五話
女性に聞いた雑木林を見つけたのは、太陽が傾きかけた時間だった。話に聞いてた通り、足下は大量の雑草が覆ってて、それを分け入って行くのはかなり大変だった。イバラなんかも生えてて、触れないよう注意深く歩いてエリスの住みかを探した。でもここの木はどれも細く、見た目にも立派と言えるようなものが少なかった。人手が全然入ってなさそうな場所だから、それでも奥へ行けばいい木があるんじゃないかと思って探し続けたけど、結局、外套を草まみれにしただけの徒労に終わった。
――アストリッド、もう引き返したほうがいいのでは?
辺りを見て回って戻って来たエリスが、頭上の枝に止まって言った。気付けば、ついさっきまで差し込んでた夕日の光が消えて、周りには不気味な薄闇が広がってた。太陽は沈んだみたいだ。集中し過ぎて気付かなかった。
「ちょっと長くい過ぎたみたいね……真っ暗になる前に行こう」
肩に戻ったエリスと一緒に、私は来た道を戻った……って言っても、雑草が覆うところに道らしい道があるわけもなく、自分では真っすぐ戻ってたつもりが、全然入り口が見えてこず、そこで余計に焦ったのが悪かった。変にウロウロしてしまったせいで、戻るべき方向がさらにわからなくなって、私はその場から一歩も動けなくなった。
――もしかして、迷いましたか?
冷静なエリスの言葉に、私は小さく頷く。
「こんなに暗いと、何にも見えなくて……どうしよう」
――では、私が空から方向を確認してきましょう。
「お、お願い。私はここで待って――」
その時だった。真っ暗な雑木林のどこかから、ウオオーンと遠吠えらしき声が響いてきた。それを聞いて私は身体が震えた。
「……犬、じゃ、ないよね……?」
――おそらく狼でしょうね。夜になり、活動を始めたのかもしれません。
「狼なんか、いるの?」
――こういった場所はいい寝床になっているのでしょう。他の夜行性の動物達も出て来て――
「エリス! 行かないで!」
――ですが、方向を確認しなければ迷ったままですよ。
「その間に狼に食べられたくないわ! お願い、一人にしないで!」
エリスが戻って来たら変わり果てた姿だったとか、そんなの絶対に嫌!
――わかりました。では、夜が明けるまで、安全な場所で過ごしましょう。
「安全な場所って?」
――先ほど、朽ちた大木を見つけたのですが、そこに大きな洞があるのを見ました。あそこなら身を隠せて休めるでしょう。
「エリスがそう言うなら、早く行こう。案内してくれる? あ、あんまり離れないでね」
――暗いですから、足下に注意して付いて来てください。
肩から飛び立ったエリスは、私の前を付かず離れず飛びながら案内し始めた。こんなに暗いから見失ったらどうしようと思ったけど、エリスの身体はほんのりと青く光ってて、多少距離が離れても簡単に見失うことはなさそうだった。おかげで目的の洞には数分で着くことができた。
――ここが、見つけた場所です。
エリスは朽ち木の上に止まって言った。思ったより大きな木だ。両手を広げたぐらいの幅があって、その真ん中にぽっかりと暗い穴が開いてる。木の幹は根元に近い部分で折れてなくなってるけど、もし折れてなければ結構大きな木だったんじゃないだろうか。エリスの住みか候補にもなってたかもしれない。
恐る恐る中に入ってみると、少ししゃがめば入れる高さがあって、広さも、私ともう一人分ぐらい座れる程度はある。ただ地面は雑草だらけだけど、イバラはないみたいだから上から押し潰して草のクッションにすれば大丈夫かな。
――どうですか? 休めそうですか?
「うん。広くて座れるし、ここなら大丈夫よ」
――それはよかったです。ではしばらく休みましょう。
地面に降りたエリスは、雑草を避けながら跳びはねるように洞に入ると、定位置となった私の肩に乗る。私は茎の硬い雑草を両手で押し潰して平らにし、その上に腰を下ろした。両膝を抱える姿勢で、とりあえず落ち着くことができた。
「夜明けまで、どのぐらいあるのかな……」
――まだ七、八時間以上はあるでしょうね。
「そうだよね。さっき日が暮れたばっかりだもんね……」
そんな長い時間、この暗闇の中で過ごさなきゃいけないと思うと嫌気が差してくる。でも狼がうろつく場所を歩くなんてできないし――
ガサッと近くから物音が聞こえて、私は心臓を跳ねさせた。危うく悲鳴が漏れかかって口を手で塞ぐ。
「……今のは、何?」
小さな声でエリスに聞いた。
――おそらく、野ネズミか何かでしょう。
「ネズミ……か」
胸を撫で下ろして手を下げた直後、今度はキキィッと何かの鳴き声が響いた。
「い、今のは?」
――わかりません。鳥の類でしょうか。
洞の中から外の暗闇を凝視してると、またキキィッと同じ声がした。さっきより大きい。近付いて来てる……?
「エ、エリス、何かいないか、見て来てくれない?」
――構いませんが、一人になっても平気ですか?
そう言われてハッとする。……ここに一人ぼっちは無理だ。
「やっぱりいい。行かないで……」
私は両膝をギュッと抱えて、その上に顔を埋めた。そのままエリスに聞いてみる。
「……ここにいても、狼とかに、襲われないよね?」
――あなたも私も、襲われませんよ。
「本当に? でももし狼が匂いをたどってここまで来ちゃったら――」
その時だった。暗闇を揺らすかのように、ゴォッと唸っていきなり突風が洞の中に吹き付けて来て、私は声にならない声を上げた。砂や落ち葉が顔にぶつかって、それを避けようと身をよじるが、ここに逃げ場なんてない。私は恐怖で何かにすがり付きたかったけど、両手は朽ちた木の壁を引っかくしかできない。その後、風はすぐにやみ、辺りには元の静寂が戻った。でも私の心臓だけはいつまでもバクバク鳴り続けてた。
「……こんなの、朝まで身が持つか、自信ないよ」
頭や服に付いた落ち葉を払いながら、思わず弱音が出た。
――アストリッドが、ここまで怖がりとは知りませんでした。
「私も知らなかったわ。自分がこんなだって。閉じ込められてた時はずっと一人で、嫌だなって思っても怖いって思ったことはなかったのに……」
――あの部屋では一人であっても常に人の気配があり、良くも悪くもあなたを監視して守っていました。けれどここは屋外で、あなたの壁になるような存在はいませんからね。
「見張りの人も、いてくれるだけでありがたかったのね……」
ウオオーンと再び狼の遠吠えが聞こえて、私は息を呑んで身を縮こまらせた。どうか、私達に気付きませんように――そう強くお祈りする。
「今日は眠れそうにない……」
しっかり考えて行動しなかった後悔がじわじわ増した。日が暮れる時間にこういう場所に入るのは、もう二度としないって肝に銘じておこう。
――不安で休めないのはいけませんね。
そう言ってエリスは肩から地面に飛び降りた。そして私を見上げて言う。
――少し端へ寄ってもらえますか?
「……え? こっちに移動するの? どうして?」
――私が、助けになれるかと思いまして。
するとエリスの小鳥の身体は、おもむろにグニャリとその形を歪ませ始め、最初に見たうごめく球体に戻ってしまった。
「エ、エリス……?」
変身を解いた意図がわからず、私は呆然と見つめるしかなかった。ウネウネと動き続けるエリスの様子は、何か考えてるようでもあって、しばらくそれを続けた後、その形を大きく変え始めた。上に大きく伸び、輪郭が細かく刻まれて行く。直線の部分、丸みを帯びた部分と、徐々に新たな変身の形が現れる。同時に色も浮かび上がって、姿がくっきりした時、私は言葉を失うほど驚いた。
――どうでしょうか。おかしくありませんか?
目の前には、ブラウスにスカート姿で、茶の髪を結った綺麗な女性が座ってた。少し窮屈そうに頭を下げてるけど、笑顔は血の通った人間そのものだ。私へ向けた声も、これまでより高くなって、より女性っぽくなってる。すごい、という言葉しか浮かばなかった。
――やはり、アストリッドの見知った人物のほうがよかったでしょうか。
「全然知らない人だけど、エリスだってわかってるから平気よ。……あなた、人間にもなれるのね」
――先ほどまでの鳥のように、姿形を似せているだけです。
そう言うように、エリスの全身はほんのり青い光を放ってた。こういう部分だけが本当のエリスなんだろう。
「実際にいる女の人にしか見えない……これが変身しただけの姿なんて、不思議……」
私はそっと手を伸ばして、エリスの腕に指先で触れてみた。ちゃんと肌の手触りがあって柔らかい。だけど体温は人より低いだろうか。それでもずっと触れてればエリスの温もりをじんわり感じられる。
――もし気に入らないのであれば、すぐに別の姿に――
「大丈夫。このままでいいよ。私、あなたに一緒にいてほしい」
エリスの手を引いて、私は隣に座らせた。見た感じ、彼女は三十前後だろうか。私よりやや身体が大きくて、寄り添い、身を預けても安心感のある感触が伝わって来る。まるで母親みたいに。
「誰かがいて、触れてるだけで、気持ちってこんなに安らぐのね」
――助けになれましたか?
「うん。すごく助かった。これなら眠れるかも」
私はエリスの肩に自分の頭を預けた。
――座ったままの姿勢では疲れるでしょう。どうぞ、横になって、私の膝を使ってください。
言われて私はゴロンと横たわり、エリスの折り曲げた膝の上に頭を乗せた。視線を上へ向けると、微笑むエリスがこっちを見下ろしてた。
――さあ、明日のために、休んでください。
「ありがとう。でも、エリスは? 私のせいで休めないんじゃ……」
――私は人のように疲れることはありません。あなたの側にいれば、いつでも元気なのです。
「ふーん、そうなの……でも無理は駄目よ。動きたくなったらすぐに言ってね。私起きるから」
――ええ。そうします。
エリスはニコニコしながら言う。
「それじゃあ、おやすみ、エリス」
――おやすみなさい、アストリッド。
人の温もりを感じながら、私は眠りに落ちた。こんな心地で寝たのは何年ぶりだろうか。朝まで一度も目を覚まさず、私は眠った。エリスは結局、一晩中膝枕をしてくれてたようで、でもおはようございますと言った表情に疲れた様子は微塵もなかった。とても安らいだ朝だった。




