第163話
「……盛況だな」
「そ、そうね」
翌日、武術大会の会場に移動するとすでに観客で溢れ返っており、ジークはその様子にポリポリと首筋をかく。
「フィ、フィーナさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ。何の問題もないわ」
ここまでの観客を予想していなかったようで、観客の多さにフィーナは緊張し始めたようで、声は震えており、彼女の緊張は出場しないノエルにまで感染している。
「小娘、お前は出場するわけではないんだ。顔を青くするな」
「そ、そうなんですけど」
ノエルの様子にアーカスは小さくため息を吐くとノエルは不安そうな表情でジークへと視線を向けた。
「いや、俺に同意を求められても困るんだけど」
「ジークは緊張とは無縁そうだね」
「……エルト様、どこから湧いて出てくるんですか? と言うか、立場ってものがあるんだから自重してくれ」
ノエルの言葉にジークが苦笑いを浮かべた時、彼の背後からエルトの声が聞こえる。考えてもいなかった人間が現れた事にジークは肩を落として振り返るとエルトは仮面を付けて顔を隠している。
「……何してるんだ?」
「いや、この間は魔導銃を持っていなかったから、ジークの本気も見れなかったし、せっかくだから、私も参加しようと思ってね。昨日、ラースが乱入してきた時にね」
「ね……じゃない」
ジークの眉間にはくっきりとしたしわが寄るがエルトはジークの反応が面白いようでくすくすと笑う。
「エルト様、良いんですか?」
「まぁ、カインの仕事が増えるだけだし、問題ないよ」
「……間違いなく、あのクズは後で八つ当たりにくるわ」
エルトの武術大会参加にノエルは顔を引きつらせるが、当の本人はあまり気にした様子もない。そんな彼の様子にフィーナは眉間にしわを寄せるもエルトの行動で緊張など吹き飛んだようである。
「そうそう。ノエルとアーカスさん、せっかくですから、席を用意しましょうか?」
「ほう。ずいぶんと気が利くな」
「い、良いんですか?」
エルトはノエルとアーカスに視線を移すと少し考えるような素振りをした後に2人に席を用意すると言う。
「何か裏がないか?」
「疑わない。ただ、一般席にノエルを置いておくとどこかに流される可能性が否定できないだろうしね」
「……確かにそうだな」
「……流されるだけで済めば良いわね」
「わ、わたし、そんなに鈍くないです!?」
ノエルが迷子になる可能性が多大にあるための処置であり、ジークとフィーナは観客の波で流されているノエルの姿が容易に想像できたようで眉間にしわを寄せる。ノエルはそんな事はないと声をあげて主張するが、1度、人波に流されている姿を見ているため、説得力などない。
「アズさんの私兵団や有志の冒険者達が警備や巡回に協力してくれてはいるけど、これだけの人間が集まると言いたくないけど人さらいのような事をする人間もいるからね。ノエルはねえ」
「……鈍い上にお人好しだからな。騙されて付いていきそうだな」
「そうね」
ノエルはエルトの言葉を否定しきれる要素がなく、居心地が悪くなってきたようで小さくなって行き、ジークは大きく肩を落とした。
「アーカスさんもハーフエルフだしね。あまり言いたくないけど、狙われる可能性は高いだろうし」
「まぁ、ハーフエルフは希少種らしいから、人さらいに遭うって言うのは王都とかでは聞く話だって村に来た冒険者に聞いた事があるな」
「流石に私が用意させた席まで忍び込んで誘拐をする事はないだろうから、2人ともどうですか?」
アーカスが狙われる可能性にジークは納得したようで頷くとエルトは改めて、ノエルとアーカスに聞く。
「私は構わん」
「……お願いします」
2人はエルトの提案に頷く。しかし、ノエルはかなりのダメージを受けているようで声質は淀んでいる。
「それじゃあ。行きましょうか?」
「ジークさん、す、すいません」
ノエルの様子に苦笑いを浮かべたエルトは2人を連れて行こうとするが、エルトを探していたのか、騎士鎧を着た若い騎士がジークを見つけると慌てた様子で駆け寄ってくる。
「昨日の騎士さん? あのおっさんの相手はしなくて良いの?」
「……そう言えば、名前、聞いてなかったですよね」
駆け寄ってきた騎士は、昨日、ライオとラースの巻き添えを喰らってきた騎士の1人であり、ジークとフィーナは苦笑いを浮かべた。
「そうですね。申し遅れました。『レイン=ファクト』と言います。さっそくで申し訳ないのですが、エルト様を見ませんでしたか? いや、えーとですね。ジークさん達はエルト様と面識がないんだった。あの、ですね」
「あー、いや、言い難いんだけど、俺達はエルト様と面識があったりするぞ」
「ほ、本当ですか!? それなら、エルト様を見ませんでしたか? 武術大会の開会式の挨拶のリハーサルがあるのに逃げ出してしまったんです」
若い騎士は『レイン=ファクト』と名乗るとエルトを探している事を伝えようとするも、ジーク達と面識がないと思ったようでエルトの特徴をあげて行こうとする。しかし、当の本人はジーク達の隣に立っており、ノエルとフィーナはエルトへと視線を移す。
「……エルト様、何をしてるんですか?」
「もうそんな時間になったのかい? まだ、時間があると思ったんだけどね」
「エ、エルト様!? い、いったい、そんな仮面を付けて何をしてるんですか!?」
2人の視線にエルトは苦笑いを浮かべるとラインはエルトの声に気づき、視線を彼に向けるがそこには仮面で顔を隠したエルトが立っており、驚きの声を上げた。
「……レイン、ライオ様もそうだけど、この2人をどうにかしてくれ」
「本当に申し訳ありません」
ジークはエルトとライオに振り回されっぱなしのため、大きく肩を落とすとレインは昨日の事もあり、ジークに深々と頭を下げる。
「いや、そこまで申し訳なくされると、こっちが悪い気になってくる」
「そ、そうです。レインさんは悪くないですから、頭をあげてください」
ジークとノエルにはエルトに振り回されるレインに何か共感できるものがあったようで、直ぐに頭をあげるように言うとレインはゆっくりと頭を上げた。
「悪かったよ。レイン、少し心配事があったから、ジーク達を探していたんだ。完全にライオとラースに巻き込まれた形だしね。ジークとフィーナが安心して武術大会に参加できるようにしようと思ってね」
「……そうですか? だとしても、1人で動き回らないでください。エルト様がいなくなって、どれだけの人間に迷惑をかけたと思っているんですか?」
「悪かったよ。次からは気を付ける。ジーク、フィーナ。私は1度、戻るから、また、後でね」
レインはエルトの考えを聞き、納得できない部分もあるようでエルトに進言しようとするが、エルトはあまり聞きたくないようで頷くとジークとフィーナに声をかける。
「ノエルとアーカスさんの事、よろしく頼みます」
「2人の事はカインとアズ様に任せるから、心配しなくても良いよ。ああ、そうだ。ジーク、このレインは若いが有能で次世代の騎士団を支える人物になると私は思っている。今回の武術大会にエントリーしているから、対戦する時には気を付けた方が良いよ」
「エルト様、何を言っているんですか!?」
ジークがエルトにノエルとアーカスの事を頼むとエルトは思い出したかのようにレインに期待をかけていると言い、レインは突如として知らされたエルトの自分の評価に驚きの声を上げた。
「そうか? それなら、対戦する時はお手柔らかに頼むよ」
「えーと、こちらこそ、よろしくお願いします」
カインからエルトは人を見る目はあると聞かされている事もあり、ジークはエルトの評価が正当だと思ったようで困ったように笑うとレインもジークと同じように困ったように笑う。