第508話
「……まったく、どうにかできないものか?」
ラースは自分の書斎で上がってきている書類に目を通している。
その書類の中には最近、素性の怪しい冒険者達がワームに集まり始め、乱暴狼藉を繰り返しており、それを収拾させるためにラースはレギアスとともに働きっぱなしであり、ため息しか出てこないようである。
「難しい顔をしていても何も解決しないですよ。これでも飲んで落ち着いて下さい」
「あぁ、すまないな……うむ。美味い。ティミル、これはどうしたのだ?」
「ジークくんにアリア先生の作っていたお茶を分けていただいたんです」
その時、彼の手元に湯気を上げた紅茶が自然におかれる。
ラースは当たり前のように紅茶を手にすると一口飲み、感想を口にした。
その感想にティミルは柔らかな笑みを浮かべて返すが、いるはずのない彼女がワームにいる事に気が付いたラースの顔には驚きの表情が浮かび上がる。
「ティミル、なぜ、ワームにいるのだ?」
「やっぱり、美味しいですね。アリア先生がジオスに戻った時に断られても支援をすれば良かったです」
ラースは彼女にワームにいる理由を問うが、ティミルは自分の分の紅茶も運んできていたようで書斎にあるソファーに腰を下ろし、紅茶の味を楽しんでいる。
「ティミル」
「とりあえず、休憩にしませんか? 紅茶が冷めてしまいますし、それに眉間にしわを寄せていては良い案も浮かびませんよ」
「まったく」
ティミルは驚いているラースに休憩を促す。
愛妻に言われては流石のラースも強く出れないのか苦笑いを浮かべると彼女の向かい側のソファーに腰を下した。
「それで、ティミル、なぜ、ワームにいるのだ?」
「ジークくんに連れてきていただきました。そろそろ、あなたが難しい顔をしていると思いましたので、案の定でしたね」
「そうか。まったく、それで小僧はどうしたのだ?」
ティミルは遠い地で働いているラースを心配していたと笑うとジークに連れてきた貰った事を話す。
ラースは大きく肩を落とすがジークやティミルの行動に腹を立てている様子はなく、ジーク達の姿がない事に首を傾げる。
「ジークくんなら、屋敷の外でカルディナに付き合ってくれていますわ」
「カルディナも来ているのか?」
「はい。カイン=クロークに転移魔法を教わったらしいので転移魔法でワームに来れるようになったら、迎えに来て貰おうと思ってます」
カルディナの名前に書斎を飛び出して行きそうなラースだが、ティミルに止められてしまう。
彼の表情には愛娘であるカルディナの顔が見れない残念さが浮かび上がっているが、ティミルは気にする事無く、数日の間、ワームに滞在する事を告げた。
「何を言っているのだ?」
「何か問題がありますか?」
「家の事はどうするつもりだ? ワシもお前もいないと客人の相手は誰がする?」
オズフィム家は名門であり、主人であるラースが不在であっても多くの人間が訪れる。
その対応を全てティミルが行っていたのだが、彼女が不在ではその対応ができず、ラースは問題が起きてはならないと声をあげた。
「それくらいはカルディナがします。カイン=クロークやセス=コーラッドは若くてもすでにそれくらいしているのです。あの子にもそれくらいの成長をして貰わなければ困りますから」
「それはそうかも知れないが……カルディナの性格では厳しいのではないか?」
「あなたができるのですから、大丈夫でしょう。それにいつも正解ばかりでは間違った時に答えが見つかりませんから、失敗も成功もすべてがあの子の血肉になるんです」
ティミルは紅茶を口に運びながら、カルディナのためだと言う。
しかし、彼女の言い分も理解できるようだが、ラースはカルディナが心配のようでいつもとは違いオロオロとしている。
その様子を見て、ティミルは笑顔を浮かべた。
「それはわかっているが、わがままに育ってしまったからな」
「わがままに育ったではなく、あなたが甘やかしたからわがままになってしまったんです」
「う……すまん」
ラースはカルディナの性格を心配しており、不安そうな表情をする。
彼の言葉にティミルは自業自得だと言いたげであり、ラースは大きな身体を小さく縮めて謝った。
「まぁ、あの子の教育については私にも非がありますから、これくらいにしておきましょう。あなたが思っているより、あの子も成長していますよ。私達の時にはトリス様やルミナさんがいたようにあの子のそばには今はジークくん達がいますし」
「あぁ。トリスやルミナがいなくても立派に育っていた」
「あなたは最初は男の子を欲しがってましたからね」
ティミルは自分達の若いころとカルディナ達の事を重ね合わせたのか表情を和らげ、微笑む。
その言葉にラースは力強く頷くとティミルは彼の考えを理解しているのかくすくすと笑う。
「そ、そんな事はないぞ」
「別に慌てなくても良いじゃないですか? ジークくんはあの2人の子供なんですから、私達が気にかけても何も問題はありませんから」
慌てるラースを見て、ティミルは楽しそうに笑っており、ラースは彼女に頭が上がらないと思っているのかバツが悪そうな表情をする。
「放しなさい!? 私は王都に戻ると言っているのが聞こえないのですか!!」
「あ、あの、失礼します」
「別に挨拶くらいしたって罰は当たらないだろ。それにティミル様も戻る前に顔を見せろと言ってただろ」
その時、書斎のドアの向こうからカルディナの怒声が響き、少しするとドアを遠慮がちにノックした後にノエルが顔を覗かせた。
彼女の後ろにはカルディナの首根っこをつかんだジークが立っており、カルディナは彼の手から逃げようとしているのかジタバタと身体を動かしている。
「ティミル様、カルディナ様を連れてきたんですけど」
「はい。ありがとうございます。カルディナ、少し良いですか?」
力づくになってしまった事をノエルは申し訳なさそうにティミルに謝るが、彼女はまったく気にしていないようで柔らかい笑みを浮かべるとカルディナの名前を呼ぶ。
「な、何ですか?」
「この人と話をして、私が家を離れる間の数日、あなたに王都にあるオズフィム家の事は任せることにしました。あなたの行動がオズフィム家、全ての決定になると思いなさい。ジークくん、この紅茶ですけど、少しだけで良いですから分けて貰えませんか? 王都のお屋敷に預けておいてくれるとありがたいんですけど」
カルディナはラースと距離を取りたいようでジークの影に隠れながら、ティミルの言葉に返事をする。
彼女は娘の対応に何か言うわけでもなく、言いたい事だけを告げるとカルディナの返事を待たずにジークに話しかけた。
「わかりました。それじゃあ、おっさん、ティミル様、俺達はこれで失礼します」
「うむ。カルディナ、数日だが家の事を任せるぞ」
「わ、わかりました」
ジークはティミルの言葉の裏にある意味を察したのか頭をかきながら頷く。
ラースはカルディナの事が心配なようだが、威厳を見せるように言うとあまり見ない父親の態度と母親からの命令にカルディナは余裕がなくなっているのか声を裏返して返事をする。