三話
集落からこんなに離れたところまで来るのは初めてだ。小さい頃に木の実拾いで外に来たことはあったけど、そこからさらに外へ来ると、見たことない自然の広い景色が溢れてて、何だか知らない異国を歩いてるような気分にさせられる。草むらに咲く黄色い花も、涼やかに流れる小川も、遠くに見えるかすんだ丘も、全部初めて見るものばかりで、私は集落以外のことは何も知らなかったんだと改めて自覚した。
――まずは、どちらへ向かうのですか?
肩に止まる小鳥のエリスが、景色を眺めながら歩く私に聞いてきた。
「どこか森を探して、そこでエリスの住みかを探そうと思うの」
――お母さんの実家は探さないのですか?
「探すけど、今は何の手がかりもないし、人のいる場所に着くまでは住みか探しをするつもりよ」
――お母さんの居場所は、確かに人に聞かなければわかりませんからね。ところで、この辺りに森はあるのですか?
「わからない。私も初めて来る場所だから。でも、歩いてればきっと――あっ」
視線の先に見えた景色に、私は思わず足を止めた。簡素な木の柵が立ち並ぶ奥に見える、いくつもの三角屋根――別の集落だ。そこでふと頭上の太陽の位置を確認した。東から歩いて来たから、こっちは……西。まさか、この集落って、大人達が言ってた西の集落……?
――どうしたのですか?
「……エリス、あそこの集落の人が、私達の集落を襲ったのかもしれない」
――狩り場のことで揉めていたのは、西にある集落とのことでしたね。
「襲いに来た人を、エリスは見てた?」
少し間があって返ってきた。
――ええ。
「じゃあ、犯人の顔も、見てる?」
――全員憶えているわけではありませんが、見ています。
「何人、いた?」
――十人か、もう少しいたかもしれません。男性ばかりでした。
やっぱり大勢で襲いに来たんだ。私の予想通りなのかも……。
――犯人かどうか、確かめに行きますか?
「え……」
――それはさすがに怖いですか?
「誰かが私に気付いたら、生き残りがいたって、また……」
――そうはならないと思いますよ。
「どうして?」
――彼らは全員死んだものと思っているはずです。たとえアストリッドの顔を見たとしても、おそらく一度見ただけの少女の顔など、誰も憶えてはいないでしょう。それに服も着替えました。気付かれることはまずないでしょう。
「本当に……?」
――集落の中に入るのなら別ですが、前を通るだけなら何も問題はないはずです。それも怖いのなら、迂回して進みますか?
私は遠くの集落をじっと見つめた。襲った犯人達がいるかもしれないと思うと、胸の底から恐怖が湧いてくるけど、エリスが大丈夫だと言うなら、悪い人達のためにわざわざ遠回りなんかしてやるもんかという気持ちにもなってくる。
「……気付かれないって、エリスを信じて、行くわ。で、でも、確かめには行かないから」
――確かめる必要などありません。今のあなたには無意味なことですから。
「うん。犯人がいてもいなくても、私には復讐なんてできないし、やる気もないわ。……よし!」
一度深呼吸してから気合いを入れて、私は一歩ずつ集落へ近付いて行った。徐々に暮らしの様子が垣間見えてくる。そこにはもちろん住人の姿もある。ほうきで庭掃除してたり、家畜のヤギに餌をあげてたり、私の集落での様子と何ら変わらないものが見える。あんまりじっと見てると、さすがに怪しまれそうだから、横目でちらちらと見るようにして集落の前を歩いた。
「じゃあ、ちょっと行って来る!」
男性の大きな声が聞こえたと思うと、近くの家から体格のいい男性が飛び出して来て、集落の入り口前を歩いてた私のほうへ走って来た。どうしようと焦った私は、咄嗟に駆けて男性から遠ざかったけど、そんな不自然だった私には目もくれず、男性は集落を出てどこかへ走り去って行った。き、気付かれなかったのかな……。
ドキドキ鳴る心臓を押さえながら、私は静かに集落を通り過ぎてエリスに聞いた。
「……あの男の人は、犯人の中にいた?」
――それを、どうしても知りたいですか?
そう聞かれて私はハッとした。それを知ったところで、私はどうしたいのか。文句を言う気も復讐する気もないというのに。エリスが言ったように、確かめたって無意味なこと。
「……やっぱり、いい。言わなくていいわ」
――私もそれでいいと思います。襲撃されたことは、早く忘れたほうがいい。
「うん。嫌なことはさっさと忘れる」
私は振り返らず、前だけを見て歩いた。地下室から出て、もう自由なんだ。犯人がいるとか、どうしてるとか、そんなことで心を縛られたくはない。私にとってはもう通り過ぎたこと。あの男性も、ただの集落の住人のままでいい。
それから道なりに歩くこと数十分。ようやく森を見つけた私は早速その中へ進んだ。背の高い針葉樹が立ち並ぶ森は、光をさえぎって薄暗いけど、緑の香りが漂う空気は触れてるだけで気持ちよくて、人のいない静まり返った空間は、孤独で寂しいんだけど不思議と落ち着ける感じがした。
「いい住みか、あるかな」
――探してみましょう。
そう言うとエリスは私の肩から頭上へ羽ばたいた。
「あんまり離れちゃ駄目よ。声も届かなくなるし」
――気を付けます。
「ところで、住みかになる木はどんな木なの? 確か、霊力がいっぱいある木がいいのよね?」
――樹齢を重ねた、見た目にも立派な木のほうが、その条件を満たしやすいですね。
「じゃあ、大きくて、幹や枝の太い木を探せばいい?」
――ええ。お願いします。
「任せて。エリスは空から探してみて」
わかりましたと、エリスは小さな翼で旋回しながら枝葉の間へ消えて行った。
「……よし、快適な住みかを見つけてあげなきゃ」
無数にある木を眺めつつ、私はゆっくり歩き進む。ここの木は日当たりや栄養に恵まれてるのか、どれも真っすぐに伸びて青々とした葉を茂らせ、健康的に育った木ばかりだ。腐ったものはどこにもなくて、全部綺麗ではあるけど、集落のご神木みたいに立派かと言うと、そこまでじゃない。資材としては申し分なさそうだけど、エリスが求めてるのは綺麗な見た目じゃなく、霊力が溜まるほどの立派な木だ。
「これは……そんなに大きくもないか」
幹の太さを確認しながら次の木を見に行く――それを繰り返すが、なかなか理想の木は見つからなかった。上ばかり見てるから首も疲れてくる。少し休憩しようかと思って、ふと視線を戻した時、目の前に低木があって、そこに小さな赤い実がなってるのを見つけた。そう言えば私、何にも食べてなかったな。空腹感はそんなにないけど、でも食べておいたほうがいいよね――私は赤い実に手を伸ばして、一粒採ってみる。これは木苺みたいだ。集落ではジュースとかソースにしてたと思う。表面を指で払ってから口にポイッと入れてみる。
「……うん、ちょっと酸っぱいけど、美味しい」
食べられる味だとわかって、私はいくつか採って食べた。甘味が感じられる食事はいつぶりだろうか。監禁されてた時はパンとか野菜のスープとか決まったものしか食べられなかったから、わずかな甘味でも美味しく感じる。
――アストリッド、何をしているのですか?
上から舞い降りて来たエリスが木苺の低木に止まりながら聞いてきた。
「これ、見つけたの。何にも食べてないなと思って。木苺、まあまあ美味しいわよ」
――ほお、いいものを見つけましたね。可愛らしい実です。
「エリスも食べる? まだいっぱいなってるから」
私はすでに採った木苺を差し出したが、エリスはそれを見下ろしただけで食べようとはしない。
「……もしかして、好きじゃない?」
――いえ、私は何かを食べるということができないもので。
その言葉に驚いて私はエリスを見つめた。
「何にも、食べられないの?」
――ええ。そもそも食べる必要がありませんから。
「それじゃあ、どうやって元気を保ってるの?」
――霊力を受けることで元気でいられます。ですから今の元気の源はアストリッド、あなたです。
つまり、私がエリスのご飯になってる……ってことだろうか。何だか不思議だ。
「そうなんだ。知らなかった……でも、考えればそうだよね。エリスは人じゃないし、私みたいに食べなくてもおかしくは――」
そう言いながら、私の頭には一つの疑問が浮かんだ。
「ねえエリス、聞いてもいい?」
――何でしょうか。
「あなたって、幽霊、じゃないのよね?」
――ええ。人であったことはありません。
「だとすると、何者なの……?」
エリスと見つめ合ったまま短い沈黙が流れて、私は慌てて口を開いた。
「あっ、えっと、今さら聞くのも何だけど……そう言えば私、あなたを友達だって思ってるのに、まだよく知らなかったなって……」
――私のような友達は、他にいませんでしたか?
「友達って呼べるほどじゃないけど、フワフワ浮いた光る子はいたわ。でも、あなたみたいにおしゃべりはできなかった。ただ側にいるだけで、エリスとは全然違ったわ」
――そうですか。
「人と同じように話したり、変身できたり、そんな子はあなただけよ。エリス……幽霊じゃないならあなたって――」
その時、上から一羽の茶色い小鳥がやって来たかと思うと、木苺の低木に舞い降りてエリスの横に並んだ。小さな身を寄せて顔を向ける仕草は、小鳥姿のエリスを仲間だと思ってるようだった。そのエリスも離れたり追い払おうとはしないで、同じように顔を向けてチーチーと鳥の鳴き声で応えた。声真似もできるんだ、なんて感心してるうちに、茶色い小鳥は用が済んだのか、おもむろに飛び立ち、森の奥へ消え去った。
「……鳥の言葉、わかるの?」
――鳥に限らず、命あるものなら何となくですが。
「今の鳥は何て言ってたの?」
――君は、私達とは違うね、と。
「本当は鳥じゃないって見抜いたの? それで、エリスは何て言ったの?」
――迷惑はかけませんと言いました。そうしたら、空を飛ぶのは気持ちいいだろうが、危険もあるから気を付けてと言って去って行きました。
短い間にそんな会話をしてたことが何だか微笑ましくて、私は笑った。
「鳥の話すことも、人とあんまり変わらないのね」
――動物だったり人だったりが特別ということはありません。気持ちや考えは似ているものです。
「じゃあ、エリスも特別じゃないの?」
――私は、自分が特別だと思ったことはありません。この地で命を与えられ、この地に生きているだけ。それは他の命と何ら変わりませんから。
「だけど、変身するなんて誰にもできないことよ? それは特別じゃない?」
――私にとっては当たり前にできることです。ですから特別とは言えません。
そうか。人ができないことができるからって特別だと思うのはおかしなことか。当人には普通の能力なんだから。空を飛べる鳥を普段、特別だと思わないように。
「それでも、エリスってやっぱり不思議だわ。これまで見たり聞いたりしたことない、私にとっては特別な存在……一体、何者?」
私は青い小鳥をまじまじと見つめて聞いた。つぶらな黒い瞳が真っすぐこちらを見据えてくる。
――何者かでなければ、いけませんか?
「え……?」
――私が何者か、いずれわかる時は来ると思います。ですがそれまでは、何の先入観もなく、あなたの友達のエリスでいることはできませんか?
「あ、その、ごめんなさい。無理に聞くつもりは……」
――誤解しないで。私は明かしたくないわけではないのです。ただ、アストリッドとの今の距離感を失いたくないのです。何者かを知ったことで、そこに影響されるのではと思い……杞憂かもしれませんが。
そんなふうに言われると、余計興味が湧いてくるけど、でもエリスが心配してるなら、私はこれ以上聞くことなんてできない。私だってエリスと心の距離を離したくない。ずっと仲のいい友達でいたい――
「わかったわ。もう興味本位で聞いたりしないから。だってエリスはエリスだもんね。何者だっていい。あなたが側にいてくれるだけで十分だし。いつかわかるって言うなら、それまでのお楽しみにしておくわ」
――どうしても気になると言うのなら、私はここで言っても――
「言わないで。お楽しみにするって言ったでしょう?」
――そうですか。では、この先に取っておきましょう。
「うん。……それで、いい住みかは見つかった?」
――なかなかよさそうな木は……。
「そう。もう少し探してみようか」
私とエリスは再び森の中を探して回った。が、ご神木に並ぶほどの木はなく、時間ばかりが過ぎて行く。それでも諦めず、大分奥の方までやって来ると、そこにはたくさんの切り株があった。そして側には切られた無数の丸太。どうやらこの森にはきこりが入って、材木を切り出してるらしかった。だとしたら立派な木は真っ先に切り倒されるだろう。これをエリスに伝えると、きこりがいては住めそうにないと、別の森を探すことにした。見つからず残念な気持ちもあったけど、まだエリスと一緒にいられることは嬉しい。住みか探しは時間がかかりそうだけど、私はそれでも構わないと思った。




