第四話 渦巻く死
▷北区→北東区▷区間列車内『ローガン・コリンズ』
通勤時間はとっくに過ぎており、ガラガラの電車に乗っているのは青年と他数人だけ。そもそもインターネットで殆どが完結する今の時代、電車など乗っている人の方が珍しいという事実もあった。
ローガンは忙しなく辺りを見渡しては、右腕の端末に目を向けて、また電光掲示板を見上げる。あと数分、残り3分で目的地に辿り着けるという緊張感と不思議な安心感が、彼の心を占めた。
その瞬間だった。
ギィィイィィ、という音が車内に響き、電車は歪に停止する。慣性に逆らえず数歩たたらを踏んだローガンは、こんな時に脱線か、と悪態をついた。技術は進歩こそすれ、精密な機構で動いているソレの復旧には多大なる時間が掛かることは間違いない。ため息を吐きながらドアをこじ開けようとする青年の背中に、ひとつ声が掛けられた。
「おい、青年。」
いつの間にか車内にいるのは、ローガンと一人の女だけになっていた。尋常ではない気配、振り向けばローガンの瞳には、貫かんばかりの殺意の線が飛び込む。
ばっ、と腰に提げた電撃銃を抜き、その細い指が迷いなく引き金を絞る。ダラララララ、と数秒殺意が放たれて、それでも彼は油断なく煙の中を睨みつける。
「おいおい、いきなり撃つだなんて酷いじゃないか。あたしが善意をもったか弱い女の子だったらどうするつもりだったんだ。」
「……誰だ、あんた。」
何事もなく笑いながら、頑丈なホログラムパネルを盾にして話し始める女。先程までは触れられる位置に存在していたハズなのに、と思いながらも、ローガンは少しばかり話を聞いてみることにした。
何故ならば、青年には、その女に見覚えがなかったからである。少なくとも、これだけの殺意を向けられる謂れは無いハズだと思考した後に、考え直す。
「テロリストか、なにかか。」
「おー酷い酷い。寧ろあたしは勧誘しに来たんだけどね。どうだい?君も、国立警護隊の一員ならゴルゴンの名前ぐらいは知ってるだろう?」
ゴルゴン。ローガン・コリンズの記憶する限りでは、オカルト的思想を持ったテロリスト集団という認識だった。無論、彼がその首を縦に振るはずも無く、交渉は連鎖する弾丸をもって決裂した。
静かに、しかして確かな駆動音を立てながら放たれた弾丸は、車内の壁に確かな傷を付けながら女を付け狙う。彼女はその口元に僅かな笑みを浮かべると、椅子やホログラムパネルを巧みに扱いながら彼に接近する。
その口を僅かに開きながら、嘲るような声色で女が言った。
「君、とんでもないお人好しなのかい?それとも、意気地無しが行くところまで行ったか?」
弾丸の軌道がブレる。掃射が止まり、弾丸を込め直す音だけが電車内に響く。
震える手を押さえつけるようにしながら、彼はマガジンを運んでいく。
電車の床に、カタン、と音を立ててマガジンが落下した。ローガンはそれをゆっくりと拾い上げ、ほんの一瞬女から目を離す。
「……ぇ?」
車内には誰もいない。顔を上げた彼が見渡すその視界には、ほんのひとりの人間さえ映らない。ゆっくりと体を起こし、後ろも、外も、全てを見渡しても、人のひとりさえも見つけることは出来ない。
「……何が……?」
どうなってる。そんな言葉が青年の口から吐き出されると同時に、その瞳が瞬く。
「……おい!おい!邪魔なんだよ!早く進めクソガキ!」
「…はっ?」
肩を押され、幾度かよろめいたローガン。その腕には既に銃器は無く、虚空に向けて腕を構えながらドアの目の前で屯する不審者と化していた。背中に向けられた罵声に対し文句を言おうとした瞬間、後ろに何人かの人間たちがつかえているのを見て、その口を閉じる。
「……すいません。すこし、ぼうっとしていて。」
そのままローガンは電車を降りる。
謝罪の言葉を聞いた男は、幾分か機嫌良さそうに笑うと、去り際にその肩をローガンにぶつけながら去っていった。
「……なんだったんだ?あれは。」
釈然としない。夢だったのか、経ちながら寝ていた?そんな思考を回す彼の背後を、静かに見つめる女が一人、笑いながら立っていた。電車の壁面には、弾痕のひとつも存在することはなかった。
▷北東区▷ホテル・アンジェリオン前『ローガン・コリンズ』
ローガン・コリンズ。2309年生まれ。19歳。職業は、軍隊員と言えるだろう。ここまで治安が統制された時代に、親族からあまり歓迎はされないそんな職に就いているのは、足早に語るには勿体ないほどの理由が積まれている。
「ようやく着いた……!」
北東区。駅から数分、最も大きく、高く、そして荘厳にあり派手でもある建造物。普段であれば着飾った人間が数人か出入りしているその間口には今、幾人もの兵士が立ち並び警戒色のテープが張り巡らされている。
「ザビエル・グリーン副兵長の居場所を知りませんか?」
「ん?お前は……ああ、あの人が面倒見てたガキか。今、ザビエルさんは三階の受付で警備してるよ。」
ありがとうございます、と言い切らないうちに階段に飛び乗った青年。その背中を笑いながら眺める一兵卒の顔には、明らかに微笑み以外のモノが含まれていた。
青年はエレベーターに飛び乗り、3階のボタンを殴るようにして押し込んだ。エレベーターは静かに駆動音を立てながら、富裕層を楽しませるために仕組まれたギミックを作動させる。ローガンはそれに目を向けることすらなく、ただ静かに階上を見上げていた。
第一章 第七話 邂逅一番
▷北東区▷ホテル・アンジェリオン:九階宴会場『ローガン・コリンズ』
ほんの微かな駆動音を響かせながら、1人の青年を載せた昇降機はその役目を果たした。
チ────と甲高い音で到着を知らせながら、ゆっくりと扉が開く。
「ついた!……ぁ?」
「は?おい、誰かね君は!エレベーターは繋がってないんじゃなかったのか!」
扉が開き切るよりも前に、慌てるように飛び出したのはローガン・コリンズ。そしてそれを取り囲むのは数多の貴族たち。
「……え?ここは……」
3階では、受付では無い。青年はかつてこの建物を訪れており、現状に認識が追いつくと同時にそう思考した。そして、目前に立つ大量の人の群れが、恐らく9階で宴会をしていた来賓であるとも理解した。
「おい!なんとか言ったらどうだね!?制服からして国立警備隊なのだろう?早く私を救出したまえ!」
乗り過ごしたのか?確実に確認したはず。自問自答すれども答えは出ず、ローガンの背後でエレベーターの扉が閉じた。
「あ……はい、すみません皆。私は国立警備隊特別二等兵曹、ローガン・コリンズです。皆様の避難誘導を行いますので、まずは……そこから、そこまで、エレベーターにお乗り下さい。」
務めて冷静に、とりあえずは国立警備隊としての勤めを果たそう、目の前にいる人々を避難させよう。と言葉を発した彼の耳に飛び込んできたのは、救うべき彼らの非難の声だった。
「君ねえ、状況を知らないのか!?まずは私から避難させるべきだ!すぐ後ろにはあの女が、ゴルゴンの蛇がいるのだよ!?残った人間は死ぬに決まっている!ほら、早く私を、私を乗せなさい!」
異口同音に口々と。自己保身に走った人々の流れが、呆然とする青年に迫る。
▷北東区▷ホテル・アンジェリオン:我欲の坩堝【████████】
「私をのせろ「先に私を」」「俺を載せろ!」「それより僕だ」「僕の父様はな「そんなこたどうでもいい」」「はやく」「はやく」「はやく」「早く」「助けてくれ」「救ってくれ」「私を助けよ」「僕を助けろ「俺を「私を」「彼を」「自分を」」
「君が死んで、私だけを、助けてくれ。」
「あ……落ち着いて、落ち着い……」
ぐしゃり。
嫌な音が響いて、人々の声が絶たれた。
「な、なに、な、は?」
目前で唾を飛ばしていた貴族達は、来賓達は、今、誰も息をしていない。生命活動が停止したそれらは、いくらかの筋肉を痙攣させるだけの肉塊と化している。
困惑する青年の前で、少しずつ人間がズレていく。人の形の肉塊から、形すら保てないただの肉へと変わっていく。
「はい、特権階級さん、さようなら〜♡」
肉を踏みつけながら、鮮烈に血を纏う少女が歩いてくる。目の前の光景を咀嚼し切れていないローガン・コリンズの目の前にまで歩み寄って、少女はその口を開いた。
「で、これが私の同僚?冴えないねー。人死見た程度でそんな縮こまってたら、君、」
死ぬよ?
彼の脳髄で、その音が何百回も、何千回も、反響した。
人が倒れている。
人であった物が目の前で死んでいる。
何時だって彼は遠くからソレを見てきた。慣れているハズだった。だが、だがなんだこれは。
鮮烈に、熱烈に。臭気も、熱気も。先程まで生きていた人間の体温が空間を包んでいる。消化されきっていない食物が、剥き出しになった臓物が、外気に触れて湯気を発している。ぐちゃぐちゃになったそれらが踏み付けにされ、哭きながら蠢く。死を運ぶ女が嗤っている。血液が溢れている。空間に味がする。号ぶ血肉がそこにある。
目を閉じても、耳を塞いでも、鼻を摘んでも、口を結んでも。すべてが、人間としての感覚全てが、死を運んでいる。視界を覆う緋色が、吹き出す血液の滴る音が、半端な排泄物の臭いが、空間を満たす体温が。
彼の感覚を覆うのはそれだけ、死だけだ。
死にたくない、死にたくない、死にたくない。彼は死にたくなかった。今もまた、死にたくない!
頭を抱えた青年は目の前の女を見据える。アレは敵だと。人ではなく、自分を殺さんとする、彼らと同じ肉塊に変えんとする、悪魔だと。
「んま、君のやらされることを考えたら死ぬのは前提みたいなとこあるんだけど……まあいいや、聞いて無さそうだし。じゃ、殺し合おっか。」
「殺し合う……?殺し合う、殺し合うのか。君と?お前と?死にたくない。俺は死なない!」
呼吸は乱れ、心拍は上がりきっている。今、豪華絢爛たるホテルの床を汚しているのは、血と油と肉とあらゆる液体と汚物だ。彼は願う、その仲間入りなどしたくないと。
「おーそれそれ、資料で見たねー。私と似てるじゃん。で、それでどうやって戦うつもり?」
「…………!」
青年の影から、黒い触手が立ち上る。それらの先端には瞳が備えられており、8つの瞳が目前の女を見据える。
「何、見るだけ?それで怯えるとでも?それともなぁに、ゴルゴンらしく、視線で石化でもしてみる?」
「……距離感、よし。空間把握、よし。」
殺れるはずだ。
青年が構えた拳を見て、血を纏う女は心底楽しそうに笑った。
「ハングリー精神は評価したいけど、それを決めるのは私じゃないし……殺ろっか?」
血色の蛇が、無数に立ち上る。
それは、死体の数と同義に。
「……」
「……」
ローガンが肉を踏みつけ、踏み込んだ脚を軸に拳を振るう。振るわれた拳を血色の蛇が受け止め、爆散する。飛び散った血液は彼の視界を遮り、即席の幕として機能する。
飛び散り視界を遮っていた液体の膜を突き破り、蛇が突撃する。彼は多数の視界でそれを見切り、回避した勢いで女に接近する。
「はは、思ってたより良い動きするねえ!もしかして、その触手の目ってガチで全方位見えてる感じ?」
「……」
青年は答えず、距離の縮まった女に向かって脚を振るう。笑いながらそれを躱し、蛇に乗った女は広い空間の高い場へと昇る。
「あーそうそう。自己紹介してなかったね?私の名前はアリス・グレイ。アリスとでも呼んでよ、同僚くん?」
アリスと名乗った女は、血色の蛇を束ね始める。ローガンには上へと上がる術がなく、あからさまなチャージ動作を見上げながら、不規則に襲いかかってくる蛇を撃退することしか出来ない。
「長引かせると怒られるからさ、終わりにしようね。」
女が宣う。逆光が輝くそれに、血みどろが溢れる中ただ1人汚れのひとつもない女の姿は、背景から目を背ければ天使性をすら見出せるものだった。
アリスの細い指がローガンを指指し、一言その口から言葉が紡がれる。
「蛇、波」
言葉と同時に溢れかえった血液が、爆散した蛇たちが、空間を覆い尽くした。




