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作者: あさな

「僕の隣でいいの?」


 彼は驚いたように長い睫毛を揺らした。

 どういう意味なのか私は「え」と声を漏らした。

 

 学食は混雑していて、誰かと相席をする必要があった。まったく見ず知らずの人より知っている人の方がいいなと思ってぐるりと見渡したら、すぅっと視線が引き寄せられた。アーロン・テイラーだった。そのまま傍に行って、いいかな? と声をかけたら、上記の台詞を告げられたのだ。


「どういう意味?」


 私は尋ねた。


「いや、だって」

 

 混乱していると、彼はチラリと視線を動かした。

 斜め前にもう一つ空席があった。その左隣りにはザカライア・マーティンが座っていた。

 アーロンとザカライアは知り合いではない。おそらく話したこともないだろう。ただ、私はよく知っていた。


 ザカライアは私が長らく恋をしていた人物だ。


 彼とは所謂幼馴染で、物心ついた頃から知っている。

 私にも彼にも姉がいて、姉同士は親友だった。家が隣だったからよく行き来していた。五歳違うから必然的に私たちの面倒をみることになって、でも二人で遊びたいからと私と彼が一緒にいることになった。

 男女の違いはあったけれど、私たちは気が合った。

 親しい友達。

 そこに恋心が芽生えたのはいつからだろう?

 たぶん、中等部へ進学した頃だったような気がする。朝起きて、玄関を出ると、彼もまた出てきたところで、制服姿の彼が急に知らない男の人のように感じた。


「何? どうかしたのか?」

「……いや、何も」


 返事をしながら、私はドキドキした。

 ザカライアってこんな感じだったっけ?

 一緒に歩きながら、これまで一度も気にしたことがなかったのに、随分背が高くなったなとか、歩く歩幅も違っていて少し早足になっている自分とか、そういった諸々に酷く動揺していた。

 男性として意識してしまった――それからは坂道を転がるように恋心を抱いた。

 恋心を感じてからの私は割と積極的だったと思う。

 私のことも女性として意識してもらえるようにと、これまでとは違う態度を混ぜていった。ずっと性別など意識せずに親しくしていたから、いきなり転換するというのは難しくあったけれど、彼もなんとなく私の気持ちに気づいているだろうなと感じていた。

 でも、びっくりするぐらい脈がなかった。

 それが完全に確定したのは三ヶ月前だ。

 彼から恋愛相談を持ち掛けられたのだ。

 放課後、ちょっといいか? と声を掛けられて学院の人通りのあまりない中庭のベンチに座った。

 春の終わりの、夏へ向けて新緑が芽吹き始めた、力強い季節が始まろうとしていた。私の片思いは五年を超えていたが、ついに何か素晴らしいことが起きるのではないかと胸を高鳴らせた。

 だが、彼から告げられたのは、彼に思い人がいることと、その相談に乗ってほしいという頼み事だった。

 私が彼に恋をしたように、彼もまた誰かに恋をしていても少しもおかしくはない。けれど、


「……相談に乗るのはいいけれど、その前に一つだけ確認していい?」

「確認、とは?」

「私が貴方を好きだと気付いていて相談しているの?」


 ベンチに隣り合って座っていたけれど、私は身体を彼の方へ向けて、まっすぐに目を見て告げた。虚を衝かれたような、固まって動かなくなった彼の青い目と視線が合った。

 こんな風に見つめるのは好きだと自覚してから久しぶりだった。

 彼は随分背が高くなっていたから普通にしていては合わないし、目線を合わせようとしてもすっと逸らされていた。その態度に、照れてるのかな? 少しは意識してくれているのかな? と調子のいい日は思ったが、そうではないことぐらい本当は私もわかっていた。私の目に宿る熱を見て見ぬふりをしている。気づいていて知らない振りをしている。それでも好きな気持ちを消せなかったし、目は合わなかったけれど友人として親しくしているところは変わらなかったので、私は奇跡を期待してその距離を埋めようと努力しながら傍に居続けたのだ。

 見つめ合っていると、じわじわと彼の目に動揺が溢れ、いつもみたいに視線をそらされた。

 その行為は、やはり私の気持ちには気づいていたのだと理解するのに十分だった。知っていて私の好意に甘えていたのだとわかり正直がっかりした。無神経だと思った。でも、だからって彼を嫌いになることはなかった。私たちの間には恋愛以外にも情が存在した。幼い頃から築いてきた家族みたいな絆――それが私を奮い立たせた。


「ごめん。今の忘れていいよ」


 私が言うと彼は明らかに安堵した。

 そうして本当に気にせずに、私に恋愛相談の続きを始めた。信じられないと内心呆れた。でもそれだけ。その姿を見ても、狡い人だなと思うだけで、やはりどうしても嫌いにはなれなかった。

 好きでいてはいけないけれど、嫌いになることはない人。それが私にとってのザカライアだ。

 その後、私はきちんと彼の恋を応援した。


 で、そんな絶望的な状況の私に告白してきたのがアーロンだった。


 ザカライアからの相談を受けて三日後のこと。

 先生から提出書類の回収を頼まれていて、放課後に職員室へ届けて教室に戻る途中の廊下だった。

 他の生徒はもうすでに帰宅していて、夕暮れ前の、まだ明るい太陽の光が入り込んでいて、私の影を長く伸ばしていた。私は俯き加減に影が歩調に合わせて先へ先へと動くのを眺めながら歩いていたが、前方にいる人物の影とぶつかった。あ、人がいるなと顔を上げたらアーロンがいて視線が合った。


「あ」

「え?」


 彼の小さなつぶやきに、私も声を上げて、奇妙な間が生まれた。と、思ったら突然「好きです」と言われた。まるで無意識に零れ落ちたみたいな告白だった。

 何かの間違いかと思ったが、彼は口元を慌てて押さえるだけで、言い訳も何もしなかった。

 つまり、これは告白ということなのだろうと、私は不思議と冷静だった。

 

「ごめんなさい。私、失恋したばかりなんだよね」

「え、あ……そう、だったんだ……」


 私は少し投げやりな気持ちになって言った。

 アーロンとは話したことがない。クラスも違うし、たまに廊下ですれ違うのを見たことがある程度だった。私のことを何も知らないのに告白なんて、何をもって好きといっているのだろう? と不愉快になる気持ちもあったので、私の状況と、今は告白のタイミングとしては最悪なんだけどと暗に告げたのだ。


「うん……本当に、何も知らなかった」

「だよね」

「でも! ……でも、知っていることもあるから。君、いつも図書室を利用しているよね。一番奥の窓際の席で本を読んだり勉強したりしてることとか……あと猫が好きだよね。裏庭に迷い込んでいた猫に餌をやっていたのも知ってる」

「え、ずっと見ていたの?」

「あ、や、違う。後を付けたりとかしてたわけじゃなくて、偶然だよ? 偶然、目にとまって、最初は偶然だったんだけど、気づけば大勢の人の中で君の周囲だけ光が差したようにぽわんって明るく見えているみたいになっていて、それで好きだと自覚したんだ」


 アーロンはところどころ言葉を詰まらせながらも、私を好きになった経緯を話してくれた。

 好きな人がいるところだけ光が差したように見えてしまうというのは私も経験があったが、私が誰かのそういう存在になっていたなんて想像もしていなかったので驚いた。


「だ、から、これから君のことを知っていきたいし、君にも僕を知ってほしい」


 最初に私は結構意地悪な言い方をした自覚はあったので、それでも引き下がらずにいる彼に気圧されてしまった。


「も、もしよければ、君の失恋の辛い気持ちも聞くから!」

「いやそれはいいかな」

「でも、失恋の傷につけいるとかって恋の常套手段というし」

「……それ私に言ってはダメなやつでは?」

「あ」

「ふふ、いいよ。じゃあ、せっかくだし聞いてもらおうかな。格好悪くて誰にも話せなかったから」


 彼のパニック具合に私は笑ってしまった。

 この人は、悪い人ではなさそうと思った。

 それで、まずは友人となることを了承した。 

 

 そんな風なはじまり方だったから、アーロンは私のザカライアへの気持ちを知っている。

 だから、彼の隣が空いているのに、自分の隣でいいのかと聞いてきたのだ。――私が彼とうまくいけばアーロンは失恋するのに。

 まるでその姿は私自身を見ているようだった。

 ザカライアに恋をしていた私と、ザカライアと友人の私、その二つは相容れないものになってしまった。片方を優先したら、片方の望みは叶わない。ザカライアが私を好きでない以上、どちらかの私は諦めなければならなかった。

 私がそうであったように、アーロンにとって今が大きな分岐点なのだろう。

 同時に私も選択を迫られている――でも選択なんてとっくにしている。

 

「これから恋人になるかもしれない相手と友人となら前者を選ぶのでは?」


 私はアーロンに返事をした。

 彼にとって予想外のものだったらしく、え、と小さく声を漏らし、


「でも彼は、」


 と、まだ何かを言いたそうだったが言い淀んだ。ザカライアがこちらを見ていたからだろう。

 でも今度はアーロンが言わんとしていることがわかった。

 ザカライアは失恋した。私もあんなに一生懸命に応援したのに、彼の恋は実らなかったのだ。


『失恋の傷につけいるとかって恋の常套手段というし』


 そう言ったのはアーロンだ。

 私にもそのチャンスが回ってきたのだと言いたいのだろう。傷心につけこんで、今度こそ好きになってもらえるかもしれない。だけど、


「私、うまくいくと思っていたんだよね」

「え?」

「私さ、恋愛相談されたとき彼とその人は付き合うのだと思っていた。で、そうしたら私の恋心はどこにもいけないまま消えるしかなくなる。そんな気持ちもあって、私の気持ちに気づいていて、相談しているか聞いたんだ」


 アーロンと言うより、こちらを見ているザカライアの視線に言葉だけを向けて言った。

 私は気づいていた。私の恋心が実ることはないってことに。それでもどうやって諦めればいいのかわからなくて、わからないまま、毎日彼と顔を合わせていた。友人として、話をして、もしかしてなんて夢を見て、ときどき落ち込んでいた。だから、彼から恋の相談を受けたとき、ここが潮時なのだと一瞬で心が悟った。そして、今が、彼に気持ちを伝える唯一の瞬間のような気がした。だって応援をはじめてしまえば、横恋慕みたいなことは言えないし、まして二人が付き合ったあとでは嫌がらせみたいだ。だから、彼が誰のものでもなくて、私が自分の気持ちに嘘偽りなく応援できるようあのタイミングで言わなければならない気がした。あれはけじめのための告白だった。――いや、告白というよりも確認作業だったけれど。それもこれもすべては二人が付き合うと思っていたからしたことだった。私は失恋をして、そして、彼のことは好きだった人になった。

 でも、二人は付き合わなかった。

 けれど、だからといって、私の気持ちは失恋から戻らなかった。


「振られた」


 彼からそう報告を受けたときも、これで私にもまたチャンスが巡ってきたなんて気持ちは微塵もわかなかった。友人として、協力してきた者として、悲しくなっただけだった。何故? と。だって二人は順調に親しくなっていっていた。二人で出掛けて、デートを何度も繰り返していた。あとは告白するだけだったはずだ。

 恋に破れたザカライアを慰めながら、ままならない現実にどんな顔をすればよいのか困惑した。

 でも、ザカライアは案外平気に見えた。私の前では隠していただけかもしれないが、食事も普通に取っていたし、友人たちと楽しそうに過ごしていた。平気なのか平気な振りなのかわからなかったが、彼がそのように周囲に見せたいのなら、私も心配しすぎるのはよくないと以前と変わらない態度で接した。

 ただ、少しだけ変わったこともあった。


「一緒に帰らないか」


 ときどき、そんな誘いを受けた。

 家が隣だし、帰る時間も同じなのだから不自然なことではなかったが、そのように誘われるのは初めてだった。これまでは私が誘っていた。私の誘いに彼はけして頷くことはなかったが、帰る方角が一緒だから仕方なく連れ添って歩くといったことが何度かあったくらいだ。

 二人で歩く帰り道。彼の歩調はゆっくりで、彼の本心を、気欝さを表しているように感じられた。私はチラチラとした彼からの視線を感じながらも、前っ直ぐに前だけを見て、他愛もない会話を、くだらない、とりとめもない、記憶に残らないようなそんな話題を話した。


「お前がいてくれてよかった」


 ぽつりと、ザカライアが言った。

 もうすぐ家が見え始める曲がり角のところで。

 聞こえるか聞こえないか微妙な、小さな声で。

 私はそわそわとした。それがどういう意味なのか気にならないわけではなかった。――でも、気にしても仕方がないことだから、聞こえない振りをして先を急いだ。

 もし、もう一度告げられていたら、私は何かを返したかもしれない。でも、彼はもう一度告げることはなかった。そのまま、玄関の前で別れた。


 未来は無限に広がっている――どこかの偉い人が言っていた言葉だ。

 私はそれまでその見解には疑念を抱いていた。未来がそんなに無限であるはずがないと思ったいた。

 けれど、今ならばよくわかる。未来は無限に広がっていて、その中のただ一つを選んで人生を決めていく。


 たとえば、ザカライアから恋愛相談を持ち掛けられたとき、でもまだ付き合っているわけではないし、自分の恋心を捨てる必要はないと虎視眈々と恋人の座を傍で狙うことに決めていたら。二人が付き合うなんて決めつけをしていなければ。嫌いになれない人ではなく、好きな人でい続けたら、私の彼への恋は、まったく別の結末を迎えていた未来。


 たとえば、アーロンから告白を受けたとき、こんな最悪のときに告白してくるなんて波長が合わない人だと拒絶したままでいたら。まともに話したこともないのにと懐疑的になっていたら。私を黙って見ていたという事実に、恐怖を感じてもっとひどい言葉を投げつけていたら。私はアーロンという人物をよく知る前に、関係が始まる前にすべてが終わっていた未来。


 けれど、私はザカライアへの恋のけじめに自分の気持ちをぶつけたし、アーロンに恐怖よりも親しみを感じた。

 あのとき、選択をしたなんていうそんな強い自覚を持っていたわけではないけれど、振り返ってみれば私は選択をした。私自身が。

 私は意識をアーロンにだけ向け直した。


「彼は友だちだ。でもあなたは違う。これから、恋人になるかもしれない。大事な人になるかも。なら、その人の隣に座るのは普通じゃないかな?」


 アーロンの薄茶色の目が揺れた。


「だから、貴方の隣に座ってもいい?」


 私はもう一度尋ねた。

 アーロンの頬が赤くなった。そうして、唇を震わせながらどこか不貞腐れて、でも、嬉しそうに言った。


「まだ僕のことを好きでもないのに、愛の告白に聞こえる」

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― 新着の感想 ―
ザカライアは、彼女がアーロンとうまくいきそうになったら、それまで女性として意識していなかった彼女の良さに気付いて、惜しくなるかもですネ゙ オンナは上書き保存、オトコは別フォルダって言いますし、まだ自分…
「私が貴方を好きだと気付いていて相談しているの?」 こんなハッキリ言える彼女が格好良い! と言うかどのセリフも男前すぎw とても良いお話をありがとうございます!!
素敵な女性、もう日本には壊滅危惧種となる女性のようだ。
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