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狭間の少女  作者: 柏木椎菜


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十話

 野原ばかりだった景色に、だんだんと木の数が増え始めてた。それらを眺めながら私は肩に乗るエリスに話しかけた。

「この先に森とかありそうね。でもよさそうな木を見つけたらすぐに言ってね」

 ――わかりました。確かに、見込みのある木が見つかりそうな気配はしますね。

「そんなのわかるの? エリスってどんなことまでわかる――」

 そこで私は思わず言葉を止めた。目の前でフラフラ歩く小さな姿を見つけたからだ。雑草に挟まれた道の真ん中に、茶色い体毛の犬がいた。子犬と言うには少し大きくて、成犬になったばかりのような体格だ。肉はちゃんと付いてるから、野良犬じゃないんだろう。その証拠に首には黒い首輪が付けられてる。

 当てもなさそうに歩いてた犬だけど、私に気付くと垂れ耳の顔をこちらに向けて一瞬動きを止まらせた。何者か確認でもするような視線に、私も動きを止めた。

「……ねえエリス、犬がいる」

 ――そうですね。こちらを見ていますね。

 見たまんまの会話をしてると、犬は突然こちらへ向けて駆け出して来た。襲われるんじゃないかと恐怖もよぎったけど、その走り方は襲うと言うより、じゃれ付くような軽快さがあった。逃げずにじっと立ってると、その見方通り、犬は私の前で止まり、ワンと一声鳴くと、舌を出してハアハアしながら見つめてきた。遊んでほしいんだろうか。

「どこから来たの? ご主人様が心配してない?」

 首輪が付いてるということは飼い主がいるということだ。でも紐や綱はないから、もしかしたら外して逃げて来たのかもしれない。それにしても人懐っこくて警戒感のない子だ。よく見れば顔も可愛い――私はそっと手を出して犬の頭を撫でようとした。が、犬はその手をすり抜けて数歩下がると、またワンと鳴いてこちらを見つめてくる。尻尾を振ってるから怒ったわけじゃなさそうだ。この子は一体何をしたいんだろうか。私は幽霊と話せても、犬とはさすがに話せない。

「一人で家に帰れる? ご主人様のところへ帰ったほうがいいよ」

 犬の気持ちがわからなければ、これ以上立ち止まってるわけにもいかない。私は犬と別れて再び道を進んだ。でも何気なく振り返って驚いた。犬がなぜか付いて来てる……遊びたいわけじゃなさそうなのに、この子は私に何を望んでるのか。

 歩く足を止めると、犬もピタッと止まったけど、すぐに私の前へ回り込んでワンと鳴き、舌を出して見つめてくる。

「何て言ってるの? あなたの言葉、わからないから……」

 そう言ってもう一度頭を撫でようとしてみたけど、犬はやっぱり手を避けて数歩下がる。

 ――どうやら、アストリッドを呼んでいるようですが。

 エリスの言葉に、私はハッと思い出した。

「そう言えばエリスって、生き物の気持ちがわかるんだっけ。……で、呼んでるってどういうこと?」

 ――あなたをどこかへ連れて行きたいそうです。

「どこかって、どこなの?」

 ――そこまでは……ただ、後に付いて来てほしいと言っています。

 私は見つめてくる犬を見つめた。目が合うとワンと鳴き、私に近付いたり離れたりしながらフラフラ歩き出す。

「私に、付いて来てほしいの?」

 そうたずねると、犬はまたワンと鳴いて道を歩く。でも私が付いて来ないのを見ると、すぐに引き返して来て目の前でフラフラし始める――言われれば確かに、付いて来てほしそうな仕草だ。

「エリス、この子に付いて行っても大丈夫かな」

 ――わかりませんが、相手は犬ですし、騙して何かすることはないでしょう。

 私を襲う気なら、見た瞬間に襲って来るだろうし……多分危ないことはないだろう。

「わかったわ。あなたに付いて行くから、案内してくれる?」

 そう言うと、犬はまるで言葉を理解したように道を駆け出した。

「ちょ、ちょっと、速いって……」

 私が慌てて追いかけると、犬は顔を振り向かせて立ち止まる。私が追い付くとまた道をかけて行く。それをしばらく繰り返してると、犬は突然道を外れて、雑草の中を突き進み始めた。

「え? こっちに道はないけど……」

 途端に不安になった。相手は犬とは言え、草むらの中に連れて行かれるのはちょっと怖い。一体どんな場所に連れて行かれるのか……。

 背の高い草をかき分けて、どんどん先へ行く犬の姿を見失わないよう懸命に進んでると、視界が突然開けた。

「あれ……この辺り、草が刈られてる……」

 気付けば私達は森に入り込んでたようで、見渡す限り大小の木々が立ち並んでた。その合間に生い茂ってた草の中を通って来たわけだけど、ここにはその草がなく、広い範囲で短く刈られてた。

 ――人の手が入っている森のようですね。

「誰か、いたりするのかな……」

 立ち止まってた私に、犬が振り向いてワンと吠えた。これはわかる。早く来いって言ってる――周囲を見つつ、私達は犬の後を追って行く。

 先に進むにつれて、ここで誰が何をしてるのかがわかり始めた。切り株の数が増えて、長い丸太があちこちに置かれてる――きこりが材木を切り出してるんだろう。それがわかっただけでも不安は薄くなった。だけど人間が働く場所で、犬に何の用があるんだろうか。

「……あ、小屋がある」

 頭上が開けた森を進んで行くと、ここに似つかわしい丸太小屋が建ってた。きこりが休憩所とかにして使ってるんだろう。その周りに目をやれば、無数の丸太がいくつかの山になって積まれてる。大きな荷車に積まれたものもあるけど、そこだけやけに雑な積まれ方をしてた。まあ、これだけ数があれば雑にもなるのかな。

「ヤンシー、どこ行ってたの?」

 不意に女の子の声が聞こえて私は目をやった。犬が何かを見つけたように駆けて行った先――そこには小さな女の子が立ってた。私よりも幼くて、七、八歳ぐらいに見える。

「あの……」

 声をかけると女の子はすぐにこちらを向いた。

「……誰?」

 警戒する眼差しを向けられて、私は怪しいと思われないよう笑顔で言った。

「えっと、もしかしてその子はあなたの飼い犬? 私、その子に案内されてここまで来たんだけど……」

 そう言うと女の子は犬を見て、理解したように言う。

「ああ、そうなんだ。ヤンシー、お前が連れて来てくれたの?」

 犬は小さくウォフと鳴く。

「その子、ヤンシーっていうの?」

「うん。小さい時から一緒。今日も一緒に遊んでたんだ」

 女の子は茶色の長い髪を耳にかけながら、ヤンシーを愛おしそうに見つめる。

「わ、私はアストリッド。あなたは?」

「ウルスラ。ウルスラ・ノース」

「初めましてウルスラ。それで、ヤンシーは何で私をここに連れて来たか、わかる?」

 聞くとウルスラは、どこか暗い表情になって私を見た。

「わかるよ。多分、私のためだと思う」

「あなたのために? 何か困ってることでもあるの?」

「困ってるって言うか……こっちに来て。見ればわかるから」

 ウルスラは歩き出す。ヤンシーも横に並んで付いて行く。私は二人の後を黙って追った。

 どれぐらい歩くのかと思ったけど、ウルスラの足はすぐに止まった。着いたのは雑に積まれた丸太の載る、あの荷車の前だった。

「こっち……」

 ウルスラに手招きされて、私は荷車の反対側へと回り込んだ。そこには何本もの丸太が地面に転がってた。雑に積まれたように見えたのは、荷車から丸太が崩れ落ちてたからみたいだ。これは積み直すのも大変そうだと眺めてると、ウルスラがある一箇所を指差す。地面で折り重なるように転がる丸太の下。その隙間をのぞいてみて私は息が止まりそうになった。

「……誰か、下敷きに!」

 土で汚れた手が見えた。他にも茶の髪や灰色のブラウスも。見た感じ身体は小さそうで、女の子だろうか。

「早く助け出さないと!」

 私は振り返り、ウルスラに言った。でもウルスラは困惑するでも慌てるでもなく、落ち着いた様子で動かない。人の命が懸かってるのに何を見てるのか――と、怒鳴ろうとした時、私はふと気付いた。ウルスラも灰色のブラウスを着てた。さらに茶色の髪で小柄な女の子……下敷きになった子の容姿とよく似てた。これって――

「それ、私なんだ」

 寂しそうな声でウルスラは言った。私は思わず二人を交互に見やった。ウルスラが二人、なわけないんだから、つまり今話してるほうは――

「助けても、意味がないの……?」

 ウルスラは、うんと小さく頷く。

「死んじゃったの、私。丸太に押し潰されて」

 うっすらと笑みを見せながら、まるで道端で転んだだけみたいな口調で言われて、私のほうが困惑してしまった。

「ヤンシーは、私がまだ助かると思ってるみたいで、潰れた私を助けてもらおうとあなたを連れて来たんだと思う。そういう優しい子だから。ヤンシーは」

 ウルスラが微笑みかけると、ヤンシーは舌を出してハアハアしながらそれを見つめる。

「どうして、こんなことになっちゃったの?」

「全部私が悪いの。ここはお父さんの仕事場なんだけど、私は毎日ここでヤンシーと遊んでるんだ。でもお父さんは危ないから、積んだ丸太には絶対近付くなって言ってたんだけど……私、大丈夫だと思って、一番上までよじ登ろうと思って……」

「そうしたら、崩れちゃったのね」

 ウルスラの目が少し潤む。

「私が守らなかったのがいけないの。まさか死ぬなんて思ってなかったから……」

 幼い子なら言い付けを破るなんてありがちな話だけど、これは取り返しのつかない話になってしまった。後悔しきれないだろう……。

「近くに、人はいないの? あなたの身体をこのままにしておくのは――」

 これにウルスラはかぶりを振る。

「いいの。何もしなくていいから」

「でも、下敷きのままなんて……」

「今日はお父さん達の仕事は休みで、ここには誰もいないけど、夕方になれば、私が家に帰らないから、きっと捜しに来てくれると思うんだ。前にも一回あったの。その時はすごい怒られたけど、今回も怒られたら嫌だな……」

 不安そうに笑うウルスラに、私は言った。

「怒らないよ。寂しいって、ギュッと抱き締めてくれるよ」

「それなら、いいかな」

 ニコリと笑ったウルスラだけど、本人こそが一番寂しそうだった。意とせずこの世を去ることになって、やり残したこと、やりたかったことは山ほどあっただろう。両親に甘えたい歳なのに、それももう叶わない。わずかな思い出だけを持っての別れ……心の内はどれほど辛いことか。でもウルスラは泣きわめかずに受け入れてる。それは自分が悪いことをしたって思ってるからだろう。自業自得の死だから仕方ないと。この子はきっと賢くて、いい子なんだろうな。幼くして人生を終えることが残念に思えてならない。

「わざわざ来てくれたのに、ごめんなさい。何か用事とかあったんでしょう?」

「まあ、あるにはあるけど……そうだ。この森で遊んでたなら、大きくて立派な木を見たことってある?」

「立派な木?」

「昔から生えてて、他よりすごく大きくて、長生きしてそうな木……そういうの、知らない?」

 ウルスラはしばし考えると、思い出したようにこちらを見た。

「私が小さい頃、見たかも……」

「本当? どこで見たの?」

「場所はよく憶えてないけど、ここのどっか、奥のほうだったかな。お父さんはそれをレイボクって呼んで、森の守り神だから大事にしてる、みたいなことを言ってたような……」

「霊木……それは立派な木だった?」

「うん。見上げてもてっぺんが見えないぐらい、大きい木だったよ」

 私は肩に乗るエリスを見た。

 ――霊木と呼ばれていたのであれば、可能性は高そうですね。

「私もそう思う。これは探さないとね。……ありがとうウルスラ。あなたのおかげで用事が一つ済むかも」

「大きな木を見つけるのが用事だったの? 変わった用事だね。でもよかった」

 嬉しそうにウルスラは微笑む。

「じゃあ私は探しに行くけど……あなたは一人で大丈夫?」

「一人じゃないよ。ヤンシーがいるもん」

 ね? と声をかけられたヤンシーは、ウルスラを見上げてじっと見つめる。この子が側にいてくれれば寂しさも紛れそうだ。

「そうだった。頼れる家族がいたね。それなら大丈夫か」

「私のことは気にしないで行っていいよ。確か、あっちのほうだったと思う」

 丸太小屋を越えた奥をウルスラは指差した。

「あっちね……わかった。早速行ってみるね。それじゃあまた……はないかもしれないから、さようならかな」

「さようなら、アストリッド。見つかるといいね」

 手を振るウルスラとヤンシーに別れを告げて、私達は彼女が指差した森の奥へと進んだ。

 こちらのほうはきこりが入ってないのか、真新しい切り株は見当たらず、多くの木が空へ真っすぐ伸びてた。足下の雑草も同じように伸びてるけど、ここのは歩きづらいほど茂ってはない。多少は人の手が入ってるんだろうか。

「……エリス、どう? 住みかになる木はありそう?」

 ――とても心地の良い森ですから、あってもおかしくありませんね。

「あなたがそう言うなら、期待できそうだね」

 木漏れ日を浴びながら歩き探すこと三十分――それは唐突に視界に飛び込んで来た。

「あっ……霊木って、きっとあれだわ!」

 思わず私は駆け寄った。一目見てあれがウルスラの言った木だと確信した。

 ――素晴らしい。理想的ですね。

 目の前に立つと、エリスは冷静な口調ながら、感心した言葉を漏らす。本当に素晴らしい木だと思った。大岩のような太い幹は力強く、天を貫くほど高くまで伸びてる。そこから四方へ伸びた無数の枝には青々とした葉が光と風を受けて波のように揺れてる。その音はまるでこの木の声のようで、周囲に響かせて自分の存在を主張しているかのようだ。それほど立派で、異質で、他とは明らかに違う木だった。

「……ん、これは……」

 幹の根元に何かが置かれてるのに気付いた。花だったり果物だったり、水の入った瓶だったり……様々ある。

 ――おそらく守り神として大事にされている証でしょう。

「お供え物? ここまで大事にされてるなら、きこりがいても切られる心配はなさそうね」

 ――現に、今日まで切られずに生きてきた木です。材木にするならもっと早い時期にそうするでしょう。ですが残されているということは、誰もその気はないとも言えます。

「住みかにするならぴったりじゃない! あとはエリス次第だよ? どうする?」

 肩のエリスはまじまじと木を見上げる。

 ――緑溢れる環境、日の当たり具合、立地、何より側にいるだけで感じられる強い霊力……すべて申し分ありません。

「じゃあ、決まり? エリスの住みかにする?」

 ――ええ。ここに決めましょう。

 新しい住みかが見つかった――嬉しさを感じながら私は巨大な木を見上げる。集落のご神木より何倍も大きな木だ。きっと眺めも居心地もいいだろう。

 ――ですが、その前にやることを済ませなければいけませんね。

「やること? 何をやるの?」

 ――アストリッド、あなたのお母さんを捜すことに決まっているじゃないですか。ここに住むのはそれを終えてからでもいいでしょう。

 私はてっきり、エリスとはここでお別れするものだと、少し寂しさも感じながら喜んでたんだけど、そう言われて驚いた。

「でも、捜しに行くには、ここを離れることになるけど……」

 ――わかっていますよ。ですから、見つけた後に再びここへ戻ります。アストリッドには手間をかけさせてしまいますが、そういうことでお願いします。

「それは別にいいけど……気を遣ってくれてるなら大丈夫だよ? 私は一人でも捜せるから。エリスはゆっくりして――」

 ――そうではありません。私は、あなたのすることを見届けたいのです。

「それってつまり、お母さんが見つかるかどうか、気になるってこと?」

 ――アストリッドはお母さんを捜すために集落を出たわけで、私は住みかが見つかったからと言って、もう関係ないと簡単に離れることはできません。

「やっぱり気を遣ってる?」

 ――いいえ。付き添いたいのは私が望んだ意思です。思いやりから生まれたものではありません。

 淡々と、でも強い口調でエリスはきっぱり言った。

「思いやりじゃないって言われると、それはそれで何か寂しいけど……」

 ――これに関してはということです。アストリッドのことは常に心に留めていますから。

「ありがとう。エリスは誰よりも優しいね……本当に一緒に来てくれるの?」

 ――もちろん。あなたがいいのであれば。

「いいに決まってる! 正直に言うと、一人はちょっと寂しいって思ってたの。エリスが来てくれるなら嬉しい」

 ――では引き続き、微力ながら協力させてください。

「こちらこそお願いします。見つかるまでよろしくね」

 ようやく決まった新たな住みかからは一旦離れて、私達は森の出口へ向かった。目的の一つは達成したけど、もう一つはまだ時間がかかるだろう。一人ならくじけてたかもしれないけど、エリスがいてくれるなら私も頑張れそうだ。まだ二人でいられる日が続くのは喜ぶことじゃないけど、それでもやっぱり嬉しいもんだ。

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