第655話
「あ、あの、ジークさん? アノスさんの治療はどうしましたか?」
「流石に時間がかかりすぎだろ。治療なら俺がしたよ。朝、傷が気になるようなら治癒魔法をかけてやってくれ」
「すいません。遅くなってしまって」
偵察部隊としてメンバーに組み込まれたとは言え、ジークは森の警戒は兵士がやると言われてしまい、ジークは火の番をしている。
交代時間はあるがそれでも眠気は襲ってくるため、持ってきていた眠気覚ましのお茶を淹れようとジークはお湯を沸かしており、ポットから湯気が上がり始めた時、湯気の向こうからノエルが近づいてくるのが目に映った。
ノエルは火の番をしているのがジークだと気が付くと足早に近づくとキョロキョロと周囲を見回すとアノスの事を聞く。
ジークは苦笑いを浮かべて治療を終えた事を話すとノエルは全然役に立たなかった事に申し訳なさそうに肩を落とす。
彼女が落ち込んでいるのは目に見え、そのままテントに戻す気にはなれなかったようで座れと視線で言うとノエルはこくんと小さく頷くとジークの隣に座った。
「テントの中で何してたんだ? ずいぶんと騒がしかったけど」
「あの、魔法を使うので杖があった方が良いと思ったんですけど、杖はテントの奥に置いてあったので取りに行こうと思ったんです。その時にタイミング悪く、フィーナさんが寝返りしてしまって、それに巻き込まれて転んでしまってフィアナさんの上に、慌てて避けたら今度はフィーナさんの上に」
「……それはまた」
ジークはカップを2つ用意すると自分には眠気覚ましのお茶、ノエルには眠気を誘うお茶を淹れて彼女に渡す。
ノエルはカップを受け取ってお礼を言った時、ジークはノエルが遅れた理由はテントの中の騒ぎが原因だと思ったようで何があったのかと聞く。
ノエルは言い出しにくいようだが説明は必要だと思ったようでぽつぽつと話し始める。
タイミングが悪いと言う事もあったのだがノエルの運動神経の悪さも原因であり、ジークはなんと言って彼女を励まして良いのかわからないようでポリポリと首筋を指でかく。
「それで、フィーナさんとフィアナさんに治癒魔法をかけていたら、いつの間にかジークさんもアノスさんもいなくなってました」
「元々、たいした傷じゃないからな。ノエルが気を使ってくれた事に意味があるんじゃないか? あいつの周りってきっと建て前とかでしか、アノスにかかわろうとしていなかっただろうし、ノエルみたいに見返りなしで心配してくれるのはあいつにとって良い事だと思うぞ」
「そうだと嬉しいです」
ノエルは状況を説明する事でさらに落ち込んで行き、ジークはノエルの優しさはアノスを成長させるのに必要だと笑う。
ジークの表情を見て、ノエルは釣られるように笑顔を見せるとジークに身体を寄せる。
「……あの、ジークさん、今回の事、上手く行きますよね? わたし達には心を許してくれている人も居ますけど、まだ、人族を完全に信じてくれているわけでもありませんから」
「そうだな……上手く行って貰わないと困るな。集落のやつらだって、子供も生まれたばかりなんだから、おかしな争いなんか起こしたくないだろ。大丈夫だ。ギド達が上手くまとめてくれてる。そう信じよう」
「そうですね。わたし達が信じないといけませんよね……あったかいです」
2人の間にはしばらく沈黙が訪れるが、ゴブリンとリザードマンの集落が近づいてきた事でノエルは胸の内の中にある不安が大きくなってきたようでその不安を吐露する。
同じ不安はジークも抱いているようだが自分達には信じる事しかできないため、数日前から集落に戻り、対策を行ってくれているギド達の姿を思い浮かべると信頼できる仲間だと思っているようで笑顔で言う。
その言葉にノエルは大きく頷くとカップのお茶へと口を付ける。
お茶はまだ温かく、ノエルは身体の中から伝わる熱とジークの言葉に不安が小さくなってきたようで笑顔を見せた。
ノエルの笑顔をジークは直視してしまい、体温が上がって行くのを感じる。
気恥ずかしさを紛らわすようにジークは手にしたお茶を口に含み、2人の間にはゆっくりとした優しい時間が流れて行く。
「何してるのよ? 2人分しかお茶を用意してないの?」
「あ、あの。フィーナさん、今はタイミング的にあまりよろしくはないかと」
「別に今更、気にする必要もないでしょ。それより、ジーク、私とフィアナにもお茶ちょうだい。ノエルに起こされたんだから、責任取りなさいよ」
その時、そんな空気をぶち破るようにフィーナの声が聞こえ、ジークとノエルが視線を向けるとフィーナと彼女の後ろにバツが悪そうな表情をしたフィアナが立っている。
ノエルは慌ててジークから離れるがフィーナは気にする事無く、ジークに2人分のお茶を要求する。
「フィーナはこっちで良いか?」
「いや、私は見張りしないから」
「……お前、もう少し働けよ」
ジークはノエルほど気にしていないようでカップを出すとお茶の種類を決めるが、フィーナはジークが決めたものが不満のようで頬を膨らませた。
彼女の言葉にジークは肩を落とすがこのやり取りが無意味な事を誰よりも理解している事もあり、フィーナとフィアナにノエルと同じお茶を渡す。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして、フィアナも起こして悪かったな」
「いえ、迷惑をかけているのは私も一緒ですし……それより、わたし達を見張っていた人達は捕まえられたんですか?」
フィーナは当然だと思っているため、お礼も言わずにカップを口に運ぶ。
ジークはノエルが迷惑をかけた事をフィアナに謝ると彼女は気にしないと首を横に振った後、追跡者達の事が気になったようで首を捻った。
「無事に捕まえたけど、今はまだ固まってるみたいだ。ちょっと、出力が強すぎたみたいでな」
「ふーん。ねえ、そう言えば、冷気の魔導銃っていつまで使えるの? それってルッケルでポイズンリザードを凍らせてた氷を結晶化した物なのよね? 魔力が切れたら使えなくなるんじゃない?」
「そう言われればそうだな。これが落ち着いたら、アーカスさんに聞いてみるか? 使えなくなると面倒だしな」
「そうね……ジーク、私達は戻るから、頑張んなさいよ」
ジークは苦笑いを浮かべながらやりすぎた事を話すとノエルとフィアナは顔を引きつらせるが、フィーナだけは他の事が気になったようであり首を捻る。
彼女の言葉には一理あり、ジークは腰のホルダにしまっている冷気の魔導銃へと視線を向けた後、行きたくはないようだがアーカスを訪ねる事を決めた。
ジークの表情には少なからず、葛藤が見え、フィーナは苦笑いを浮かべるとノエルとフィアナの手を引っ張り、テントに戻って行く。