表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第12巻:如月令嬢は『追憶の拍動を止めない』  作者: アリス・リゼル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/22

エピローグ:『及第点のルーツ』

「……で? これをどうやって上に報告しろって言うんだ、おい」


 月見坂警察署、捜査一課のフロア。

 すっかり夜も更け、蛍光灯が白々しく照らすデスクの上で、瀬田明彦警部補は頭を抱えながら、目の前に積まれた白紙の調書用紙を睨みつけていた。


 迷路区画の地下プラントで確保された、三年越しの指名手配犯、葛城大河。

 コンツェルン系列の病院へ搬送された彼は、両手首の複雑骨折、顔面陥没、および極度のパニック障害と疲労により、現在も意識が混濁したままだという。

 警察としては特大の手柄である。上層部はお祭り騒ぎだ。

 だが、現場の責任者である瀬田には、極めて現実的で頭の痛い『事務作業』が残されていた。


「『女子高生とその専属ボディーガードが、警察の捜査網を出し抜いて先にアジトへ到達し、スタンガンを持った凶悪犯を素手で半殺しにした上で、エビ反りに縛り上げて放置していました』……って、そのまま書けるわけねえだろ! 警察のメンツ丸潰れどころか、あの黒服の巨漢が過剰防衛で傷害罪に問われかねん!」


 瀬田がヨレヨレのトレンチコートのポケットから胃薬を取り出しながら喚くと、隣のデスクから猛烈な勢いでキーボードを叩くタイピング音が響いてきた。

 パリッと糊の効いたスーツ姿の神宮寺海斗が、モニターに向かって目をキラキラと輝かせながら調書を作成しているのだ。


「ご心配には及びません、瀬田先輩! すでに完璧な報告書を作成中です! ええと、『……突如として地下の暗渠に舞い降りた純白の天使(※比喩表現ではなく事実に基づく)は、迷える子羊を救うべく、その圧倒的なる慈愛をもって悪しき亡霊を浄化し、我々愚かなる公権力に最後の花を持たせてくださったのである……』と」


「お前はもう報告書を書くな!! なにポエム提出しようとしてんだバカ!!」


 瀬田は丸めたファイルで神宮寺の頭を思い切りスッ叩いた。


「痛ッ!? なぜですか先輩! 瑠璃様の海よりも深い御心と、我々に対するツンデレの極みのような配慮を、後世の警察史に正確に残す義務が……」


「黙れ狂信者! いいか、お前のその妄想を上に提出したら、俺たち二人揃って精神科送りにされるぞ! 事実は適度に丸めるんだよ! 『警察の急襲に焦った犯人が、逃走を図ろうとして地下施設の階段から転落し、自滅したところを確保』……これでいく! 幸い、コンツェルンの法務部からも『この件で如月家の名を出すことは一切不要』とのありがたい(そしてひどく冷たい)お達しが来てるんだからな!」


 瀬田はそう吐き捨てながら、強めの胃薬を水なしで飲み込んだ。

 まったく、あの傲慢な天才令嬢と関わると、寿命と胃の粘膜がいくらあっても足りない。

 しかし、瀬田は調書用のペンを手に取ろうとして、ふと手を止め、窓の外の月見坂市の夜景へと目を向けた。


(……それにしても、妙だ)


 ベテラン刑事としての、純粋な違和感。

 葛城大河という男は、確かに朔光太郎を拉致し、地下に監禁していた。

 だが、ただ地下で息を潜めていれば見つからなかったものを、なぜわざわざ朔光太郎のスマートフォンやタブレットを破壊し、如月邸の瑠璃の部屋まで届けたのか?

 そもそも、あんな逃亡生活でボロボロになっていた男に、あの鉄壁の如月邸のセキュリティを突破するような神業が可能だったのか?


(まるで、誰かが葛城という『手駒』を使って、あの令嬢を誘導したような……)


 瀬田の背筋に、得体の知れない冷たいものが走った。

 月見坂市の深く暗い底に、葛城など比較にもならない、底知れない化け物(ゲームマスター)が潜んでいるのではないかという、本能的な悪寒。


「……瀬田先輩? どうしました、急に難しい顔をして」


 神宮寺が不思議そうに首を傾げる。


「……いや、なんでもねえ」


 瀬田は首を大きく横に振り、自身の直感を無理やり頭の隅へと追いやった。

 これ以上、あのお嬢様の盤面に首を突っ込むのは御免だ。警察の手に負える領域ではないことだけは、確かなのだから。


「さっさと調書を終わらせるぞ、神宮寺。今日は徹夜だ」


**


 翌日。

 新市街の高台に位置する、如月コンツェルン提携の総合病院。その最上階にある、ホテルと見紛うばかりの豪奢なVIPルーム。


「……ん、ぅ……」


 サクタロウは、微かな消毒液の匂いと、高級な羽毛布団の柔らかい感触の中で、ゆっくりと重い瞼を開いた。

 視界が徐々にピントを結ぶ。

 見知らぬ天井。間接照明の落ち着いた光。自身の体には、心拍を測るスマートデバイスが装着され、胸部には最新の医療用固定具がしっかりと巻かれていた。

 息を吸うと、あばら骨の奥で微かな鈍痛が走るが、地下室で葛城に蹴り上げられた時の激痛に比べれば、嘘のように楽になっていた。顔の腫れも、特殊な冷却ジェルによって随分と引いているようだ。


(ここは……病院、か。助かったんだな、僕)


 首だけを動かして周囲を見渡す。

 もちろん、ベッドの横で心配そうに彼の手を握って涙ぐんでいる美少女……などという、アニメや漫画のような都合の良い展開は存在しない。広大なVIPルームには、サクタロウ以外誰もいなかった。


 ただ、分厚いマホガニー製のドアの向こう側から、くぐもった声が聞こえてくる。


『……ですから、事情聴取は後日にしていただきたいと申し上げております』


『おいおい、こっちも仕事なんだよ! 誘拐された被害者の証言がなきゃ、調書が完成しねえんだ! ちょっと顔を見るだけでいいから……』


『お引取りを。これ以上騒がれるようであれば、物理的に排除いたします』


 瀬田刑事の情けない抗議の声と、黒田さんの氷のように冷たい拒絶の声。

 どうやら、コンツェルンの黒服たちが、サクタロウの安眠を守るために、扉の前で完全な鉄壁のブロックを敷いているらしい。


「ふふっ……、いっ、たぁ……」


 サクタロウは思わず苦笑し、直後に肋骨に痛みが走って顔をしかめた。


 やれやれ、と息を吐きながら、彼はふと、自分の枕元に置かれている小さなサイドテーブルに目を向けた。

 そこには、三つの『モノ』が整然と並べられていた。


 一つは、最新型のハイエンド・スマートフォン。

 もう一つは、プロ仕様の大画面タブレット端末。

 電源が入っている画面を覗き込むと、壁紙からゲームのセーブデータ、魚魚ラブのプレイリストに至るまで、葛城に破壊されたはずの自身の旧端末のデータが、一切の欠落なく完璧に移行されていた。如月コンツェルンの情報部門が、物理的に破壊されたメモリからサルベージを行ったのだろう。


 そして、三つ目。

 それは、透明な証拠品用のクリアパックに入れられた、血と泥で汚れ、激しくひしゃげた『モバイルバッテリーのアルミ外装』と『ズボンのバックル』だった。


「これ……」


 サクタロウは、固定されていない方の腕をゆっくりと伸ばし、そのクリアパックを手に取った。

 あの絶望的な檻室の中で、僕が命懸けで配管を叩き続けた、執念の残骸。

 それが捨てられることなく、こうして僕の手元に戻ってきている。


 パックの下には、一枚の分厚く上質なカードが敷かれていた。

 そこに記されていたのは、万年筆の流麗で、そしてどこまでも高慢な筆致。


『鑑定結果:ただの無価値な金属片なれど、凡人が意地を見せたルーツとして及第点を与えておく。……休日は終わりじゃ。早く治して復帰せよ、我が助手よ』


「…………」


 サクタロウは、その短い文面を何度も、何度も目で追った。

 心配の言葉など一文字もない。どこまでも偉そうで、冷徹で、助手のことを所有物としか思っていない傲慢な令嬢からの、無機質な鑑定書。

 しかし、サクタロウには痛いほどにわかった。

 彼女は、あの汚れた金属片に宿った僕の『情動のルーツ』を、自身の純白の手袋を汚してまで拾い上げ、こうしてわざわざ僕の元へと返してくれたのだ。彼女なりの、極めて不器用で、論理的な『賛辞』として。


「本当に、敵わないな、あの人には」


 サクタロウは、静寂のVIPルームの中で、血まみれの金属片が入ったクリアパックを胸元でそっと握りしめた。

 怪我は痛いし、またとんでもない事件に巻き込まれるのはゴメンだ。

 でも、不思議と嫌な気分ではなかった。あの孤独で完璧な天才令嬢の隣で、彼女の論理の網を支える『助手』というポジションが、今の自分にはひどく誇らしく思えたからだ。


「……早く治しますよ、如月さん」


 窓の外には、月見坂市の新市街を彩る百万のネオンが、宝石箱のように眩く輝いている。

 未知の奇術師『ファントム』が仕掛けるであろう次なる真の盤面の気配を、凡人であるサクタロウはまだ知る由もない。


 ただ今は、心地よい疲労と安堵に身を委ねながら。

 少しだけ前へと歩みを進めた少年は、静かに目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。



~如月令嬢は『追憶の拍動を止めない』 fin~



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ