十六話
空気を震わせるほどの音を立てて、巨大な扉はゆっくり開いた。そこをくぐって外へ出ると、扉は同じようにまた音を立ててゆっくり閉じた。一体誰が動かしてるのかわからないけど、そんなことをいちいち考えてたら、ここでは頭が休まらないだろう。何たって神様が治める世界なんだ。地上世界とじゃ常識も何もかもが違う。宙を飛べるから歩く必要がないし、空はずっと真っ白で暗くならないし……見るもの触れるもの、その全部に驚いてばかりだ。
――裁定はどうでしたか?
私を待ってた球体姿のエリスが、フワフワ浮かびながら側にやって来た。
「私の希望を聞いてくれたわ」
――では、地上へ行き、お父さんの側へ戻るのですね。
「うん。そうするって言ったから。ずっとお父さんを見守る」
この世界に来た者はまず、さっきの大きな扉の先で人間だった時のあれこれを聞かれるらしい。そしてその結果からいくつかの選択肢が示されるようだ。私の場合は三つの選択肢を出され、一つ目は生まれ変わり、次の人生を歩む道、二つ目は地上にいる縁ある人間の守護霊になる道、三つ目はこの世界で神様に仕える道。だから私は迷わず守護霊になることを選んだ。独りになったお父さんを放っておけない。何かの拍子にまた復讐心がよみがえらないとも限らない。そんなことになったら誰かが止めないと。お父さんには笑顔で人生を過ごしてもらう……それが私の役目で、ささやかな恩返しだとも思ってる。
――あなたなら、いい守護霊となるでしょう。何せ神の奇跡から生まれた魂ですからね。
「そんな実感ないけど、それがお父さんのために役立てばいいな」
話によれば、私が生まれたことは小さな奇跡だと言う。お母さんはもともと子供ができない身体で、お医者様からは将来の子供は諦めるよう言われたらしい。でもお父さんと出会って、どうしても二人の子供が欲しかったお母さんは、毎日神様にお祈りをして、子供を授けてくださるようお願いし続けた。そのひた向きで強い願いを受けて、神様はお母さんに奇跡を起こした。それが私の命だった。お母さんが言ってた特別な娘……それは私の幽霊が見える体質だけを指して言ってたことじゃなく、神様から授かった子供という意味も含んでたんだ。この話を聞いて、今ならお母さんが必死に私を助けようとしてくれた気持ちがわかる。願い続けた子、神様から授けられた命、そんな私を悪魔憑きにしたまま失うわけにはいかなかったんだろう。たとえ自分の命と引き換えにしても……。
「アストリッド」
呼ばれて向けば、これらの話を聞かせてくれた本人――お母さんが笑顔で待ってた。私は近付き、その顔を見つめる。地上で最後に見た姿とは違って、頬は丸く、赤みも差してる。元気だった頃の姿そのものだ。
「お母さん、私、お父さんの側に行くことになった」
「望み通り、守護霊になるのね。じゃあ、お母さんと同じね」
「え? お母さんも、お父さんのところへ行くの?」
「ええ。グレアムは強い人だけど、やっぱりまだ心配だから……一緒に、お父さんを守ってあげましょう」
「うん! 何か、嬉しいな。一人で見守るんだと思ってたから……」
胸が弾んで喜んでる時、ふと気になって聞いた。
「……エリスは、どうするの? 私達と一緒にまた地上へ戻るの?」
――そうするつもりでしたが、以前に受けた悪霊からの瘴気の影響が完全には取り払われていないと言われてしまいました。
「そ、そうなの? まだどっか辛いの?」
――そういうことはありません。ですが自然世界を守る務めを果たすのならば、穢れのない健全な身になってからとお達しを受けてしまいまして。
「じゃあ、瘴気を完全に落とさないといけないのね」
――それを終えてから、私は精霊としての務めに戻ります。なので二人は先に地上へ行ってください。
「そういうことなら、仕方ないわね……精霊も、人間みたいに上下関係があるのね」
――神に仕えている精霊だけです。基本、私達は自由に生きています。
「エリスは神様に仕えてたから、だから私の面倒も見てくれたの?」
――あなたが神の奇跡から生まれた魂だというのは最初からわかっていました。ですから悪霊化させないため、死に気付くまで付き添うことにしたのです。まあ、それ以前に、あなたの霊力に頼らないと、私は生きられなかったのですけどね。
集落の焼けたご神木……あそこで私はエリスを助けたけど、実は私もエリスに助けられてたんだ。
「……精霊だって、教えてくれればよかったのに」
――あなたがすでに死んだ身だと言わなかったのと同じで、私が精霊だと言ってもすぐには存在を信じてもらえないと思ったのです。ですが、それよりも私は何も言わずに、あなたと変わらない関係でいたかった。妙な意識や偏見のない、気軽におしゃべりのできる時間を楽しみたかったのです。けれど、意識していたのは私のほうかもしれません。精霊だからと言って、あなたは疑ったり、態度を変えるような心の持ち主ではありませんでしたから。
「エリスは私にとって唯一の友達だよ? 疑ったりなんてしない。エリスはエリスでしかないもん」
――信じてくれて、ありがとう。
「精霊だろうと何だろうと、エリスはこれからも私の友達だからね。……身体、ちゃんと治したら、またいっぱいおしゃべりしよう」
――ええ。その時を心待ちにしています。
私はエリスの丸い身体を撫でた。前に触った時よりもふんわりした感触がはっきりあった。とてもなめらかで、優しい手触りだった。
「アストリッド、そろそろ行きましょうか」
お母さんに言われて私は頷く。
「……それじゃあ、またね、エリス」
――行ってらっしゃい。頑張ってください。
手を振ってエリスと別れると、私はお母さんと手をつないで足下を見やる。お父さんの元へ――そう念じると、不思議なことに足下にぽっかりと穴が開いて、まばゆい光の道が作られた。ここへ入ればお父さんの所まで行けるんだろう。私はお母さんと息を合わせて、その穴に思い切って飛び込んだ。周りが光に包まれる――何時間も経ったような、でもほんの一瞬だったのかもしれない。次に気付いた時には、私とお母さんは地上にいて、目の前には木に斧を振るうお父さんの姿があった。それを見た瞬間、この状況、経緯など、今のお父さんのすべてを把握できてた。自分でも不思議だと思ったけど、もしかしたら守護霊の特別な力なのかもしれない。
「なあ、そっちの作業、終わったか?」
木の幹に斧を振り上げながら、お父さんが通りかかった男性に聞いた。
「いや、もうちょいだ。あと三十分ぐらいで片付くよ」
「そしたらこっちの手伝いに来てくれないか? ここいらは硬い木ばっかりで、木材に加工する暇がないんだ」
「そうか……わかった。あとで人手を集めておくよ」
「助かる。じゃあ頼んだ」
男性が去ると、お父さんはまた斧を振るい始める。
「……お父さん、元気みたいでよかったね」
「ええ。前向きに進んでる……若い頃のグレアムを思い出すわ」
私とお母さんは雑草だらけの地面に座り込んで、木を切るお父さんを眺める。
鬱蒼とした森の中、お父さんがやってるのは開拓だ。まだ人の手が入ってない森を切り拓いて、ここに新たな集落を作るようだ。前の集落はあんな悲惨なことがあって、さすがに住み続けられなかったみたいだ。家族との思い出はあるけど、それ以上に辛い場所になってしまったんだろう。でも幸いなことに、お父さんには仲間ができた。新天地を求める人や、腰を落ち着けたい人なんかと出会い、話し合った結果、自分達の手で森を切り拓いて集落を作ることになったのだ。一から作り直し、新しい生活を――そう進み始めたお父さんの顔は、とてもやる気に満ち溢れてる。何だか見てるだけじゃ物足りない気分だ。私も何か手伝えればいいのにな。
バキバキ、ガサガサと音を鳴らして、斧を振るってた木がようやく倒れた。何十分かかったんだろう。お父さんは早い呼吸をしながら倒れた木をホッとしたように眺める。そして額を袖で拭って、ふぅと息を吐く。
「おいグレアム、そろそろ休んどけよ。動きっぱなしじゃ身体持たないぞ」
様子を見に来た仲間の男性に言われて、お父さんはわかってると返すと、近くにあった真新しい切り株に腰を下ろして、持ってた水筒の水を飲む。汗だくの身には染み渡る美味しさだろう。
「……ねえお母さん、お父さんってこういう大変なこと、やったことあるの?」
「多分、初めてでしょうね。うちでは畑仕事しかやってこなかったから」
斧を使うことには慣れてない。しかもそれで木を切り倒したんだ。疲労は相当あるだろう。半ば放心状態で森を眺めてたお父さんだったけど、呼吸を整えると両手を膝に乗せてガクッとうなだれた。
その拍子にシャツの開いた胸元から何かがこぼれ落ちた。気付いたお父さんはそれをつかみ、見つめる――それは、お母さんが付けてた結婚指輪で、お父さんはそれに紐を通して首飾りにして身に付けてた。
「ジェマ……」
お父さんの顔が歪む。両手で握り込んだ指輪を眉間に押し当てて、涙をこらえてるように見えた。それを見てるお母さんも悲しそうだった。
集落の惨状を確認してからラジューヌ村へ戻ったお父さんは、その直後にお母さんが死んだことを知った。自分が離れてる間に最愛の人を失ってしまったけど、でもお父さんはすぐに受け入れた。もう長くないとわかってて覚悟をしてたんだろう。葬儀が行われて、お母さんは村の墓地に埋葬された。そしてお父さんはその隣に私も埋葬してくれた。村へ戻る時、私の亡骸を運んでくれたのだ。もう離されないよう、親子一緒に……お父さんが私達にくれた、最後の愛情だ。
「グレアム……あなたなら乗り越えられる……」
隣でお母さんが囁くように言った。私達を失った悲しみはどれほど深いのか。でもその深さこそが愛情の重さとも言えるし、お父さんの悲しそうな姿は私の気持ちを複雑にさせる。
その時、視界の隅に動く影が見えた。雑草の間を縫って、地面を這うように近付いて来る生き物――蛇だ。こんな森の中だし、蛇は多いのかもしれない。裂けた舌をチロチロ出しながら獲物でも探してるのか、クネクネと蛇行して進んでる。その先には切り株に座るお父さんがいるけど……何か、嫌な感じがする。
私の腕ぐらいの長さの蛇は、赤茶色の斑点模様をしてる。初めて見る蛇だから、毒蛇なのかどうかわからない。だけど毒がなくたって噛まれれば怪我をすることには違いない。お父さんのほうには行かないで――見つめながら祈るけど、蛇の都合にそんなものは通じない。切り株に迫った蛇は、背後からお父さんの足下に近付いて行く。危険な生き物がいることに、お父さんはまだ気付いてない。
「お母さん、あそこに蛇が……」
指差すと、お母さんもそこで初めて気付く。
「噛まれたら大変……グレアム、下を見て」
願うように言うけど、お父さんは指輪を握ったまま動く気配がない。その間に蛇は靴の側面に沿って進み、そこから足首、すねをたどって上ろうとし始める。動く感触で気付くかと思ったが、お父さんはそれでも動かない。蛇は見上げて、膝に乗る腕に巻き付こうと狙いを定める――危ない! もう見てられない!
「お父さん! 気付いて! 蛇がいる!」
私は思わず立ち上がって大声を出した。その瞬間、お父さんは顔を上げてこちらを見た。
「……ん?」
何か気にするように視線を動かすと、そこでようやく足下の異変に気付いてくれた。ふと見ると蛇が足をよじ登ってる光景に、その表情は一瞬で引きつった。
「うわああっ」
慌てた大声を上げて立ち上がったお父さんは、蛇が絡み付く足を思いっ切り蹴り上げた。その勢いで蛇は高く宙を舞って、離れた茂みの中へ放り込まれた――よかった。どうにか噛まれずに済んだか。
「……はぁ、危なかった……」
胸を撫で下ろして、お父さんも一安心する。その姿に私達もホッとした。するとお父さんは辺りを見回しながら言った。
「……アストリッド、今のは、お前なのか?」
名前を呼ばれて、私はお母さんと顔を見合わせた。
「お父さんを、呼んでくれたのか?」
……私の声が、また聞こえたの?
「側に、いるのか……?」
姿を捜すように視線がさまよう。でも、声は聞こえても、やっぱり私達は見えないんだ。お父さんは溜息を吐くと、また切り株に腰を下ろした。
「……聞こえた気が、しただけか」
「お父さん! いるよ! お母さんも一緒にいるんだよ!」
そう声をかけたけど、お父さんは何も反応しなかった。聞こえたのはさっきだけ……そう何度も奇跡は起きないか。
「お父さんを、早速危険から助けることができたわね」
お母さんは私の肩を抱いて嬉しそうに言った。……そうか。私、守護霊として役に立てたのか。
「……グレアム、アストリッドはちゃんと側にいるわ。ついでに私もね。だから安心して。あなたを、ずっと見守ってるから」
「お父さん、無理しないでね。私は笑顔を見てたいんだから。怪我には気を付けてよ」
一方通行の言葉を送ると、お父さんの視線がまたこちらを向いた。
「……ありがとうな」
誰に向けての言葉かわからないし、視線も私達を通り越した先を見てたけど、それでもこの一言は私の心を温かくさせた。お母さんと身を寄せ合って、残されたお父さんを見守る――声は届かず、触れられもしない。近いようで遠い存在になってしまったけど、また家族三人に戻れたんだ。私はそれが何よりも嬉しかった。死んだら何もできないけど、こういう感情は感じることができる。失った時間の代わりに、私はこれから幸せを得るのかもしれない。できればそれが、お父さんの幸せでもあれば……そう願いたい。




