第4章:決済の危機
「エラーが止まりません!」
システム運用室に駆け込んできた若手エンジニアの叫び声が、深夜の静寂を破った。斗郎は老眼鏡の位置を直しながら、モニターに映し出された異常を示す赤いログの群れを凝視した。
「全店舗からの入金処理がエラーになっています。新システムへの移行バッチが原因かもしれません」
斗郎の隣で必死にキーボードを叩く山田が報告する。彼は入社5年目。新システムの開発チームの中では比較的ベテランの部類だった。
「どれだけの取引が影響を受けているんだ?」
「現時点で……約2万件です。ただ、自動リカバリーシステムが起動しているので、すぐに——」
その時、モニターに新たな警告が点滅し始めた。山田の表情が青ざめる。
「どうした?」
「自動リカバリーシステムが……予期せぬエラーを引き起こしているようです」
斗郎の背筋が凍る。新システムには、エラーを検知すると自動的にロールバックを実行する機能が実装されていた。クラウドネイティブな最新機能だと、若手たちは誇らしげに説明していたものだ。
「切り戻し手順書は?手動での対応は?」
斗郎の問いに、山田は困ったような表情を浮かべた。
「えっと、全てAWS CloudFormationのスタック管理で自動化されていて……手動の手順書は特に……」
「自動化に頼りすぎだ」
斗郎の言葉が、暗い予感とともに運用室に響く。
その時、システム運用室のドアが勢いよく開き、プロジェクトリーダーの瀬川千尋が数名の若手エンジニアを伴って駆け込んできた。
「状況を説明してください」
瀬川の声には焦りが滲んでいた。
「23時15分からの新システムへのデータ移行バッチ実行後、全店舗の入金処理にエラーが発生。自動リカバリーシステムが起動しましたが、それが新たな問題を——」
「自動リカバリーが機能していないんですか?」
瀬川の声が強まる。
「いいえ、むしろ機能しすぎています」
斗郎が静かに言った。
「自動システムが、エラーを検知するたびにロールバックを試み、そのロールバック自体が新たなエラーを生んでいる。悪循環です」
「大丈夫です」
若手エンジニアの一人が自信ありげに言った。
「セカンダリーの自動フェイルオーバーシステムが起動すれば——」
「待ってください!」
斗郎が思わず声を上げた。
「これ以上、自動化システムを重ねると、収拾がつかなくなります。まず、全ての自動処理を停止して、手動で状況を——」
「コボルさん」
瀬川が斗郎の言葉を遮る。
「私たちは最新のクラウド技術を導入しました。手動での対応なんて時代遅れです。自動化こそが、人的ミスを防ぐ唯一の——」
瀬川の言葉は、突然のアラート音で途切れた。
「セカンダリーシステムが暴走しています!」
山田の叫び声に、全員が画面に釘付けになる。自動フェイルオーバーシステムが、異常なデータを検知して無限ループに陥っていた。
「もう5万件のトランザクションが巻き込まれています!」
「自動バックアップからのリストアを試みます!」
若手エンジニアたちが必死でキーボードを叩く。しかし、それぞれの自動化システムが独自の判断で動き始め、状況は制御不能に向かっていく。
斗郎は引き出しから古い手帳を取り出した。1992年の記録には、同様の危機を乗り越えた時の教訓が記されていた。
『自動化は諸刃の剣。システムを止める勇気も、時には必要』
「全システムを緊急停止する必要があります」
斗郎の声に、瀬川は激しく首を振った。
「そんな乱暴な!自動修復機能が働いているはずです。もう少し待てば——」
「修復システムも暴走しています!取引データが次々と上書きされていきます!」
「自動アーカイブも起動していますが、破損データを保存している可能性が——」
警告音が運用室に鳴り響く中、自動化の連鎖は止まることを知らなかった。モニターには次々と新たなエラーメッセージが表示され、それぞれの自動システムが独自の「解決策」を実行しようと暴走を始めていた。
「エラー件数が20万件を超えました!バックアップシステムも自動復旧を試みていますが……これも悪化の原因になっているかもしれません!」
斗郎は静かに目を閉じた。手帳には、自動化以前の時代の知恵が詰まっていた。人間の判断と手作業の大切さ。でも今、誰も耳を貸そうとしない。
システム運用室の窓から、不吉な朝日が差し込み始めていた。自動化された「最新」のシステムたちは、それぞれが「正しい」と判断した処理を実行し続け、混乱は深まるばかり。斗郎の机の引き出しには、40年分の経験と教訓が詰まった古い手帳が、まだ眠ったままだった。
老人プログラマーの悲劇
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