、空腹に耐えきれないのか朝食を口の中に放り込む。
「少し食べると余計にお腹減るわよね?」
「ノエルとフィアナが来れば、盛り付け手伝って貰えるし、すぐに準備ができるだろ。それより、手を動かせ」
「わかってるわよ。私もお腹の虫を鳴かせたくないからね」
息の整ったフィーナはジークがアノスを罠にかけたと思ったようでやるじゃないかと言いたいのか肘で彼を突く。
ジークはそんな気などさらさらないと言いたいのかため息を吐くとフィーナに朝食の準備を続けるように言い、彼女はアノスのプライドをわざと傷つけるように言う。
「……フィーナは気にしないでくれ。それで、何かあったのか? 緊急の用件がなければ、わざわざ、フィーナのいるようなところに来ないだろ?」
「ああ。ラース様から、昨晩、捕縛した者の食事も用意して欲しいと伝え忘れたから、伝えて欲しいと指示を受けた」
「そういう事か、心配しなくても作ってあるけど、なんか話したか?」
ジークはフィーナとアノスに話をさせているとケンカになりそうなため、アノスに別の話題を振った。
アノスは口の中の物を飲み込んだ後、ラースからの指示を伝えに来たと言うが、その表情は自分達を尾行していたような人間に情けなどかける必要はないと思っているようで不服そうである。
彼の表情にジークは苦笑いを浮かべると捕まえた人間の目的が気になったようでアノスに聞く。
「……いや、尋問をした人間が分量を間違えてな。先ほどまで気絶していて何も話は聞けていない」
「分量を間違えたって、何度も言うけど、あれは栄養剤だぞ」
「何? ジークの栄養剤を自白剤代わりに使ったの? 良い方法ね。それで売り出さない? 威力も充分だし」
アノスは難しい表情をして首を横に振り、ジークは自分の栄養剤をバカにされている気しかしないようで眉間にしわを寄せた。
フィーナは昨晩のやり取りを見ていないため、初めてジークの栄養剤を自白剤代わりに使っている事を知り、新しい顧客が見つかる可能性を示唆する。
「バカな事を言うな」
「何よ? あんた、薬屋のくせに商才皆無なんだから、話を聞きなさいよ」
「それとこれとは別だ。薬なんだ。効果と用法ってもんがあるんだよ。それじゃあ、話を聞くのはこれからか? そうなると出発は遅れそうだよな?」
ジークは彼女の提案を否定するが、フィーナは良い考えだと思っているようで頬を膨らませた。
しかし、ジークには納得などできる物ではなく、不機嫌そうな表情をするが他の人間に当たるわけにはいかない事もわかっており、今日の行動に影響があるかと聞く。
アノスはその言葉を肯定するように頷き、ジークは面倒だと言いたいようで頭をかいた。