ディアナの約束
いってきます:
ここは、パステル王国。
魔法が溢れる世界にひっそりと佇む、
笑顔の絶えない平和な国です。
そんな平和な王国に、東側地域の小さな村で暮らす『ディアナ』という幼い少女がいました。
ディアナには、人の心の声を聞くことができる不思議な力がありました。
普段は、人々の幸せな様子を見て元気になれますが、時に、その不思議な力に苦しめられることもありました。
心の声が聞こえるということは、
良い言葉だけでなく、悪い言葉や痛みすらも受け取ってしまうのです。
魔女見習いのディアナは、師匠のウルスラと、居候のベルと共に、
立派な魔法使いになる為の特訓をしていました。
ディアナにとって立派な魔法使いとは、
悪い言葉に惑わされず、魔法の力で人の痛みに寄り添うことができる魔法使いの事です。
そして、ウルスラは正にディアナの思う立派な魔法使いそのものでした。
「ディアナ、今からやることをよく見ててね」
ウルスラは、魔法の杖をテーブルの上にあるマグカップに向けると、
それを軽々と宙に浮かせました。
「浮かせるコツは、落ち着いて、目の前のマグカップだけに意識を集中させること。
さぁ、ディアナもやってみて」
ディアナは、ウルスラの言う通り、
目を瞑って目の前のマグカップに意識を向けました。
すると、マグカップはディアナの思い通りにぷかぷかと宙に浮きました。
「そうそう!やればできるじゃない!
さすがね、ディアナ」
ウルスラは、まるで自身の愛娘のようにディアナの頭を撫でました。
ディアナも、そんなウルスラのことが大好きでした。
白猫のベルは、そんな二人の様子を遠巻きに眺めていました。
ありがとう:
いよいよ、旅立ちの日がやってきました。
いつものように朝食を終えたディアナは、
ウルスラにお礼を言い、大きなリュックを背負うと、
ウルスラと過ごしたお家の門を潜りました。
「気をつけるのよ。
帰りたくなったら、いつでもいらっしゃい。
ここは、あなたの居場所でもあるのだから」
そう言いながら、ディアナの頭を優しく撫でるウルスラ。
その姿は、まるで本当の母親のようでした。
ウルスラのお家を去る時、
ディアナは、ウルスラと三つの約束をしました。
一つ目は、『困っている人がいたら助けること』
二つ目は、『困った時は誰かを頼ること』
そして、三つ目は『感謝の心を忘れないこと』
ディアナは、この三つの約束を、
胸の中にある大事な場所に仕舞いました。
それから、どれほど時が経ったのでしょう?
辺りはすっかり暗くなって、頭上ではお星様たちが愉快に瞬いていました。
ウルスラと別れたディアナは、魔法の杖にぶら下がり、
小さな村を出て街の方まで飛んで行きました。
杖の上には、いつの間にか着いてきていたベルがいました。
やがて、ディアナとベルは、街の噴水広場に降り立ちました。
すると、噴水の前で困っている人を見つけました。
それは、ふっくらとしたお顔の、
右手に杖をついたおばあさんでした。
ディアナがどうしたのかと尋ねると、
おばあさんは、困った様子で言いました。
「大事な指輪を落としてしまったのよ。
ここら辺にあるはずなんだけど、
あなたは見かけてないかしら?」
ディアナは、指輪の特徴をおばあさんに聞き、
一緒に探してあげることにしました。
右に行ったり左に行ったり、色んな場所を探してみましたが、
おばあさんの指輪はなかなか見つかりません。
二人が諦めかけていたその時、ベルが何かを咥えて戻ってきました。
それは、真っ赤なルビーの宝石が嵌めてあるおばあさんの指輪でした。
「ありがとう、猫ちゃんとお嬢さん。
おかげで助かったわ。
これを失くしてしまっては、
天国にいるおじいさんが悲しんでしまうもの」
そう言って、おばあさんはカバンの中から手作りのクッキーを取り出しました。
ディアナはそれを受け取り、リュックの中に仕舞いました。
指輪を見つけたベルは、猫用の缶詰をもらいました。
おばあさんと別れた後、ディアナたちは目的もなく夜の街を歩きました。
夜の街には不思議がいっぱいあって、ディアナの瞳には幻想的に写りました。
すると、再び街の中で困っている人を見つけました。
赤い郵便ポストの前にいたのは、郵便配達員の少年でした。
少年は、ディアナたちを見るなり駆け寄ってきて言いました。
「もしかして、君たち魔法使いなのかい?
だったらさ、ちょっと僕を助けてくれないかな?
この手紙を、今夜中にパステル王国のヴィクトリア女王のところへ届けなくちゃいけないんだ」
少年から事情を聞いたディアナは、これをすぐに了承しました。
そして、少年から女王当ての手紙を受け取ると、
すぐさま魔法の杖に乗り、相棒のベルと共に女王がいるパステル城へと向かいました。
パステル城の広大な庭園が見渡せるバルコニー。
そこに、ヴィクトリア女王が居ました。
ディアナたちは、女王の前に降り立ちました。
ディアナは、ヴィクトリア女王に、
先ほど少年から預かった手紙を渡しました。
手紙を受け取った女王は、落ち着いた様子で封を切りました。
綺麗な字で書かれた手紙を読んだ女王。
その顔は、嬉しさでいっぱいでした。
人の心を読むことができるディアナには、
その笑顔の意味がとても良くわかりました。
「そろそろ時間ね。
旅人さん、宜しければアナタたちも一晩ここに泊まりなさい。
今日は夜も遅いですから、旅の続きは明日にしましょ」
おつかれさま:
お日様もまだ眠そうな早朝。
女王に別れを告げたディアナは、
相棒のベルを連れて、港がある西側に飛び立ちました。
港とは反対側の空では、お日様が少しずつ顔を出し、
街の人々を起こしていました。
港周辺を飛び回っていると、港付近の海岸に、
スーツ姿の男がいるのが見えました。
男がいる海岸へ降りると、ディアナたちに気づいたのか。
スーツの男が、大きく手を振ってきました。
「おまえさんも、旅人かい?」
近寄ってよく見てみると、
スーツ姿の男には首から上がありませんでした。
「そう怯えなくてもいいさ。安心しろ」
男は、少し警戒しているベルを見て、
わはは!と、大げさに笑いました。
すると、男の背後から小さな生き物が現れました。
「俺は、旅人のオスカー。
そんで、俺の後ろにいるコイツはニケ。
ここから南方にある、ルミナスの森で出会った妖精で、
俺の旅仲間だ」
布切れを被った小さな生き物は、
オスカーの前に出て、ぺこりとディアナたちに一例しました。
ふと、オスカーは空を見上げました。
その表情は、とても悲しげでした。
「ようやくだ。
ようやくここまで来た。
ここへ辿り着くまでの間に色んなことがあった。
色んなものを得て、色んなものを失った」
オスカーは、これまでの経緯をディアナたちに語って聞かせました。
その過去は、とても残酷で、悲惨なものでした。
オスカーの過去を聞いたディアナは、言葉では言い表せない感情が湧き上がってきて、
ボロボロと涙をこぼしました。
人の心を読むことができるディアナは、
オスカーの過去を知り、その記憶を意図せず見てしまいました。
ディアナは、苦しくなって思わず目を瞑りました。
「これは、そういう物語だった…」
オスカーは、空を見上げながら一つため息をつきました。
「もう、潮時だな」
ディアナの瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちました。
ディアナは、心の中で彼の結末を知りました。
そして、彼の願いを受け取りました。
「話に付き合ってくれてありがとな。
ルミナスの森に行きたいなら、
これを持っていくといい。
そいつが、おまえの目になって、
目的の場所まで導いてくれるだろう」
オスカーは、小さな塊をディアナの手のひらにそっと置きました。
それは、水色の三日月型の髪飾りでした。
綺麗な髪飾りは、ディアナの手のひらで微かに光っていました。
「幸運を祈る。
俺たちは、そろそろ行くよ。
おまえも猫も、お疲れ様」
少しずつ、オスカーの姿が薄れて行きます。
薄れていくオスカーとニケを前にして、ディアナはどうすることもできません。
「素敵なお嬢さん、
またどこかで会えるといいな」
風のように、光に包まれながら消えゆく男。
表情は見えなくとも、オスカーの思いは痛いくらいに伝わっていました。
彼らが去った後も、お日様が眠りにつくまで、
ディアナは遠くの海を眺めていました。
さよなら:
お昼頃、ディアナたちはルミナスの森にたどり着きました。
森の中では、鳥の囀りがこだましていて、
心地のいい木漏れ日が森を優しく包んでいました。
ディアナとベルは、暖かい森の中を歩き続けました。
不思議と、二人の気分は穏やかでした。
「ディアナ」
暖かな森の中を進んでいる最中、
ふと、後ろにいたベルに呼び止められました。
「残念だけど、ここでお別れね。
私も、そろそろ行かなくちゃ」
ベルの声は、ソプラノのようにとても繊細で綺麗でした。
ディアナに、母親のような笑顔を向けるベル。
その表情は、どこか悲しくて、暖かくもあって、
彼女の思いは、ディアナが一番知りたくなかったものでした。
「あなたは、ウルスラの元に帰りなさい。
一人旅なんて、やっぱりあなたには早いわ。
もっと色んなことを知ってからじゃなきゃ」
ディアナは、ベルを引き留めました。
それでも、ベルは笑いました。
ディアナのために、涙を飲み込んで笑いました。
「あなたは大丈夫。
ぜーったい!素敵な魔法使いになれるわ。
私は、そう信じてる」
ディアナは泣きました。
大声で泣きました。
失いたくなくて、それが許せなくて、
ひたすらベルの名前を叫びました。
「さよなら、ディアナ」
光となって消えゆくベルを、
ディアナは最後まで止めることができませんでした。
失いたくない。
結局、ディアナの思いは届きませんでした。
ディアナは、その場で膝をつきました。
目を閉じると、ベルと過ごした日々が走馬灯のように鮮明に蘇りました。
そして、ディアナは独りになってしまいました。
ただいま:
ベルと悲しい別れをしたディアナは、
ウルスラのいる小さな村へ戻ってきました。
「おかえり、ディアナ!」
駆け寄るディアナを、ディアナは優しく抱きしめました。
それは、親子の再会を意味していました。
ディアナにとって、ウルスラは帰るべき場所でした。
「ただいま!」
ディアナも、元気よく挨拶をしました。
再会を喜び、抱きしめ合う二人。
二人の中には、何にも代え難い幸せに満ちていました。
そして、噴水広場でおばあさんからもらったクッキーは、
ウルスラと仲良く分け合いました。
そして、ディアナは旅の話をウルスラに語り聞かせながら、
二人は小さな村で、時折街へ出て、
寿命が尽きるまで、いつまでも平和に暮らしました。
悲しくも悪夢なき人生。
悲しき別れはあれど、誰もが幸福で、
希望に満ち溢れていて、満たされていて、
どこまでも平和で、誰も傷つかない幸福な世界。
それは、著者が思い描く本当の理想でした。
現実は、幼き私が思っていたものよりも残酷で、
どこまでも無慈悲で、どうしようもない世界でした。
それを知った私は、苦しくて、苦しくて、
子供のように泣き続けました。
本当に、どうしようもなく、
救いようもない人生でした。
これは、そういう物語でした。
この物語は、著者にとって最後の願いでした。
おしまい。




