2話 『わたし』がしつこすぎる件
ちょっとだけシリアスさん通り過ぎます。
【注意!】
相変わらず、お下品な話題が続きますので、お食事中の方はお気を付けください。
それから、コ〇ナ関連で辛い思いをした方、今もしている方へ。
もし思い出して、悲しくなったらごめんなさい。どうか無理はしないでいただきたいです。
目が覚めたら、もう真夜中だった。
ここには、電気なんてない。
家の中を照らすのは、窓から入る月明りだけ。
ばあちゃんは隣のベッドで寝ている。
かあちゃんも既に仕事から帰ってきているみたい。
疲れているのか、2人とも起きてきそうにはない。
何だったんだ? アレは。
ただの黒歴史公開な気もするけど、
転生したのは何となく理解した。
『わたし』は添木頼子。
20年近く介護士をしていた。
確か、ずっと独身だったね。
でも、まだ少し分からないことがある。
死因は何なのよ? ていうか、いつ死んだの?
これ、意識を失ったせいなの?
記憶の再生が途中で止まってしまった。
そのせいか、あと一歩ピンと来ないんだよなぁ。
わたしは本当に『わたし』だったの?
もういっそ、このまま終わってくれれば、
『わたし』とわたしは無関係てことにできない?
そしたら、ほら、前世の知識だけ上手く……
介護の知識って異世界で通用するか微妙だけど、
他にも何かあるでしょ! 定番のマヨネーズとか!
まぁ、死因なんて知ってもさぁ。
今更だしねぇ。
碌でもない人生から、せっかく転生できたんだ。
新しい人生前向きに……
『虫の音響く 夏の夜
うだる暑さと 耐え難い尿意 堪えても
消えちゃくれない 前世の面影……』
「うわっ! やばっ! 始まった!」
『お待たせいたしました!
頼子、最後の記憶! VTRスタートです!!』
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥
シンクの中、乱雑に積まれた食器。
床に散らばった衣類。
忙しさにかまけ、片付ける事を怠った己の罪。
そこから目を逸らしたくて逸らしている訳ではない。
もう、ベッドから動けないのだ。
特養に転属されてから1年。
これまでした事のなかったシフト管理や実績入力等。
苦手な事務作業にもようやく慣れてきた頃だった。
致死性の高い新型ウイルスの世界的な感染拡大。
日本も例外ではなく、あちこちで混乱が起きた。
医療機関や介護施設では厳重な予防策が講じられた。
もちろん『わたし』の施設でも。
だけど、ついにクラスターが発生してしまった。
入居者だけでなく、職員もまた……
次々と、病魔に倒れていった。
誰のせいでもない。そんな事は解っている。
それでも『わたし』は……
自分を責めずにはいられなかった。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥
うっわー、想定以上のヘビーな展開……
新型ウイルスって何よ? 『ねー、怖いよねー?』
どうも、病死っぽい。『しかも孤独死っす!』
やっぱり自分の死に際なんて観るもんじゃない。
どうせ二度と戻れないんだよ? 『あの子はも~♪』
このまま忘れても『帰ら~ない♪』の?
せ『アンタに恋して~♪』しさせてもらえるんなら、
この先を前向きに生『変わっちまった~♪』いよね?
もうさっさと寝よう! 意地でも逃げてやる!
目を瞑って、羊を数える。『お? 持久戦ですか?』
『望むところよ!!』
羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹、『執事が4匹』
イケメンですか? 『いいえ、ただのオッサンです』
「チックショォォー!! 分かったよ、もうっ!!!
見りゃいいんだろ、見りゃあ!!!」
『OK、カレクサ! 再生して?』
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥
もしあの時。
早期に防護服や検査キットを揃えられていたら。
ここまで拡がる事はなかったんじゃないか?
もしあの時。
面会に来られたご家族を帰していなかったら。
あのご入居者様は笑顔で最期を迎えられたのかな?
そんな、らしくない感情を払拭するために。
シフトの穴は率先して自分が埋めた。
とにかく休みは取らず、必死に働いた。
その結果がこれだよ。笑えねぇ……
ため息を吐こうとしたら、湿った咳が漏れる。
少しでも楽になりたくて、横を向いた。
その時、唐突にスマホの着信メロディが鳴った。
某国民的アニメの未来への夢いっぱいな主題歌。
可愛らしくて採用したが、これも笑えない系だ。
「おー! 桜井? どうしたん???」
咳を堪えて、努めて明るい声を出す。
『どうしたもこうしたもないでしょ!!
アンタ、本当に大丈夫なの?
大阪のご家族は? 来てくれてる?』
ホンマ余計なこと言うなぁ。
「いやいや、軽症だし。今もテレビ見てるよ。
久しぶりに休ませてもらってありがたいっす。
家族は無理かな。隔離期間中だし」
嘘だ。元々家族はいない。
産まれたその日から児童養護施設育ちだから。
同情されるのが面倒で、疎遠って設定にしてる。
『それなら、食料とかどうしてるの?
私、持って行ってあげようか?
玄関先に吊るしといたら大丈夫……』
「要らないよ、かあちゃんが送ってくれたからさ。
それよりも、子どもちゃん達感染しないように!
……十分気を付けてあげて?」
危ねぇ~、一瞬咳が出そうになった。
『わかった。じゃあ、本当に何もしないよ?
高熱出るようなら、絶対救急車呼ぶんだよ?』
「はいはい、わかったわかった。
ちょっとトイレ行きたくなってきたから切るよ!
じゃあね、桜井。心配してくれてありがと」
『うん、またね、添木。
アンタのフロアはこっちからも応援出してる。
大丈夫だから、ゆっくり休んでね』
際限なく長引きそうだったので、こっちから切った。
「ホンマ余計なこと言うやっちゃで」
意識して久しく使っていなかった郷土の言葉で
呟いてみる。
いざ発してみると、嫌いなエセ関西人ぽくて、
少し笑えた。そして、噎せた。
「あ~、しんど」
余計なこと。
家族というプライベートに踏み込まれたから、
ではない。元々嘘をついていたのは自分。
それで責めるのはお門違いというものである。
では、何なのか?
「大丈夫? とか要らないんだよね~
ちょっと泣きそうになるやんか」
歳と共に涙腺が緩んで、どうも収まりが悪い。
ついで、腰の具合も収まりが悪いので、仰向けに。
意識して定期的に寝る姿勢を変えてやらないと、
すぐに悲鳴を上げるのだ。
反り腰とは本当に厄介なヤツである。
正直、かれこれ3日は碌に食べていない。
冷蔵庫の中身はソース、マヨネーズ等の調味料。
買い置きのミネラルウォーターだけは辛うじてある。
安い焼酎と、以前ケアマネ試験合格で桜井から
お祝いに貰ったウイスキーは飲食料に含めない。
吐く息が熱く、布団を被っていても悪寒がする。
体温計なんか使うものか。
自覚した途端、更にしんどく感じるのは明白。
救急車? 絶対に呼ばない。病院にも行ってない。
単純に、懐が寒いだけである。
一応役職付きで夜勤もしているので、安月給
と云う程ではないのだが、今月は足りない。
夜勤休憩中にプレイしていたRPGのガチャで、
推しがピックアップされていたから散財したという。
だから、気合と根性で治すっきゃない! はぁ……
独りでいると、聴こえてくるのは冷蔵庫の駆動音と、
古いハイツの建材が立てるバチッとかゴトッという
原因不明の音。他は、LINGOの通知音が時折。
多分、職場のグループチャットだろう。
こうしている間にも、感染者が増えているのかも?
もしかすると、急変した方もいるのかもしれない。
同僚達も忙しく動き回っているのだろう。
湧き上がってきたのは、耐え難い人恋しさだった。
ああ……やっぱり、意地張ってないで、桜井に食料
持ってきてもらえば良かったかな。
起き上がれないから取りに行けないけれど。
やがて緩やかに意識の境が曖昧になってきた。
瞳を閉じると、瞼の裏に浮かんでくるのは……
かつて『わたし』を置き去りにした、彼の横顔。
手を伸ばしても、もう二度と届かない。
セピア色の日々は甘くて、ちょっぴりほろ苦い。
愛おしさと切なさ、胸に抱きしめて。
やっぱり最初……カレーじゃなくてハヤシを……
勧めて……い……れば……ゴー……ル…………ィ
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∴‥
「いや、一緒やろ」
『エセ関西弁は嫌いなんで、やめてくださーい』
「……ゴホン。じゃあ、言わせてもらうね?」
『おうおう、何でも言うてみぃ』
「これってさ、要は自業自得ってやつじゃないの?」
『まぁ、そうとも言えますね』
「あと、どうせ勧めるならナポリタンかな。
隠しメニューにあったやつ!
で、アンタは何者で、何で出てきたわけ?」
記憶の脳内再生が終わったかと思えばこの状況。
さっきまで寝転んでいたベッドはどこにもない。
夏の暑さも体の熱も感じない。ついでに尿意も。
『安心してください! 既に漏らしてますから!』
真っ白の何もない空間。
幼いベルと、真っ黒な人型の影。
わたしと『わたし』が対峙している。
『映画館とか喫茶店とか背景自由自在だよ!
ベル脳のリソース割きたくないからやらないけど』
わたしが何者かは言える。
前世の記憶を今は全て思い出したベル5歳。
村で家族と一緒に過ごした5年間。
前世の日本で生きていた38年間。
合計43年間分の知識と記憶が……
『それ、深く追求したら、また結婚遠のくから、ね?
やめよう? 加算しなくていいよ?』
「これ、頭の中で考えても全く意味ないのね」
『実はそうなんです! だって夢の中だも~ん♪
ベルの体の方は今寝てまーす。
聞いて驚け! ここにいる『わたし』の正体!!!』
「頼子の記憶が形成してきた人格の『残りカス!
例えるなら、ほら、お腹の調子が悪い時に
何回拭いても紙に着いてくる……』おい、待ちやがれ」
『はぁい、なんでしゅかぁ??』
「わたしら、加算したらもうアラフィフなんだから、
何でも【ピーピーピー】に例えるのやめよう、な?」
『チッ。で、まぁベルが生まれて5年間かな?
ずっと思い出してもらえるのを待ってたの!』
「舌打ちしやがったよ、残りカスの分際で」
『お漏らしを鍵に! お漏らしをきっかけに!
他の記憶達はベルに統合してもらえたから
良かったんだけど……』
「コイツ、性格悪いな……まぁいいや。
で、それで? ベルの主人格であるわたしが
なかなか最期を思い出そうとしなかったから、
ちょっとイラっとして出てきた、と」
『それな! 切れが悪い【ピーピーピー】って、
段々腹立ってけーへん? 理不尽すぎて!
アカン、ついつい脱線してしまう。本題行こ』
眼前の『わたし』がこちらに向き直った。
『あなたに全て思い出してもらえた『わたし』は、
いよいよ完全に統合される時を迎えました!
こうして出てくることは二度とありません!』
そうか、そうなのか、そうなんだな……
『どう? 寂しくなってきた? 泣かないでね』
「いや、全然」 『まぁ酷いひと!』
「わかってないなぁ。いや、わかってるのか。
わたしら、どうせベル脳共有してるんだから」
コイツ、絶対ニヤニヤしてるだろ。
影のくせに。残りカスのくせに。
嫌でも伝わってくるんだよね。
白い空間が突如変化する。
それは、映画館でも、喫茶店でもなく。
都会の喧騒でも大自然の中でもなく――
次話で一旦終わります。