第三話 嘘じゃ……なかった?
家に戻ると、一目散に自室に入った。
もらった贈り物を売ってしまった後ろめたさから、両親やお客さんに会うことを自然と避けてしまう。
私は金貨を、机の引き出しの奥にハンカチに包んで大事にしまい、机に向かってペンダントを眺める。
部屋に差し込む光を受け、淡く輝く琥珀色。
淡い色なのに、私の曇った心には眩しく映る。
被害者は私なのに、どうしてこんなにも胸が痛むのか。
ルキアン様の、贈り物をしてくれたときの優しい笑顔ばかりが脳裏に浮かぶ。
「ルキアン様は、ずるい」
私に、後悔ばかりを押しつける。
お金のために恋人役を了承したのに、これでは本末転倒だ。
ふと、窓に目を向け、室内を照らす太陽を眺める。
彼と初めて出会ったのも、天気の良い春の日だった。
* * *
「お嬢さん、お願いします! 働いていた店が急に閉店して就職先を探してるんです。ここで雇っていただけませんか?」
くたびれた服を着た、中年の男性がカウンターにいた私に何度も頭を下げる。
だが、私はこの店の娘ではあるが店主ではないし、そんな余裕もない。
「申し訳ないのですが、うちもあまり余裕がなくて新たに人を雇うのは難しいんです」
「そこを何とか! 妻が病で倒れ治療のための薬が高く、私が働かなくては買うこともできません!」
床に頭を擦りつけそうな勢いの男性に、そこまで言われ、
「少しお待ちください」
と言い残し、急いで自分の部屋に向かった。
私にも、多少の蓄えはある。
「お待たせしました。あなたを雇うことはできませんが、これを薬代の足しにしてください」
恥ずかしいくらいに小銭の多い布袋を渡そうとしたとき。
「就職先を探してるの? ……いいところを探してあげられるかも。ちょっとこっちに来てくれる?」
そう言って、男の人の肩に腕をまわし店の外に連れて行ったのがルキアン様だった。
うちの店が貴族間で噂になったらしく、お姉さんと一緒に買いに来てくれていたのだ。
「あの男性、肌の色つやも良く、手も綺麗。今まで、何の仕事をしてらしたのかしら?」
扇を広げ、小声でも私に聞こえるように呟いたのは、ルキアン様のお姉様。
ルキアン様はお姉様の付き添いでうちに買い物に来ていたのだと聞いたのは、それから数回目に会ったときのこと。
店に来るたびに、
「こんにちは、リーナちゃん」
と、笑顔で挨拶してくれて。
初対面の人に仕事を斡旋してくれる優しい人。
名家のご子息なのに親切で礼儀正しいルキアン様を、私はとても好ましく感じていた。
――感じて、いたのだ。
手の中にある琥珀色のペンダントを、じっと見つめる。
宝飾店で手にしたとき、見慣れた色だと思ったのに。
どうして気づかなかったのだろう?
迷わず手にしてしまったのだろう?
このペンダントの大きさと重さは、私の後悔そのものだ。
窓からの光を柔らかくはじき返すそれに音もなく一滴が落ち、私はぎゅっと目を閉じた。
* * *
「ルキアン様。私と別れてください」
最後のデートと決めて出かけたその日の夕暮れ。
人気のない公園で、私とルキアン様はベンチに座っていた。
私は鞄からペンダントの箱を取り出し、ルキアン様に差し出す。
プレゼントを売って得たお金は、後で父と一緒に伯爵家に返しに行くつもりだ。
「こちらはお返しします。私には受け取る資格がありませんでしたので」
彼は、私を見つめるだけで何も言わなかった。
その沈黙に耐えられなかったのは私の方。
「ルキアン様が、私と罰ゲームで付き合うことになったことは知っています。ですが、私がこれ以上付き合いきれなくなりました」
「どうして?」
「仕事が忙しくなりましたので。遊びにはこれ以上お付き合いできません」
「遊び……か」
ルキアン様は私を見つめたまま、口元に手を当てる。
そこに、感情の色は見えない。
それが、私にはかえって恐ろしかった。
「俺とのデート、楽しくなかった?」
「楽しかったです。とても。忘れられないくらいに」
「そう」
安堵したように目元を和らげる彼の考えが私にはわからない。
そんなことを気にするような場面ではないはずだ。
「それなら、一度贈ったものを返却というのは悲しいな」
うなだれるルキアン様に問いたい。
こちらは別れ話を切り出しているのだ。
デートの評価をしているわけではない。
「不満そうだね。でも、受け取れないものは受け取れないんだ」
いつものような穏やかな笑顔と声で。
私の誠意を拒絶する。
「でも……」
「それはデートの記念に贈ったものでしょ。デートをしたことは事実だし、その記念に贈ったものなんだから返さなくていいよ」
そうは言われても、これは嘘から始まったものであり、あれを本当にデートというのかも怪しい。
私は箱を手にしたまま俯く。
「リーナちゃんは、素直なのが可愛いんだけど欠点でもあるよね。あと、その誠実さ。君の言う『罰ゲーム相手』に贈られたものを、普通は返そうとしないでしょ」
ルキアン様の楽しそうな声。
横目にかろうじて見えた口元が、弧を描いている。
「リーナちゃん。俺は、初めて会ったときから君には、一度も嘘をついたことはないよ」
初め、口にされた言葉の意味がわからなかった。
口調は軽いが、声はいつもよりわずかに低い。
そんなはずはない。
彼はディラン様に負けて、告白するように強制されて。
それで、私に告白を――
「……え?」
あの時の言葉を思い返す。
『おまえの負けだよ。いいから告白してこいよ』
『わかってるって。気持ちの準備くらいさせろって』
『やだね。早く行って浮かれ姿を俺に見せてくれよ』
え?
あれ?
嘘が……ない?
思い返せば、告白するのをためらっているルキアン様をディラン様が励ましているようにも受け取れる。
信じられなくて、でもかすかに灯った希望に縋りたくて顔を上げる。
隣に目をやれば、そこには蕩けるような笑みがあった。
「気づいてくれた?」
「……嘘……」
「まだ嘘だと思ってるの? 心外だな」
信じてくれと言う方が、無理がある。
だって、彼は伯爵家のご子息で、私はただのパン屋の娘。
そこは、覆しようのない事実なのだ。
「俺は、ずっとリーナちゃんと一緒になることだけを考えていたのに」
拗ねたように口を尖らせるルキアン様は本当にいつも通りで、私だけが状況に取り残されている。
「あれね、君に聞かせるために言ったんだ。ディランにも協力してもらってね。リーナちゃん、正攻法で行っても絶対身分を盾に頷いてくれないだろうから」
思わず目を瞠る。
私が彼を騙すつもりだったのに、騙されていたのは私の方だった。
――いや、違う。
私が勝手に誤解していただけだ。
彼が言うとおり、素直に告白してもらっても、立場の違う彼を受け入れることはなかっただろう。
「私とルキアン様とでは、立場が違います」
「やっぱりそうきたか」
私の言葉も想定通りだったのか、ルキアン様の笑みは崩れない。
「……そんな言葉で諦められるなら、こんなことはしないのにね」
口元は笑っているのに、声は笑っていなかった。
逃げ場のない真剣さに、視線が縫い止められる。
「俺が次男だって知ってるよね?」
「えぇ。それでも、貴族であることに変わりはありません」
引く手あまたでしょうし……とは、さすがに言えなかった。
ルキアン様と一緒にいて、嫌な気がする女性はいないだろう。
「伯爵家は、兄が継ぐ。で、俺の父は男爵位も持っていて、俺はそっちを継ぐ予定」
そんな話は、初めて聞いた。
「ルキアン様、男爵様になられるんですか?」
「将来的には、ね。今はただの伯爵家の子供ってだけで、わがままな姉上に振り回される哀れな弟だよ」
肩を竦めるルキアン様を見て、また思い出す。
そういえば、彼のお姉様は常々言っていた。
「ルキアンを鍛えたのは、私ですのよ」
と。
扇を広げ、誇らしげな美貌が瞬時に浮かぶ。
「だからさ、リーナちゃん。改めて伝えるよ」
ルキアン様の顔から笑みが消える。
真剣な顔で、私を真っ直ぐに見据える。
「初めて会ったときから好きだった。結婚を前提に俺と付き合ってほしい」
「そう言われても……」
「君の優しさは、ときどき危なっかしい。だから放っておけないんだよ」
見つめられたまま、両手を握られた。
そして私の手の中の小さな箱が、するりと彼の手に移る。
「初めて会ったとき、見ず知らずの相手にお金を渡そうとしただろ」
彼は箱を開け、ペンダントを取り出すと、私の首にそっと掛けた。
「そういうところが、好きなんだ」
首元に少し重みを感じる。
初デートの記念品が、私の胸元でわずかに揺れた。
「それに、君のご両親もご近所の人たちも、みんな俺たちのことを恋人同士だと思ってるよ?」
「!?」
ルキアン様の指摘に、思わず息を呑む。
「……そういえば、そうでしたね」
でも、あの時は知らなかった。
ルキアン様が、本気で私を想ってくれているだなんて考えもしなかった。
貴族との恋なんて、夢物語だと初めから諦めていた。
「ディランにも、姉上にも報告済みだし」
私は青ざめる。
これは、完全に。
外堀を埋めるどころか、退路までふさがれている。
「早く、リーナちゃんのご両親にもきちんとご挨拶しないとね」
「……そうですね。でも、ちゃんと段階は踏んでもらいます」
にっこりと微笑むルキアン様の台詞に、背に冷や汗を感じながらそれでも言葉と気力を振り絞った。
浮かれてはしゃぐ母と渋い顔をする父の姿が目に浮かぶ。
――ふと、胸元の琥珀に触れる。
それは、夕暮れの名残をひとつ拾って光っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
嘘だと思って始まった恋が、
最後にはきちんと「本心」にたどり着くお話でした。
勘違いもすれ違いもありましたが、
二人が向き合った先は、幸せな結末です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
※本作品はカクヨム様でも公開しております。




