六話
平坦な道をひたすら歩くこと数日。この先に町があると信じて進み続けてると、久しぶりに人影と人工物が見えて、私の心は弾んだ。
「ねえエリス、あれ、町の入り口かな」
前を指差して聞いた。ちなみにエリスはまた小鳥に戻って私の肩に乗ってる。移動にはこの姿のほうが何かと便利で楽らしい。
――それにしては、人の数が少なく見えますね。
言われてみればそうかもしれない。ここから見える人影は、たったの二人だけだった。町ならもっと人数がいてもいいはずだ。疑問を感じながら私は歩く足を速めた。
そうして近付いてみて、やっぱり町の入り口じゃないことがわかった。丸い広場のような場所には植木や花が植えられており、中央には見上げるほど大きな男性の石像が立ってた。鎧を着て、剣を掲げて、勇ましいポーズを取ってる。でも古いせいなのか、身体のあちこちがちょっと欠けたり、ひびが入ってしまってる。いつの時代のものなんだろう。
その周りを見れば、石像に向けて置かれた石のベンチに、荷物を持った男性が一服しながら座ってた。そこから少し離れたところでは、同じく荷物を持った若い男性が水筒の水をゴクゴクと美味しそうに飲んでた。
「……さてと、そろそろ行くか」
ベンチの男性が荷物を背負って立ち上がる。
「はい、親方」
若い男性は水筒をしまい、荷物を背負い直す。そして二人は並んで私達が来た道のほうへ歩いて来る。すれ違う時、声をかけようかと思ったけど、いかつい顔に怯んでそのまま素通りした。二人はどうやらここで休憩してただけみたいだ。
入れ替わるように今度は私達が広場に入る。石像とベンチがあるだけの、特になんてことない広場だ。花は植わってるけど雑草も目立って、手入れはそれほど行き届いてない感じもする。建物も人もいない野原のただ中に、どうしてこんな場所を作ったんだろうか。
とりあえず目に付く石像の前まで来て、間近に眺めてみようかと思った時、私は台座に取り付けられた銘板に気付いた。
「……この地を、救った、英雄……ヴァーノン・コクラン……」
私は石像を見上げた。昔の戦争の英雄なんだ、この人。
「英雄か。すごい人なんだね」
「すごくなんかないよ」
不意の声に思わず動きが止まった。そしてすぐに辺りを見回してみる。でも誰の姿もない。
「……エリス、今、声がしたよね?」
――ええ。私ではないですよ。
「わかってる。全然違う声だった。どこからしたんだろう……」
植木の隙間を見ながら石像の裏側へ回って、私は足を止めた。
「……あっ」
台座に寄りかかって座り、片膝を立ててうなだれてる男性がいた。伸びた金の髪はボサボサで、着てる服もヨレヨレで、何だかまともそうには見えないけど、話しかけても大丈夫な人かな……。
迷ってると、男性はおもむろに顔を上げてこっちを見上げて来た。
「俺は、すごくないんだ。お嬢さん……」
濁った黄色い瞳はじっと私を見てくる。その顔は随分と疲れ切った感じで、まだ若そうなのに年齢以上に老けた印象があった。と、そこで私は気付く。今この人、俺はって言った……?
もしかしてと、石像の前へ戻って英雄の顔を見てから、再び男性の元へ戻って顔を見つめた。……石像の顔とこの人、よく似てる気がする。
「……あなたの名前は、ヴァーノン・コクラン?」
「ああ……今となっちゃ、名乗るのもおこがましい名だ」
男性はうつむきながら答えた。じゃあつまり、この人は――
――この方は、石像の元である英雄、本人の幽霊のようですね。
エリスは私が言う前に言った。英雄なんて呼ばれる人が、幽霊になって残ってるなんて。一体どうして……。
「俺が見える人と会うのは、これが初めてだよ。もちろん、話をするのもね」
初めてという割には、そんなに驚いてる様子もない。そういう気力もないほど疲れてるんだろうか。
「あの、どうしてここに? 大分疲れてそうに見えますけど」
「疲れてる、か……その通りだよ。俺は疲れ切ってる。だから終わらせたんだ。自分自身を……だが今もこの疲れは消えなくてね」
ヴァーノンさんは自虐的にフッと笑う。
「死を、選んだってことですか? 何でそんなことを。皆から英雄って呼ばれてたんでしょう?」
これにヴァーノンさんは、こっちをじろりと見てきた。
「英雄……その呼び名が俺が追い詰めていったんだよ。もう、耐えられなかった……限界だった」
「どういうことですか? 追い詰めたって……」
ここに残ってる事情を聞きたくて、私はヴァーノンさんの前にしゃがんで耳を傾けた。
「俺は、英雄じゃないんだ。戦争で、あの時……俺のいた部隊は、命令を受けて敵の大将に奇襲をかけたんだ……」
今はどこも戦争なんてしてないはずだし、そんな話も聞いたことない。だから彼の話は多分、何十年も昔のことだろう。
「虚を衝いた攻撃は見事成功して、敵は混乱しながら逃げ始めたんだ。その中には戦いを指揮する大将もいた。俺達は逃すまいと、やつを追った。反撃を受けて、部隊の数を減らしながらも……だがそれは敵も同じだ。互いに兵士が倒され、追うのも逃げるのもギリギリだった……」
当時の光景を思い出してるのか、ヴァーノンさんは緊張に引きつった表情で話す。
「そんなゴタゴタの中で、俺は追うべき大将を見失ったんだ。それどころか味方も敵兵も見失った……知らぬ間にはぐれてたんだ。一人森を駆けずり回って、早く仲間と合流しようと藪を分け入った先で、俺は仲間を見つけたんだ。そいつは親友とも呼べるやつで、一歳下だったが、剣の腕は俺より数倍も上でね。本当に、強くていいやつだった。だから、やつの握った剣が大将の腹に突き刺さってるのを見て、ああ、やっぱりなって思ったんだ。こいつなら、大将ぐらい仕留められるだろうなってさ……」
ヴァーノンさんはフフッと笑ったけど、すぐに険しい顔付きになった。
「だが、その大きな手柄を、俺が台無しにしたんだ……」
「何か、起きたんですか?」
ああ、とヴァーノンさんは力なく頷く。
「俺が背後から突然現れたことで、やつはこっちに意識を向けた。腹を突かれてた大将は、その時まだ死んじゃいなかったんだ。そのわずかな隙を狙って、大将は一矢報いようとしたんだろう。隠し持ってたナイフで、やつの……喉を突いたんだ……」
私は何て言うべきかわからず、ただ黙ってヴァーノンさんの様子を見るしかなかった。
「真っ赤な血が噴き出して……やつは、ゆっくり、俺の前に倒れたよ。仰向けになった目が、最後に俺を見てた……お前のせいで、こうなったって、言ってた……」
かすれた声で言うと、ヴァーノンさんは何かに耐えるように眉間にしわを寄せた。
「明らかに、もう助からない状態だった……やつは、そのまま息絶えたよ。腹を突かれた大将も、してやったと笑いながら死んだ。俺が、部隊からはぐれてなければ……やつを死なせることは絶対になかったんだ……」
自分のせいで親友を失ったというヴァーノンさんは、自身の心も傷付いたようで見るからに痛々しかった。きっと耐え難いほど苦しい痛みなんだろう。でも私はふと疑問に思って質問した。
「敵を倒したのは親友の人なんですよね? それなのにどうしてあなたは英雄になれたの?」
聞くと、ヴァーノンさんは上目遣いにこっちを見た。
「やつを死なせた直後、他の部隊が俺達を見つけた。そこに敵大将が転がってるのを見て、お前がやったのかって聞かれたんだ……」
私は嫌な予感に小さな声で聞いた。
「まさか、嘘を、ついたとか……?」
ヴァーノンさんは顔を伏せて、震える声で言う。
「ああ。その通りだよ。俺は、自分が大将を仕留めたって言ったんだ。やつを死なせた責任も考えずに、ただ目先のことだけを見据えてね……」
「目先のこと、って……?」
「戦場で最大の敵を討ち取ったとなれば、そいつは全兵士……いや、全国民から称えられる存在になる。表彰され、兵士としての栄誉をあずかれるし、昇級も確実だ。そうすれば生活もいいものに変わる。皆からは毎日尊敬の眼差しを向けられる……そんな目先の欲に、俺はあらがえなかったんだよ」
ちらりとヴァーノンさんはこっちを見た。その目は悔いるように暗く沈んでた。
「本当に、浅はかで、汚くて、最低な男なんだよ、俺は。死なせた親友を踏み台にして、自分だけいい思いをしようとしてるんだからな……」
「その、想像した通りになったんですか?」
「なったよ。都へ呼ばれて行ったら、俺は大々的に表彰された。勲章を貰い、二階級特進した。その上褒賞金まで貰えた。街へ出れば。この国を救った英雄様だと誰もが笑顔で労ってくれて、故郷の両親も、俺を自慢の息子だって、誇りに思うって喜んでくれた。そんな周囲の反応に、最初こそ浮かれた気分で気持ちよくなってたが、その熱が引いてくると、俺の中に残ったのは、直視できない罪悪感だけだった……」
ふぅ、と大きな溜息を吐いてヴァーノンさんはうなだれた。
「辛かったのはそれだけじゃない。大将という大物は死んだが、各地ではまだ小規模な戦いが続いてた。その戦地におもむくたびに、周りから英雄としての働きを期待されるんだ。大将を仕留めた腕なら、手強い敵兵もどうにかしてくれるだろうってね……」
「上手く戦えたんですか?」
ヴァーノンさんはフンッと鼻で笑う。
「偽物の英雄なんだ。期待通りに戦えるはずもないよ。階級が上がったって、剣の腕まで上がるわけじゃない。俺は大多数の歩兵と同じように、平凡に戦い続けた。好機になれば攻めて、危なくなれば退く……突出したところなんか、何もない。それが俺だ。だが、周りはそれじゃ満足してくれなかった。英雄ならもっとやれるはずだろうと、敵軍に切り込ませたり、別働隊を組んで攻撃させたり……俺はそんな器じゃないし、兵士として有能じゃないんだ。むしろ劣ってるほうかもしれない。部隊からはぐれて、親友を死なせるぐらいだからな……」
「戦いは、どうなったんですか?」
「敵の士気が低かったおかげで、負けることはなかったよ。だが俺は無茶をやらされたせいで足に怪我を負って、しばらくベッドから動けなくなった」
「怪我を? 大丈夫だったんですか?」
「深く切られただけで、命に別状はなかった。皆、英雄の俺を心配してくれたよ。病院も個室を用意してくれて、士官待遇で看病してくれた。だが皆がそうやってよくしてくれるほど、俺は後ろめたくなるだけだった。本来、俺はこんないい扱いを受けられる人間じゃないんだ。受けるべきなのは、やつなのに……」
石像の台座に頭を預けて、ヴァーノンさんは私を通り越して遠くの空を見つめる。
「入院中は時間が有り余ってたから、嫌でもやつのことを考えてたよ。英雄になって、いつも誰かの目があったから、一人になる時間なんてわずかだったんだ。俺にはずっと、自分の心と向き合う時間が必要だったんだろう……そうして改めてわかったんだ。俺には、英雄としての暮らしは合わないってね。このまま期待され続けてたら、いつか身も心も潰れると思った。もうやめるべきだと……何よりやつに謝りたかった。合わせる顔なんてないが、伝えられるなら、ちゃんとそう伝えたかった。だから俺は退院した後……」
表情から力を抜いてヴァーノンさんは言った。
「本当の英雄が誰だったのか、それを記した手紙を書いてから、郊外の林で、自身の命を絶った」
ヴァーノンさんは、うっすら笑ってた。周りからの期待の重圧と、心を責める罪悪感……手柄は嘘だったって言う道もあっただろうけど、きっと弱り過ぎて最悪な方法しか考えられなかったのかもしれない。きっとそれだけ心が追い詰められてたんだろう。
「皆、すごく悲しんだでしょう……」
「特に、俺の両親はね。死んだ俺にすがって嘆き悲しんでる姿を見て、我ながら親不孝者だって思ったよ。だが後悔はなかったんだ。これで苦しみから解放された……って、その時は思った」
「解放、されなかったんですね……」
「ああ……手紙を残したにもかかわらず、俺は死後も英雄であり続けてたんだ」
「誰も読んでくれなかったんですか?」
これにヴァーノンさんは首を横に振る。
「いや、ちゃんと読まれたよ。それは国軍幹部の元まで届けられた。だが、黙殺されたんだ……」
「無視されたってことですか? どうして……」
「戦争はまだ終わってなかったからね……皆が称えた英雄が、実は本物の英雄を死なせた凡愚だったと広まれば、兵士達の士気に影響するとでも思ったんだろう。それどころか、軍は俺を英雄にしたまま利用したんだ」
「利用? 死んだ人をどうやって?」
するとヴァーノンさんは、寄りかかってる台座を手でコンコンと叩いた。
「この石像さ。誰の発案か知らないが、軍は嘘で固めたこれを建てたんだ。俺が命を絶ったこの場所に……」
「あなたは、ここで……?」
「当時は林だったんだが、これのために切り拓かれて、今は殺風景な場所になった。自死した人間にはお似合いかもしれないけどね。だが軍は俺の死因を不慮の事故にして、早過ぎる死だと演出したんだ。そして石像を建てて、功績を称えながら国民の悲しみを誘った。一方で兵士達には、英雄の無念を伝え、鼓舞する材料にしたんだ。そんな嘘のおかげか、翌年に戦争は勝利で終結したよ」
ヴァーノンさんは複雑な表情を浮かべて笑う。
「結局、英雄なんて誰でもよかったんだ。偽物だろうと、嘘つきだろうと、支障がなければ軍にとっちゃどうでもいいことだったんだよ。だから手紙も黙殺した。支障しかない内容だったからね。何も知らない人々は、戦争が終わってからここに来て、石像に花をたむけてくれたよ。あなたのおかげだと感謝しながら……かけられる真心の言葉を、俺は聞いてられなかったよ。嘘にまみれた俺が受け取れるものなんて一つもないんだ。それなのに、軍は真実を公表しなかった。だから今も、俺は英雄であり続けてるんだ……永遠に、罪を忘れないためにね……」
「罪だなんて……悪いのは手紙を無視した人達じゃ――」
「そもそも欲に駆られて嘘をつかなければ、こんなに苦しむことはなかったんだ。それは罪だよ。死なせたやつへのね……」
ヴァーノンさんは後ろへ振り向き、自分の石像を見上げた。
「できれば俺自身でこれを壊したいところだが、死んだ身じゃ無理みたいでね。だから雨風で自然に壊れるのを待つしかない。……お嬢さん、代わりに壊してくれと頼んだら、やってくれるか?」
「それは……私、壊すような道具も持ってないですし……」
困りながら答えると、ヴァーノンさんは笑った。
「すまない。無理なことを言った。忘れてくれ」
疲れた笑顔のヴァーノンさんに私は聞いた。
「あなたはずっと、ここにいるつもりなんですか?」
「まあ、少なくとも、これが壊れてなくなるまでは……これは、残しちゃいけない嘘で、俺の罪なんだ。ここにある限り、やつの手柄と存在をないがしろにすることと同じなんだ。それまでは留まろうと思ってるよ」
「親友の人は、それを望んでるんでしょうか……」
怪訝そうな目がこっちを見た。
「やつは死に際に、俺を見て恨んでた。お前のせいだと――」
「本当に? それはあなたの罪悪感がそう思わせただけじゃ……」
「そんなわけない。事実、俺のせいでやつは隙を突かれて死んだんだ。俺は恨まれて当然の――」
――俺がお前を恨んでるって? 何言ってる。
不意の声に、私もヴァーノンさんも弾かれるように振り向いた。
「……キース? お前、なのか……?」
石像の横には、汚れた鎧姿の男性がいつの間にか立ってて、腕を組んで微笑みながらこっちを見てた。
「もしかして、この人が親友の……?」
「ああ。キース・デナム……あの時、俺が死なせたやつだ……だが、何でここに……」
――俺も死んだ身だ。ここにいたって不思議じゃないだろう。
「そりゃそうだが……あれから長い時間が経った今になって、どうして現れたんだ」
――お前がいつまで経っても、勘違いしたまま、そこから動きそうになかったから来たんだ。
「勘違いって、何がだ」
ヴァーノンさんは首をかしげて見つめる。私もその隣で、突然現れたキースさんをじっと見つめた。その姿形は言う通り、親友だったキースさんに違いないんだろう。でも全身からは見覚えのある青い光がほんのりと放たれてた――それに気付いて自分の肩を見てみれば、いたはずのエリスがいなくなってた。それで確信する。彼は、エリスが変身したキースさんだ。でも、何でエリスはキースさんに変身できたんだろうか。戦争は何十年も前のことで、当然容姿を知ってるわけないはずだけど……。そんな疑問はあったけど、二人の会話を邪魔しないよう、私はひとまず様子を見ることにした。
――さっき言っただろう。俺がお前を恨んでるってことだ。
「そんな気持ちはないっていうのか? 死んでまで嘘をつく必要はない。お前は死に際に俺を見て思ったはずだ。こいつが来なきゃ殺されな――」
――だから違う。勝手に俺の気持ちを作るな。
呆れたふうに言ったキースさんを、ヴァーノンさんは不満げに見る。
「……殺されて、恨まないなんてことがあるか?」
――ないだろうな。でも俺はお前に殺されたわけじゃない。お前に気を取られて、その隙に敵に殺されたんだ。
「結果、同じことだろう」
――全然違うよ。敵と向き合ってる最中、お前に気を取られたのは俺なんだ。無視することもできたのに、俺は振り向いてしまったんだ。自ら隙を作る真似をしたんだよ。
「だが、そうしたのは、現れた俺が敵かもしれないって思ったからだろう? だからお前は振り向いて――」
――そんなこと、言い訳にはならないよ。すべては俺が敵から目をそらしたから……殺されたのは、俺自身が原因だ。
キースさんは苦笑いを見せながらヴァーノンさんを見つめる。
「……倒れて、俺を見てたお前は、怒ってた」
――状況を考えろ。俺は喉を刺されて、苦痛の極みにあったんだ。そりゃ険しい顔にもなるさ。ニコニコ笑う余裕があったと思うか?
「じゃあ、あの時お前は俺を見て、何を考えてたんだ」
――とにかく息苦しかったからな。上手く思考はできてなかったと思う。それでもお前を見て、まだ無事でいるな、と、そんな程度だ。
これにヴァーノンさんは唖然とした視線を向ける。
「……それだけ?」
――お前は思い込みが過ぎるんだよ。親友と呼ぶなら、もっと気持ちを察せられないか?
「無茶言うな。他人の気持ちがわかれば誰も苦労なんてしないんだよ」
ふざけるように怒鳴ったヴァーノンさんだったけど、その声と表情はすぐに曇った。
「……だけど、これにはさすがに怒っただろう? 俺のついた、嘘には……」
そう言ってヴァーノンさんは石像の台座を一撫でした。
――かっこいい石像じゃないか。顔もよく似てるし。
「茶化すなよ。俺は、お前の手柄を横取りしたんだぞ。こうして建てられるのは本来、お前の石像だったんだ」
――まあ、そうだな。
「許せないって思っただろう? 自分が受けるはずだった称賛を、何もしてない俺が受けてて、幸せに過ごしてるなんてさ……」
――お前は、幸せだったのか?
「え……」
――何が幸せかなんて、それは人それぞれだけど、俺の目からすると、お前の最後はそう見えなかった。すごく、苦しそうだった。違うか?
ヴァーノンさんは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「お前……俺のこと、見てたのか」
――こういう身なんでな。それは許してくれ。
「ははっ……言う通りだよ。幸せだったのは一時だけだ。あとは最後まで、辛くて苦しいだけだった……本当にすまない。俺は手柄を奪い、お前を陰へ追いやってしまった。どうか、許してくれ……」
顔を伏せて許しを請う親友を、キースさんは優しい笑みで見つめる。
――許すも何も、俺はあの時点で死んだ身だ。その後に英雄だ何だと持ち上げられても、俺には何の得もない。
「だが、人々は間違った英雄の名を憶えてしまった」
――名を残すことは、そんなに重要じゃない。大事なのは、その真実をお前が知り、そして反省してるってことじゃないか? 俺は、それで十分だと思うけど。
「許して、くれるのか……?」
――これは、俺が許す許さないの話じゃない。お前の自業自得ってことで、好きなだけ反省すればいいさ。
ニコッとキースさんが笑うと、つられたようにヴァーノンさんも笑顔を見せた。
「お前には、もう頭が上がらないな」
――それは困るな。頭を上げてもらわないと、まともに会話ができないだろう。
「そりゃそうだ。……ようやく、ここから離れることができそうだ」
――先に行って待ってろ。積もる話をしよう。
「ああ。そうだな……じゃあ、行ってるよ……」
最初の疲れた顔はなくなって、安心したような、穏やかな表情になったヴァーノンさんは、ゆっくり立ち上がると、またなと一言いって色形を薄くし、そして消え失せてしまった。キースさんとしっかり話して、心残りがなくなったんだろう。これで本当に苦しみから解放されたんだ。よかった……。
でも、残された私にはまだ、確かめるべき疑問が残ってる――ジロリと見やると、笑顔を浮かべるキースさん……いや、エリスも、こっちを見てきた。
「いろいろ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
――もちろん。説明が必要でしょう。
声はキースさんの低い声だけど、しゃべり方はいつものエリスに戻ってた。
「エリスは、キースさんを知ってたの?」
そんなわけないと思って聞いてみたけど、意外にもエリスは頷いて見せた。
――ええ。ただ、知り合ったのは、つい先ほどのことですが。
「え? どういうこと?」
――アストリッドが先ほどの彼、ヴァーノンと話している時に、思念というか、心の声のようなものが私に必死に話しかけてきたもので……ほら、あそこ、見えますか?
エリスが石像の正面の先を指差す。私は前へ出て見てみた。そこにはベンチに前かがみに座る鎧姿の男性がいた。私達の視線に気付くと、少し顔を向けて微笑んだように見えた。その顔は変身してるエリスの顔と同じだ。
「……本物の、キースさん?」
――彼もまた、親友のことが気になり、ここに留まっていたようです。そして偶然現れた私達を見て、ヴァーノンを苦しみから解放してやってほしいと頼んできたのです。
とっくに天へ昇ったものと思ってた人が、まさかまだ地上にいたなんて驚きだ。キースさんはその間、ずっとヴァーノンさんを見守ってたってことだろうか――そこで私はまた疑問が湧いた。
「ずっと側にいたなら、何で自分から話しに行かなかったの? わざわざエリスに頼むことなかったんじゃ……」
――彼は、話したくても話せなかったのです。
「どうして? 二人は幽霊同士なんだから、声は――」
その時、視界の隅でキースさんが動いたのを感じて私は目を向けた。ベンチから立ち上がったキースさんはこちらを見ると、にこやかな表情を浮かべた。その様子は安堵に満ち溢れてる。親友を天に見送ったことに満足してるんだろう。でもそんな穏やかな雰囲気に反した箇所に私の目は奪われた。笑顔のすぐ下――素肌があらわになった喉元には、裂かれたような痛々しい傷があり、その周りは真っ赤に染まってた。
――彼の致命傷は、喉に受けた傷です。その際、声帯を傷付けられ、話せなくなったそうです。
私はハッとした。そうだった。キースさんは喉を刺されてしまったんだ。喉を潰されれば、話せなくなるのは当然。それで意思が通じたエリスに頼んだのか……。
「だけど、話せなくても、ヴァーノンさんと顔を合わせることぐらいはできたでしょう? 何でそうしなかったの?」
――それは彼自身、何度も考えたようですが、言葉で伝えられず、ただ目の前に無言で突っ立っているだけでは、さらなる誤解を生んでしまうかもしれないと。ヴァーノンは彼に恨まれていると思い込んでいたわけですから。
「自分を祟りに来たって怖がらせたくなかったのね……幽霊が幽霊を祟るなんて、何か変な話だけど」
再びキースさんに目をやると、変わらない笑顔のままで唇が何かを発した。
――感謝する、これで俺も次へ進めるよ、と言っています。
エリスが通訳してくれると、キースさんは軽く手を振ってから空を見上げ、そのまま姿を消してしまった。親友の元へ向かったんだろう。そこではちゃんと話ができるといいけど。
「……偶然通りかかっただけだけど、何か、よかったね。人助けができたみたいで……あ、幽霊助けって言うべきかな」
――アストリッドが彼を見つけたおかげですよ。
「私は話を聞いてただけで、解決したのはキースさんの代わりをしたエリスだよ。……だけど、エリスは幽霊の気持ちまでわかるのね。私はそこまでわからないのに」
――いずれわかる時が来ますよ。言葉を交わさずともね。
そう言うとエリスは、全身の形をグニャッと歪ませ縮ませると、いつもの青い小鳥姿に戻った。そしてパタパタと飛んで私の肩に乗る。
「……じゃあ、行こうか」
――ええ。行きましょう。
もう誰の姿もなくなった英雄像の建つ広場を、私達は立ち去った。




