異世界転生して王女になりましたが、結婚なんて絶対しません
私、ファルナ・ミラクレルは、現在二十歳で、この国ミラクレルの第一王女である。私の他に兄弟は、弟と妹が一人ずついる。
王女といえば、他国の王族あるいは自国の有力貴族などと結婚し、両家のパイプ役となるもの――悪い言い方をしてしまえば、政略結婚の道具だ。
だけど私は……お父様とお母様には少し申し訳ないが、絶対に結婚はしないと決めている。
何故なら、私には前世の記憶があるからだ。
それはもう、思い出したくもないような、嫌な記憶だ。
だから私は――今世では絶対に、結婚なんてしないのだ。
◇ ◇ ◇
前世の私の名は、木崎遥菜。
共通の友達との飲み会で知り合った悠真と付き合い、二十代半ばで結婚した。
悠真はマイペースな性格で、私達は喧嘩もするけど、最初は仲良くやっていた。
「悠真ー。昨日、洗面所の電気点けっぱなしになってたよ」
「んー? ああ、いつものことだし」
「いつものこと?」
「あはは、別に電気点けっぱなしだったところで死にゃあしないじゃん」
これは、彼の口癖だ。「あはは、まあいいじゃん」「別に死にゃあしないし」。良く言えばおおらか、悪く言えば適当だと思う。
「そりゃあ死なないけど……電気代がもったいないし」
「んじゃ、俺が多めに払うからさ」
生活費については、夫婦での共同口座を作って、そこにお互い必要な額を入金する決まりになっている。悠真に多めに振り込んでもらえれば、確かに私が損をするわけではないかもしれないけど……。
目の前の悠真は、へらへらと笑っている。
「ちょっとくらいの電気代とか、そんなこといちいち気にして生活する方がストレス溜まらない?」
「でも将来のために、お金は貯めておいた方がいいし。少しずつでも、節約って大事じゃない?」
今までの貯金は結婚式で結構使ってしまったし、物価はどんどん上がっている。それに今すぐじゃなくても、ゆくゆくは子どものこととかも考えたい。「ちょっとくらいいいじゃん」という考え方をしていると、お金はなかなか貯まらないと思う。
「遥菜は細かいなー。そんな真面目だとハゲるよ?」
こちらは真剣なのに、悠真はあはは、と笑い飛ばす。
「……うん、そっか」
「あれ、怒った? ごめんごめん、ハゲても遥菜は可愛いよ」
「怒るポイントそこじゃないからね!? それに怒ってないよ。価値観の違いってやつだよね。夫婦になったんだから、これからどんどんズレを感じることは出てくると思う。いちいち怒ってたらやってられないよね」
「えー? でも怒ったら言ってほしいな、俺鈍いから、言ってもらえないとわかんないし」
「うん……あ、とにかく、もう仕事行かなきゃ。それじゃ」
私達は共働きだ。だから、家事も分担していて――
その日の夜は、悠真が夕食の当番だった。
仕事から疲れて帰ってくると、カレーの良い匂いがした。
「おかえりー。カレーいい出来だぞー。いっぱい作ったから、明日も食えるし!」
カレーは私の好物だ。今朝のことがあったから、私の機嫌をとろうとしているのかもしれない。私は着替えてから食卓に着き、「いただきます」とカレーを口にする。
「んんっ、おいしい!」
単純かもしれないけど、おいしいカレーを食べていたら、今朝のモヤモヤが溶けていった。悠真はマイペースでおおざっぱな性格だけど、料理は好きだし上手い。
そしてカレーをお腹いっぱい食べると、彼は冷蔵庫から何か取り出す。
「デザートも買ってあるんだー」
皮がパリッと固めで、バニラビーンズが入ったカスタードのシュークリーム。これもやはり、私の好物だ。
悠真は、おいしい食べ物を与えれば私の機嫌がよくなると思っているんだろうな。実際、それで結構機嫌が直ってしまうのが悔しいところではあるけど。
もっとも、「節約って言った矢先から、また無駄遣いして」という気持ちがなくもないんだけど。せっかく気を遣ってくれたんだろうに、そんなことを言ってまた空気を悪くするのは避けたかった。何より、辛い物食べた後の甘い物は最強だし。
「ん~っ、やっぱりこれもおいしいっ」
シュークリームにかぶりついていると、悠真がこちらを見て笑う。
「あはは。ほっぺにいっぱい入れて、ハムスターみたい」
「ちょ、ハムスターって」
「え? ハムスター可愛いじゃん! 俺ハムスターめっちゃ好き!」
「いや、私もハムスターは好きだけど」
「だろ? いつか飼いたいよなー。猫とか犬も捨てがたいけど」
「このマンション、ペット禁止だよ」
「だから、『いつか』さー。庭付き一戸建てに住んだりしてさー」
「そんな夢を実現したいなら、節約してお金貯めないとね」
「あはは、まあいいじゃん。夢見るだけなら自由だし」
悠真はおおざっぱで、私は細かいことを気にする性格だから、些細なすれ違いで苛立ってしまうこともあって。そんな日は決まって、彼はお土産片手に帰宅した。いつも気の抜けた笑顔で何も考えていなさそうだし、電気点けっぱなしとか靴下脱ぎっぱなしとか何度言ってもなかなか直らないけど、一応私の機嫌は気にしているらしい。
「今日の土産は豆大福~」
「悠真が買ってくれるのって、いつも食べ物ばっかり。絶対私のこと食いしんぼうって思ってるでしょ」
「俺、いっぱい食べる子好き!」
「食いしんぼうを一切否定しないな」
呑気だけどいつも楽しそうな悠真と一緒にいると、くよくよ悩んだり考え込んだりとかが馬鹿馬鹿しく思えてきて。私はこの人のこういうところを好きになったんだな、と思う。
そんなふうにして、日々は過ぎてゆき……。
◇ ◇ ◇
「遥菜ー。今度、お笑いのライブ一緒に行こ! 好きな芸人ばっか出るのがあってさー」
悠真は、結構お笑いが好きだ。テレビでも、ネタ番組とか芸人のバラエティばかり観ている。私はもともとあまり興味なかったんだけど、彼につられて観るようになっていた。
「うん、いいよー」
「やった! あー、むっちゃ楽しみ!」
だけど、別のあるとき……。
「悠真悠真! 今度やるアニメ映画、私の推し声優さんが主演なんだ! 一緒に行こうよ!」
カップル向け純愛アニメで、おそらく周りは恋人同士だらけだろうから、一人では行きたくなかった。そのため彼を誘ったのだけど……。
「えー? 俺そういうお涙純愛系あんま好みじゃないなー。一人で行ってくれば? 別に一人で映画観ちゃ駄目ってことはないんだしさ」
悪気なさそうに言われ、カチンときてしまった。
「私はいつも悠真の趣味に付き合ってるじゃん! たまにはこっちの趣味にも付き合ってくれていいでしょ!」
そんなわけで、いつものように喧嘩してしまった後――
買い物に行ってくる、と外に出ていった悠真が戻ってくると、後ろ手に何か隠しているようだった。
仲直りのために、またシュークリーム? 大福とか、お団子かもしれない。
いつまでも嫌な空気を引きずりたくないし、悠真がお土産を差し出してきたら、「こっちも言いすぎてごめん」と言おうと思っていたら――
「遥菜、あの……これ」
悠真が差し出したのは――小さいけど、花束だ。
「え、何これ!?」
「……いつも、俺が買ってくるのは食べ物ばっかだって言ってたから」
そうだ。いつものお土産みたいなものはもちろん、記念日とかも、ケーキとか食べ物系が多い。彼からのプレゼントは食品やら実用品やらで、ロマンチックさとは縁遠いものばかりだ。いや、それでも嬉しかったけど――
悠真から花を貰うなんて、初めてだ。
普段おおざっぱでいいかげんな彼に花束なんて、なんだか似合わなくて。
本人もそれを自覚しているようで、どこかそわそわして、気恥ずかしそうだ。
「……さっきはごめん。遥菜の言う通り、お前はいつも俺に付き合ってくれてるもんな。映画、一緒に行こ」
「……ふ」
耐えきれず、思わず吹き出してしまった。
「あはははははははっ」
「えー!? ここ、感動で涙流すとこだろ!」
「ご、ごめん。嬉しいよ、ありがとう」
花束を受け取ると、ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐった。
くすくすと笑い続ける私に、彼は少し拗ねたように目を泳がせる。
「花買うとか人生初めてだから、どうしていいのかよくわかんなかったし、持って帰ってくるの恥ずかしかった」
「うん、本当にありがとう。綺麗……」
彼が贈ってくれた花束は、ちゃんと私が好きな色だった。普段ゲームとかテレビばっかでこっちのことなんて興味なさそうなのに、好きな色を覚えていてくれたことが、嬉しい。
花瓶なんてなかったからその日は牛乳パックに入れて、次の日に、近所のお店で可愛い花瓶を買ってきた。家に花がある生活が新鮮で、毎日水を取り替えるのが、なんだか妙に楽しかった。
映画にも、ちゃんと二人で行って――
「いやー、意外。観てみたら案外よかったわ~」
「ね! 感動したよね!」
「最初さ、ヒロインが死んじゃうのかと思ったんだよ。俺、ハッピーエンドの方が好きだからハラハラしてたんだけどさ。ラスト、病室で目を覚ましたじゃん、マジでよかったー」
「ね。二人が幸せそうで本当によかった」
感想を言いながら、映画館の通路を歩いていたところ――
「きゃっ」
突然、ジュースを持った子どもが飛び出してきて、ぶつかってしまった。私のスカートが、ジュースで濡れてしまう。
「あ……」
「大丈夫? 怪我とかない?」
「うん……」
「よかった。でも、走っちゃ駄目だよ~」
「…………」
優しく言ったつもりだった。けれど、その子は泣いてしまった。
「え……」
「ちょっと! うちの子に何してるんですか」
狼狽えていると、その子の母親らしき女性が走ってくる。
すると、悠真が私の前に出て言ってくれた。
「ぶつかってきたのはそちらですよ。館内で走ってはいけないと、普通に注意しただけです」
「本当ですか!? 何か変なことしたんじゃないですか!?」
相手の女性の声が大きくて、周囲の人々の目がこちらに向く。
すると、年配の男性が近付いてきて、女性に声をかけた。
「俺も見てたよ。その子が走ってて、女の人にぶつかったんだ。その人達は、子どもを泣かせるようなことはしてないよ」
「え……」
女性は気まずそうな顔になり、頭を下げる。
「す……すみません、でした……」
「いえ。わかっていただけたならいいです」
すると、泣いていた女の子も、おずおずと私を見上げて言った。
「あ、あの……。服、汚しちゃって、ごめんなさい、でした」
「ううん、大丈夫だよ」
女の子は母親に手を引かれ、去っていった。
大声につられて何事かと見物していた人々も、そそくさと散ってゆく。私は、潔白を証明してくれた男性にお礼を言った。
そしてまた悠真と二人になり、歩きながら話す。
「ギリ、トラブルになんなくてよかったなー」
「でもなんか……泣かせちゃったのは、ショック」
一応母親への誤解は解けたものの、なんだかモヤモヤが残っている。
せっかくいい映画を見たのに、その余韻も吹き飛んでしまった。
「私の言い方、キツかったかな……」
「そんなことないって。あの子、大人の服汚しちゃって、びっくりして頭真っ白になっちゃったんじゃないかな。子どもの頃、わけもわからず泣いちゃう子っていたじゃん」
「そうかもしれないけど……」
私がもっと上手く伝えられていたら、泣かせずにすんだのかもしれない……なんてぐるぐる考えてしまう。あのお母さんは理不尽だったとは思うけど、そりゃ自分の子どもが知らない人と一緒にいて泣いていたら、焦るよね。自分の子どもを守ろうとしたお母さんの気持ちも、わからないわけじゃない。
どうすればよかったんだろう、と考え込んでいると。悠真があえて空気を明るくするように、あははと笑って言う。
「スカート汚れちゃったし、服買いに行こっか。たまにはプレゼントするって。あんまし高いやつは無理だけど」
軽い笑顔だけど、気を遣ってくれているんだろうな、と思うと胸が締め付けられた。
「……なんか、ごめん」
「何がー?」
「私、細かいこと気にしてばっかだし、落ち込みやすいし。自分でも、駄目だなあとは思ってるんだけど」
「別に、自分が服汚されてんのに相手の子の心配するとか、普通に優しくね?」
「だって、相手は子どもだし。でも結局は泣かせちゃったし……。あー駄目だ、落ち込んでも意味ないってわかってるのに、なんかいろいろ考えちゃう!」
「あはは、まあいいじゃん。死ぬわけじゃないし」
「もう。悠真はそればっか」
「別に人生なんてさ、毎日生きてられりゃそれで充分じゃん。遥菜は細かいこと考えすぎ」
「悠真は考えなさすぎだけどね」
「じゃ俺達、一緒にいてちょーどいいじゃん」
軽いなぁ、とは思いつつ、あははと笑い飛ばしてもらえることで気持ちが楽になる。
「……あのさ」
「何?」
「さっき、ありがとう。あのお母さんにちゃんと説明してくれて」
「なー。俺、優しいだろ」
「そうだけど、そんな『えっへん』みたいな感じで言われると、感謝の気持ちが失せてくな」
「なんでだよー。こんなに優しいのに」
「まあいいや、行こ。服、買ってくれるんでしょ。でも代わりに、夕食代は私が払うね」
「マジでー、肉食おう肉!」
「人の金だからってこいつ……」
悠真といると、いつもこんな感じだ。だけど、そんな時間が心地よかった。
喧嘩しても仲直りできることが嬉しい。
同じものを観て一緒に楽しめることが嬉しい。
落ち込んでいると笑い飛ばしてくれるのが嬉しい。
ただ呑気な顔で隣にいてくれることが、嬉しい。
そんな日々がずっと続くんだと、思っていた。
◇ ◇ ◇
最期の記憶は、真っ赤だ。
事故、だった。
本当に――思い出したく、ない。最低最悪の記憶。
結婚して一年くらい経つ、ある連休のこと。私と悠真は、たまには車で遠出する予定だった……けど。
多分、飲酒運転か何かのトラックが向かい側から、道路を逆走して突っ込んできて――
その先はもう、意識が曖昧で、何が起きたのかもよくわからない。
ただ私達の車とトラックは衝突し、出火もしていたようだ。
薄れゆく意識の中でも、このままではまずいとはわかった。逃げるべきだ。だけどどうやら、潰れた車に足が挟まれて、動くことができない。足の感覚がなかったので、私の身体は既に駄目だったかもしれない。
それでも悠真は、自分も血を流して明らかに重傷なのに、私を助けようとしていた。
たまらず、私は最後の力を振り絞るように言った。
「逃げ……て……」
せめて、悠真だけでも。
逃げて、生きてほしかったのに――
「ふざけんな……絶対、置いていかねーからな……」
どうして。逃げて。逃げてよ、馬鹿。
いつもいいかげんで、何も考えてなさそうだったくせに。
どうしてそんなに必死に、私のことを助けようとするの。
死にたくなんてなかった。悠真と一緒に生きたかった。でも、どうしても身体が動いてくれなかった。
視界が白くぼやけていく。そのとき、いつも笑っている悠真の泣き顔を初めて見た。彼もまた、振り絞るような声で言った。
「ごめん……な。こんな最後に、なっちゃったけど……」
意識が途切れる最後の瞬間――いつも呑気な彼の、心からの想いを聞いたことだけは。
転生した今でも、はっきりと覚えている。
◇ ◇ ◇
その後、気付けば私は異世界に「ファルナ」という王女として転生していた。生まれたときから前世の記憶を持っていた。……生まれたときから、前世の夫のことを覚えていたのだ。
悠真は、私を置いて一人で逃げれば、もしかしたら助かったかもしれない。なのに最後まで、私を助けようとした。
いっそ、最低なろくでなし夫だったなら。
家事を少しもやってくれなかったとか、浮気してたとか、暴力男だったとか。
そんな奴なら綺麗さっぱり忘れて、異世界ライフを満喫し、新しい恋人をつくっただろう。
でも、違った。悠真はおおざっぱでいいかげんだったし、喧嘩もいっぱいしたけど。私達は最後まで夫婦だった。
だから私は、絶対、結婚なんてしない。
あの人以外と結婚するなんて、考えられないから。
ただ――この世界では王女である私が決して結婚しないことに、もちろん嫌な顔をする人もいる。……というか、ほとんどの人が、私を「いつまでも結婚しない我儘王女」と思っているだろう。
「お姉様はいつまで独り身でいらっしゃる気なの?」
ある日のこと。妹のヤーナが部屋を訪ねてきて、そう言った。ヤーナは隣国ヴィーランドのオズワルド王太子殿下と結婚準備中で、最近はヴィーランドで暮らしていたが、久々にミラクレルに帰ってきていたのだ。
「お姉様、貴族達の夜会で、何と言われているかご存じ? 『売れ残り王女』『行き遅れ王女』そんな二つ名が飛び交っていますわ」
「そう。別に興味ないわ」
さらりと流すと、ヤーナはかっと顔を赤くする。
「お姉様はこの国の第一王女ですのよ、もっと自覚を持ってくださいな! 『ファルナ王女は理想が高すぎて結婚できないに違いない、身の程を弁えた方がいい』と笑いものにされていますのよ!?」
「……そうね。確かに私、高望みしすぎなのかも」
どうあっても、あの人以外は嫌なんだもの。
私が異世界転生したのなら、悠真もこの世界のどこかにいるのではないかと、何度も彼を探した。だけど結局、見つけることはできなかった。同じ世界に、また人間の、しかも男女として転生しているなんて幸運は起きないのかもしれない。
「えーえ、まったくですわ! 聞きましたわよ、先日だって、東の国イースフェンの貴族との縁談があったのに、お姉様があまりに乗り気じゃないから、向こうから断られてしまったそうですわね!」
「その人、初対面からベタベタと人の身体を触ってきて失礼だったんだもの」
「相手はイースフェンの貴族ですのよ!? お姉様みたいな行き遅れが触っていただけるなんて、むしろ光栄なことではありませんの! 本当に、可愛げがないくせにプライドだけは高いですわね。そんなんだから結婚できないんですのよ!」
「勝手に触られるのが嫌だというのは、プライドが高いとかの問題じゃないわよ。それに、どこにも嫁がない代わりに勉学や魔術の訓練には励んでいるし、これまでも私の提案した発明品で、この国は豊かになってきたはずだけど」
私だって、王族という立場でありながら自分の感情で結婚を拒んでいるのを、民に心苦しく思っていないわけではない。
だからこそ幼い頃から勉強してこの国についての知識をつけたうえで、前世の知識を活かし、父である国王陛下に、国を豊かにするための魔道具について提案してきた。特に氷の魔石を動力源とした「冷蔵庫」や、火の魔石を利用した「オーブン」の発明・普及により、食品の保存や調理の効率が格段に上がり、食の幅が広がっただけでなく、食中毒患者の割合も減った。
ミラクレルは小国である。国の面積自体が狭く、人口も多くない。だけどこの二つは他国への輸出品としても人気を博しているし、他にも我が国特有の魔道具は他国から注目を浴びている。
私がお父様に「どうしても結婚したくない」という意思を受け入れてもらえているのも、それらの功績があるからだろう。嫁がない王女など外聞こそ悪いものの、私がこの国にいれば発明品によって多大な利益を出せるため、手放すこと自体は惜しいのだ。
それでも――どれだけ魔道具開発で利益を上げても、「結婚しない」「子どもをつくらない」という理由で、私を認めない貴族達は多い。
「魔道具の開発なんて、誇れるものではありませんわ! 私達のような高貴な者が、労働なんて下々の者のようなことをすべきではありません! ああ、嫌だ嫌だ。お姉様のような方が姉だなんて、私、恥ずかしいですわ!」
「……そういうヤーナこそ。オズワルド殿下の婚約者でありながら、他に複数の男性と関係を持っているという噂を耳にしたけど?」
別に私とて、全く夜会に参加していないわけではない。
大体の夜会にはパートナーが必要だし、すぐ結婚の話になるから敬遠はしているが、王女の務めとして最低限顔を出すようにはしている。こういうふうに、夜会での談笑から得られる情報というのもあるし。
「私は王太子の婚約者としての重責で、日々苦しんでいますのよ! この苦しみを発散し、身も心もリフレッシュさせてくれる相手が必要なんですの! 一人の男性としか愛し合えないなんて、窮屈で仕方ないんですもの。バレなきゃいいんですのよ。婚約者がいない、結婚もしていないお気楽なお姉様には、私の気持ちはわからないでしょうけど!」
「そうね。婚約者がいながら他の男と寝る女の気持ちなんて、私にはわからないわ」
「な……!」
「さ、そろそろお喋りはやめましょ。もう舞踏会が始まるわ」
今日は我が国の建国記念祭であり、毎年盛大な夜会が開催される日だ。
本来ならヤーナの婚約者であるオズワルド殿下も共にいらっしゃる予定だったのだが、最近体調を崩しているとのことで、今回は急遽欠席である。しかし、ヤーナは自国で家族の顔が見たいだろうという殿下のお心遣いにより、ヤーナは護衛騎士を伴ってミラクレルに戻ることを許された、という形だ。……多分だけど、ヤーナがうるうると目を潤ませて「私、久しぶりにお父様達に会えるのを楽しみにしていたのに……残念ですぅ」とか殿下に言ったんじゃないかな。
さすがに王太子の婚約者ということで、大勢の前で別の男性と踊ったりはしないだろうが、どうせまた自分好みの男を見繕って陰で接触する気なのでは? と考えてしまう。ヤーナは昔から、そういう子だったから。
(もっとも……他の貴族達から見たら、私だって相当な問題児なのかもしれないけれど)
私は、毎年誰からのダンスの誘いも断って壁際に佇んでいるため、「踊らない王女」と陰で言われている。今からの時間も、正直少し憂鬱だけれど――
(まあ、数時間の辛抱だわ。王女として、せめて苦痛そうな表情だけはしないよう、気をつけよう)
◇ ◇ ◇
舞踏会中、私は壁際で招待客の方々と談笑し、情報収集に努めていた。
今日の舞踏会には他国からの来賓も大勢来ていて、今まで多くの魔道具の案を出してきた私は、斬新なアイディアに対する称賛の言葉をいただいていたけれど――
そんな中、ヤーナが近付いてきて、きゅるんと私を見上げた。
「お姉様、さっきはごめんなさぁい。いろいろ言ってしまったけど、私、言いすぎだったかなって考え直して、謝りたくて」
(……どうしたのかしら? ヤーナがこんなことを言うなんて、明らかに怪しい気がするけど)
「別にいいわよ、謝罪なんて」
「そんな……お姉様、冷たい。やっぱり怒っているのね。許してくださらないのね……っ」
「そんなこと言っていないでしょう」
ヤーナは目をうるうるさせる。絶対に何か企んでいると思う。ただ、大勢の貴族達がいる前で、妹とはいえ「隣国王太子の婚約者」を泣かせてしまうのは得策じゃない。
「怒っていないのね! じゃあお姉様、ちょっと二人きりでお話ししましょ」
私は彼女に誘われ、会場から遠く離れた部屋へと足を踏み入れて――
「!?」
その瞬間、何者かに腕を掴まれた。
「な、何……?」
拘束するように私の腕を掴んだのは、見知らぬ、体格のいい男性だ。
「ふふ……安心してくださいな、お姉様。彼はヴィーランドの騎士ですわ」
「ヴィーランドの騎士が、何故私にこんなことを……」
「お姉様は、男性というものを知らないから、いつまでも結婚にも踏み切れないのですわ。ですから私……お姉様に、男性に愛される悦びを教えて差し上げようと思いまして」
「は……?」
何言ってるんだこいつ、と頭の中でツッコむものの、どうやら本気で洒落にならない状態なのだと理解し、ぞっとする。
「ふざけないで。何考えているのよ、あなた……!」
「だって、恥ずかしいじゃない! いつまでもどこにも嫁がない、行き遅れの姉がいるなんて、私の外聞にかかわるのよ! 女は年頃になったら、結婚するのが当たり前ですわ! なのにお姉様ったら、いつまでも独り身でみっともない! 私のお姉様なら、もっとちゃんとしてちょうだい!」
妹は外面だけはよくて、外聞を気にするタイプだ。私みたいな変わり者の姉がいることで、苦労させてしまった部分もあるのかもしれないけれど……だからといってこんなの、到底許されることではない。
「安心して、お姉様。この騎士はとても優秀なのよぉ? 我が国で手柄を立てて、何か褒美を与えなきゃならなかったんだけど。報奨品としてお姉様をあげれば、皆幸せになれると思ったんですの! お姉様はどうせ行き遅れだけど、仮にも王女という立場ですからね。お父様とお母様も、子どもの顔が見たくてずっと心配してるのよぉ? これで安心させてあげられるじゃなぁい」
「馬鹿なことを言わないで。こんなこと、今すぐやめなさい。ヤーナ」
「うふふ、お断りしますわ。さあ騎士、やっておしまいなさい。ミラクレルの王女であり、ヴィーランドの次期王妃の私が許しますわ」
「はっ、ヤーナ様。ありがたき幸せ」
騎士はにやりと唇を歪めると、何も悪びれることなく言った。
「ご安心ください、ファルナ様。既成事実を作るだけです。俺も王族との繋がりは欲しいので、ちゃんと責任とって結婚して差し上げますから」
安心できるか! 私はたまらず、思いっきり声を上げた。
「誰かーーーーーーーーーーーーーーーーーー! ここに犯罪者がいるわ!!」
クズ騎士はぎょっと目を見開き、拳を振り上げる。
「な、この……! 騒ぐな、行き遅れの分際で!」
騎士が、私に手を上げようとし――
「何をしている」
その手が、後ろから誰かに掴まれた。
「あなたは、ファルナ王女……ですよね。大丈夫ですか?」
背の高い、黒髪の男性だ。涼やかな青の瞳で、気遣うようにこちらを覗き込んでくれる。
(た……助かった……?)
「ありがとう、ございます……」
「何者だ、お前は!」
「私は魔族の国ディスティリアの王、ユーゼス・ディスティリア。ミラクレル王より本日の舞踏会に招待され、この国に訪れていた。たまたま通りかかったら悲鳴が聞こえたので、何事かと思ってな」
「な……!?」
その身分を聞き、クズ騎士もヤーナも表情を凍らせた。
ディスティリアは誰もが知る、この大陸最大の国である。しかしユーゼス魔王陛下は最近即位したばかりで、私もヤーナもお顔を拝見するのは初めてだった。
前魔王陛下は人間にあまりいい感情をお持ちではないようで、他国とは最低限の付き合いしかしなかったのだ。それが、少し前に新魔王ユーゼス陛下が即位し、前魔王陛下とは方針が異なり人間とも交流を持とうとしているようで、今回ミラクレルのような小国の舞踏会にもいらしてくださったのだ。
「そ、それはそれは……お見苦しいところをお見せし、大変失礼いたしました。それでは、私達はこれで」
「待て」
ユーゼス様は、冷たい声でヤーナと騎士を止める。
「あのような醜悪な行為をしようとして、何事もなく許されるとでも思っているのか」
「ご、誤解です! ヤーナ様のご許可は得ていました」
するとユーゼス様は、私の方へと瞳を向けた。
「ファルナ王女。あなたは同意していたのですか?」
「いいえ。断じてそのようなことはありません」
「本人がこのように言っているが?」
ユーゼス様が、あらためてヤーナと騎士を睨む。
魔王陛下の鋭い眼光を受け、二人は震え上がっていた。
ヤーナの身分を盾にすれば、私に危害をくわえても、罪にされることなどないとタカをくくっていたのだろう。だがその目論見が崩れ、今更になって自分達の罪の重さに気付いたらしい。
「この件はミラクレル国王陛下にも、ヴィーランドの国王陛下にも報告させてもらう。また、貴様らに正当な制裁が下されない場合、両国は人の尊厳を軽んじる卑劣な国であるとして、今後の付き合い方を考えさせてもらう。肝に銘じておくように」
「「そ、そんなぁっ!」」
この大陸において絶大な地位と力を持つ魔王陛下にそう言われ、二人は絶望で泣きそうになっていた――
◇ ◇ ◇
「ファルナ王女。その後、お変わりはありませんか?」
舞踏会での事件が起きてから、数週間後――
ユーゼス様が、再びミラクレルを訪れた。
あれからも私のことを心配してくれていたようで、様子を見に来てくださったのだ。
魔族の国ディスティリアから見たら、ミラクレルなんて取るに足りない小国だろうに。器の大きい御方だと思う。
今日は天気がいいので私の部屋からバルコニーに出て、夕空と庭園に咲く花を眺めながら、二人で話す。
「ユーゼス様、誠にありがとうございます。ユーゼス様にとっては他国のことですのに、ここまでご協力いただき……どのように感謝申し上げていいかわかりません」
「他国とはいえ、同じ大陸のことです。というか、国がどこであれ、あんな目に遭っている人を見かけたら、放っておくことはできませんよ」
「本当にありがとうございます。魔王陛下のようなご多忙な御方にお時間を割いていただき、恐縮ではありますが……」
「はは。ファルナ王女は真面目ですね。そんなこと気にする必要ありませんて」
そう言われ、思わず目を見開いてしまった。魔王という肩書き、そして涼やかな瞳から、冷徹な印象を受ける御方だったから。こんな笑い方をするなんて、意外だ。
本人もその自覚があるようで、頭をかきながら苦笑した。
「あ、すみません。俺本当は、堅苦しい話し方って、あまり好きじゃなくて。魔王という立場だから、普段は結構頑張って威厳みたいなの出してはいるんですけどね」
クールそうな外見に、肩の力の抜けた話し方。そのギャップに妙な親しみを感じて、思わず笑みが零れる。
「ふふ……お気持ちはわかります。本当は、私もそうなんです」
今世でこそ王女だが、前世では一般庶民だったのだ。いまだに、堅苦しい喋り方というのは慣れない。もちろん、王族として普段人前ではきっちりするようにしているが――正直、たまにはソファでアニメとか見ながら、ポテチとか食べたいと思う。
「そうなんですか? ファルナ王女は真面目そうなのに、意外ですね」
「真面目なんて……私は、非常識な王女だと言われていますから。第一王女だというのに、いつまでも嫁いでいませんしね」
「いえ、気持ちはわかりますよ。俺も、結婚はしないって決めているので」
「そうなんですか?」
そう尋ねると、彼は「いやあ」と目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「愛する人がいるんですよ。もう会えないんですけど」
「そう……なんですね」
切なげなその言葉は、深入りしていいことではないように思えて、私は少し慌てて次の言葉を探した。
「ええと……それでも周りは結婚させようとしてくるから、お互い苦労しますよね。私なんて、行き遅れ王女とか、売れ残り王女とか言われまくっていますし」
とっさに、場を和ませる冗談として言ったつもりだったけど。笑えない自虐だったかもしれないな、と言った後に反省する。
だけど彼は嫌な顔や気まずそうな顔をせず、笑い飛ばしてくれた。
「あはは、まあいいじゃないですか。自分の好きなように生きた方がいいですよ。他人からどう思われたって、別に死にゃあしないですし」
「――え?」
「ん?」
今の、言葉。
何故だろう。顔は全く違うし、魔王なんて全然柄じゃないのに。
ひどく懐かしくて、じんと目の奥が熱くなるような――
「あの……あなたの、愛した人のこと。詳しく……聞かせてもらっていいですか?」
「ええ、いいですよ。正直、臣下とかには話せないんで、俺も誰かに聞いてもらいたいですし」
彼はくしゃりと笑って、遠い過去を懐かしむように口を開く。
「まあ、愛する人がいたっていっても、当時は喧嘩ばっかりだったんですけどね。俺、いいかげんな性格だから、よく相手のこと怒らしちゃってばっかで。だから、いつもお詫びとして甘い物とか贈ってましたね。物で釣れるって思ってたわけじゃないんですが、せめてもの気持ちとして。ていうか、俺……その子がおいしそうにご飯とか食べてる姿、好きだったんですよ。嬉しそうに笑って、ほっぺが食べ物で膨らんで、ハムスター……可愛いネズミみたいで」
「…………」
「彼女は、真面目な人でした。細かいところもあったけど、俺はおおざっぱな性格だから、いろいろ言ってもらえた方が助かるし。それにその子は、俺なら気にも留めないような小さなことまで、いろんなことを、一生懸命考えながら生きてるんだなあって。なんか、すごく……こんな言い方、柄じゃないんですけど……愛しかったんですよね。でも……」
彼は、顔を俯ける。
その顔から笑みは消え、瞳は虚ろに見えた。
「俺は……そいつを幸せにしてやることが、できなかったんです」
さっきまでの明るい声色からは想像もつかない、重い後悔を秘めた声だ。
「いくら俺がいいかげんな奴だって言ってもね。好きな女のことくらい、守りたかったのに。守れなかった。最悪な最期だったんです。俺は……俺達は、喧嘩しながらも、なんだかんだいってずっと寄り添って、幸せな爺さん婆さんになっていくんだろうなって思ってました。……でも、全然違った。俺は、あいつを幸せにできなかった」
胸が締め付けられる。やめて、そんな顔をしないで。自分を責める目をしないで。
だって、私は――
「だから俺は、結婚はしないんですよ」
「いいえ」
私は、はっきりと告げていた。
短い言葉とはいえ、そのあまりの力強さに、彼は目を見開く。
「あなたは、ちゃんと私を幸せにしてくれた。私は、幸せだった」
彼の目が、いっそう大きくなる。そのまま言葉を失って、硬直していた。
その表情にも、今のこの状況にも……なんだか笑えてきてしまう。
まったく……ずいぶんかっこよくなってしまったものだ。おまけに魔王様だって? 転生前の彼には、似合わなすぎて笑えてくる。まあ私も王女なんて柄じゃないから、お互い様だよね。
でも、どんな姿でも、どんな立場でも、なんだってよかった。
こうして、また出会えただけで、もう――
「ああ……そうか。そういう、ことか……」
私達は向かい合い、見つめ合う。
お互いの目尻に、涙が浮かんで――
「「あははははははははははははははははははははははは!!」」
同じタイミングで、大笑いしていた。
「ちょっと、イケメンになりすぎでしょ!」
「そっちこそ美女すぎ! しかも王女様って!」
「こっちの台詞だし! まさかあんたが魔王様だとは!」
息が切れるほど笑って、二つ重なった声が空に響いて。
胸が、どうしようもなく熱くて。
「ほんと……ほんとに、さぁ……」
気付けば――彼に、抱きしめられていた。
強い力だ。二度と離さない、というほどに。
私の首筋が濡れる。彼の目から、涙が流れているのだ。
思いっきり笑ったから……もあるけど、それだけではないだろう。
私も、同じだ。
熱く溢れる涙を、止めることができない――
「……なあ、遥菜」
「……うん」
「こんな俺だけど、また結婚してくれる?」
「何言ってんの、あんた」
一瞬、彼の眉根が不安そうに寄った。本当に……馬鹿なんだから。
「そんなの……当たり前でしょ、馬鹿……」
私は、今世では結婚なんて、絶対しないと思っていた。
私が結婚するなら――この人しか、いないから。
もう一度強く抱きしめられ、また大粒の涙が零れる。
笑って、泣いて、二人ともくしゃくしゃな顔になって。
それでもやっぱり、また笑って……。
金色の夕陽に照らされる中で、前世で最期に贈られたのと、同じ言葉を贈られる。
「愛してる。俺と結婚してくれて、ありがとう」