第二話 恋人ごっこのはずなのに
先ほどルキアン様に告げた通り、両親は仕事で外出中。
私を一人にしておきたくないという彼と二人。
小さなパン屋で店番をしていると、マリーおばさんがやって来た。
うちの近くで食堂を営んでいる、恰幅も気前も良い世話好きなおばさん。
私にも色々教えてくれる――ルキアン様の噂とか。
ちらりと隣に立つ彼へ目を向ける。
「あら、リーナちゃん。それにルキアン様も。二人だけなんて珍しいねぇ」
「そうなんです。私たち、今日からお付き合いすることになって。私一人じゃ心配だからって、父か母が帰ってくるまでルキアン様も店にいてくれることになったんです」
これ幸いと、噂の拡散器であるマリーおばさんに、にっこりと報告する。
私は内心にんまりした。
私とルキアン様のお付き合いの話は、これで勝手に一人歩きする。
夕方には、町内に知れ渡っているはずだ。
「へーぇ、二人が恋人にねぇ」
マリーおばさんがルキアン様を上から下まで眺める。
ルキアン様は、私よりも完璧な営業スマイル。
「……ふーん。ルキアン様、見る目があるじゃないかい。リーナちゃんを恋人にするだなんてさ!」
「えぇ、受け入れてもらえて本当に安心しました」
ルキアン様の背中を叩きながら、おばさんが話し、ルキアン様はそれを笑顔で受けている。
そんな構図を見ている私の気持ちは冷たくなっていくばかりだ。
目の前の二人を見て、両親に紹介する前に帰ってもらおうと決めた。
* * *
今日は、ルキアン様との初デートの日だ。
マリーおばさんのおかげで両親も私とルキアン様のことを知るところとなり、今日は私より両親の方がそわそわしている。
「リーナ、もうちょっとおめかしした方がいいんじゃないの?」
「いや、リーナは十分可愛いだろう」
母親は心配そうに私の身だしなみをチェックするし、父親は複雑そうな顔で母親を宥めている。
「父さん、母さん。行ってきます!」
これ以上両親が何か言いだす前に、私は家を飛び出した。
待ち合わせ場所は、家の近くの噴水広場。
家まで迎えに来るというルキアン様を止めるために
「その方がドキドキしませんか?」
と私が提案した。
ルキアン様の家は、シャローム伯爵家という歴史ある名家だそうだ。
彼自身はどう思われてもいいけれど、うちの店は彼のお姉さんにも良くしてもらっている。
そのため、彼の家の品位を下げるのは私も本意じゃない。
一張羅のワンピースにカーディガンを羽織り、急いで広場に向かう。
少しは待たせた方がいいくらいなのに、足が止まらない。
休みの日とはいえ、広場にはいつも以上に人が集まっていた。
不思議に思った私は、人だかりの中を覗き込む。
――ルキアン様が立っていた。
髪色に似た赤茶色いジャケットに、生成りのパンツ。
時折周囲に目を向けているのは、私を探してのことだろう。
「あ、リーナちゃん!」
彼が私を見つけて、口元をほころばせる。
「お待たせしてすみません!」
慌てて駆け寄るとルキアン様の手を取り、その勢いのまま広場を出た。
「今日も可愛いね。その桃色のワンピース、とても似合ってるよ」
「ありがとうございます。ルキアン様もその服、お似合いですよ」
「本当? 良かった。こういうのあまり着慣れないから心配だったんだ」
あなたは何を着てもお似合いですよ。
心のうちで呟く。
私が握っていたはずの手は、いつの間にかルキアン様に握られていた。
いつの間に?とは思ったが、まずは二人でゆっくり話せる場所を探さねば。
* * *
下町は私が案内するつもりでいたのに、なぜかルキアン様の方が詳しかった。
変わらず彼に手を握られたまま、私たちは商店街の端の方に向かう。
賑わっている店のそばは、ルキアン様が避けているようだった。
商店街の隙間にぼんやりと夕焼けが見えてきた頃。
「あっという間に時間が過ぎてしまうね」
ルキアン様が口にした何気ない一言。
私も同じ気持ちだったので、びっくりしてしまい彼を見上げた。
目が合うたびに、彼の顔に笑みが浮かぶ。
琥珀色の瞳が、柔らかく細められる。
いや、待て私。
彼と同じ気持ちではダメなのだ。
私がデートに同意したのは、彼に高いプレゼントをねだって売り、家計の足しにするためだ。
感傷に浸るような目的ではない。
私は、そんな甘い夢は見ない。
「ねぇ、リーナちゃん。初デートの記念に贈り物がしたいんだけど、いいかな?」
待ってました、その言葉!
私は内心ほくそ笑む。
「嬉しいです。私も記念に残るものがほしいと思ってました」
すぐ売るんだけどね!
そんな素振りは隠しつつ、ルキアン様にエスコートされるままついて行くと、商店街の角にある宝飾店に到着した。
今の建築様式とは違う、重厚な店構え。
蔓草の絡むアーチの奥に、重そうな扉があった。
ルキアン様が開いてくれた扉の中に、足を踏み入れる。
店内は薄暗く、それでも棚に並べられた宝飾品は、わずかな光を反射していた。
その輝きに、私は怯む。
「ようこそおいでくださいました。ごゆっくり、心ゆくまでお選びください」
店のカウンターで赤い宝石を磨いていた壮年の男性が、私たちを見て声をかける。
その品の良さに、思わず感心してしまう。
そして、この店を選んだルキアン様にも。
「ここなら、君の気に入るものが見つかると思うんだ。リーナちゃんは、物を大切に扱ってくれる子だから」
上目遣いで隣のルキアン様を見上げると、温かな声が頭上から降る。
違うんだよ、ルキアン様。
私はただ、高値で売れそうな宝石を贈ってもらえれば、それでいいの。
うちにはあまり、余裕がないから。
「時間をかけて、ゆっくり選んでほしい。君が満足のいくものを。ここで見つからなければ次で見つければいい」
その優しさが表面的なものだと知っている。
店の裏口でのやり取りが忘れられない。
だから、迷うことなく店の奥にあった大きな宝石を手に取った。
胸元を飾る、丁寧に磨かれたペンダントトップ。
チェーンにつなげば、上品にも見えるドロップ型だ。
「ルキアン様、私これが気に入りました」
ペンダントを店の男性から受け取り、胸元につけてみせる。
今の私にとっては、その大きさゆえに主張が激しいだけだが、貴族女性が着るようなドレス姿なら映えるのかもしれない。
「これだけでいいの? ペアのブレスレットとかもあるけど」
私にとっては怖くて値札も見られない商品が、伯爵子息になると「それだけ?」な感覚になるらしい。
「私にはこれで十分です。ありがとうございます!」
「そう。それじゃ、それに似合うチェーンも選ぼうか」
ルキアン様と店員さんで話し合い、大きめの鎖状のチェーンになった。
ベルベットの箱に包まれてリボンを掛けられたそれを私はただ眺めている。
高く売れそう。
それだけで選んだ見慣れた色の宝石が、胸に焼き付く。
ルキアン様に家の近くまで送ってもらい、別れ際にプレゼントを渡されて。
私たちの初デートは終了した。
渡された小さな箱が、やけに重く感じられた。
* * *
あれから何度かルキアン様とのデートを重ねた私は、
「今日のデートの記念に」
と、小さいくせにお高そうな小物を毎回いただいていた。
かさばらない物をと、気をつかってくれているのだろう。
ベッドの上に並べてみるが、明らかに何の飾り気もないコットンカバーの上で浮いている。
「売るなら、今よね」
思い立ったが吉日。
ルキアン様も、まさかデートの記念品が売られるなんて思っていないだろう。
最初に買ってもらったペンダントを手に取ってみた。
「……ルキアン様の瞳と同じ色だったんだな」
見慣れた色だなと思ったそれは、大きさで選んだつもりだったのに――彼の色だった。
窓からの光を受けて優しく輝く蜂蜜の色。
「これだけ、残しておこうかな」
私に向けられた、ルキアン様の笑顔が思い浮かぶ。
上質なベルベットの箱を渡してくれたときの、はにかんだような表情。
女性に慣れていても、そんな顔をするんだなと思った。
「……でも、ただの恋人ごっこだし。やっぱり全部売ろう!」
彼からの贖罪の品だと思えば、多少は気持ちも軽くなる。
私はペンダントなどの贈り物を、丈夫さだけだが取り柄の大きな鞄に入れ、家を出た。
* * *
わずかに風に花の香りが乗る季節。
宝飾店で、ルキアン様からの贈り物の小物が、予想以上の高値で買い取られたことに心底驚いた。
鞄の中に大事にしまった金貨が、余計に私の心に重くのしかかる。
ペンダントはお店の人に見せられなかった。
帰り道にある公園のベンチに座り、小さなベルベットの箱が入った鞄を膝の上に置いてそっとさする。
『時間をかけて、ゆっくり選んでほしい。君が満足のいくものを。ここで見つからなければ次で見つければいい』
初デートでのルキアン様の言葉を思い出す。
繋がれた手のぬくもりや優しさ、私を見つめる琥珀色の瞳。
歩調も私に合った、完璧なエスコート。
「……やっぱり、売りたくないな」
既に売ったものだけでも当面の生活には困らない。
ペンダントを売るのは後でもできる。
そう言い聞かせて、その日は家に帰ることにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第二話では、
恋人として過ごす時間の中で、
リーナの中に生まれる違和感と迷いを描きました。
優しさが積み重なるほど、
それを「嘘」だと思い続けることが難しくなっていきます。
次話で、この勘違いの行き着く先が明らかになります。




