逃げ道

あっ…あはっあはっ、もっ、もしもし？

牧村くん？

まっ、牧村航大くん…だよね？

あはっあはっ、やっ、やっぱり君は出るんだね。全然知ら

ない番号からかかって来た電話でも。

君らしいな…うん、君らしいよ。

君はいつだって堂々として自信満々だったもんね…

あっ、ごっごめん、ごめんなさい。

ぼっ、僕だよ、上野、上野みのる。

上野みのるだよ、ほっほら、中学の時一年と二年でおんな

じクラスだった。

あはっあはっ、そうそう、ジョウミノだよ。

よっ良かったよ、覚えててくれて。

うんうん、久しぶりだね、すっごく久しぶり。

もう20年以上経つんだね。

早いものだね…うん、本当に早かった…

あっ、まっ待ってよ！まだ切らないで！

大切な、とっても大切な話があるんだよ。

あっ、ちっ違う違う。お金の事とかじゃないよ。

そんなややこしい事じゃないんだよ。

うん、全然簡単な事だよ。

あはっあはっ、うん、えっとね…

僕を殺して欲しいんだ。

……もっ、もしもし？牧村くん、聞いてる？

えっ？…何言ってんだって…

…えっ？なんで驚いてるの？

だっ、だってあの頃君は毎日言ってたでしょ？

「殺すぞ」って。

「死ね」って。

あはっあはっ、僕ちゃんと覚えてるよ？

君が僕に「殺すぞ」って言った最多記録は、二年の10月16

日の17回。

「死ね」って言った最多記録は、一年の2月4日の28回。

だって僕、毎日記録してたもん、君達が僕にした事。

ぼっ僕が君達に渡したお金は全部で64万8450円。

万引きさせられた回数は82回。

あはっあはっ、不思議なもんだよね、万引きって。

捕まりたくないって思ってると捕まるけど、捕まりたいと

思ってやると結構バレないものなんだよね。

82回もやって一度も捕まらなかったもんね、あはっ。

ぞうきんを絞ったバケツの水を頭からかけられたのは21回。

教室で裸にされたのは49回。

みんなの前でオナニーをさせられたのは11回。

食べさせられた虫は37匹。

ダンゴムシや便所コオロギはまだマシだったなぁ。

カメムシと、手のひらくらいある土蜘蛛はキツかったなぁ。

おしっこを飲まされたのは7回。

体にはんだごてを押し当てられたのは29回。

きっ、君がはんだごてでお尻に書いた『ブタ』って文字、

今もまだ残ってるんだよ、うっすらとだけど、あはっ。

ねっ、ねっ？ちゃんと覚えてるでしょ？

あっ、でっでも、殴られたり蹴られた回数はさすがに分か

らないや。多すぎるもん、あはっあはっ。

あっ、そっそれでね、僕を殺して欲しいって話なんだけど

、僕もう限界みたいなんだよね。

ほら、僕中二の冬休みの少し前に学校辞めたでしょ？

3階の音楽室のベランダの手摺りの上を歩いてたら、足を

滑らして転落して両足骨折してさ。

あれが君の命令でやらされてたのがバレて、それで君達の

いじめが発覚して。

で、生徒指導の先生や、カウンセラーの人から「辛かった

ら逃げてもいいんだよ」って言われて、お母さんもお婆ち

ゃんもそうしなさいって。

だから僕、学校辞めて引きこもったんだよ。

20年。

20年、ウチにいたんだ。

安全で、何も起こらない20年。

僕はウチにいたんだ。

でも、でもね。

もう無理みたい。

お金がないんだ。

17年前にお母さんが残してくれた保険金も2年前に無くな

って、それからはお婆ちゃんの年金でなんとかやって来た

んだけどさ…

お婆ちゃんも死んじゃった。

4ヶ月前。

ただの風邪だって言ってたのに。

朝起こしに行ったら、布団の中で死んでるんだもん。

びっくりしたよ。

あっ、それで、それでね…

そろそろ役所が疑い始めてるみたいなんだよね。

それに、臭いも酷いんだ。

冷凍庫じゃないからね。

普通の冷蔵庫だからさ。

腐っちゃうんだよね、あはっあはっ。

………もう…限界なんだ。

もう嫌なんだよ。

生きてたくないんだ。

だっ、だけどさ、牧村くんはよく知ってると思うけど、僕

臆病だからさ、自分で終わらせる勇気ないんだよね。

だから誰か僕の事殺してくれそうな人いないかな、って考

えてたら真っ先に君の顔が浮かんで来たんだよね、あはっ。

…すごいよね、牧村くんは。

僕のお婆ちゃん、強力な町内ネットワークを構築しててさ

、君の事も色々と教えてくれたんだ。

大学を出た後、大手の金融関係の会社で経験を積んで、7

年前にお父さんが経営する製紙会社に就職。

3年前にお父さんの跡を継いで社長になると、斬新な商品

アイディアを連発。

特に引っ越しの多い若者向けに開発した、カラフルでクラ

シカルかつポップなプリントがしてある段ボール箱が大ヒ

ット。

一気に製紙業界の風雲児として注目を集める。

すごいなぁ…

結婚したんだね。

町田さんと。

今は牧村真由子さんになったんだね。

中学の時の彼女と結婚するなんて、純愛だよね。

すごいなぁ…

愛してるの？

奥さんの事。

愛してるんだよね？

純愛だもんね。

…でも浮気するんだ。

自分の会社の事務員さんと。

川添ひかりさんと。

どんな気分なの？

浮気相手のマンションから、奥さんが待ってる家に帰る時

って。

今どんな気持ちでその馬鹿でかい車のハンドルを握ってる

の？

ついさっきまで浮気相手のおっぱいを揉んでたその手でさ。

ピックアップトラックって言うんでしょ？そういう車。

僕、車の事全然知らないんだけど、調べたらフォードの

ラプターって言うヤツらしいね。

フェラーリと同じくらいするんでしょ？

すごいなぁ。

やたらデカくて、威圧的で、まさに君にぴったりだよ。

あはっあはっ、おっ怒ったの？

怒ってる怒ってる、あはっあはっ！

どう？

殺したくなった？

……ううん。

まだダメ。

まだ口だけだもん。

殺すぞって言ってても、まだ本気じゃない。

わかるよ、それくらい。

もっと本気になってよ。

…って言われても、無理だよね。

あの頃ならともかく、今の君には。

守る物がたくさんあるもんね。

だからさあ…

だから、僕が理由をあげる。

君が僕を殺す理由を。

あっ、ちょっ、ちょっと待ってくれる？

あっ、………もう…もうちょっと…

………あっ、そろそろかな？

牧村くん、もうそろそろ松波橋が見えて来たんじゃない？

見えた？

オッケ、じゃ、松波橋の手前で車停めてくれる？

あはっあはっ、とっ、停めたほうがいいと思うよ。

ここから先の話は、運転しながら聞くのはちょっと大変か

もしれないからさ。

…うん、停まったね。

じゃ、教えてあげるね。

君が僕を殺す理由。

それはね…

僕が君の奥さんを殺したからです。

正確に言うと、殺して犯したからです。

あはっあはっ、言い間違いじゃないからね。

殺してから、犯したんだよ。

君の奥さん、旧姓町田真由子さんをね。

ほんの3時間ほど前にね。

君が浮気相手と乳繰り合ってる時にね。

だめだよー、牧村くん。

君んチお金持ちなんだからさ、もっと防犯意識を高く持つ

ように奥さんに言っとかなきゃ。

宅配便ですって言ったら簡単に入れてくれたよ、あはっ。

ホントはね、ただ犯すだけのつもりだったんだ。

だけどホラ、僕童貞だからさ、すごく手間取っちゃって。

暴れるんだもん、すんごく、大声で。

仕方なく首絞めたらさ、あっけなく死んじゃった。

びっくりしたよ。

動かなくなったから簡単に出来るかと思ったんだけど、あ

れだね、やっぱり濡れてないとなかなか入らないものなん

だね。

一応念のためにローション持って行っといて良かったよ。

当然だけど、全然締まらないからちっとも気持ち良くなか

ったけどね、あはっ。

…あはっあはっ、ざんねんでしたー！ホントの事でーす！

ウソじゃありませーん！

証拠？

あはっあはっ、うーんと…どれから言おうかなー。

町田さんの左脇のホクロ？

右太ももの裏にあるアザ？

それとも、アソコに毛が一本も生えてない事？

…あのね牧村くん、良く考えてみなよ。

そもそも、どうして僕が君の携帯の番号を知ってるの？

誰に聞いたと思う？

ほらほら、早く愛しい奥さんに電話してみなよ。

繋がらないけどね、あはっ。

町田さんの携帯、僕が叩き壊しちゃったから。

警察呼ぼうとするんだもん。

さっ、ほら、電話してごらんよ、あはっあはっ。

あっ、もっもしもし、牧村くん？

ねっ、繋がらないでしょ？

あはっあはっ、まだ半信半疑だね。

ま、そりゃそうだよね。

でもさ、君さっきから町田さんの事ばっかり心配してるけ

どさ、大事な事を忘れてない？

とってもとっても大事な事。

僕、君の家に行ったんだよ？

僕、君の家に入ったんだよ？

あはっあはっ、そうだよ。

その、まさか…だよ。

雄大くん。

結婚10年目にしてやっと授かった一粒種。

君のかわいいかわいい跡取り息子。

きれいな顔してるよね。

まだ1歳にもなってないのに。

間違いなくおかあさん似だね、あはっ。

さて、ここで問題です。

雄大くんは、今どこにいるでしょう？

ブー！違いまーす！

ここにはいませーん。

会いたい？

大事な大事な一人息子に会いたい？

あはっ、意外と近くにいるかもよ？

わっ、わかったわかった。

そんなに怒鳴らないでよ。

怖いなー、もー。

雄大くんがどこにいるか、今教えてあげるから。

うーん…

でもなぁ…

3kmちょっとか…

3kmねぇ…

うん？

あー、違う違う。

そこから3kmの所にいるって意味じゃないよ。

3kmっていうのはね…

川添ひかりさんと浮気してる間、そのラプターを停めてた

地下駐車場から、今君がいる松波橋までの距離だよ。

どうなってるかなぁ…

会いたい？

雄大くんに。

そんなに会いたい？

じゃあ…

車の下を見てごらん。

……村くん！

牧村くーーん！！

何言ってるかわかんないよ。

落ち着いて！

お・ち・つ・い・て！

牧村くん！

牧村くんってば！！

ハァ…ハァ…ハァ…

ふぅ…で、どうだった？

雄大くん

まだ人間の形してる？

3kmも引きずるんだもん。

ヒドいお父さんだね、あはっあはっ。

あっ、誤解しないでね。

僕、雄大くんには傷ひとつ付けてないよ。

睡眠薬を砕いて混ぜたミルクを飲ませて眠らせただけだよ。

生きてたんだよ。

あの地下駐車場で、足首を縛ったロープを車体の下に結び

付けた時には。

ただ、仰向けでスヤスヤ眠ってただけだったんだよ。

僕じゃない。

君がやったんだよ。

ありがとね。

目立たない地下駐車場に停めてくれて。

おかげで仕事がやりやすかったよ。

ま、浮気しに行くのにそこらのコインパーキングに停める

訳にもいかないよね。

そんな目立つアメ車じゃあね、あはっ。

…えっ？なあに？

あっ、あはっあはっ、あははははっ！！

そう！そうそう、それそれ！

それだよ、僕が欲しかったのは！

うん、殺してよ。

今すぐに。

早く殺してよ！！

あはっ、だから最初に言ったでしょ。

簡単な事だって。

そのまんま運転席に座ってアクセルを踏めばいいだけだよ。

松波橋は少しアーチ状になってるからそこからだと見えな

いでしょ？

僕今、橋の反対側の道路に寝っ転がってるよ。

上下ねずみ色のスウェットのフードかぶって。

ほんの50m程先で寝転んでるよ。

一発だよ。

あの頃と違って、今僕ガリガリに痩せてるからさ。

轢き殺してよ。

その、君とおんなじ馬鹿でかい図体の車で。

そのくらいなら出来るだろ？

いくらお前が間抜けなクソ野郎でもよ！

おらっ！とっとと来いよ、チンカス野郎！！

殺したいんだろ？

やって見ろよ！

口先だけの腰抜け野郎が！

ガキの仇討ってみろよ！

そう！そうだよ！

もっと踏めよ！

ベタ踏みで来いよ！

そうそう、それでイイんだよ！

来い来い来いよ！！

あはっあはっ、あはははははは

ひーちゃったーひーちゃったー

ほーんとーにーひーちゃったー

しーらないぞーしらないぞー

せーんせーにーゆってやろー

あはっあはっ、牧村くーん。

そーゆうとこだよ、君のダメなとこ。

すぐにカッとなって、考え無しに感情のまんま動いちゃう。

君さぁ、曲がりなりにも年商10億円を超える会社の経営者

なんでしょ？

もっと冷静な判断力ってヤツを身に付けないと、社員さん

が可哀想だよ、あはっ。

ごめんねー、牧村くーん。

僕ね、嘘ついたんだ。

実は僕ね…

今もまだ、ぽっちゃりさんのまんまでーす！

痩せてませーん！

あはっあはっ、あはははは！

ハァハァ、では、ここで第二問です。

たった今、君が踏み潰したのは誰でしょう？

ほらほら、ボケっと座ってないで早く車を降りなよ。

確かめてごらんよ。

ボロ雑巾みたいにアスファルトに転がってる、ねずみ色の

スウェットのフードのなかの…

愛しい人の顔を。

牧村くん。

僕ね、もう一つ嘘をついてたんだ。

殺してないよ。

犯しただけ。

童貞でもレイプぐらい出来るんだよ、あはっ。

そうだよ。

雄大くんと同じ。

生きてたんだよ。

町田さん。

眠ってただけ。

睡眠薬を10錠飲んでね。

僕、17年前から不眠症だからいっぱいあるんだ、睡眠薬。

雄大くんの喉にカッターナイフを当てたら、素直に飲んで

くれたよ、あはっ。

ただ、眠ってただけ。

生きてたんだよ。

出血量と体の温かさでわかるでしょ？

死体を轢いたんじゃないって。

僕じゃない。

君がやったんだ。

二人とも。

君が殺した。

君が殺したんだ。

どうなってる？

町田さんの顔。

あっ、ちなみに言っとくと、前歯が2本なくなってるのは

僕が殴ったからだから、その分まで君が責任を感じる必要

はないからね、あはっ。

……牧村くん？

泣いてるの？

…泣いてるね。

牧村くん、これは当然の報いだよ。

それほど君が僕にやった事は酷すぎた。

だけど……だけどね…

僕はね牧村くん、君も一種の被害者だとも思ってるんだよ。

あの頃、大人たちは僕に言った。

「逃げなさい」って。

「辛かったら逃げていいんだよ」って。

だから僕は逃げたんだ。

逃げて逃げて逃げたんだ。

20年以上逃げ続けたんだよ。

その結果どうなった？

僕は今36歳。

一度も働いた事がない、引きこもりの童貞ニートだよ。

あっ、もう童貞じゃないか、あはっ。

……どうするんだよ。

どうすればいいんだよ、こんな人生。

逃げろって言ったじゃないか。

大人たちはみんな僕にそう言ったじゃないか。

だからそうしたんだ。

その結果がこれかよ？

炭酸水で空きっ腹を膨らませて、テレビ見てセンズリこい

て寝るだけの毎日かよ。

どうしてくれるんだよ。

誰が責任とってくれるんだよ。

…今ならわかる。

逃げちゃダメなんだ。

戦うべきだったんだ。

君たちを太陽の下へ引きずり出して、日の当たる場所で対

決しなきゃいけなかったんだ。

そうしてたら、確実に僕が勝ってたんだ。

君たちいじめっ子なんて、何かのマンガに出てくる鬼と一

緒だよ。

でかいツラしてられるのは日陰にいる時だけ。

明るい所じゃなんにも出来やしないんだから。

役所も警察も弁護士もマスコミも全部巻き込んで衆人環視

のなかで戦えば、100%僕が勝ってたんだ。

だけど…誰も言ってくれなかった。

「戦え」って。

…なんで「逃げろ」なんて言ったんだよ。

逃げ続けた先に何があるかなんて、あの頃の僕に分かる筈

ないじゃないか。

誰かが「戦え」って言ってくれてれば…

逃げ方じゃなく、戦い方を教えてくれてれば…

結局、「辛かったら逃げていいんだよ」なんて、大人たち

にとって『いじめとの戦い』って言う面倒事に巻き込まれ

い為の体のいい言い訳に過ぎないのさ。

みんな無責任。

誰もよその子供の事なんて真剣に考えちゃいないんだ。

それは、いじめられっ子だけの事じゃない。

君たちいじめっ子も含まれるんだよ。

あの時僕が逃げたから、君たちは償わなかった。

謝罪も反省もしなかった。

いじめという愉快なゲームを楽しむ為には、相応の対価を

支払う必要があると言う現実を学ばなかった。

そのツケが溜まりに溜まって、今こんな事になったんだ。

「逃げろ」って言う事で、大人たちはいじめっ子の事も

見捨ててるのさ。

見捨てられたいじめっ子は、罰を受けず責任を取る事を学

ばなかったいじめっ子は、いじめっ子のまま大人になる。

いびつで幼稚な大人に。

どこかの人気球団に引き抜かれたホームランバッターみた

いにね。

牧村くん、君は罰を受けるべきなんだ。

誰かが君を罰するべきなんだ。

そうする資格を持った誰かが。

だから僕は3ヶ月前から君の車にGPS発信機を取り付けて

、君の生活状況や行動パターンを徹底的に調べたんだよ。

間違いなく僕にはあるからね。

君に罰を与える資格が。

牧村くん、僕は君を許さない。

だけど、ある意味では同情してもいるんだよ。

同じように大人たちに見捨てられた元子供としてね。

そう、真逆の立場でありながら僕たちは………………え？

一緒にするな……って、なんだよ、それ…

はっ、はぁ？

な、な、なに言ってんだよ！

い、今そんな事どうでもいいじゃないか！

関係ない！関係ないだろ！！

ぼっ、僕が女子トイレや更衣室にカメラを仕掛けた事が

なんだって言うんだよ！

僕は、僕はなぁ！女子の裸が見たかった訳じゃないぞ！

町田さんの事が、町田さんの全てが知りたかっただけな

んだ！

すっ、好きな女の子の事を何もかも知りたいと思って何

が悪いんだよ？

全然普通の事じゃないか！

おっ、お前なんかより、僕の方がずっとずーっと前から

町田さんの事を好きだったんだぞ！

……は、はあ？

だ、だから何だって言うんだよ？

僕が授業中に町田さんの髪の毛を切ったのがどうしたって

言うんだよ！

ほんの一房じゃないか！

好きな人の髪を欲しがるのがそんなにおかしい事かよ！

ふっ、普通だよ、普通！

あの時の髪は、今でも成田山の御守りに入れて大事にし

てるんだぞ！

…大好きだったんだ。

お前なんかに…お前なんかに何が…

ふざけんな…

ふざけんなよ！

そんな事ぐらいで自分のやった事が正当化出来ると思って

るのかよ！

あれ程酷いいじめが相対化出来るなんて本気で……

…………え？

なっ、なっ、なんの話を……

ばっ、馬鹿な事言うな！

そんな、そんな訳ないだろ！

僕がお母さんを殺すはずないだろ！

ねっ、根も葉もない適当な噂話を真に受けて……

………は？

お婆ちゃんが？

町内のいろんな人に？

ちっ、ちっ、違う…

…え？

かっ、関係ないよ…

お母さんの事故と僕の不眠症は……

違うんだ…

違う違う違うーっ！！

………牧村くん…

お願いだよ。

信じて。

これだけは信じて。

あれは、本当に事故だったんだ。

『働け、働け』ってあんまりしつこくて…

肩を掴んで来た手を振り払っただけなんだ…

そしたら、バランスを崩して階段から…

突き落としたんじゃない…

殺したんじゃない…

僕が…お母さんを殺す訳が…

……………ううっ…

…お母さん………おかあさん…

やめて……

もう…やめてよ……牧村くん。

ううっ…うるさい……

うるさい！うるさい！うるさい！うるさーーい！！！

ハァハァ……ハァハァ……ハァハァ……

……………………どうでもいい…

あはっあはっ、どうでもいいよ。

何もかも、どうでもいい。

全部全部ぜーーんぶ、どーーでもいい！！

だって、僕は逃げるんだから。

これまでずっと逃げて来たんだ。

これからもずっと逃げ続けるのさ。

何一つ背負わないよ。

体一つで逃げてやる。

現実という悪夢からね。

牧村くん。

僕を殺したい？

復讐したい？

生きたまま八つ裂きにしたい？

…だよね、今は本気でそう思ってるよね。

無理だよ。

君は僕になんにも出来ないよ。

僕、これから警察に行って自首するんだ。

確かに、僕のせいで人が二人死んでる。

でも、どっちも直接僕が手を下した訳じゃない。

あと、住居侵入とか強姦とか誘拐とか…あ、それとお婆ち

ゃんの年金の件とか、まあ色々あるんだけど、全部合わせ

ても死刑になる事はないよ。

絶対にね。

最高さ。

もうこれからは、家賃や電気代や水道代の取り立てに怯え

て、息をひそめて居留守を使わなくても済むんだ。

文字通り、別荘暮らしだよ。

僕にとってはね。

牧村くん、いい事教えてあげようか？

実は今君と交わしてるこの会話、全部リアルタイムで文字

に起こしてるんだよ。

これを、あるサイトを通じてネットに公開する。

あはっあはっ、きっと大騒ぎになるよ。

マスコミやネット民だけじゃない。

お子様からお年寄りまで、みなさんこぞってこの事件に夢

中になる事でしょうねぇ、あはっ。

僕たち、一躍時の人になっちゃうよ、きっと。

ま、僕には関係ないけどね。

僕を極悪人だと責めるヤツもいるだろう。

僕に同情して涙するヤツもいるだろう。

どーでもいい。

僕にはまったく無関係だよ。

誰のどんな声も届かない所に行くんだから。

だけど、君はそういう訳には行かない。

雄大くんの件は、君に非はない。

町田さんの件では、確かに君に殺意はあった。

だけどそれは、僕に騙され、挑発された上での人違い殺人

だ。

無実とは言えないけど、情状酌量の余地は十分にある。

わかんないけど、執行猶予が付くんじゃないかな、多分ね。

きっと君は刑務所には行かなくて済むよ。

…だから、晒し者になるのさ。

君をこの事件の被害者として憐れむ人がいるだろう。

君をいじめの加害者として非難する人がいるだろう。

どっちの立場のヤツも、根っこは同じだよ。

好奇心。

それだけ。

涙を流したり、眉をひそめたりしながら、君を暇潰しのお

もちゃとしていじくりまわすのさ。

何年も、何十年もね。

そして、そんな世間の好奇の目に晒される毎日を過ごしな

がら、君は考えるんだよ。

『上野みのるは生きている』ってね。

『あのブタ野郎は、今も国民の血税でメシを食っている』

ってね。

牧村くん、僕は死なないよ。

ずっとずっと、元気いっぱいで生き続けるよ。

もしかして、20年後30年後でも構わない、いつか必ず僕に

復讐してやる、なんて思ってるかもしれないけどさ、それ

は無理だよ、あはっ。

僕は出所しないよ。

出所する日が近づいたら、なんらかの事件を起こす。

死刑にならない程度のヤツをね。

生涯、夢の別荘暮らしさ、あはっあはっ。

逃げて逃げて逃げきってやるよ。

何もかもから。

ビバ！現実逃避！ってね、あはっ。

牧村くん。

がんばってね。

君には逃げる場所なんてないんだから。

一人で立ち向かってね。

現実に。

逃げられないんだから。

…さてと、ぼちぼち行かなきゃ。

最後に、ちゃんと手を振ってお別れしようよ。

牧村くん。

右を見てごらん。

松波橋の100m上流に架かってる青鷺橋の上。

白い軽自動車が止まってるでしょ？

僕だよ。

町田さんをそこに寝かせてからここまで戻って来て、全部

見てたんだよ。

ほら、見える？

君も手を振りなよ、これが僕の姿を見る最後なんだから、

あはっ。

じゃあ、元気でね。

さ、よ、う、な、ら。

……………あ。

一つだけあったよ。

君が逃げられる場所。

分かる？

町田さんと雄大くんがいる所だよ。

でも、君はそこへは行かないよね？

君は……逃げたりしないでしょ？

だって、僕とは違うんだもんね？

あはっあはっ、あははははは！