九話
道に沿って歩き続けてるけど、次の町は一向に見えてこなかった。ちょっと前の分かれ道を曲がるべきだったかなと思うけど、今さら引き返すのも嫌だから、結局殺風景な道を突き進んでる。広い草原……その中に点々と木は立ってるけど、建物があったり花畑があったりするわけでもなく、ただ緑の景色が続いて行くだけだ。時々エリスに頼んで先を見て来てもらうけど、私から離れ過ぎると霊力がなくなって変身の力が使えなくなっちゃうから、そんなに遠くまでは行かせられない。だから近い距離を行ったり来たりしてもらうけど、今のところ森や人の気配のする場所を見つけることはできてない。もう何度目かわからない飛行を見送って、正直、何もないんだろうなと思って歩いてた時だった。
青い小鳥が舞い戻って私の肩に乗るという同じ光景を見ながら、期待のないエリスの言葉に耳を傾ける。
――もう少し先に、墓地がありました。
「そう。わかっ……え? 墓地?」
どうせ同じだろうと思ってたから、何か見つけたっていう報告に思わず聞き返してしまった。
――ええ。墓地です。
それを聞いて私は少しがっかりする。人が来る場所ではあるけど、町のように人が集まる場所じゃない。墓地に行っても、別にできることはなさそうだけど……。
――小さな小屋もありました。休んで行けるかもしれません。
私の顔にがっかり感が出てたのか、エリスはそんなことを言った。
「でも、木の下とかで野宿すれば――」
――夜にかけて天気が悪くなりそうです。雨風がしのげる場所のほうがいいと思うのですが。
言われて頭上へ目をやる。いつからこんなに雲が集まってたのか。青く染まってるものと思ってた空は、灰色の分厚い雲に覆われてた。頬に当たる風もひんやりする。ぼーっと歩き過ぎて、こんなことにも気付けなかった。
「本当だ……そのうち雨が降って来そう」
――この辺りで雨宿りできそうなのは、墓地の小屋ぐらいです。使えるかわかりませんが、行ってみますか?
周囲を見渡してみても、立ってる木はそんなに大きくないし、枝も広く張ってない。風が吹けば身体の半分はびしょ濡れになるだろう。
「……降って来る前に、行ってみるしかないわね。でも、墓地か……」
――嫌ですか?
「嫌って言うか、墓地で一晩過ごすのって、やっぱり不気味でしょう?」
――これまでさんざん幽霊と会っていても、そういう気持ちになるものなのですか?
「今までは一人とか二人とかの少人数だったけど、墓地には幽霊がウジャウジャいるんだよ? 中には悪霊もいるかもしれないし……意思疎通のできない幽霊もたまにいるから、何かして来る幽霊がいたら、怖いなって」
――では、やめておきますか?
私は空の灰色雲を睨む。
「……行くだけ行ってみる。無理なら別の場所を探そう」
――わかりました。では案内します。
肩から離れたエリスは、私の前をパタパタ飛びながら先導してくれる。それを追って歩くこと十分。道から左へそれたエリスに付いて行くと、木々に囲まれるように、そこには無数の墓石が並んでた。ここが見つけた墓地か。私は低い鉄柵を越えて中に入った。
その途端、辺りからざわざわと雑音が聞こえ出した。遠くや近くで人が話してるような、たとえば町で聞いた喧騒のようなざわめき……すごくうるさいわけじゃないけど、慣れないと耳障りな音。出所はもちろん、並んだお墓だろう。こんなに大きな墓地に来たのは初めてだけど、集落のお墓に行った時も、小さかったけどこんなざわめきは聞こえた。多分、私に気付いて誰か来たって話してるんだろう。
――皆、アストリッドに興味津々のようですね。
肩に戻ったエリスが言った。
「この音、エリスにも聞こえるの?」
――ええ。何と言っているかまではわかりませんが。ですが、様子からして、あなたに敵意を向けたものではなさそうですね。
「それならいいけど……」
私達は騒がしいお墓の間を通って奥へ進む。と、少し開けた場所に出たところで、その先にある小屋を見つけた。
「あれが言ってた小屋?」
――そうです。使えるといいのですが。
木造の古そうな小屋だ。でも穴が開いてたりはしない。ちゃんと人の手が入ってそうな小屋ではある。誰かが使ってるのかな――そう思いつつ近付こうとした時、不意に何かの視線を感じて、私は横へ振り向いた。
お墓とお墓の間に、黒い髪とひげを生やした男性が立ってた。五十代ぐらいだろうか。中肉中背で、ヨレヨレのシャツを着て、背中には金槌やのこぎりなどの工具が入った袋を背負ってる。その目は私とばっちり合って、ただじっとこちらを見て来る――ど、どうしよう。私のこと、怪しいやつだと思ってるのかな。こっちにしてみれば、おじさんのほうが怪しく見えるけど……。
「あんた、ここの住人じゃなさそうだな」
ひげのおじさんは視線をそのままに、ぼそりと言った。
「は、はい。私は、ずっと向こうの集落から来ました……」
答えると、おじさんはちょっとだけ目を見開いた。
「何だ、あんた、しゃべれるのか。こっちをじっと見て来るもんだから、口が利けないのかと思った」
それはおじさんも同じだったと思うけど……。
「ちゃんとしゃべれます。……あなたは、こんなところで何してるんですか? その、背負ってる物を見る限り、お墓参りって感じじゃなさそうですけど……」
私の視線が工具に向いたのに気付いて、おじさんはそれを胸の前に持って来る。
「ひょっとして、墓荒らしとでも思ったか?」
それもよぎった、と正直に言っていいものか迷い、私は口ごもってしまった。
「こんな見てくれだ。そう思われても仕方ない……だが違う。俺はここの墓守だ」
「はかもり……?」
――墓地の管理や見張りを任されている人です。
すかさずエリスが説明してくれて私は理解した。つまり、おじさんはここで働いてる人ってことか。
「その道具は、何に使うんですか?」
「壊れた柵を直したり、伸び過ぎた枝を切り落としたり、さっきまでは雑草を抜いてた。そんなことが俺の仕事だ。……で、あんたこそ、ここで何してる」
鋭くなった視線がこちらを見て来る。それに少し緊張しながら私は答えた。
「天気が悪くなってきたから、その、あの小屋で休めないかと思って……」
「小屋で、休みたいって言うのか?」
「あれは、おじさんが使ってる小屋なんですか?」
「ああ。俺が寝泊まりしてる小屋だ」
やっぱり使われてる小屋か……。
「じゃあ、一晩泊まらせてもらうことなんて無理――」
そこまで言った時、視界に一瞬小さな何かが見えて、私は頭上を見上げた。それはポツリ、ポツリと落ちて来て、次第に数を増やしてく。そして数秒後には数えられないほどの雨粒が落ちて来た。
「降って来やがったな……」
そう言うとおじさんは小走りで小屋のほうへ向かった。おじさんの小屋なら無理なことは言えない。雨には濡れちゃうけど、諦めて別の場所を探そう――そう決めて引き返そうとした時だった。
「おい、何してる。早くこっちに来い」
呼ばれて振り向けば、おじさんは小屋の入り口に立って、私に大きく手招きしてた。驚いて見つめてると、おじさんはさらに言う。
「休みたいんだろう? 一人ぐらいなら大丈夫だ」
「いいんですか?」
おじさんはうんうんと頷いて、早く来いと言うように手を振る。
――屋根の下で休めそうですね。
「今夜は風邪をひくのも覚悟してたけど、よかった」
私は両手で頭を覆いながら走って小屋へ向かう。
「ほら、入りな。狭いが文句は言うなよ」
促されて中へ入る。……確かに、狭い。部屋にはベッドに机と椅子、工具類を置く棚と、必要最低限の物しかないけど、それでも歩ける空間はわずかだ。一人ぐらいなら大丈夫と言ったけど、ちゃんと休めるのはベッドで寝られる一人だけじゃないだろうか。ここに二人は絶対に無理だ。
「心配するな。そのベッドは使っていい」
私の心を読んだように、おじさんは椅子に座りながら言った。
「でも、それだとおじさんはどこで……」
「少し行った向こうに知り合いの狩猟小屋がある。一晩ぐらい黙って使っても怒りはしない」
机にあった水筒からコップに何かを注ぎ入れると、おじさんはこちらを見た。
「あんたは、酒は飲めそうにないな」
中身はどうやらお酒らしい。
「はい。飲めるような歳じゃないんで」
「まあ、それもあるか……じゃあ、夜まで一人で飲ませてもらうぞ」
おじさんはコップを傾けて、チビチビと飲み始める。私はそれを見ながらベッドに腰かけて聞いた。
「仕事はもういいんですか?」
「雨が降ったら終わりだ。身体を冷やして体調崩したら、ここの仕事やるやつがいなくなっちまうからな。歳取ると、そんな心配もしなきゃならない。難儀なもんだよ」
「一緒に働いてる人はいないんですか? おじさん一人だけ?」
「ああ。二人要るほどの仕事量はないからな。だがそれ以前に、ここで働きたいやつもいない」
「墓地、だからですか?」
おじさんはフッと笑む。
「あんたも、ここは気味が悪いか?」
「それは、まあ、死者の眠る場所ですから」
「それなのに、ここで休もうなんざ、なかなか度胸があるじゃないか」
「雨が降りそうな天気だったから、すぐに雨宿りできる場所が必要だったんです。それでこの子が見つけて――」
「この子……?」
怪訝な目で見られて私はハッとする。私しかエリスは見えないんだった。
「な、何でもないです……他にいい場所があれば、すぐにそっちへ移りたい気持ちはあります。ここはいろんな人達の声がして、ちょっとうるさいから」
「ほお、あんたもしっかり聞こえてるんだな」
「あんたもって、おじさんも聞こえるんですか? この、ざわざわ声」
「俺はガキの頃からそういう体質でな。普通は見えないもの、聞こえないものが全部わかっちまうんだ。だから墓地は気味が悪い場所というよりかは、やかましくて面倒な場所っていう印象のが強い。ビビらないって意味じゃ、この仕事は俺向きなんだろう。……暗いな。灯りをつけるか」
コップを一旦置くと、おじさんは壁にかけてあったランタンに火をつけ始める。ポッと灯ると、狭い部屋の中は暖かみのある光と色に染まった。
「……ところで、あんたは何でこんなところをうろついてたんだ? 天気が悪くなきゃどこかへ行く気だったのか?」
椅子に戻ると、おじさんはコップ片手に聞いてくる。
「はい。お母さんを捜してるんです」
「おふくろさんか……見つかりそうか?」
「今のところは手掛かりがなくて……故郷へ戻ったっていう話は聞いてるんだけど、それがどこなのかがわからなくて。だからずっと歩いて捜してるんです」
「そりゃ大変そうだな。親父さんはいないのか? 聞けばわかるだろう」
「お父さんは、死にました。だから聞けないんです」
「そうか……悪いことを聞いたな。すまない」
「別にいいんです。お父さんのことなんか……」
外からの雨音とざわめきでうるさいはずなのに、おじさんとの間に妙な静けさが漂った。それを打ち消そうと、私は明るめな声で聞いた。
「……あの、おじさんの家族はどこにいるんですか?」
「ん? 家族か……息子と娘はさっさと自立して、遠くの町にいるよ。一年に一回、手紙をよこすから、達者に暮らしてるんだろう」
「二人のお子さんがいるんですね。奥さんはどこに?」
「女房はここにいるよ」
おじさんの目線が窓の外を示す――その先にはお墓が並んでるだけだ。つまり――
「ここに、眠ってるんですか……?」
「ああ。四年前、病気でな。俺の手で埋葬してやった」
当時を思い出したのか、おじさんは目を細めて暗い外の景色を見つめる。
「じゃあ、奥さんと今も話したりできるんですか?」
「それが、死んでからあいつは一度も姿を現さないんだ。葬式の時、死んだ人間は大体その場にいて、自分が弔われてるのを眺めてるもんなんだが、あいつはどういうわけか、どこにも見当たらなくてな……俺とは顔も合わせたくないってことなんだろうか」
「そういう心当たりがあるんですか?」
「長年連れ添ってたんだ。そんなの山ほどあるよ。喧嘩は数え切れないし、俺が墓守になってから家事は全部任せっ切りだった。何より、あいつの最後を見届けてやれなかった」
「どこかへ行ってたんですか?」
「ここで一晩過ごしてた。その前までは、まだ笑顔を見せて元気そうだったから、安心して仕事をしてたんだ。だが一夜明けたら急変したって知らせが来てな……すっ飛んで帰ったが、間に合わなかった」
おじさんはコップを置いて小さな溜息を吐いた。
「こんな不出来な夫じゃ、嫌われても文句は言えねえ。今からでも会えるなら、頭下げて謝りたいところだ……」
何だか落ち込んでしまったおじさんに、私は元気づけるために言った。
「もし奥さんが本当に嫌ってて、おじさんに不満を持ってたら、文句を言いに現れるんじゃないですか?」
これにおじさんはキョトンとしたけど、すぐに笑った。
「ははっ、都合のいい考え方だな。だから女房は俺を嫌ってないって?」
「その可能性はありますよ。だって、幽霊がこの世に残るのは、何か未練だったり気持ちが片付いてないからで、そういうものがない人は、さっさと天へ行っちゃいます。昔、私の集落で仲のいい老夫婦の旦那さんが亡くなったんだけど、私はそれから旦那さんの幽霊を一度も見ませんでしたよ。だから、現れないのは必ずしも嫌いだからってわけじゃないと思うんです」
「だがそれなら、最後の別れの挨拶をしに来てもいいと思うがな」
「それは、亡くなった人の性格によるんじゃないですか? 奥さんは律儀な人だったんですか?」
おじさんは顎のひげを触りながらウーンと唸る。
「そう言われるとな……あいつも俺も、面と向かって照れるようなことは言いたがらなかったからな……」
「それじゃあ挨拶をしに現れなくても不思議じゃないですよ。ところで、奥さんはおじさんが幽霊の見える体質だって知ってるんですか?」
「いや、このことは言ってない。言うと気持ち悪がられると思ってな」
「それですよ。霊感のない人間の前に現れたって、どうせ見えないし聞こえないんだから、何を言おうと無駄……だから現れなかったって可能性もありますね」
「言いたいことがあっても諦めた、ってことか?」
「はい。それでも、どうしても言いたいことがあるなら、夢を通して言ってくることもあるみたいですけど……おじさんはどうですか?」
「夢に女房が出たことはあるが……どれも昔の思い出とか架空の出来事だったりで、俺に何か伝える夢は見たことないな」
「夢で何も言ってこないなら、奥さんはおじさんに言うべきことは何もないんですよ。つまり、文句も不満もないってことです」
「言うべきことはないか……俺に対して別れを惜しむとか、感謝の気持ちもないってことになるな」
おじさんにチラリと見られて、私はちょっと気まずくなった。
「えっと、その、奥さんは夢で伝える方法を知らなかったのかもしれません。知らないまま天へ行っちゃったのかも……感謝してないとは言い切れませんよ」
咄嗟に編み出した理由を言うと、おじさんは口を開けて笑った。
「はっはっはっ! あんたは優しくていい娘だな。そんなに俺が憐れで可哀想だったか?」
「だって、自分のことを悪く言って落ち込んでたみたいだから、元気を取り戻してほしいと……で、でも、可能性の話は嘘じゃないですから」
「わかってるよ。そういう可能性もあるって胸にしまっておく。……そういや、名前を聞いてなかったな」
「私は、アストリッドって言います」
「俺はオットーだ。おふくろさん、こんないい娘を残して、どこで何をやってんだろうな」
「お母さんは多分、私がまだ集落にいると思ってるはずで、何にも知らないんです。会ったらきっと驚くと思います」
「そうか……上手く見つかるといいな」
微笑んだオットーさんはコップのお酒を飲み干すと、よっこらせと言って椅子から立ち上がった。
「さて、大分暗くなったし、アストリッドが休むのを邪魔し過ぎちゃいけねえな」
「邪魔じゃないですよ。お話が聞けてよかったです」
「ならいいが。……じゃあ俺は行く。明日の朝にまた来る」
「わかりました。また明日に」
水筒とコップを持ったオットーさんは入り口に行きかけて、ふと窓の外を見つめて止まった。
「……それにしても、今夜はやけに騒がしいな」
暗くて景色はよく見えないけど、雨音に混じったざわざわ声は今も聞こえてくる。
「いつもはこんな感じじゃないんですか?」
「いつもはもっと静かだ。聞こえるにしても、こんな一斉になんてことはない。珍しいよ」
「何か、私のせい、みたいで……」
「理由はわからないが、そうみたいだな。だが怖がったり追い出そうとする声じゃなさそうだ。悪意のないやつなら心配ないと思うが、連れて行かれないよう念のため気を付けるんだぞ」
そう言うとオットーさんは小屋を出て、暗い墓地を駆け足で去って行った。
「……エリス、幽霊に連れて行かれちゃうことなんてあるの?」
――ないことはないでしょうね。肉体を持つ人間でも。乗り移られて操られることもありますから。けれどここにいる幽霊達は友好的に感じます。アストリッドを無理矢理連れて行くような真似はしないでしょう。
「そう……じゃあ安心して眠れそうね。ざわざわ声は、ちょっと気になるけど」
――静かにしてほしいと頼みに行きますか?
「い、いいよ。そんなことして機嫌悪くさせたくないし。毛布かぶれば聞こえなくなるよ。……それじゃあ寝ようか」
私は壁のランタンの火を吹き消し、靴を脱いでベッドにもぐり込む。
「おやすみ、エリス」
窓の縁に止まって休むエリスに言って、私は毛布を頭までかぶって寝た。これで静かに眠れるかと思ったけど、ざわざわ声はそんなにさえぎれず、でもその音も聞いてるうちに心地よくなってきて、私は徐々に眠りの世界へ引き込まれて行った――
そこで、こんな夢を見た。
風が吹き渡る広い広い草原。見渡す限りの緑。山も木もない。上には雲一つない青い空がどこまでも広がってる。私は何でここにいるんだろうと考えてると、正面から何かがやって来るのが見えた。一つ、二つと、迫って来るごとに数が増えていく。眺めてるうちにそれが人影だとわかった。隊列のように組まれた集団は、ぞろぞろと歩いてこちらへ向かって来る。一体何だろうと待ってると、やがて私の目の前に着いた人々は、一斉にその場に膝まずいて私に手を伸ばしてきた。老若男女、様々な歳の人がこちらを見つめてた。
『どうか、お導きください』
そんな声がいろいろなところから上がった。誰の目も、私に何かを求めてた。導くってどういう意味だろうと考えてると、最前列にいた白髪のお婆さんが、手を伸ばしながら言った。
『その、お手を……』
私の手で何かしてほしいんだろうかと、右手をそっと出してみると、お婆さんはそれをつかもうとさらに手を伸ばしてくる。握手をしたいのかなと、私はお婆さんの手を軽く握った。その瞬間、握った手から白くて眩しい光が放たれて、私は思わず顔をそむけた。
『ありがとうございます』
かすかにそう聞こえた気がしたけど、空耳だったかもしれない。眩しいまま、私の意識は現実に引き戻された――
ゆっくり目を開けると、小屋の中には太陽の光が差し込んでた。窓に目をやれば、休んでるエリスの向こう側には明るい景色が見える。どうやら雨はやんでるようだ。
――おはようございます。
エリスに言われて私は身体を起こす。
「おはよう。もう朝か……」
――外が静かになって、よく眠れたようですね。
そう言われて私は気付く。雨音と共に、ざわざわ声も聞こえない……朝になったからだろうか。
「眠れたけど、変な夢を見てたわ。たくさんの人達が私の前に集まって、導いてほしいなんて言って来るの。それで手を握ったら、眩しい光に包まれて……それで目が覚めた」
――そうですか。確かに変わった夢ですね。悪夢でなくて何よりです。
「悪夢か。私、悪夢って見たことないな。エリスはあるの?」
――私は眠らないので夢は見ません。
「あ、そっか。私の側にいるだけで元気なんだもんね」
――ええ。ですが、現実の悪夢なら見ます。受け入れがたい出来事は、残念ながら起きるものです。
私は集落の惨い光景を思い出す。あれはまさに悪夢と言えることだ。
「現実より、寝てる時の悪夢のほうがまだましだね……って、朝から暗い話なんてよくないね。一日中暗くなっちゃいそう」
毛布をめくり、私はベッドから出て靴を履く。そして軽く身だしなみをしてから小屋の外へ出た。
あちこちに水溜まりができて、枝葉に付いた雫は朝日を受けてキラキラ輝いてる。雨で空気の汚れも洗い流されて、私は一度深呼吸をする。澄んだ空気は吸い込むだけでも気持ちいい。だけど本当に静かだ。昨日の騒がしさはどこへ行ったのか、今日は打って変わって静まり返ってる。でもこれが本来の墓地とも言える。あれはいくら何でもうるさ過ぎた。
――ちょうど、墓守の方がやって来ましたね。
パタパタと私の肩に止まりながらエリスが言った。遠くの墓地の入り口を見ると、鉄の門を開けてオットーさんが入って来るところだった。
「……まだ日が昇ったばかりなのに、早起きだな」
昨日と同じ水筒とコップを手に、オットーさんは私の前にやって来る。
「目が覚めたんで」
「もう少し休んで行くか? 急いじゃいないんだろう?」
「そうですけど、でも行きます。お仕事の邪魔しちゃ悪いんで」
「あんたなら別に邪魔にはならないが、まあ、そう言うなら止めないよ。……皆、寝静まったようだな」
並ぶお墓を眺めながらオットーさんは言った。その顔は少し驚いてるようにも見える。
「俺が離れた後、何かあったか?」
「何も……起きた時にはもう静かでした」
「そうか。不思議なこともあるもんだ。……もう行くか?」
「はい。お世話になりました」
「世話ってほどのことじゃない。おふくろさんと、会えるといいな」
「時間がかかっても見つけ出してみせます。ありがとうございました。それじゃあ……」
お礼を言って私達は歩き出す。ふと振り返ると、オットーさんがまだこちらを見てたから、私は手を振って別れを告げた。これにオットーさんも手を振り返してくれた。優しい眼差しに見送られながら入り口を出て墓地を後にした。頭上を見ると、雲のない透き通った青空があった。しばらくは雨宿りする心配はなさそうだ。




