流されてしまった
「かーざーみー! もう1軒行こうぜー!」
酔っ払った先輩の声が、夜の街に響く。
僕――風見透は、苦笑いしながら答える。
最初は4人ぐらいの同僚と飲んでいたのだが、今は先輩と僕の2人だけになっていた。
「もう1軒行きます? でも、明日大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ! 終電に乗れば問題ないだろ?」
「たしかに、そうですよね~」
ああ、また流されそうになってる。僕の悪い癖だ。断りきれない性格。
それに、別に酒を飲むことが嫌なわけではないのだ。
というか、むしろ好きなのである。仕事のストレスも忘れられるし、先輩との関係も良好に保てる。win-winだ。多分。
「じゃ、行くぞ!!」
先輩に肩をつかまれ、3軒目へ。また、断れず流されてしまった。
まあいいか。明日は金曜。明日さえ乗り越えれば休みだ。なんとかなる。最悪有休を使おう。
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それから数時間後。
僕はなんとか終電に乗ることはできたのだが、最寄り駅を1駅分通り過ぎてしまった。
「やってしまった……」
電車の揺れが心地よすぎて、ついウトウトしてしまったのだ。気づいたら隣の駅のアナウンスが流れていた。
下りの電車の終電に乗ったので、もう上りの終電はない。なので、歩いて帰るしかない。
「でも、終点まで行く前に起きれて良かった……」
終点まで行ってしまうと、タクシーに乗って自宅まで帰るかホテルに泊まるかしか選択肢がないのだ。しかし、1駅分であれば歩いて帰ることができる。徒歩20分くらいだろう。多分。
足元がふらふらだ。この酔っ払ってる間はとても気分がいい。すべての悩みから解放されている感じがあるのだ。上司の小言も、納期のプレッシャーも、彼女いない歴=年齢という事実も、全部どうでもよくなる。
しかし、この酔っ払い具合だと、次の日の朝、絶望に追い込まれる。絶対二日酔いだ。頭の片隅で「次の日二日酔いになるな」と冷静な自分がいた。でも今の僕には関係ない。未来の僕、頑張れ。
未来の僕を応援するため、コンビニで水を買った。寝る前にどれだけ水分を取れるかで、起きた時の気持ち悪さが変化するのだ。これは長年の経験で得た知恵である。我ながら賢い。
僕は夜の街を水分を取りながら歩く。水を飲むごとにアルコールが分解されてきている気がする。体が軽くなっていく。いい感じだ。
「綺麗な月だ……」
僕は夜空に浮かぶ満月を見てつぶやいた。月の光に照らされ反射する川、流れる音も風情がある。1駅乗り過ごしたのも悪くなかったかもしれない。
酔いも手伝って、僕は少しロマンティックになっていた。流されるまま生きている自分。でも、こういう瞬間もいいものだ。人生、悪くない――
その時だった。
「――!?」
ジジジジジジッ!!
前方から、拳より少し小さい何かが、凄まじい羽音とともに飛んできた。
ハチだ!!
僕は慌てて避ける。いや、避けようとする。
でもハチは執拗に僕を追いかけてくる。なんでだよ! こっち来るな!!
「うわぉおおお!」
必死になって回避行動に移る。
右に左に体を揺らす。手を振り回す。
そしたら、足元から地面が消えた。
「え――」
僕はバランスを崩し、河川敷の斜面を転がり落ちていく。体が何度も回転する。痛い。頭を打った。肘を擦りむいた。それでも止まらない。
ボチャン。
そして、僕は川に落ちた。
冷たい。
全身に冷水が襲いかかる。一気に酔いが覚める。
(まずい!)
夜の川に落ちるとはついてない。いや、ついてないどころじゃない。やばい。思ったよりも川の流れが速い。そして、底に足が付かない。戸惑っているうちに、岸から流されてしまっている。
僕は必死になって水をかき分ける。岸に向かって泳ごうとする。でも、衣服が水分を含んで重たくなる。スーツが足にまとわりつく。靴が重い。
(やばい、このままだと泳げなくなる……!)
息が苦しい。体力が奪われていく。冷静になれ、落ち着け。深呼吸――できない。水を飲んでしまう。臭い。そして不味い。口の中がドロドロする。
(誰か、助けて――)
ゴツン。
鈍い音と共に、視界が真っ暗になった。
頭に何か硬いものがぶつかった。漂流してきたゴミ……いや、廃材か何かか。一瞬、古びた木材のようなものが視界をよぎった。
体の力が抜けていく。
手も足も動かない。
水が口に入ってくる。肺に入ってくる。苦しい。
(せめて……せめて、最後に綺麗な水でおぼれたかった……。こんな濁った水の中で死にたくない……。)
沈んでいく。
意識も、体も。
流れていく。川の流れに身を任せて。
人に流される人生だったけれども、川にも流されて人生が終わるとは……。
今度生まれ変わったら、流されず自分の意志で何かを変えてみたいものだな……。
沈んでいく意識の中で、僕は思った。
意識が遠のいていく。
暗闇が、僕を包み込んでいく。
そして――




