十三話
神父様の見込みはぴったりだった。川や森を抜けて野原の広がる道を歩き続けること五日、私の視界の先には小さな建物が集まった景色が映ってた――あそこが多分、目指してる目的地、ラジューヌ村だ。それに気付いた瞬間、休憩しようとしてた気持ちは吹き飛んで、私は歩を速めて歩き進んだ。
――急がずとも、村は逃げませんよ。
「わかってるけど、早くお母さんに会いたいから」
集落にいるはずの私が、いきなり目の前に現れたら、お母さんはどれほど驚くだろうか。喜びながら驚くかな。それとも、鬱陶しそうに驚くかな……話じゃ、私とお父さんに愛想を尽かして出てったって言うけど、本当かまだわからない。そんなの嘘だって思う気持ちと、本当だったらって怯える気持ち、両方が入り交じってる。だけど、とにかく今はお母さんの顔が見たい。数年ぶりに会えるかもしれないお母さんに、早く会いたい。会って、私だよって、笑顔で抱き付きたい。お母さんはそうさせてくれるだろうか……。
期待と不安を抱えながら道を進んでると、前に男の子が一人歩いてた。背格好から十二、三歳ぐらいか。金の髪に痩せ型で、うなだれた姿勢でとぼとぼ歩いてる。同じ方向に向かってるから、きっとラジューヌ村の子なんだろう。私がその子を追い越そうと足をさらに速めた時だった。男の子は急にこちらへ振り返ったかと思うと、まるで敵にでも会ったような不快な表情と視線を向けてきた。しかめられた顔には憎しみさえ感じられる。そんな目に睨まれて、私は一瞬怯んだけど、ここで足を止めるつもりなんてない。気にしないふりで男の子の近くまで進んだ。
すると男の子は突然走り出し、私との距離を離した。ある程度離れるとまた歩きに戻った。そしてちらとこちらを見てくる。……あれって、何? どういう意味があるんだろう。私に追い越されたくないってことなのか? いやでも、道で初めて会った相手に、そんなどうでもいい負けん気を発揮するものだろうか。
男の子の歩みは遅いから、自然と私は彼に追い付いてしまう。今度こそ追い越そうと思った時、またしても振り返った男の子は、ギョッとした目でこちらを睨んでくると、バタバタと走ってまた距離を開けた。十分距離を開けると歩きに戻る――そんなに私に追い越されたくないんだろうか。それとも他に理由があるのか。
「エリス、あの子、何なんだろう」
――わかりません。アストリッドをあまり良い目で見ていないようですから、関わりは避けたほうがいいでしょう。
こちらは関わる気なんてないけど、向こうが変に意識してくるんだ。村はもう目の前に迫ってる。こうなったら私も走って、さっさと追い越しちゃおう――そう思って走り出すと、男の子はすぐに振り向いて気付いた。そして引きつった顔を見せて走り始めた。……ちょ、ちょっと、そっちまで走ったら追い越せないじゃない。まったく――私は全速力で走った。が、こちらの様子をうかがってた男の子も全速力を出し始めた。……私達は何をしてるの? 村へ向かってるだけで競争なんかしてないんだけど。あの子の思考がわからない……。
とうとう村の入り口までたどり着いてしまい、そこで男の子は体力が尽きたのか、膝に手を置いてゼエゼエと息切れしてた。少しの差で私も到着して、乱れた呼吸を整えるのに集中する。
「つ、付いて来るなよっ」
忙しく呼吸する合間に、男の子がこちらを睨みながら言ってきた。私は息を整えつつ言い返した。
「別に私は、あなたに付いて行ったわけじゃないわ」
「でも、こうして付いて来てるじゃないか」
「それは、この村に来たかったからで――」
「嘘つくな! 僕に構ってもらいたかったんだろう? 家まで付いて来る気なんだろう。わかってるんだからな」
男の子は怒りとも迷惑ともとれる表情で私に怒鳴ってくる――何でそんな思い込みをしてるのか、私にはさっぱりわからない。
「家って、ここにあるの?」
「だったら何だよ」
この子はやっぱり村の子みたいだ。
「私のお母さんの実家がここにあるかもしれないの。ジェマ・ホロウェー……この名前、知らない? 知ってたら家を教えてほしいんだけど……」
「知らないよ! 僕は何にも知らない。だからもう近付くな!」
そう言うと男の子はまた走って村の中へ入って行く。
「あっ、待って!」
私はすぐに追いかけた。よくわからないけど、何か誤解されたままじゃ気分が悪い。ちゃんと話してそれを解かないと。それにお母さんのことも聞きたいし。
小さな木造の家が立ち並ぶ村の中は、ごく平凡な景色が広がってる。井戸や畑には作業をする住人の姿がちらほら見える。そんなところを男の子は真っすぐ駆け抜けて行く。どこまで行くつもりなのか……。
「おい! マイルズがいたぞ!」
その時、民家の陰から別の男の子が現れた。その声に集められるように、他の場所からも二人の男の子がやって来た。……走ってるあの子はマイルズっていう名前らしい。自分の名前が呼ばれて、私の前を走るマイルズは、その男の子のほうを見ると引きつった表情を浮かべた。でも足を止めることはない。
「マイルズ、どこ行ってたんだよ。俺達捜してたんだぞ」
「また一人で居もしない友達と遊んでたんだろう」
「うわあ、気持ち悪ぃやつ!」
三人組はヘラヘラ笑いながらマイルズに言う。その態度は明らかに彼をからかい、小馬鹿にしてる。
「聞いてんのかよ。おい、無視する気か?」
マイルズに止まる気配がないと見ると、三人組は猛然と後を追い始めた。
「俺達を無視していいと思ってんのかよ!」
「止まんないと、どうなるかわかんないぞ」
「生意気なやつは、お仕置きだ!」
すぐ後ろを走ってた三人組は、私をさっさと追い抜いて行くと、あっという間にマイルズの背後に付いた。それでもマイルズは走り続けてたけど、目の前が茂みで行き止まりになると、ゼエゼエ言いながら止まるしかなかった。
「俺達より足が遅いお前は、走って逃げても無駄だから」
「じゃあ、はい、お仕置きね」
一人の子がマイルズの足に向けて蹴りを入れた。その衝撃でマイルズはよろめく――何てひどいことを! 暴力を振るうなんて許しちゃいけないことだ。やっと追い付いた私は止めに入ろうと声を上げた。
「ちょっと! 何して――」
その時、マイルズが走り出して三人組の間をすり抜けようとした。一瞬の隙を狙った脱出……でも男の子の一人が足を出すと、マイルズは見事にそれにけつまずき、地面にうつ伏せに転んでしまった。
「ぎゃはははは! 最高!」
「笑えるな!」
「いい転びっぷりだ! ひひひっ!」
三人組は彼を見下ろしながら笑い転げてる――最低なやつらだ。弱い者をいじめて喜ぶなんて、人として救いようのない行為だ。私は転んだまま動かない彼に近付き、声をかけた。
「大丈夫? 怪我とかして――」
「近付くなって言ったろ!」
バッと顔を上げたマイルズは、私を睨んでそう怒鳴ってきた。心配してるのに、こんな言い方しなくても……。
「はあ? 近付くなって俺達に言ったの?」
「生意気なの、治ってないじゃん。もう一回お仕置きする?」
「あれじゃね? 見えない友達ってやつじゃね? もしかして近くにいんの?」
三人組はまたニヤニヤしてる――何か変だ。三人ともマイルズしか見てなくて、側にいる私のことなんかまるで視界に入ってない。村とは無関係の他人が目の前にいるのに、わずかも気にする素振りもない。今まで立ち寄ってきた町の人達と同じだ。皆、私を無視してる……。
「今度はどんなやつが友達なんだよ。教えろよ」
「マイルズの友達になるのなんて、どうせ化け物とか怪物だろう? 顔がグチャグチャで、目玉が飛び出してるのとかさ」
「じゃあ、こいつも化け物の仲間か。殴って弱らせておこうぜ。いつ襲われるかわからないし」
そう言った男の子がマイルズの頭を小突いた。
「何するのよ! やめて!」
私が止めても、三人にこの声はまったく届いてなさそうだった。笑いながら三人はマイルズを殴り、蹴る。逃げることもできないマイルズは身を縮めながらそれを受け続ける。暴力という恐怖に、私は成す術もなく、胸をキリキリさせながら眺めるしかなかった。
「……はあ、これぐらいでいいか」
「ちょっと疲れたな。喉も乾いたし」
「それじゃあマイルズ、また明日も遊ぼうな。逃げるんじゃねえぞ」
三人は満足げな笑みを浮かべて去って行った。途端に辺りに静けさが漂い、通り抜けた風に混じってマイルズの苦しげな息遣いが聞こえた。
「……早く手当てしないと。立てる?」
私は手を差し伸べたが、マイルズはそれを無視して一人で立ち上がった。服は泥だらけで、顔は赤く腫れてる。きっと服の下には無数のアザがあることだろう。
「……お前のせいだ」
「え?」
ギロリと充血した鋭い目がこちらを向いた。
「お前みたいなやつが話しかけてくるから、僕は頭のおかしいやつだって思われるんだよ」
「ど、どういう意味? 何で私のせいに――」
「人間じゃないのに話しかけてくるなよ!」
私は口を開けたまま止まった。人間じゃないって……ののしる言葉にしては度を超し過ぎてて、怒りより驚きや呆れのが先に立った。
「どう見ても人間の相手にそんなこと言っても、何も効果なんてないから。もっと考えてものを言ったら?」
するとマイルズは辟易したように溜息を吐いた。
「……お前もやっぱり、そういうやつか」
「な、何なのよ」
鬱陶しそうな眼差しがこちらを見つめた。
「自分が死んで、幽霊になったことに気付いてないやつだよ」
「は? 私が、幽霊……?」
この子は、ののしり方が大分下手なようだ。こんなことを言われて本気で怒るのは小さな子供だけだろう。子供染み過ぎて逆に冷めてしまう。
「私が幽霊だったら、あなたも幽霊ってことになるんじゃない? だってこうして話してるんだから。そうでしょう?」
「僕は人間だ」
「それなら私だって――」
「僕は皆に見えないものが見えるんだよ。死んだ人間の幽霊が……。だからさっきの三人は、こんな僕を気持ち悪がって殴りに来るんだ。変人扱いして……こっちは、そこに幽霊がいるって正直に言っただけなのに……」
暗い表情になったマイルズに、私は自分を重ねた。周りとは違うものが見えることで受ける誤解や偏見。私もずっとそれに傷付けられてきた一人だから、受けた痛みはよくわかる。
「実は私も、小さい頃から幽霊が見えるの。それでひどい扱いを受けてきた。あなたの気持ちは想像しなくてもよくわか――」
「幽霊の同情なんかいらないよ! 早く消えてくれよ!」
なっ……人が優しくしてあげてるのに、そんなに私のことが嫌いなの?
「わかったわよ。そんなに言うなら消えるけど、私は幽霊じゃないから。ここまで歩いて来たし、あなた以外の人とも話せてるから」
「その相手も、同じ幽霊だったんだろう」
「違うわよ。幽霊もいたけど、私をちゃんと見て話す生身の人間だったから」
「どうだか……さっさとどっか行けよ」
突き放す目と言葉に、私は踵を返そうとして一旦止まった。
「……そうだ。お母さんの、ジェマ・ホロウェーの家がどこか、最後に教えて」
こちらをいちべつしたマイルズは面倒臭そうに表情を歪めると、視線を遠くへ移して指をさした。
「……あっちの奥にある、玄関横にたくさん鉢植えが並んだ家が、ホロウェーさんの家だよ」
何だ、やっぱり知ってたのね――ありがとうと言ってから私は来た道を引き返した。
「行けば、僕の言ったことが本当だってわかるよ」
後ろからマイルズの声が聞こえたけど、私は構わず進んだ。死んだ覚えなんかないのに、それがどうやって幽霊だと自覚できるのか。そんなの不可能だ。だって私は人間で、死んでないんだから。
「エリス、あの子、本当に幽霊が見えるのかな。それとも私に嫌がらせしてただけなのかな」
――それは、間もなくわかることでしょう。
「あなたもあの子と同じことを言うの? わかったわ。家を訪ねて確かめてみようじゃない」
教えられた家を探して、私は足早に村の中を突き進んだ。




