第一話 裏口で聞いてしまった告白
「おまえの負けだよ。いいから告白してこいよ」
「わかってるって。気持ちの準備くらいさせろって」
「やだね。早く行って浮かれ姿を俺に見せてくれよ。前からそういう話だったろう?」
家の裏口で届けられた食材の確認をしていたとき。
扉の向こうから聞こえてきた会話に、心臓がドキリと鳴った。
この声の主は、うちの店に時々来る貴族――ルキアン様と、その友人のディラン様だ。
「……わかったよ。行ってくる」
「おう、結果報告待ってるぜ。日和ったら罰ゲームな。……ま、頑張れよ」
どうやら、ルキアン様はこれから誰かに告白するらしい。
そうか、ルキアン様に好きな人がいたんだ。
優しい笑みが脳裏に浮かび、胸が痛んだ。
けれど、きっと気のせい。
だって、ルキアン様は伯爵家のご子息で、パン屋の娘の私とはただの客と商売人の間柄だ。
成就するといいな。
日頃から良くしてくれているルキアン様には、幸せになってほしい。
淡いブラウンの髪に琥珀色の優しい瞳。
背も高く、貴族令嬢が放っておかないと、近所のマリーおばさんも言っていた。
だから、私が心配するようなこともないのだろう。
――そう思っていたのに。
「リーナちゃん、ちょっといい?」
ルキアン様が焼きたてのパンを並べている私を呼び出した。
「はい、少しなら。どうかされました?」
「うん、君に伝えたいことがあって。裏口の方に来てもらえる?」
「はい。大丈夫ですよ」
何か告白に関する相談でもあるのだろうか?
私で役に立てるとは思えないけれど。
「このパンを並べてからでもいいですか?」
「うん。待ってる」
ルキアン様がカウンターに肘をかけて、目を細めて私を見つめてくる。
私は急いでパンを並べる。
棚に整然と並んだパンの香ばしい香りが、店中に満ちていた。
振り返ると、窓から差し込む光が彼のブラウンの髪を明るく照らしている。
また、胸の奥がドクンと跳ねた。
「お待たせしました。裏口ですね」
「正確には、裏口の外だけどね」
それは、さっきルキアン様とご友人のディラン様が話をしていた場所だ。
胸の奥がざわついた。
――まさかとは思うけれど。
マリーおばさんが、少し前に教えてくれた噂。
「貴族の坊ちゃんの間で、嘘の告白をして成功するかどうか、賭けるようないたずらが流行っているらしいわよ」
リーナちゃんはかわいいから気をつけなさいね、と言われた日のことが鮮明によみがえる。
いや、でも相手は普段からうちの店に良くしてくれているルキアン様だし。
そんな心配、いらないよね。
私はルキアン様の後についていって、裏口を出る。
その先、路地の手前で彼が振り返り、私を見下ろした。
いつもと同じ、目元と口元を和らげた優しい表情で。
「リーナちゃん。初めて会ったときから好きだった。俺と付き合ってほしい」
微笑みを崩さないまま。
甘い声で、私に告げる。
――私が好きだと。
目の前が暗くなった気がした。
息が止まるかと思った。
頭が真っ白で、何を考えればいいのかも分からなかった。
私は庶民で、彼は伯爵子息。
しかも私は、さっきの会話を聞いている。
応援したいと。
幸せになってほしいと思っていた。
けれど、それは私とではない。
そもそも、女性に困らないと噂のルキアン様が私を選ぶ理由が見当たらない――嘘の告白以外は。
これは、ディラン様に賭けか何かで負けて、私に告白する罰ゲーム?
敗者が告白。
勝者がその様子を見て笑うアレ?
ルキアン様もディラン様も、そんな人だったの?
私は両拳を握り締める。
俯いて歯を食いしばった。
腹が立った。
本当に幸せになってほしいと思っていたのに。
その思いが、裏切られた気がした。
「……それは、ルキアン様の本心ですか?」
「もちろん」
「じゃあ、私がいいと言ったら両親や近所の人たちに話してもいいですか? 私、恋人ができるのは初めてなんです」
「君が良ければ喜んで」
心が重く沈む。
冷たくなる。
どこまで私を馬鹿にしているのだろう?
ルキアン様の顔を見られないまま、唇を噛む。
「嬉しいです。では、今日から恋人としてお願いします。でも、本当に私でいいんですか?」
顔を上げ、店で鍛えた笑顔を浮かべる。
ルキアン様の表情は崩れない。
口元に微笑みをたたえたまま、私を見つめている。
「君だからいいんだよ。ありがとう。リーナちゃんに受け入れてもらえて嬉しいよ」
ふにゃりと蕩けるような笑顔。
これが、女性に困らない男の手管か。
「ねぇ、ルキアン様。両親にも、お付き合いすることになったと伝えたいんです。ルキアン様からちゃんと説明してもらえますか?」
こういう嘘の告白は、大抵秘密の関係だと聞く。
ルキアン様に断られたら、
「私のこと、その程度にしか思ってくれていないんですね」
と一言返せば、この話はそこで終わり。
そうあってほしいと、今になっても願ってしまう。
裏路地には人が少なく、あまり喧噪は届かなかった。
ただ、春先の冷たい風が頬を通り抜けるだけ。
「もちろん、喜んで。今からでもご両親に挨拶していい?」
嬉しそうにルキアン様が返す。
罰ゲームはそこまで徹底するものなのか。
本当に、随分と悪趣味ないたずらだ。
「両親は今、仕事で外出中なので後日で構いません。友人やお世話になっているおばさんにも伝えていいですか?」
「いいよ」
相変わらずの笑み。
なんて図々しいの。
余裕綽々なのが、さらに腹立たしい。
――私は決めた。
私の人生が他人の遊びとして消費されてしまうのなら、ルキアン様の告白を受け入れるフリをして、彼を思いきり振り回してやる!
告白したことを後悔するくらいにわがままになって、高価な贈り物をねだり家計の足しにしてやろうと。
私は心の傷に蓋をして、ルキアン様とお付き合いすることにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第一話は、
「嘘の告白だと思い込んだまま、受け入れてしまう」
ところまでです。
次話では、恋人になった“はず”の二人の日常と、
少しずつ揺らぎ始めるリーナの気持ちを描きます。




