四話
見渡す限り野原しかない、のどかな景色の中を歩く。森と人のいる場所を探してはいるけど、土地勘はないから、とりあえず道っぽいところを進んではみてるけど、いくら行っても景色は変わらない。雲の流れる空、遠くでかすむ丘、そよ風に揺れる草花の道……何だかずっと同じ場所を歩いてる気になってくる。
――アストリッド、休憩でもしますか?
私の肩に乗るエリスが聞いてきた。
「まだ大丈夫……」
――ですが、顔が疲れているようですよ?
「疲れてるわけじゃないの。何にもなさ過ぎて退屈なだけよ」
――確かに、この辺りは何もありませんからね。
「どこまで歩いたら森や建物が見えて――あっ!」
私は思わず声を上げて止まった。
――どうしたのですか?
「見て、エリス、あそこ!」
前方を指差す。少し上り道になった先に、煙突の付いた屋根が見える。家だ。人の住む家だ!
――民家のようですね。村や集落でしょうか。
「行ってみよう!」
やっと目新しいものを見つけて、私ははやる気持ちのまま走り出した。
――急がなくても、あちらは逃げませんよ。
「わかってるけど、早く行きたいじゃない」
久しぶりに見つけた建物に期待しながら駆け寄ったけど、私は目に入った全貌に拍子抜けした。
「……あれ? 家が……」
――一軒しか見当たりませんね。
奥に何軒も家が並んでるものと思ったのに、そこには煙突のある家が一軒、ポツンと建ってるだけだった。村でも集落でもなかった……。
――ですが、大きな家ですから、人が住んでいることは間違いないでしょう。
横に広く大きな家は、見た目にも綺麗で手入れがされてる。窓にはカーテンが引かれて中は見えないけど、エリスの言う通り住人はいそうだった。
「だけど、何でこんな何にもない場所に住んでるんだろう……」
不思議に感じながら家の前を通り過ぎて、裏側をのぞいた時にその理由がわかった。
「……畑だ……これのために住んでるのね」
家の裏手には、遥か遠くまで続く畑が広がってた。家の敷地の何十倍はあるだろうか。まだ作物は植えてなさそうだったけど、いつでも植えられそうなほど綺麗に耕されていた。きっとこの広い畑を作るために、住人はここに家を建てたんだろう。
その畑から再び家のほうへ目を移した時、私は初めて住人の存在に気付いた。家の裏庭だろうか。物干し用のロープが渡されたところで、女性が洗濯物を干す姿があった。ちょっとふくよかで前掛けをした格好は主婦のように見える。かごから濡れた服を取り、手早く干していく手際はいいけど、ところどころ雑な印象もある。すでに干してあった肌着なんか斜めに干されてて、風でも吹けばすぐに落ちそう――なんて思ってたら、その通りになった。
一瞬風が通り抜けて肌着は大きく揺らされると、ロープからスルリと落ちて、ヒラヒラ泳ぎながら私のいる道沿いに落下した。どうしようと思って女性を見たけど、こちらにはちょうど背を向けてて、落ちた肌着には気付いてないようだった。放っておくのも忍びなく思って、私は仕方なく拾った。少し付いた土を手で払って声をかけた。
「あの、洗濯物……」
女性は手を動かし続けてる。声が小さかったかな。
「あの! 洗濯物が落ちましたよ!」
お腹から声を出して言うと、女性はキョロキョロと周りを見渡した。
「こっちです! 後ろ!」
そう言うと、女性はようやく振り返って私に気付いた。と同時に、ヒッと声を上げて身体を跳ねさせた。その顔は相当驚いてた。
「ご、ごめんなさい。びっくりさせるつもりはなかったんですけど……」
謝った私を、女性は何度も瞬きしながら見てくる。
「あ、あ、あなた、いつからそこに……?」
「今来たばっかりです。それで、これ、風で落ちましたよ」
私が肌着を差し出すと、女性は警戒するような足取りで近付いて来て、そっと受け取った。
「……ありがとう。親切なのね」
「偶然見てただけで……あんまり汚れなくてよかった」
私が笑うと、女性も表情を少しだけ緩めてくれた。
「あなたがすぐに拾ってくれたおかげね。……ここで、何してるの?」
「大きな木と、私のお母さんを捜してます」
「木と、お母さん? それは、また、変わった組み合わせね……」
「木は、この子の住みかのためで……」
私は肩のエリスを示して言った。でも女性は首をかしげて見てくる。
「この子? って、誰?」
この青い小鳥、と言いそうになって、私は止めた。そうか。エリスは他の人には見えない存在だった。
「……や、やっぱり何でもないです。とにかく、立派な木が必要で、それと、私のお母さんを捜してるんです」
「あなたの……。どこかで元気でいるの?」
「わからないですけど、そうだと思ってます。実家へ帰ってるはずだから」
「そこまでわかってるなら、すぐに見つかりそうね」
「それが、実家の場所を憶えてなくて……だから捜してるんです」
「ああ、そういうことなの……」
女性は困惑したような表情を浮かべた。
「少なくとも、この辺りにはお母さんの実家はないでしょうね。こんなところに住んでるのは私達家族だけだから」
「町や村、集落なんかはないんですか?」
「見ての通り、この一帯は平原があるだけよ。人が住む場所へ行きたいなら、もう少し先へ進まないと。何日か歩けば町に着けるわよ」
「そうですか。町があるんですね。じゃあ頑張って行ってみます」
「ええ。頑張って」
女性が再び洗濯物を干そうとしたところで、私はすぐに呼び止めた。
「あっ、もう一つ、聞いていいですか?」
こちらに背を向けかけてた女性が振り向く。
「……他に何を聞きたいの?」
「さっき言ったように、立派な木も探してて、そんな木がありそうな場所を知りませんか?」
これに女性の眉間にしわが寄る。
「立派な木って、何だか曖昧ね……」
「大きくて、長生きしてる木です。きこりの人が入ってなさそうなところがいいんですけど、どこかありませんか?」
女性は腕を組み、宙を睨みながら考える。
「きこりが入ってるかどうかはわからないけど……この道をしばらく行った先に、雑木林があったと思うわ」
「本当ですか」
「ただ、見た感じ雑草が多くて、いい木が生えてそうには見えなかったけど」
「それでも行ってみます。教えてくれて――」
「かあちゃーん」
私の声をさえぎるように、裏庭への扉が開くと同時に男の子の声が響いた。
「種まきの準備、やっといたよ。腹減ったんだけど、何かない?」
家の中から出て来た男の子は私と同い年ぐらいで、少し疲れた顔と声で女性に聞いた。
「畑の手伝い、してくれたの? それは助かったわ。台所の戸棚の中にビスケットがあるから、ジャムでも付けて食べなさい。でも昼ご飯食べられるようにちょっとにしておきなさいよ」
「はーい。ビスケット、ビスケット……」
おやつのありかを聞いて、男の子はさっさと家の中へ戻って行った。
「……息子さんですか? 手伝いをしてくれるなんていい子ですね」
「ただのご褒美狙いなだけよ。夫に強く言われるまで、やる気なんてまったくないんだから」
ふう、と呆れた溜息を吐いた女性は、その視線を私に向けた。
「本当ならね、きょうだいがいたの。一歳下の子。でも流産して、産んであげられなかった。その喪失感のせいか、私も夫も大事にし過ぎて甘やかしちゃったのかもしれないわね。もし下の子が生まれて、無事に育ってれば、ちょうどあなたぐらいになってたんでしょうね。きょうだいがいたら、あの子も兄としてもうちょっと自発的に動いてくれてたかも……」
寂しげな表情だった女性は、私の視線にハッとすると、取り繕う笑みを見せた。
「やだ、私、子供相手に何を話してるんだか……何であなたにこんな話をしたんだろう。自分でも不思議だわ」
「亡くした子への想いを、確かめたかったんじゃないですか? 忘れたりしないって」
これに女性は微笑んだ。
「私の気持ちがわかるの? すごいのね、あなた。……もしかして、あなたって……」
言いかけた女性だったけど、小さく首を横に振った。
「いえ、あり得ないわね……何でもないわ」
苦笑いを浮かべた女性は話を切るように洗濯物に手を伸ばす。
「……えっと、いろいろ教えてくれて、ありがとうございました」
「役に立てたならいいけど」
「いいお話が聞けてよかったです。それじゃあ……」
家から離れて、私は道へ戻った。
「ねえ」
数歩歩いたところで女性に後ろから呼ばれた。
「……はい?」
振り返ると、ロープに洗濯物を干しながら女性は肩越しに聞いてきた。
「あなたの名前、よかったら教えてくれない?」
「ああ、私はアストリッドって言います」
「アストリッド……いい娘ね、あなたは」
ちらりと笑顔を向けた女性だったけど、すぐに洗濯物干しに戻った。私もそれ以上は話さずに歩き去った。
何もない道をてくてく歩きながら、肩にいるエリスに話しかけた。
「ねえ、エリスはあの人の後ろにあった気配に気付いた?」
――ええ。姿はなかったですが、ぴったりと側にいましたね。
「あれって、やっぱり……」
――産まれて来られなかった子でしょう。姿は得られなくても、母親の愛は感じているのかもしれません。
「生きられなかった未練って言うより、お母さんの気持ちに寄り添ってる感じ?」
――そうでしょうね。自分のことで何年も悲しんでいることが心配なのでしょう。
「そうなんだ。悪い気配じゃなかったから、あの人に言わなかったけど……言ってあげたほうがよかったかな」
――わざわざ言うこともないでしょう。何も問題はないのですから。悲しみも、時がいずれ薄めてくれます。そうすればあの子の心配も消え、行くべき場所へ行ける日が来ます。
「行くべき場所……ちゃんと迷わず行ければいいけど」
――大丈夫です。あの子はわかっていますよ。
「そう……わかってないのは私のほうか。今はこの道を真っすぐ行くしかないけど」
――少しずつ進んでわかっていけばいいのですよ。まずは聞いた場所へ行ってみましょう。
「うん、そうだね。わかってなくても、一歩ずつ進むしかないよね」
エリスに笑いかけてから、私は前を向いて歩き進む。いつかきっと望むものが見つかるって、強く信じながら。




